9月27日。「ふたつのふるさと、祝島と対馬」。また蒸し暑さが復活した。雲の多い朝だったが昼前には強い光が降り注いできた。シャツ1枚でも汗が出る。おとといから新規開拓に奮闘している。これから1カ月、ソラマメ、エンドウ、ニンニク、タマネギを植える。現在畑にあるピーナツやサツマイモの跡地が使えるとしても、まだ面積が足りない。それでもって、ドクダミとヤブカラシ、あと名前を知らない草いくつかが錯綜しているヤブを畑にしようと考えたのだ。それがなかなか手ごわい。篠竹も含めた根っこはものすごい量。鍬とスコップを交互に使い、おとといから述べ15時間やって、大まかにだが3×10メートルを畑らしい姿にした。
最も速い旅人は、足で歩く人である。ヘンリー・D・ソロー
朝日新聞「折々のことば」から。鷲田清一氏はこう解説している。
列車に乗れば簡単に遠くへ行ける。でも、そちらに向けて今すぐ歩きだすのと、運賃を稼ぎだすための労働をしてから出発するのと、どちらが先に着くだろうかと、米国の作家・ナチュラリストは言う。現代の文明は「キンキラの玩具」みたいで見栄えも効率もよいが、未知のものと遭遇する機会まで削いでしまうとも。『ウォールデン 森の生活』(今泉吉晴訳)から。
若い僕はヘンリー・ソロー『ウォールデン 森の生活』に影響を受けた。森で生活しようと本気で思った。長野県更級郡大岡村(現・長野市)という山中に、たしか160万円くらいで白樺が立ち並ぶ山林を買った。電動器具なし、斧とノコギリでの手作業で小屋を建てた。30分歩いて県道に出ると松本方面へのバスが走っている。松本で何かの仕事に就いて、そこそこのカネを稼げば森の生活がやれるのじゃないか・・・いま思えば無茶な話である。熊が出てもおかしくないような山の中に妻と1歳と3歳の子を残して仕事に行くなんて。毎日、山からの湧き水と枯れ木で炊事をするなんて・・・。すべては若さゆえの無謀さであった。
もう10年余り、全国農業会議所が発行する『iju info』という雑誌に僕は「農園歳時記」と題する原稿を書いている。最新号の特集テーマは「移住で輝く女性たち」。徳島県神山町で果樹栽培に取り組む35歳、山梨県甲斐市で林業に取り組む36歳、高知県室戸市室戸岬町で漁業に取り組む23歳。女性たちのさまざまな活躍が詳しく伝えられている。情報も、受け入れる所も、昔はほとんどなかった。しかし現在は情報豊かで、その気さえあればほとんど苦労せず移住先に出会える。いい時代である。
今日は我がふるさとについて書いてみよう。中学3年で東京中野に転校するまで暮らしたのが瀬戸内海の小さな島「祝島」である。歴史はかなり古い。長い歴史の中で、海を渡って様々な人が移り住んで来たということなのであろうか、最盛期600戸、3800人という村には135の苗字があった。珍しいのは薬師、蛭子、石丸、出田(いずた)、名田(みょうでん)、金万(かなまん)・・・中村なんて苗字は全国掃いて捨てるほどあるが、僕の同級生や下級生にはいなかった。いま僕が住んでいる村の墓地での墓碑銘の苗字は8つだけ、うち3つが9割を占める。両者の違いが面白い。さてその祝島は40年近くも原発反対を貫いていることで知られている。中国電力が原発基地を作ろうとしたことに、主に漁師たちが反対の立場を強く示し、福島での事故をきっかけとして事実上、今は建設が白紙となっている。その祝島には移住者がけっこういるらしい。らしいと言うのは、僕は還暦を記念した同窓会への出席以後、帰省したことがない。島に別荘があるゆえ、社長であるがゆえ、カネもいっぱいあるゆえ、頻繁に足を運ぶ弟からの伝聞なのだ。移住者の多くは心情的に島の人たちの原発反対に同調する人たち。その人たちは、食堂やカフエを営んでいるという。今では人口300人だけというのにそんなビジネスが成り立つのか。釣り客が多いらしい。また原発問題を扱うメディア、作家という人たちの出入りも常にあることで経営は成り立つらしい。平地はほとんどないので僕みたいに農業で暮らすというのは難しい。しかし海はきれいで魚や貝が獲れる。リモートワークが可能な人なら移り住むのは悪くない。
もうひとつ、対馬。僕の母は僕が13歳の時に死んだ。再婚した父が新しく家庭を持ったのが対馬なのである。初めて行った高校時代。東京から寝台特急「あさかぜ」で博多まで15時間。博多から九州郵船で、対馬でいちばん大きいまち、厳原(いづはら)まで6時間。大いなる長旅だったが、今では羽田から飛行機。福岡で乗り継いで3時間ほどで行ける。その対馬は国境の島である。北端に比田勝というまちがあるが、そこは九州より朝鮮半島の方が近い。その近さでもって韓国からの観光客が多いと聞く。偶然のことながら、今夜、NHKのテレビで、対馬市長が「核廃棄物処理場」の受け入れをしないと表明したとのニュースに僕は接した。原発から生じる使用済み核燃料の廃棄場所の選定は緊急を要する国の課題となっている。その候補地として、現地調査を受け入れるだけで国から20億円が支給される。さらに工事を受け入れるとなったら70億円が交付される。人口減少が進む対馬にとって、この金額は魅力あるもの。それゆえに受け入れ賛成という市民もいるが、議会でも受け入れ賛成の議員が多かったが、市長はNOと表明した。風評被害で、観光客が減る、水産物の売れ行きが落ちる。そのデメリットの方が国からの交付金よりも大きい・・・そんな理由からだという。
同じ島でも、僕の生まれ故郷よりも、対馬ははるかに大きい島だ。風景は変化に富み、海産物もはるかに豊かである。先ほど書いたように、飛行機を乗り継げば東京まで3時間。オススメのまちである。そしてついでながら、僕のいちばん下の弟は、厳原の中心地で行政書士、不動産鑑定士の資格でもってビジネスをやっている。移住物件には詳しい。もし読者の中に希望があれば弟を紹介する。
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