12月27日「ヒヨコの段階で預ければ、店がニワトリになるまで育ててくれる」。ほんの少し、先日来の冷え込みはゆるみ、最低最高とも2度くらい気温が高くなった。それでもやはり真冬だが、我が心は季節を少しばかり早取りする。次々にビニールハウスを建てて、ジャガイモを植える、人参をまく、タアサイを移植する。そんなハウスの中での作業をしている時、小さな羽音が聞こえた。ミツバチだった。この寒さ。もうミツバチは活動していないのに、なぜおまえだけ。しかも、昨夜から密閉してあるハウスの中にどうやって入った・・・日の高いうちに家に帰らせてやろうと思った。素手でつかむと反射的に刺すだろう。持っていたスコップの刃先に止まらせ、ビニールをまくって外に出してやろう・・・と思ったのだが、もう一歩のところで舞い上がり、天井部分でしきりと出口を探している。3度トライして、ようやく脱出させることが出来た。無事に帰宅できるといいがなあ・・・。
小さな命に心を寄せる。むやみに死なせたくない・・・若い時より老人になってからの方がその気持ちは強い。ミツバチを送り出したところで数日前の新聞で読んだ映画評を僕は思い出す。『ファースト・カウ』。大久保清朗氏の評文には「生き物への慈愛 友情の末路」という見出しがあった。
舞台は19世紀前半、アメリカ未開の地オレゴン。クッキーは狩猟団の食事係だ。開幕して間もなく、キノコを採取中の彼が、地面にひっくり返って身動きがとれずにいるトカゲを元に戻す場面がある。彼は生き物に優しい。その優しさは、中盤に重要な役割を担う乳牛にも向けられる。土に生きる生き物たちへの慈愛は、しかしながら粗暴な猟師には理解されない・・・。
ふだん、土を掘り返すとさまざまな生き物が出てくる。鶏糞や米ぬかが混ざった肥沃な土からは、こんな寒い季節でもミミズが出てくる、クワガタやカブトムシの幼虫も出てくる。そして、上の映画評と同じくトカゲも慌てる様子で出てくる。それらに遭遇すると、まず僕は、すまんすまんと謝る。凍てつく寒さをこらえ、ふかふかの土の下の方で息をひそめていたはずだ。それを、僕の鍬やスコップで邪魔された。すまんと謝ってから、僕は、少し離れた場所に穴を掘り、彼らを埋め戻してやる。クワガタやカブトムシと違い、トカゲは逃げ足が速いが、スコップをうまく使い、掘った穴に誘導してやる。
天声人語がファーブルについて書いていたのも数日前のことだった。南仏で生まれたファーブルの、今年は生誕200年に当たるらしい。生家は貧しく、独学を重ねた末の遅咲きだったと天声人語は言う。第一巻を刊行したのは55歳。最後となる第十巻をまとめたのは83歳。「わたしは今になって、どうやら昆虫がわかりかけてきたのである」との言葉を残している・・・。そうか、83歳にしてこの言葉か。見習いたいと思った。
さて、今日の見出しは今回のテーマとは全く関係がない。出所は半月くらい前の朝日新聞夕刊の社会面。違法スカウト集団の話だった。ホストに狂っている女性、街をとぼとぼ歩いている女性に優しく声をかけ、風俗店に紹介して大きな金を稼ぐ。メルセデスベンツを乗り回すスカウト集団の大物が口にしたという言葉、それが「ヒヨコの段階で預ければ、店がニワトリに育ててくれる」だった。風俗とはまるで無縁な僕だが、日常、ヒヨコをいっぱい育て、ニワトリにしている、そんな男の目に面白い表現として止まったのである。しかし、それにしても・・・ホストに貢ぐため、高齢者から1000万円単位のカネをだまし取る。その巧妙な手口をテレビで見たが、なかなかの演技力、頭の回転の良さだった。まだ20代の半ば。優れた演技力と巧みな話術を真っ当な仕事に使えばいいのに・・・テレビを見ながらそう思った。
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