TJ MOOK『田舎暮らしの本特別編集 山を買いたい!』より
フォトグラファーとして、写真撮影スタジオの経営者として、東京の一等地で活躍していた男が、山を開拓する暮らしを始めた。体力に自信がなく、農林業も大工仕事も素人での挑戦も今年で5年目。山道の果てにある彼の家を訪ねた。
東京とつながりながら四国の山奥で1人
地方都市はたいてい山が身近だ。弓削昌徳さんが暮らす山も、愛媛県庁のある松山市街へ車で約30分、松山空港へは約40分。彼の山の開拓地から、谷間の向こうに市街地が見えた。
「東京へのアクセスのよさは、移住先となる山の条件の1つでした。それに、ここから車で10 分ほどの陶芸の里・砥部で、日常のものは手に入ります」
確かに砥部市街は近いが、山は乗用車のすれ違いが不可能な細道を1.5km進んだ先である。
「この山に住むのは僕だけ。対向車はほぼないです(笑)」
弓削さんの「この山」は面積5万6000坪(東京ドーム約4個分)。弓削さんが移住したときには電気の通じた素朴な小屋がすでにあったので、そこで暮らしながら山を開拓し、1〜2カ月に1度は東京へ。移住前からの相棒である赤いスポーツカーで松山空港に向かい、そこからひとっ飛びだ。そして遠距離婚の奥さんと近況を語り合い、経営者としての業務をこなし、社員とランチを共にして彼らの労をねぎらう。
5年目に入った「四国の山を1人で開拓、ときどき東京」という彼の暮らしは、ブログ「Mark’s LIFE」で公開されている。そのキャッチコピーは、「世界一、山の似合わない山男」。それなのになぜ山暮らしを始めたのだろうか。
仕事や暮らしは田舎暮らしと無縁だった
弓削さんの経歴を聞くと、確かに山が似合わない男だ。
25歳(1997年)のときに一旗揚げようと上京し、27歳で自らの会社を設立。写真やビデオ撮影・編集を業務に、山あり谷ありの経営をしながら、東京の一等地に撮影スタジオを構え、支店もつくった。まったくのゼロから人生を切り拓いてきたのだ。
フォトグラファーとしては「素人を撮らせたら世界一」と知られるようになり、メディアに何度も登場。それなのになぜ山奥での1人暮らしを?
当人は「飽きっぽいんですよ」と笑うだけだが、ブログにはこのように書いてある。
「東京が嫌いではなく、東京は大好きな街だ。でも、ここらあたりで、ちょいと心とからだをリセットしに山へ行く。人が生み出した東京のエネルギーではなく、今度は、地球が生み出した大地のエネルギーで満たされようと思う」
山に包まれる喜びとセルフビルドへの挑戦
子どものころから体力に自信がないという弓削さんだが、疲れたときには山に登っていた。
「エネルギーがなくなったと感じたら、山に行って山頂で寝っ転がる。すると30分ほどで気力が満ちました。ヘロヘロになりながらですが、富士山には何度も登っています。強大な力を感じさせる山で、富士山に登ると1年半ぐらい持つんです。山からエネルギーをもらえる。だから、いつかは山に住んでみたいなと」
そして、山暮らしのもう1つの理由は、都心の不動産価格の高さだった。
「東京での賃貸が嫌になりました。事務所やスタジオの家賃をトータルで1億円以上払ったのに、何も残らない。都心のマンションの自宅も、毎月のローンがけっこうな額でした」
たとえ郊外の一軒家を選んでも、新建材の家は、長期の住宅ローンを終えるころには大規模な修繕が必要になるだろう。家にお金を払い続けることを弓削さんは避けたかった。そして「いつか山で暮らしたい」という心の声を思い出す。
「そうだ、山へ行こう。広い土地を手に入れて、新しい経験を始めよう」
さらに弓削さんは自分の手で家を建てることを決意。昔の山暮らしでは、森の木を伐採し、製材して、自分の力や地域の人たちの協力で家を建てるのは特別なことではなかった。その家はたとえ月日とともに傷んでいったとしても、自分が深くかかわって建てたのだから、自分で修繕できて、長く受け継いでいくことも可能だったろう。
「それって、意味があることだと思ったんです」
山の物件探しは難航した。山林が欲しくても林業向けの物件がほとんどを占めていた。しかし、ついに現在暮らしている理想の土地を見つけた。希望の面積も予算もはるかに超えていたが、オーナーからの共同所有の提案により、山の持ち主になったのである。
25歳で上京したときと同じく、山の開拓はゼロからのスタートだった。技術も経験もない。移住時の持ち物は、都会のマンション暮らしのものだけ。
「頼ったのはインターネット。山暮らしやセルフビルドの先人たちのブログ、YouTubeのおかげです。こんな時代でなければ僕に山の開拓はできなかったかもしれません」
ショベルカーでも林内作業車でも、必要な道具を購入することに躊躇(ちゅうちょ)はなかった。しかしそれは、「経営者だからお金持ちなんでしょ」ではないようだ。
「家の所有ではなく、家のセルフビルドを経験するのが僕のテーマ。そのための道具を揃えるのは必然です。山暮らしを始めるようになって、それらを扱うための講習(クレーンや玉掛け、パワーショベルの運転)を受けたし、第二種電気工事士免状も取得しました」
この4年間で弓削さんは、柱や梁、ログなどに使う木材のほとんどを自分の山から切り出し、山肌を整地し、作業小屋を完成させた。基礎からつくり始めたログガレージは完成間近だ。イノシシや蜂の子など、都会暮らしではあまりなじみのなかった山の幸も満喫している。経験ゼロから驚きの進歩だ。
山で暮らし始めてわかったこと
この山暮らしではいろんな気づきがあった。
「都会では、お金で買えるものがほとんど。でも山ではお金で買えないものばかりです。例えば、ここでは好きなときに大声で叫べるし歌える。こういうの、お金を積めば手に入るかというと、そうじゃない。例えばフキノトウやタラノメなどの山菜を摘んで5分後に天ぷらにして食べられるのも、お金で買えない。摘んで1分だと苦味がなくて味気ない。5分がベストなんです」
自分についての発見もあった。
「僕の山暮らしはルーティンどおりの毎日だったんです」
しかし最近それが崩れ、開拓が滞り、スランプだという。
「オレはオレだと生きてきたので、思いもよらなかったけど、僕にも承認欲求があるんだなと。日々のいろんな出来事を誰かと共有したいらしい」
そのためには、なんとしてもまだ手つかずの新居を自分の手で建てるのだと弓削さん。
「きっと、一番は、妻に認められたいんだと(笑)。新居が完成したらカフェレストランを始めたいですね。僕は毎日自炊するくらいなので、料理をつくるのは好きなんです」
では、その先のビジョンは?
「山暮らしでわかってきたのが、緑に覆われていても森が荒れていること。かつて里に近い山は、人が木を切って薪に利用したりすることで健全な姿を保っていた。ところが今は人を拒む藪だらけ。植林地は間伐されず、暗く、虫は少なく、自然が貧相。だから山に、もっと人を。僕のように山が似合わない人間でも山暮らしできるとか、都会と行き来しながらの山暮らしもありだというのを見せることで、『それなら私も』とその気になる人が増えたらいいなあ」
弓削さんは山の開拓の先に、都会と山を気軽に行き来する新しいライフスタイルの提案をもくろんでいるようだ。
行きは長く感じた道のりも帰りはあっけなく、5分ちょっとで森を出た。見上げると、山は弓削さんの気配を見事に隠していた。
文・写真/大村嘉正
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