掲載:2019年8月号
山形県東置賜郡川西町玉庭(ひがしおきたまぐんたまにわ)。愛らしい名前ながら、山形県屈指の豪雪地帯だ。その奥まった集落から、標高を上げながら走ること約3.8km。道中500mほどは簡易舗装のがたがた道。残り3.3kmは未舗装だ。でこぼこで曲がりくねった急な上り下りの道の行き止まりに、浜崎邸が現れた。
川西町は、山形県南部に位置する人口約1万5000人の町。盆地性気候で紅大豆が特産。ダリヤの里としても知られる。米沢駅から米坂線羽前小松浜駅まで18分。
頓挫したリゾートに2人だけで暮らす理由
「いらっしゃい。今日は朝からアカショウビンの声がするのよ」
浜崎維子さんが、にこやかに迎えてくれた。
それにしても、なぜ浜崎さんは、こんな山の奥でポツンと暮らしているのだろう。
「当初は2山ほどの森をリゾートにする計画がありました。音楽関連のステージや合宿施設をつくり、冬は雪上車を運行する。そんなもくろみが、初期段階で頓挫してしまったんです」
浩さんの説明で、荒れた道の謎が解けた。
維子さんは京都で生まれ、東京・世田谷で育った。大学を出てほどなく浩さんと結婚し、それから50年一緒に歩んできた。2人がここで暮らすようになって16年経つが、それより以前、当地にたどり着くまでの長い道のりをひもといてみたい。
セコセコ生きなくても人間らしく生きられる
浩さんは釜山(ぷさん)で生まれ、2歳のときに引き揚げ、新潟で育った。
「大学3年(上智大学イスパニア語学科)のときに休学し、メキシコ、コロンビア、エクアドルなどの中南米を半年間貧乏旅行したことが、生き方を考える大きな転換点になりました」
と懐かしそうな遠い目になった。
このとき現地の人の生き方に触れ、セコセコ生きなくても人間らしく生きていけるのだなあと、青年浜崎浩は気がついた。
帰国して復学したら同期生は卒業しており、山歩きのサークルに入会。そこで維子さんと出会った。
浩さんは1967年にTBSに入社して、維子さんと結婚。2男に恵まれた。ラジオ広告のサンプル制作を経て、ラジオ番組の制作部に異動した。しかし、深夜に東京郊外の自宅までタクシー帰りで、妻子とすれ違いの日々が続いた。加えて生放送の内容が、浩さんにはどうにもバカバカしく思えた。嫌気が差した浩さんは、TBSを退社してしまった。
「お給料はすごくよかったんですけど、仕方がないですよね」
と維子さんはおおらかに笑う。
浩さんは、ファッション生地を製造販売する会社に転職。セリーヌ、ディオール、ジバンシィなどの高級ブランドにオリジナルの友禅染の生地を提供し、その派生商品を縫製屋に販売するのが仕事だった。
5年ほどして、パリの現地法人へ転勤せよと命ぜられた。フランス語は、スペイン語から当たりをつけてなんとかなった。維子さんは英語学科卒で海外生活は望むところ。子どもたちは現地の学校に通い、すぐに友達ができた。
充実したフランス生活だったが、2年後のある日、会社にテレックスが入った。ローマ字を読み解くと、倒産したから帰国せよ、と書いてあるではないか。
「パリにはもっといたかったわね。子どもたちも学校にすっかりなじんでいたし」
と維子さん。
日本に戻った浩さんは次の仕事を探したが、40歳に近い年齢もあり、なかなか決まらない。半年就職浪人をした後、書店経営で子どもの学費を稼ごうと考え、支店の店長を募集中の書店に就職した。
6年後、浩さんは東京郊外のスーパーの中の書店を引き継いで独立。10年間書店を経営したが、大規模郊外店ができてスーパーの客足が落ちてきた。次男が大学を卒業するタイミングでもあり、書店をたたんで東京を離れることにした。
子育てが終わり田舎暮らしへ
書店経営時代に玉庭の土地約200坪を購入していたが、2人は、比較的便利なところで田舎暮らしを練習してから玉庭に移ろうと考えた。そこで那須のゴルフリゾートのロッジ管理の新聞求人に応募。夫婦住み込みで、浩さんが60歳になるまで6年間勤めた。
定年の1年ほど前からは、玉庭の家の設計に着手。壁の腰板やフローリングくらいは自分たちでやりたいと、車で2時間かけて玉庭に通い、大工に習いながら自分たちで仕上げた。
「玄関ドアとキッチンまわりは家具作家の次男がつくってくれたんですよ。キッチンの高さを私の身長に合わせてくれたから、使いやすくって」
と維子さんの顔がほころぶ。
家は建坪約30坪の3階建てで、1階はコンクリートの高基礎になっている。浩さんは、ここをギター工房とひと冬分の薪を置くスペースに使っている。暖房はすべて薪ストーブで賄うため、ひと冬で軽トラ8台分ほどの薪を使う。水は湧水で、とてもおいしい。トイレは合併浄化槽だ。
ギターづくりの楽しさを教えられる家
浩さんは、ここで合宿形式のクラシックギター製作塾「tamaniwaワークショップ」を開いている。
最初のギターをつくり始めたのは、書店経営時代の1992年6月のこと。学生時代から時折爪弾いてきたギターならと考え、まずギターキットを買ってきた。細切れの時間をつなぎ合わせ、1年8カ月かけてつくり上げたギターは、しかしいい音がしなかった。
浩さんは近くの楽器工房に通うようになり、海外のギター職人のホームページも参考にして腕を磨いた。ギター作家として食べていくことはできないが、それでもギターづくりは楽しかった。
そこでこの楽しみを教えたいと、玉庭の家を合宿形式でギターを教えられる家にしたのだった。都会の通いの教室だと8カ月で安くて30万円ほどかかるが、ここには工房のほかに3階に屋根裏部屋が2つあり、2、3週間泊まり込みでマンツーマンの指導が受けられる。維子さんのおいしい手料理が食べられて、費用は都会の教室より安い。Facebookとホームページでしか宣伝していないが、最初の年から申し込みがあった。以来、雪のない時期に年に1〜3人のちょうどいいペースで、これまで21人がここでギターづくりの喜びを知った。
2003年12月29日に雪が積もっていたら
「私たち、バカなんですよ。業者の社長が、温暖化で年々雪が減っていますと言ったのだけど、大嘘でした(笑)。地元の人は、1、2年で逃げ出すと思ったそうです。下の里より、山の上のほうがよく降りますしね。2003年12月29日が引っ越しの日。雪でトラックなんか絶対に上がってこられるはずがない日取りです。ところが2003年だけ、雪が積もっていなかった。翌年以降は、ずっと雪です」と夫婦で大笑い。
「あのとき例年通りに雪が積もっていたら、引っ越しはどうなっていたかしらね」と維子さん。もしかしたら、方針を変更して定住を諦めたのではなかろうか。
リゾート地としては破たんしたけれど、業者との約束で、冬も土曜日は町道までの3.8kmを除雪してくれている。
「今やってくれているお兄さんが元気なうちはいいけれど、その後はどうなることやら。車で買い物に行けなくなるし」と浩さんはちょっと不安げだ。
「雪に慣れないころは、年に4回も車をスタックさせていました。だって除雪車でさえたまにスタックするんですよ。今でもひと冬に1回か2回は雪にはまります」
車が動けなくなると、浩さんが携帯電話の通じるところまで歩き、除雪のお兄さんに電話し、車に戻って1時間ほど救出を待つことになる。
2階のリビングの窓まで雪が積もるほどの豪雪地帯。除雪機は冬の命綱だ。ほかに困ることはほとんどないけれど、雪の多さにだけは閉口すると2人は口をそろえた。
無理せず、自然のなかでマイペースに過ごしたい
医者である長男は、「病院から20分程度のところに住んだほうがよい」と言っている。今は1時間かかる。気象条件によっては1時間で着くかどうか。それもあって、特に厳しい冬の間の無理はできないなと夫婦で話し合った。次男に相談したところ、昨冬から友人の両親が使っていた修善寺(しゅぜんじ)の家が借りられることになった。2人にとって雪のない冬は久しぶりだった。
「自然のなかで、マイペースに、自由に暮らすのが私たちの生き方ですね。今後はからだも動かなくなってくるので、無理せず暮らしを楽しみたい。春から秋までは玉庭で暮らして、雪が降り始めたら伊豆で暮らします」
浩さんは午前中、3階の踊り場でギターを2時間練習する。その音楽が吹き抜けを下りてきて、キッチンに立つ維子さんの耳に届く。
「次の曲は何か、だいたいわかりますよ」と維子さん。
「ここは自分たちだけの世界で気楽です」
クラシックギター製作塾「tamaniwaワークショップ」
https://tamaniwaworkshop.web.fc2.com/
https://www.facebook.com/tamaniwaws
文・写真/冨田きよむ
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