「裏切られても、それはそれでいい」の境地に到達するまで
――『WILL』の中で、東出さんの新たなスキャンダルを狙っていた週刊誌の記者とカメラマンを家に呼び、打ち解けていくシーンがあります。カメラマンから、「人を簡単に信じちゃいけない」と諭されたり、東出さんが「たとえ裏切られても、それはそれでいいんです」って言ったりするのが印象的でした。これまでに本当にいろんなことがあって、それでも今、東出さんがそうやって人を受け入れ、信じようとする理由が聞きたいです。
「……………………」
――簡単な質問ではないかもしれませんが。
「いや、その。『裏切られても』っていう言葉の前に、長大な鍵カッコがつくんです。僕はやっぱり、ものすごく俗っぽい人間です。だから、『こいつ、ほんとに裏切んないだろうか?』とか、『うん? こいつ、ダメじゃねえか』とか疑うこともあるし、逆に、バーッと一気に打ち解けすぎて、翌日になって『なんか話しすぎたな』って後悔することもあります。でも、そういう心配は意外と杞憂だったり、僕が壁を作っているつもりでも向こうは打ち解けてると錯覚していて、結局そこから仲良くなっていくというようなことも多々ありました。で、もう一方で、僕はやっぱり人をあまり憎めないんです。週刊誌というのも単なる組織の話で、そこに所属する人と同じ釜の飯を食ったとき、人と人とになったとき、感じる喜びの方が大きい。相反する組織に属す人だとレッテルを貼ってただ憎むより、そういうことは一旦横に置いといて、人間同士としての付き合いの方が僕は好きだなって。そういうことをいっぱい考えて、巡り巡ったうえでの『裏切られても』ということなんです」
――それにしても、あの記者とカメラマンは、面白い人たちだなと思いました。東出さんの家ですごく楽しそうにしていて、なじみっぷりがすごいなと(笑)。
「今もめっちゃ来ますよ、うちに(笑)。やっぱり、じっくり話せば敵じゃないんですよね、絶対。あと、まあ敵でもいいかなって。敵でも仲良くなりゃいいじゃんって。いいじゃんいいじゃんって(笑)」
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