地域の一員として認められ、地元の活性化に尽力
湯原温泉での住み込み活動で、忘れもしないうれしいエピソードがあった、えにっちゃん。
「七夕の時期には温泉街に笹が設置されるのですが、たまたま見つけた短冊に『江西ちゃんがずっと湯原にいますように』と子どもが書いてくれていたんですね。“また来ますよう”にとか、“また会えますように”じゃなく、“ずっといてくれますように”の距離感が住みます芸人なんだなあと感じました。そう言っていただける方が増えていることが、本当にうれしいです」
さらに、地元との密着度は増していきます。
「皆さんに地元の一員と認めていただいてからは、毎週のお笑いライブ開催、観光客様への観光ガイド、地元の子どもたちと宿題をするお笑い寺子屋、と立ち上げていき、最終的には『江西劇団』を立ち上げることになりました」
では、『江西劇団』とは、一体どんな劇団なんでしょうか?
「演者にプロは僕一人だけ。あとは地元の一般人(笑)。湯原温泉に住んで、すぐに温泉の魅力は感じましたが、だんだんとそれ以上に人の魅力に気付き始めたんです。
一般の方だけど実は変わった人。おもしろい人。一芸がある人。実際に住んで仲良くなったからこそ、皆さんをスカウトして劇団を立ち上げたんです(笑)。
結果は湯原中の方々が公演を見に来てくださり、地元のメディアにも取り上げられ、大成功‼ これは当時の吉本の社員さんたちにも好評価をいただき、その成功がもとで、全国に『よしもとふるさと劇団』が誕生することとなっていきました。その先駆けになれたことを非常に光栄に思いますし、自信にもなりました」
「湯原温泉での江西劇団。全国のふるさと劇団のモデルとなりました」
この経験から、江西さんは岡山県の各地域で成功を収めていくこととなります。
「地域で成功する秘訣。
それが。
仲間をつくること。
僕はピン芸人なんで、何でも都合がいいようにやりたいという悪癖があったんですが、地域の活性化は一人じゃできない……。仲間をつくって、通じ合い、信じ合って、前に進む。人が地域の宝なんだ‼ これを学ばせていただきました」。自己中心的な考え方から脱却し、地域の力を信じて前に進むことの大切さを学んだのです。
「芸人としてのデビューは2000年。当初は高校の同級生とコンビを組んで、地元岡山の吉本の劇場で活動。のちに東京に移籍して活動をしていたんですが、2009年に突然の解散。その頃、30歳が近かったんで、言い訳できないように1人であと1年だけ頑張ってみようと思って芸人を続けたんですが、思うように結果も出ず……。
これは芸人活動を辞めなくてはいけないかなぁ~と頭によぎり始めた頃に『住みます芸人』のお話を耳にしました。地元岡山で未知の活動に取り組めるなら、一度芸人として死にかけた身だし、死ぬ気で飛び込んでみるか‼ と、立候補させていただいたんです」。そう、住みます芸人になったきっかけを語ってくれました。
さらに、住んでみてよかったことや、苦労していること尋ねると。
「良かったことは、実績のなかった僕にも仕事があったこと(笑)。世の中に芸人さんが大勢いるなか、大好きな芸人として仕事ができるのは幸せなことです。レギュラー番組などもありますし、田舎の方に行くと『こんなとこまで来てくれてありがとうねぇ』と涙を流されるおばあさんにも出会えたこともあります。全国で活躍されている芸人さんに比べて、力が劣っている部分も多々ありますが、でも、そんな僕だからこそできることや必要とされることがあるのかうれしいです。
苦労は、やはり聞きすぎてしまうことですかね。
様々な場所に行って地元の皆さんと話をしていると、あれをして欲しい、こんなことをして欲しいなどと、いろんな意見をいただくことがあります。最初はそれを全部聞こうとして、頭と身体がパンクしかけました(笑)。自分の力量を見極めて、今は優先順位をつけて物事に取り組んでいます」と、明るく答えてくれます。
住みます芸人として、大事にしていることはどのようなことでしょうか。
「人のご縁と笑顔です。
いろんな方々に支えていただき、助けていただき、力を貸していただいて今がある。そして、人前ではなるべく笑顔でいれるように心がけてます。仮に嫌なことがあっても仕事の現場では絶対にそれを出さない。相手もそんな芸人を見ても気持ちよくないでしょうから。嫌なことがあった際は、心許せる仲間といるときや、一人の時にぶちまけてます(笑)」
さらに江西さんは続けます。
「芸人って『芸』の部分と『人』の部分に分けられると思うのですが、若手の頃って『芸』のネタの部分でみんなと劇場で競って、どんどん勝ち上がることで仕事が増え、露出も増えていきます。
僕は東京で勝ちきれずに『芸』では抜け出せませんでしたが、『人』の部分で勝負かできる“住みます芸人”のフィールドではなんとか戦えています。僕みたいなタイプの芸人さんは埋もれたままか辞めていくだけだったはずなのに、真面目や人柄だけはいいってことが武器になるのが“住みます芸人”の『人』の部分なんだろうなって、今では思うようになりました」
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