9月18日。「長寿者の共通点は自営業者で体を動かす仕事をしていること」。今日も34度の焼けつくような暑さ。僕自身の辛さは横に置いとこう。見ていてつらいのは植え付けから半月くらいの白菜、キャベツ、ブロッコリー、そして発芽から10日ほどの大根である。午前10時くらいまではまだ穏やかな顔をしている。しかし昼時以降、太陽が高くなるころには、人間でいうなら歯を食いしばって暑さに耐えている。口が利けるなら言うだろう。この暑さ、なんとかしてくれえ、死にそうだ・・・。
昨日アクシデントがあった。パソコンの画面が突然真っ暗になってログインできない。それで、押し入れにしまってあった古いパソコンを取り出した。でも思うように動かせない。機械音痴の僕には理由がわからないのだが、長く使わなかったゆえにファイル更新がされなかったためだろうか。何とかせねばこの原稿も書けない。奮闘すること3時間余り。どうにか動かせるようになった古いパソコンでいったん中断した原稿の続きを書き、寝床に行けたのは午前1時近かった。すぐには眠れそうにないのでラジオをつけた。NHKのラジオ深夜便。聴いたことがないという人も多いだろうが、零時55分、美しい音楽をバックに、世界各都市の今日の気温をお伝えしますというコーナーがある。アジアからヨーロッパ、そしてアメリカ、最後がニッポンの東京。僕が意識して耳を傾けるのはいつもモスクワ。今日のモスクワは最高が20度、最低が10度だと伝えられた。すでにモスクワは日本の釧路よりも気温が低いようである。
ロシア語の「ダ―チャ」は日本語では「別荘」と訳される。しかし我々がイメージする別荘とはだいぶ違う。モスクワ市民の多くは日本でいうと50年くらい前の都営住宅か公団住宅に住んでいた。ひとくちに言えば粗末な暮らし。僕が頻繁に行った30年余り前、ソ連崩壊直後には食料も乏しかった。ただひとつ幸いなのは光熱費がタダ同然であったこと。零下20度まで下がる寒さで、日本ならば目の玉が飛び出るほどの暖房費がかかるだろうが、室内ではTシャツ1枚で過ごせる快適さでありながら光熱費はほとんどタダなのである。
30年余り前、当時付き合っていたラーラの家から彼女の母が所有しているダーチャに行く機会があった。モスクワ市内から電車とバスを乗り継ぎ、さらに徒歩で2時間。日本語で別荘と訳されるそこは、ほとんど素人菜園の姿であった。僕はラーラの母の所有地のみでなく、周辺も歩いてみたが、イチゴ、リンゴ、ジャガイモ、ラディッシュなどが植えられた一角には粗末な小屋みたいなものがあった。別荘という言葉のイメージとは遠い、まさしくなんとか食べる物を確保したいという願い、自給自足の場なのだった。日本ではゴールデンウィークと称される頃にようやくモスクワには春が訪れる。そして活気があふれる。郊外に向かう列車は人々でにぎわう。自給自足への情熱と期待がどの顔にもあふれている。
さて今日は敬老の日である。新聞もテレビも顕著な長寿者の増加を伝えている。65歳以上の高齢者は3000万人、100歳という超高齢者もかなりの数だという。人口10万人当たりで100歳人口が多いのは島根県、鳥取県、高知県。逆に少ないのは埼玉県、千葉県。そんなニュースを見ながら、千葉県人として悪い方に千葉県が入っているのはちょっと残念ではあるが、もしかしたら、これは移住を考える上での参考になるかな・・・そんなこともチョッピリ考えた。
先ごろ読み終えた小林武彦著『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社新書)に、この長寿について論じる場面があった。他の動物は老いる前に死ぬのに対し、人間には老後という長い時間がある。それはどうしてなのかを論じるくだりの中で、小林武彦氏は長寿者に共通する事柄を「自営業者であること、体を動かす仕事をしていること」であると言う。ひそかに僕は胸の内で喝采した。自営業者、体を動かす・・・まさしくオレのことではないかと。まっ、これは、半分冗談の手前みそだと思ってもらっていいのだが、移住を考える人のヒントにはなろう。美しい景色を楽しむための移住も大変よろしい。でも、景色においてはちょっと減点であっても、食料、薪、水、電気など、生活必需のためのものを自給する暮らしにウエイトを掛けた方が健康で長生きするにはベターかも。僕はそんな気がするのである。ついでだから、『なぜヒトだけが老いるのか』で印象に残った記述をここで引用させていただく。
100歳以上生きておられる人の生活習慣は、特別なことをやっているわけではないようです。これまでのさまざまな調査をまとめると、よく食べ、よく体を動かし、規則正しい生活を送り、性格的には誠実できっちりしており、社交的で明るく穏やかだそうです。きっちりした性格の方は、毎日の運動などのルーティンをしっかりこなし、栄養士や医師に言われたことをきっちり守れる人が多いのかもしれません。心臓の働きが悪くなると血圧が上がらなくなるので、元気がなくなりやがて死んでしまいます。ヒトも野生の動物のように心不全であっさり死ねるといいのですが、これは結構難しいのかもしれません。というのは、心不全で死ぬためには、死ぬ直前までよく動いて、心臓をよく使うことが必要だからです。実際に健康寿命が長い、つまりピンピンコロリで亡くなる方が多い地域は、農家など体を使い、しかも定年などがない職業の方が多いです。ピンピンコロリで亡くなるには体力が必要なのです。
僕は市の集団健康診断に行ったことがない。移住直後の数年だけは行った。でも面倒くさくなった。以後30年余、医者ともクスリとも縁がないままにここまで来た。農家でもって体を使い、定年がない・・・なるほどオレにはピンピンコロリの資格があるな・・・嬉しい気持ちの半面、それじゃあ困るという気持ちもある。突然死んでしまったら、猫のブチ、部屋の水槽のウナギや金魚、庭のニワトリに餌がやれない。昨日まで決まった時刻にデリバリーされていた食べ物が来なくなった、その時の彼らの悲しみと失望を想像するとちょっとばかり胸が痛む。ゆえに、オレは85くらいまでは生き続けてやろう。僕がルーティンワークのランニングや腹筋をどんな天気でもさぼらずやるのはそのためでもある。どんなに忙しくとも料理に手抜きせず、バランスのとれた食事に気を配るのはそのためである。
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