掲載:2021年8月号
かつて金沢で出会った2人がまちを離れ、結婚。首都圏でやりがいのある仕事を持ちながら、再び金沢へ戻ってきた理由は「豊かに暮らしたいから」。自分たちにとって何が一番大切かを見つけた家族の生活と仕事とはどんなものなのか。
手応えある仕事を捨て、子育て環境のよさを選択
古い町並みが残る金沢のある路地に入ると、格子戸の美しい町家の玄関先に「つくえ文庫」と書かれたテーブルがあり、児童書や絵本が数冊置かれていた。
「子どもも大人も自由に読んでもらいたいと思って置いています。さっきは、子どもたちが本屋さんごっこをしていました」
と笑顔で話すのは、市内の障害福祉関係の企業に勤める須田麻佑子(まゆこ)さん。夫の暁憲(あきのり)さん、息子の瑞生(みずき)くんと千葉県から移住したのは、2016年のことだ。暁憲さんは都市計画やまちづくりに関連する企業に勤めている。
「自宅から会社へは車で約20分。千葉での通勤時間は1時間半だったので、子どもを保育園に迎えに行きやすくなったし、心身共にゆとりを持って暮らせるようになりました。それに金沢は食文化が豊かなので、妻や友人と食事やお酒を楽しんでいます」
と暁憲さん。じつは、2人とも以前に金沢で働いていたことがある。小売業の同じ職場で出会い、その後、暁憲さんは、大学で造園や都市計画を専攻した経験を生かしてURに転職し、東京へ。麻佑子さんも東京へ転勤し、入籍した。そのころから「いつかまた、コンパクトで住みやすい金沢に戻りたいね」と話し合っていたという。
東京では、互いに仕事で忙しい日々が続いた。特に、麻佑子さんは、終業が深夜になることも多く、最後には「この仕事が世の中のためになっているのか」と疑問を持つようになった。その最中に見つけた転職先が、子育て支援をするNPOだった。
その後、千葉へ引っ越し、2人とも仕事に手応えを感じていたが、それでも金沢移住に踏み切ったのは、瑞生くんの存在が大きいという。
「瑞生の入学前に金沢へ移って、のびのびと育てたかった」
という暁憲さんが現在の仕事を決め、家族で金沢へ移った。麻佑子さんは移住後もNPOの仕事をフルリモートで続けていたが、今年1月に現在勤める市内の企業へと転職した。
収入は、移住前と比べて約2割減ったそうだ。だが、お金に代えられないものを得たという。
麻佑子さんは、「子育てでいえば、都会は最新の教育を受けられて刺激的なものが多いですが、金沢では公園や河川敷でゆとりを持って遊んだり、野草の食べ方を習ったり自然にできます。今の私たちには、それが生活の豊かさにつながっているのです」と話す。仕事の面では、複数の仕事を持つことで独自の視点を持ち、世の中に役立つ新しい事業をつくりたいと意欲的だ。
暁憲さんも、「仕事は生活全体とのバランスを図ったうえで充実させていきたいですね。将来的には、仕事以外にも学生時代から関心のある中山間地での活動を充実させたい」と語る。
暁憲さんと麻佑子さんの価値観は、首都圏で暮らす働き盛り世代の指針となるに違いない。
須田さん夫妻からのアドバイス
「職は、トータルの生活レベルを上げる1つの要素です」
都市部から地方へ移り住む場合、収入が減ることが多いと思いますが、「生活レベル」を収入や仕事の充実度だけで考えず、自分の生活にとって何が大事かをよく考えたうえで、職探しをするとよいと思います。また、現地の人とつながっておくことで、移住後の仕事が円滑に進むこともあるので、移住フェアに参加するなどして、知り合いをつくっておくことも大事なことだと感じています。
金沢市移住支援情報
金沢に住もう!!
城下町の面影を今も色濃く残し、豊かな自然、歴史や伝統文化が薫るまち「金沢」。子育て、医療、住まいなど幅広い世代を支える環境が充実。町家や空き家の活用に加え、移住者を対象とした住宅新築や、認定を受けたマンションの購入を支援。「金沢市移住ポータルサイト」では、先輩移住者による相談を受け付け中!
住宅政策課 ☎076-220-2136
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/29101/jyuutaku/index.html
文・写真/吉田智彦 写真提供/金沢市
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