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田舎暮らしの本 5月号

最新号のご案内

田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

【特別公開】さとねり/話題の新人作家・新川帆立の書き下ろし掌編小説

 

 訃報を聞いて、飛行機にとびのった。宮崎空港に着くと、外は大雨だった。道にたまった水をざぶんざぶんとかき分けながら、一時間車を走らせた。

 日南市風田地区の大きな平屋に、祖父は眠っていた。

「じいさんが起きると、うるさいからねえ」

 認知症が進んだ祖母は、藤椅子に腰かけたまま穏やかに言った。

 祖母の右腕には輪ゴムが巻かれている。祖父と祖母は農家をしていた。米、花、タバコ、作れるものは何でも作る。貧しかったのだ。作った花を切って束ねるとき輪ゴムを使う。だから祖母はいつも腕に輪ゴムを巻いていた。息子夫婦に仕事を任せて悠々自適の身となった後も、ずっとだ。「おらも働かんといかんなあ」と言い続けている。

 式場の手配を終えて、父が帰ってきた。

「じいさんは、どうして?」

「分からん。歳やもん。寿命やろう。早紀は、仕事は大丈夫やったと?」

「うん、パソコンを持ってきたから、なんとかなると思う」

 東京で弁護士をして、もう十五年になる。自分なりに仕事の進め方は心得ていた。法事が一段落した深夜に、メールの返信だけするつもりだ。

 親戚は続々とやって来た。外では大雨洪水警報が鳴っている。皆一様に、足元はぐっちょり濡れていた。それぞれに玄関で靴下を脱ぎ、十人ほどが居間に集まった。

 仮通夜といってもやることは何もない。遺体を前に思い出話をするくらいだ。

「さとねりは、もう、しとらんのよね」

 誰かがそう漏らしたのは、夜九時を回ったころだった。「さとねり」というのは「砂糖練り」、黒砂糖作りのことだ。サトウキビを育てて収穫し、搾り器に入れる。搾り汁を窯で煮詰め、丁寧に灰汁を取りながら六時間ほど煮詰める。これを練り上げて冷ますと黒砂糖になる。江戸時代後期から続く師走の風物詩だ。

「しとらんよ。昔は三十軒以上さとねり小屋があったけんど、いまはもう一軒だけよ」

 誰かが答えた。

 祖父はさとねりの名手だった。年末に帰省すると、「こっちおいで。一番美味しいところを、とっとったっちゃが」と言って、黒砂糖を分けてくれた。

「踊りは?」

「うちはしとらん。保存会は続いてるがね」

 祖父は盆踊りの唄い手だった。倉庫を探せば、祖父の唄の入ったカセットテープがどこかにあるはずだ。祖母は若者に踊りを教えていた。祖父が唄い、祖母が踊っている祭りの写真が奥の間には飾られている。

 思い返せば、忙しい生活だった。米を作り、収穫し、盆踊りをし、花を育て、サトウキビを育て、黒砂糖を作る。猟犬を従えて猪狩りもしていた。年末年始の行事もある。近くの家で人手が足りなければ寝ずに手伝う。祖父と祖母は、朝早くから夜遅くまで、一年中働いていた。祖父の口癖は「頑張らんといかんよ」だった。ことあるごとに、子供や孫にそう言った。

 十時を過ぎて散会になった。片づけをして、風呂からあがるともう十一時過ぎだ。外では雨の音が強まっている。眠い目をこすりながら、パソコンを開く。前日は仕事が忙しく、三時間も寝ていなかった。

 ほんの数時間目を離しただけなのに、メールは三十件以上たまっていた。若手弁護士からの「どうすればいいですか?」「どうしましょうか?」というメールばかりだ。少しは自分で考えればいいのに、と内心毒づきながら返信していく。寝不足のせいで心が狭くなっている。欠伸を噛み殺し、軽く目をつぶる。疲れで目の裏がじんわり熱い。

 仕事は好きだ。だが年々、体力が持たなくなってきた。いつまで最前線にいられるか分からない。いつのまにか、涙が漏れていた。悲しくて泣いたのではない。目の疲れだ。

 

 

「亜紀ちゃん、どうしたの」

 声がかかって、目を開けた。祖母が腰を曲げて立っていた。「亜紀」というのは姉の名前だ。祖母は姉と私の区別がつかない。ランダムに呼びかけてくるから、半々の確率で当たったり外れたりする。

「ばあちゃん、起きてきたの?」

「じいさんがうるさいから、眠れないのよ……。ちょっと待ってね」

 テーブルに手を伝いながら、祖母はゆっくり歩いた。冷蔵庫を開けて、タッパーを取り出した。蓋の端がひび割れている年代物のタッパーだ。

「さとねりしてる家から、こそっと貰っておいたのよ。食べんさい。一番美味しいところ、とっとったっちゃが」

 タッパーを開くと、たしかに黒砂糖が入っていた。

「じいさんがうるさいって?」

「もう、夜中に起き出して、うるさいと。早紀に黒砂糖を食べさせろ、って。自分で渡せばいいのになあ」

 祖母はスプーンを手渡してきた。その腕にはやはり、輪ゴムが巻かれていた。

「ばあちゃんも食べる?」

「ばあちゃんも後で食べるから、亜紀ちゃんがまず食べなさい」

 スプーンで黒砂糖を削って口に含む。甘みが一気に広がって、あごが痛いほどだ。コクのある香りが鼻を抜けた。

 いつのまにか、涙が頬を伝っていた。

「頑張らんといかんね」

 私が言うと、祖母はにっこり笑った。

「早紀ちゃんが働いてるで、おらも働かんといかんなあ」

 

 

 

 

新川帆立 しんかわ ほたて

1991年生まれ。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』(宝島社)でデビュー。

 

【10月6日発売の最新刊】

『倒産続きの彼女』

宝島社刊 価格/1540円

【あらすじ】山田川村・津々井法律事務所に勤める美馬玉子。地方出身で、懸命な努力をして弁護士になった玉子は、容姿端麗、東京出身で恵まれた家庭環境で育った1年先輩の剣持麗子に苦手意識をもちながらも、ボス弁護士・津々井の差配で麗子とコンビを組むことになってしまう。クライアントである倒産の危機に瀕する老舗のアパレル会社・ゴーラム商会を救うため、2人は会社を倒産に導く女と噂される経理課の近藤まりあの身辺調査を行うことになった。ブランド品に身を包み、身の丈に合わない生活をSNSに投稿している近藤は、会社の金を横領しているのではないか? しかしその手口とは?ところが調査を進めるなか、ゴーラム商会の「首切り部屋」と言われる小部屋で死体が発見され……。

https://tkj.jp/book/?cd=TD021243&path=&s1=

 

【10月6日発売の最新文庫】

『元彼の遺言状』

宝島社文庫 価格/750円

https://tkj.jp/book/?cd=TD021229

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