都会で育ちながら、人生の後半戦を見つめ直し、自然豊かな鹿児島県霧島市(きりしまし)へ。リモートワークをしながら、ご近所さんの助けを借りて畑づくりをしたり、大好きな温泉へ繰り出したりと、都心で過ごした今までとは真逆の生活を送る。都会で失われつつある共同体の大切さを実感する毎日。
掲載:2023年4月号
藤原 綾さん Aya Fujiwara
1978年、東京生まれ。編集者・ライター。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手生命保険会社を経て宝島社に転職。ファッション誌の編集から2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクション、写真集、機関紙と幅広い分野で編集・執筆活動を行う。著書に『42歳からのシングル移住』(集英社)がある。
生活の豊かさを求めた、温泉のある移住先選び
私が霧島市に移住してきたのは、1年半ほど前のこと。
都心のマンションに住んでいたのですが、若いころに母を亡くし、一昨年父が突然死したことをきっかけに、ふと、自分の今後が不安になりました。
隣人の名前や家族構成すら知らない状況で、高齢になって私がこの部屋で死んだとき誰が見つけてくれるのだろうか。災害があったとき、果たして地域の助け合いは行われるのだろうか。
今はいいけれど、個人主義が加速している都会に住み続けることに疑問を感じるようになり、コロナの影響でリモートワークが広がったこともあって、地域社会が生きている場所に移り住もうと決意しました。
都会では弱肉強食の様相を呈してきて、自己責任という言葉のもと、他人同士の助け合いが薄れつつあるように感じます。便利であること、効率的であることが、自分の豊かさに直結するようには思えず、おいしいものを食べる、健康的な毎日を送るといった人間本来の豊かさを最優先に生きることを考えるようになりました。
以前から温泉が好きで全国を旅してきたので、温泉が近くにあることは最低条件。青森や長野も候補に挙がりましたが、祖母の故郷である鹿児島に縁を感じ、物件探しを始めることにしました。
ハトマークサイトという全国宅地建物取引業協会連合会が運営する検索サイトに条件を入れ、よさそうな物件が出てきたら鹿児島へ飛んで内見することを繰り返しているうちに、住みたい地域も明確になりました。今住んでいる霧島市の家を取り扱っていた不動産会社の方がとてもいい方で、事前にさまざまな周辺の状況を共有してくださったことも大きな安心材料に。リフォーム会社を紹介くださったり、名所に連れていってくださったりと、都会では考えられないサポートも田舎ならでは。荒れ果てた畑に新たに黒土まで入れてくださり、ただただありがたかったです。
無縁の地で徐々に広がる地域の人とのかかわり
鹿児島市に親戚が1組いるものの、霧島市に知人は皆無でした。物件探し中にお世話になった民泊を運営する方と、そのパートナーだけが心の綱。地域共同体に参加することが目的だったので、最初から自治会には必ず入ろうと決めていました。その甲斐もあって、今では私の存在を周囲の方に知っていただき、何かあったときは班長さんに相談できるという心強さがあります。温泉の常連さんとはすっかり顔なじみになり、脱衣所で佃煮などをいただくことも。市役所の方から、近所にも東京から移住してきた方がいると紹介していただき、今ではたまにランチをする仲です。
物産館で出会った方からは、サークルのようなものに誘われて、幅広い世代の趣味の集まりがあることも知りました。周囲の方々と積極的に交わること、そして生活自体を楽しむことで、ひとり身の孤独感も薄れます。
畑はまったくの未経験だったのですが、越してきてすぐに民生委員の方が手取り足取り教えてくれました。最初は、1人なのでいろいろなものを育てようと、手当たり次第に苗を買い、実りを喜んだり、青虫やイノシシにやられて嘆いたりと一喜一憂。とはいえ、正直1人では手に負えない広さで、夏の雑草と秋の台風でくじけてしまい、今改めてご近所さんに教えを請うている状況です。仕事もあるので、なかなか思うようにはいきませんが、時間をかけて学びながら60歳を過ぎたあたりに、ある程度のことができるようになればいいかなとのんびり構えています。今でもご近所さんから自宅で育てた野菜や、自ら捌(さば)いたというシカやイノシシのお肉をいただくので、エンゲル係数はみるみるうちに下がりました。
都会では感じられない地域への愛着の芽生え
若いころは東京に生まれてよかったと思っていましたが、かといって郷愁はなく、地域に対する愛着を感じたことはほぼなかったように思います。好きなお店はあっても、すぐになくなったり、経営者が変わったりすることが多々あって、街は目まぐるしく変化していきます。選択肢はいくらでもあるし、一つひとつのものに対してありがたみを感じることもありませんでした。
一方、移住してからは、この素晴らしい環境を守るにはどうすればいいのかを考えるようになりました。小さなことではありますが、できるだけ鹿児島産のものを買おう、ネットで購入するよりも霧島で買おうという気持ちに。私も含め、ここで暮らしている人たちの生活を考えれば、この町のなかで経済を回すことが大切に思います。
東京では、困ったことがあればネットで調べることが当たり前になっていましたが、ここでは信頼できる人に聞いて、信頼のおける人を紹介してもらうことが日常です。先日、車を買い替えたのですが、家族ぐるみで仲よくさせてもらっている友人の親御さんが中古車販売をしていて、いろいろと融通をきかせてくれました。一期一会の都会とは違い、長いお付き合いが前提にあるので、お互いの信用があってこそ。システムではなく、人と人だからこその柔軟さが活きています。
しかしながら、私が移住してから温泉が2軒閉まり、先日は保育園が1カ所なくなるという話も聞きました。ほかの地域と同じく、霧島でも少子高齢化は喫緊の課題です。私は今の霧島を好きになって移住してきたので、都会の価値観を取り入れるのではなく、この場所を守るにはどうすればいいのか、市民の1人として考えていかなければならないと思います。東京にいたときは考えもしませんでしたが、機会があれば市が開催するシンポジウムにも顔を出すようにしています。合併によって山間部の人が減り、その周辺では少しずつお店が減っていき、移動販売に切り替わる地域も出てきているようです。その際も、やはり大切なのは助け合い。移住して以降、たくさんの方に支えられていることを実感しているので、郷に入れば郷に従えの精神で地域に溶け込みながら、課題解決についても考えていければと思っています。
藤原さんからの「女性おひとりさま」移住へのアドバイス
❖地域の視線は安全対策の一環
「車、買い替えたのね」と声をかけられたり、車がなければ「どこかに行ってたの?」と言われたり、田舎では周囲からの視線を感じることもありますが、これは一種の防犯対策のようなもの。監視というより見守りだと思います。ある程度、知っておいてもらったほうが、女性のひとり暮らしは安心です。
❖地域に根付く男性と女性の区別
自治会の総会のとき、男性と女性で分かれて座っていたことに最初は驚きました。仕事の区別も男女ではっきり分かれているように感じます。都会のように何でも自分で解決しようとするよりも、女性のシングルは体力面で苦労することもあるので、上手に甘えることも大事。奥さんと仲よくしながら、旦那さんの力を借りるとスムーズです。
バツイチ、子なし、ひとり暮らしの中年女性が、父親の死をきっかけに人生後半戦を見つめ直し、生まれ育ち40数年暮らした東京を離れ鹿児島県霧島市へ。戸建て物件探し、引っ越し、リフォーム、ご近所付き合い、畑仕事、仕事先の東京との往復……オンタイムでつづる移住ルポ。都会で失われつつある地域共同体の大切さや、効率化やお金を目的とした都会への疑問、人間が本来感じる豊かさとは何かについて、インタビューを交えながら自身の経験をもとに語る一冊。
【鹿児島県霧島市】
鹿児島県では2番目に人口が多く、空港所在地でもあることから、移住先としても注目を集める霧島市。北部には日本初の国立公園である霧島山、南部には錦江湾(きんこうわん)を望む。霧島温泉郷をはじめ、さまざまな泉質が楽しめる温泉が各所にあり、地域住民の憩いの場所となっている。霧島神宮は昨年、国宝に指定された。羽田空港から鹿児島空港まで約100分。
霧島市移住支援情報
飛行機を降りたらそこは霧島市。都会から遠いようでとても近いまち
鹿児島県本土のほぼ中央部に位置する霧島市は、鹿児島空港を有することから都市部へのアクセスに優れており、テレワークや二地域居住など、さまざまなスタイルで暮らすことができる。移住者向けの支援として、住宅取得費用の一部助成や、移住体験ツアー、オンライン移住相談会などを用意しており、専門のスタッフによるサポートも手厚い。
問い合わせ先:霧島市地域政策課 ☎0995-64-0952
鹿児島県霧島市|霧島市移住・定住情報 おじゃんせ霧島市 (city-kirishima.jp)
文/藤原 綾 写真/岩松敏弘
この記事のタグ
田舎暮らしの記事をシェアする