どんな作品にもすんなりとなじむ味わい深い演技で、長年、多くのつくり手から求められ続ける俳優の小林薫さん。映画『バカ塗りの娘』で、津軽塗の職人を演じています。映画のこと、津軽塗について、小林さんに聞きました。
掲載:2023年10月号
完成まで48工程の津軽塗
「お話をいただいたときは、津軽弁もそうですが、津軽塗の職人役でもあって。それらしく見えるかな? 大変だな……と、そうした思いが先に立った気がします」
映画『バカ塗りの娘』に出演した小林薫さんはそう振り返る。
物語の舞台は青森県弘前市(ひろさきし)。小林さんが演じたのは、名匠と知られた父親から津軽塗の工房を受け継いだ青木清史郎。近ごろは注文も減って経営は厳しく、仕事を優先し続けた結果、妻は去り、今は娘の美也子と二人暮らし。跡継ぎの期待をかけた長男も美容師になって家を出ていたが、ある日、衝撃的な告白をする。
「親としてはうまく対処する術がないだろうと思うんです。いい父親を演じようというのではなく、子どもの選択を受け入れようとする気持ちとの狭間で揺れるだろうと。そうした動揺は客観的には滑稽にも思えて、ちょっと笑えるかもしれない。人生って、そういうところがありますよね」
近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇--。人生をそう表現したのは、〝喜劇王〞と呼ばれたチャップリンだったか。そんなごく自然な笑いが、この映画でもていねいに構築されていく。
「僕の中に、東北の方はちょっと寡黙という漠然としたイメージがありました。清史郎も言語化できない思いを抱え、それをうまく表現できない不器用なタイプかなと。だから彼が抱くコンプレックスを含め、観る人にどう感じていただくか。言葉として発しないセリフがあるのかもしれないと思いながら演じていました」
美也子も、ややコミュニケーション下手な性格。津軽塗に本腰を入れて取り組みたい思いを抱えるも、父親には言い出せない。ある日、美也子は漆を使ったある試みを始める。
「そこでも清史郎は、そんなことをしてどうするんだ?という思いと、時代は確かに変わったし、娘は自分にはない発想で、異なる起点に立とうとしているのだから、その挑戦を肯定しなきゃという気持ちとで揺れます。一昔前のわかりやすい父親像なら、職人とはこういうものだ!と押し切れるだろうけど、そうするだけの自信もない。そのあたりを具体的にどう演じるか?そこに答えはありませんから、現場でやりとりしながら進めていきました」
津軽塗は、完成までに48工程あるそう。信じられないほどの手間暇をかけ、丈夫で美しい工芸品が出来上がる。劇中、清史郎と美也子が工房に並んで座りながら作業するシーンが何度も登場する。確かに作業には多くの種類があり、黙々と進める手作業は見飽きるということがない。
「バカていねいにつくるからと、この映画では〝バカ塗り〞と呼びますが、はかない仕事にも思えました。手軽に買えて右から左へとどんどん売れるものではないし、手を抜いたら津軽塗ではありませんから。でも本当に美しいものです。僕は自分のために、小さいお重を買いました。大きいものだとお正月しか使わないだろうけど、お菓子箱にしたりお弁当箱に使えそうだなと思って」
引いて見たら笑えること、ほんの少しの勘違いや思いのすれ違い。幾重にも漆を塗り重ねるように人びとの思いが積み重なり、ギクシャクとした家族の関係性はやがて変化していく。
「子どもたちが幼いころの幸せそうな写真が登場するシーンがあります。家族の記憶には今も、それぞれにそうした瞬間が刻まれている。それが、よき方向へと導く一筋の救いとなって、やがてわだかまりは解けていきます。出来上がった映画を観て、演者である自分も、ちょっと幸せな気分になりました。武者小路実篤さんが『仲よきことは美しき哉(かな)』と言いましたよね。それは優しい言葉だけどいろいろな思いが込められているはずで。僕も理屈抜きに、この映画を観てそんなことを思いました。誰かと争ったりするのではなく、〝仲よきこと〞に至る過程を映画やドラマで観るのは、人を幸せにするんだなと」
親子の断絶、互いに思いやっているのに相容れない関係性というのは現実でもよくあること。
「ただただ仲のよい親子関係って、そうないですよね。親というのは子どもに対して、どうも思惑と違うな……と受け入れがたい思いが先に立ってしまうもので」
そんな小林さん自身、演劇の世界に飛び込もうと故郷の京都を後にしたのは、ちょうど20歳のころだった。
「父親は、定年間近だったのか……? 演劇なんてうまくいくわけがないし、でも頭ごなしにダメだと言ったところで、東京へ行ってしまう気配があって。親としては複雑だったと思います。やっぱり反対されたけど、こちらも報告だけしているという感じで」
そうして思いを貫いたから、今がある。それも事実。
「自分が親になって家族のことを考えると、本人の好きなことをやるのがいちばんだなと。だから、僕から何かを強制することはありません」
CM出演を機に馬主の顔を持つ
そんな小林さんにはじつは、〝馬主〞というもう1つの顔がある。「牧場の方たちと知り合いになり、仲よくなって行き来するうち、ウマを持とうか?という話になって。話が盛り上がってウマを持つようになり、それが今でも続いているんです」
すると、例えば広い土地に家を建て、ウマと暮らす生活を夢見たりはしないのだろうか?
「いや、思ったことはありますよ。知り合いの牧場は北海道にあるので、空いている土地に家を建て、朝、窓を開けるとウマがいるっていい景色だなと。ただ、冬は寒いしね。ウチの家族は海に近い、暖かいところがいいみたいだし。田舎暮らしってやっぱり大変で、覚悟がいるだろうしね。よほど好きじゃないとできない気がします」
好きなことなら、できる。ちょうど劇中、小林さん演じる清史郎の父親がこんなセリフを言う。「津軽塗ってやればやるほどあれもやりたいこれもやりたいと思って、やめられなくなっちゃう。面白くて仕方がない」。役者として、小林さんも共感するところがあるのだろうか。
「ものづくりって、多少はそういうところがある気がします。要するに、ここで終わり、という答えがない。絵画などもそうかも。最後に筆を止めたときが完成で、その前、最後に筆を入れる前は未完成だとしたら、その差はなんなのか? 完成はいつでも〝その先〞にあるように思えます。役者の世界もそう。基本は答えがない。だから、いまだに僕も余裕はありません」
そこに、年齢やキャリアはまったく関係ないらしい。
「ないない(笑)。ものづくりは楽しいだけでは済まないです。いつも課題が残り〝……〞という余韻があって、ピリオドがつけられない。それでその課題は、次の仕事に持ち越します。なかには、これでやりきった!という感覚を抱く役者さんもいるのかもしれません。でも、そもそも僕は自分を信用していないところがあって。何かを断言すると、その途端、違っていたらどうするんだろう?と思ってしまうんです。要するに人それぞれ。役者が10人いたら10通りの感じ方があるだろうと」
そして役者にとって、ものづくりの現場で完成を決めるのはあくまで監督の仕事。
「僕ら役者は監督に〝こうしてくれ〞と言われ、100点じゃないかもしれないな……と思いながらやる。目指してはいるけど、無理だろうと思いながら。ふてくされるわけでもないんだけど、役者って点数で100点がつくような職業ではないのかも。やはり〝……〞に近く、ハッキリした言葉で埋められない。完成も終わりもない、そういうものなのかもしれません」
『バカ塗りの娘』
(配給:ハピネットファントム・スタジオ)
●監督:鶴岡慧子 ●脚本:鶴岡慧子、小嶋健作 ●原作:髙森美由紀『ジャパン・ディグニティ』(産業編集センター) ●出演:堀田真由、坂東龍汰、宮田俊哉、木野花、坂本長利、小林薫ほか ●8月25日(金)より青森県先行公開、9月1日(金)より全国公開
津軽塗職人の青木清史郎(小林薫)は、父の仕事を手伝う娘の美也子(堀田真由)と二人暮らし。美也子は津軽塗に興味を持ちながらも父に継ぎたいことを堂々と言えず、家計を助けるためにスーパーで働いていたが、漆を使ってある挑戦をしようと心に決める。そしてその挑戦が、バラバラになった家族の気持ちを動かしていく――。
©2023「バカ塗りの娘」製作委員会 https://happinet-phantom.com/bakanuri-movie/
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 ヘアメイク/廣瀬瑠美
この記事の画像一覧
この記事のタグ
田舎暮らしの記事をシェアする