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田舎暮らしの本 12月号

最新号のご案内

田舎暮らしの本 12月号

11月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

少子高齢化の未来/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(20)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回は少子高齢化について考えてみたい。75歳の僕は、戦後のベビーブームの走りである。どこへ行っても人間の数は多かった。中3で転校した東京中野の中学は9クラスあった。この第一次ベビーブーマーたちは、日本の経済発展に労働力としてまず貢献し、一方で、住宅、家電、食料、育児、娯楽・・・さまざまなところで消費者としてやはり経済発展を支えた。当然ながら、第一次ベビーブーマーが次世代として送り出した子供の総数も多かった。僕を含めたその人間たちが今や人生の終盤に差し掛かっている。半分冗談みたいな話が世間にはある。間もなく、病院と、介護施設と、火葬場がフル回転する時がやって来る・・・。

自給自足

 今回のテーマも編集長からいただいたものなのだが、いただいたいくつもの中で、さて次はどれにしようかと思案していたある日のことだ。よっし、これで行こう、そう思わせる場面に遭遇した。台所の裏に四畳半ほどの倉庫がある。もとは息子の勉強部屋(勉強なんてまるでしなかったようだが)として何十万か払って作ったものだ。それが今や、50歳を過ぎた息子が見たら腰を抜かすくらいのガラクタ置き場となってぃる。そのガラクタの隙間にチャボたちが入り込み、卵を産むのは前から知っていた。だから僕は1日1回、必ず入って卵の点検をしているのだが、10日前、台所の裏口を開けてランニングに向かうためシューズの紐を縛っている時、目の前で小さなものが動くのが見えた。あれっ、近づいて見る。いるいる、ヒヨコが10匹もいる。倉庫の中でも最も奥深いところ。気が付かなかったなあ。詳しく点検すると、うまく孵化しなかった卵が5個ある。つまり、この親チャボは、2月の下旬から3月初旬にかけて、僕に気づかれぬまま15の卵を産んで、21日間抱き続け、たぶん僕が気付く2日前くらいに卵は孵化し、「みんな、そろそろお庭に出ようかねえ」というママの号令で全員が動き始めた・・・その場面に僕が遭遇したというわけだった。

ニワトリ

 4月9日。昨日から一気に気温が高くなった。ビニールハウスの中はもうれつに暑い。自分の体を入れてみて、どのくらいの風通しにするかを考える。ビニールハウスは場所によって照射の光具合が違い、当然、内部の温度にも違いが生じるのだ。そして今日は春風がかなり強い。35年前に苗木を植えた満開の桜がその強い風に吹かれて花びらを散らせている。

サクラ

 昨夜見たテレビ番組のことを少し書いておこう。「72時間」というドキュメンタリー。一か所にカメラを据え、3日間、そこに姿を見せる人々の顔と彼らの人生模様を淡泊なタッチで伝えてくれるもので、僕は前からのファン。昨夜は、京都・丹後地方の農村や漁村を走り回る移動スーパーが主役だった。よくぞここまで積めるものだ・・・感心するくらい多種多様な品物を詰め込んだ軽トラが2月下旬の雪道を走って小さな集落に到着する。そこにやって来るのは老人ばかり。女性が多く、男性の姿はわずかだ。見ている僕は思う。ああ、まさにこれが日本の現在、そして未来かもしれないなあと。コロナ禍で転出が増えたとチラッと耳にはしたが、ほんのいっときのことで、東京の一極集中は依然として続いている。人間が多くてにぎやかで華やか、交通でも買い物でも娯楽でも、便利になるのは東京とその一部周辺だけ。地方の多くは老人ばかりで子供の姿はない。いずれは消滅すると言われる山村・漁村は多数で、県そのものの存続も危ういとされるものもあるようだ。これは別なテレビでのニュースだが、北海道の田舎から大学進学で東京に出てきた18歳の女子が、渋谷の交差点に立ってつぶやいていた。これって、日本じゃないみたい・・・。

 移動スーパーの軽トラを運転するのは52歳の女性。前は一人で営業していたが、最近51歳の夫が加わった。夫は印刷会社でデザインの仕事をしていたという。定年を10年早めての転職にはちょっと迷いもあったが、やり始めてみると、ずっと机についている仕事よりもこっちの方がいいですね・・・笑顔で彼は、老人たちが購入した品物をそれぞれの自宅まで運んであげていた。夫婦の息はピッタリで見ていて気持ちよかった。ちなみに、移動販売はスーパーからの委託という形になっており、売り上げの利益はスーパーとの折半になるのだそうだ。

 軽トラに集まって来る老人たちは、みな陽気で明るい。95歳という女性なんか、耳も遠くない、目もよく見える、歩行もさっそうとしている。見ている僕はあやかりたい気分になった。そしてある時、若い女性が買い物にやって来た。すぐそばにははしゃぎまわる子供が3人。珍しい風景だ。女性は学校の先生だという。夫を説得してふるさとに帰って来た。当時の生徒は自分の子供だけだったが、Uターンする夫婦もぼつぼつ現れ、今では15人くらい生徒がいるのだそうだ。軽トラが次に向かったのは海のすぐそばの集落。88歳の夫を持つ女性がこう言った。もう夫は船には乗りません。危ないですからね。若い人も漁師になる人はほとんどいません。漁師の暮らしは不安定ですし、都会に行けばもっとラクでたくさんお金のもらえる仕事がありますから・・・。

 僕は思った。海も山も同じなんだなあ。世間に新規就農もあるにはあるが、農業人口は間違いなく減少している。現役の農家の平均年齢はたしか65歳くらいではなかったか。漁師が減り、農家も減る・・・ニッポンの未来の食卓は誰が支えるのだろうか。勝手に断定してはいけないと思いつつも思うのだが、生まれた時にはもうITやスマホがすぐそばにあったという若い世代が将来、漁師や農家になるという可能性は30年前よりもはるかに低いだろう。目下のウクライナにおける戦争。ロシア制裁で石炭や天然ガスの輸入を途絶するという方向に進んでいる。そのことは一方で、国民生活に負担がかかる。4月になってからの物価はことごとく上昇している。その延長として、ふと僕は考えたりもするのだ。ロシア産の海産物はかなりの量のはずだ。万一それが途切れたら影響は大きいかも。さらに知らなかったが、ソバもかなりの量をロシア産に頼っているという。日本人の食べ物は、日本人の手で確保する・・・理想論であるとは承知しつつ、百姓の僕はその理想をあえて掲げてみたくなる。核兵器の脅威も脅威だが、国民の食料の大半を他国からの輸入に依存するという国家体制も間違いなく脅威だ。

 我が子ふたりにそっぽを向かれている僕ではあるが、もし、死ぬ前に顔を合わせる機会があったなら、こう言うつもりでいる。おまえたち、オレが作り上げた畑を受け継いで頑張ってみないかい。おまえたちが老後を迎える2040年代、日本にとって最悪なシナリオは、全世界が異常気象で、それまで食料を売ってくれていた諸外国も自国の国民を食べさせるだけで手いっぱい。とても輸出なんて・・・そんな時代になるかもしれない。そうなったら、生き残れる手段はただひとつ、自前の菜園・果樹園を持つことだ。必ず役に立つ時が来るぜ、どうだい、おまえたち?

ヒヨコ

忙中閑あり  ことわざ

 ありふれた、誰でも知っているこのことわざ。鷲田清一氏の解説が面白く、読んだ僕はちょっと触発されるものがあったので、書く。

しないでいいことばかりさせられて忙しいのは御免だが、したいこと、すべきことがまったくないのも辛い。「忙」がもし心を亡くしていること、心ここに在らずということだとしたら、いちばん怖いのは、したいこととさせられていることの区別が本人にすらつかなくなること。とはいえこのところ、コロナ禍で「忙」と「閑」が反転し、「閑」からもときめきが失せている。

 貧乏暇なしの僕ではあるが、唯一、シアワセなことがあるとすれば、それは、したいこと、すべきことが常にあることだろうか。したくないことは全くせずに暮らしていけることだろうか。日々、たしかに多忙ではあるが、「心を亡くしたまま」で過ごす、働くということは全くない。忙と閑が反転し、閑からときめきが失せるということもまたない。長く寒い日が続き、次に掲げた写真の茶室でお茶を楽しむということもずっと無理であった。が、今ようやく春爛漫の時を迎え、畑仕事の合間、僕は、窓辺にイチゴの鉢植えを並べ、机上に蘭の花を置き、かすかな期待でもってミツバチの巣箱を設置する作業に今日はいそしんだのだ。いわばこれは忙中の「閑」である。そして間違いなく、僕の閑にはまだ、けっこうなときめきがあるのである。

 4月10日。昨日も暑かったが、今日はさらにその上。27度という夏日となった。ハウスの様子を見に行く。こりゃ、ビニールをまくって換気、というだけではとても間に合わないな。あっちこっちと30メートルのホースを障害物に引っ掛けながら、ひたすら水やりに精を出す。そして、午後からは出荷用のタケノコを掘る。用意する道具はふたつ。スコップとノコギリ。ノコギリは、そばを這う根っ子が邪魔でうまく掘り取れないときに切るためだ。折しも、今日の天声人語はその竹の話だった。

竹のおもしろみは、季節にあらがうようなところにある。秋に草木が色づく頃には青々として、自分だけ春の装いとなる。やや場違いなその様子は「竹の春」と呼ばれ、季語にもなっている。そして今の春の季節は、「竹の秋」である。葉が黄色くなるのは、勢いよく伸びるタケノコに養分を回しているかららしい。自らは秋に身を置き、若い仲間たちに春をもたらす。次の世代への思いやりにも見える・・・。

タケノコ

 僕は「竹の秋」は知っていたが、「竹の春」は知らなかった。さらには、春に葉が黄色くなって落ちるのは、新しい命、すなわちタケノコに養分を与えるためだということも今日初めて知った。いかなる生き物も、若い命を健やかに成長させるために自分の犠牲を払っているものなんだなあ・・・27度という暑さの中、タケノコ掘りに奮闘し、大汗かきながら、僕はそんなことを考えたのだった。

 そして夜。再び親と子の愛と奮闘の場面を晩酌しながら見たのだった。NHKの「ダーウィンが来た」。主人公はニュージーランドのはるか南の島に住むペンギン。このペンギンたちは、絶壁の崖を登り、木にも登る。あの、よちよち歩きのペンギンが、どうしてそんなことを・・・疑問がやがて解ける。海岸線にはとても卵を産んで、育児するような平穏な場所はない。平坦で荒波を避けられるのは丘のてっぺんだけなのだ。それでもってペンギンたちは毎日、木を渡り、崖を滑り落ちるようにして海まで達し、腹の中に食べ物をたくわえ、再び崖を登り、木を潜り抜け、ようやく我が子が待っている平坦な丘に帰り着く。そして、やがて、母の愛を受けて育った子どもペンギンにも試練の時がやって来る。母ペンギンはまず木を渡り歩くテクニックを教える。そして、滑り落ちるようにして崖を下る。これから子どもペンギンも海に潜って魚を捕らえ、自分の力で生きてゆかねばならないのだ。小さい体が波にさらわれる。長い海藻に巻きつかれる。ついには大きな海鳥の餌食になってしまうものもいる。みんな懸命だ。親から子へ、生きる術が伝授され、命はまた次の命へと引き継がれていく。テレビに向かい、子供ペンギンたちに僕は、胸の内でいつしか声援を送っていた。

 4月11日。今日も気温高く、南からの風もやや強く、桜の花が散り急ぐ。夏でも冬でも僕の労働意欲にあまり変化はないが、気温が上がり、ずっと厚着だった作業着を脱ぎ捨て、ランニングシャツ1枚になると、さてやるぞの意気はぐっと高まる。今日の作業はトウモロコシ予定地への堆肥搬入。ハウスの中で育てているポット苗は定植までにはまだ10日くらいあるが、先に堆肥を入れてよく土になじませておきたい。この写真の植木鉢には20キロくらいの堆肥が入る。20メートルの距離を20回運ぶ。つまり推量400キロの堆肥。

自給自足

 表面にぶちまけ、鍬で何度も往復しながら土に混ぜ込んでやる。その作業をやりながら、ふと近くに見えたブロッコリーからひとつのことを僕は連想する。このブロッコリー、もう脇芽も良いものは取れそうにないので僕は抜き捨てた。それが、横倒しのまま、上の部分はすっかり乾燥してしまっているのだが、地面の側では必死にへばりつき、わずかな根っ子でなんとか水を吸収して生き延びてきたらしい。それのみか、僕が抜き捨てた時にはくたびれた感じの脇芽だった、それを立派な花に変じさせたのだ。命あるものはなんとか生き続けようとする、黄色い花はその執念なのだ。

ブロッコリー

 たぶんアナタも聞いたことはあるだろう。植物は、生育条件が悪ければ悪いほど早く花を咲かせ、種を作ろうとするのだという話を。光、水、栄養分。この生育の3要素が足りないと、植物は、十分に成長する前、すなわち「大人」になりきらないうちに次世代を作る準備に入ってしまう。この3要素だけではない。野菜の場合には、相互の間隔が狭い(密植)場合にも、ヒョロッとした体のままに老化が進み、花芽を着けてしまう・・・自分の体はこのままではおそらくダメになってしまうだろう。ダメになる前に、花を咲かせ、実を作り、我が子を次の世代として送り出しておきたい・・・そう考えるものらしい。光、水、栄養、さらにはお互いの間隔、それら生育条件が十分ではないわけだから、本来育つべき大きさにはなっておらず、咲かせる花、そこから出来る実も貧弱なものでしかない。それでも、なんとしても我が命尽きる前に次世代を作っておきたいという懸命さに僕は植物の意地と本能を感じ取るのだ。

自給自足

 貧乏人の子沢山。昔そういう言葉があった。子供時代を振り返ると、たしかに、一人っ子という家は僕の記憶にない。どの家にも3人、4人、多いところだと7人くらいいる家もあった。42歳で死んだ僕の母も5人の子を産んだ。どうして昔の人は子沢山だったのか・・・ゲスな解釈だと、パソコンどころか、テレビも電話もない。蛍光灯もない、あの頃の部屋の明かりは10ワットの、本なんてとても読めない暗さだった。暖房だって十分でない寒い冬の夜は、夕食をすませたら早々と寝床に行って布団にくるまるより他はない。そして、寝床では、自然に夫婦が交わることになる、やがて子供が生まれることになる。もって子沢山・・・真偽のほどは確認しようもないが、この話、たしかに頷くところはある。

 先進国と言われる国々では、日本のみならず子供の数は少なくなっている。一方で、開発途上国では人口増加は止まらず、世界の総人口はこれからも増加していくと見込まれている。先ほど書いた植物の性質は、人間という動物にも当てはまることなのだろうかと僕は考えてみる。植物の場合の必須要素は光、水、栄養、そして、しかるべき生育環境(スペース)だが、人間の世界だと、収入、住居・衣服、そして娯楽が3要素ということになるだろうか。つまり、収入が増え、生活環境が快適になり、食生活が豊かになり、多種多様な娯楽に囲まれる日常生活が確保されると、自分自身の人生をさらに謳歌したいという欲求が(たとえ当人はそれを意識しておらずとも)高まる。結果、一組の夫婦から誕生する子供の数は減少する傾向となる。満足できる快適な生活条件の中では、今のうちに次世代を作っておかねばという切迫感が薄くなるということなのかも・・・僕はそんな勝手な解釈を試みるのだ。

 子供の養育にはお金がかかる。だから何人も子供は作れない・・・そういう話を時々聞く。これを聞いた僕は素朴な疑問を抱く。現代よりずっと貧しかった昔の夫婦に子供の数が多かったのは、ならばどうしてなのか。貧乏でもなんとか子供を育てられた・・・問題は本当にお金だけなのか。人口減少が過度に進むと国力が衰える。生産力も国際競争力も落ちる・・・国家が本気でそう心配しているのならば、そして国民も、子供の養育にはお金がたくさんかかる、だから何人も子供は作れません、そう考えているのならば、案外解決法は簡単かもしれない。国家予算を大幅に、育児、養育、教育に振り向ければいい。保育園から大学までみな無料とする。ただし、点数制度を設けよう。成績を5段階くらいに分割し、最上クラスは返済ゼロ、最低クラスは、就職して給料がもらえる身分になったらそれまでにかかった学費を分割で支払い続ける・・・そうすれば学生も、ひょっとしたら本気で勉強に励むかもしれない。

ニワトリ

 ニッポンの総人口はいずれ7000万人くらいまでに減少するという試算がある。いや、悲観することはない。それでも十分に豊かに国民は暮らしていけるさ・・・という楽観論もある。総人口が現在の三分の二ほどになった時、社会にはどんな変化が生じるのか。すぐ僕の頭に思い浮かぶのは、僕の時代にあった受験戦争という言葉がすでに死語となっていよう。大学の受験だけではなく、入社試験も今よりずっとラクになっているのではないか。面接でふるい落とされるなんてことはもうないかもしれない。山手線や中央線のホームには押し屋と呼ばれる人がいて、通勤客を無理やり車内に押し込んだものだが(僕も押し込まれた一人だが)、その通勤地獄という言葉もおそらく消えていよう。いや、しかし、待てよ・・・少子化、人口減少でもって、立ちいかなくなった大学は閉鎖され、顧客を失った企業は廃業ということにもなる。となれば、比率としては昔と同じということになってしまうのか・・・何がいいのか悪いのか、僕の頭では結論が出ない。

 4月12日。今日も暑い1日であった。相変わらず僕は、ハウスの中にある苗ものへの水やりに励み、ようやく肥大を開始した玉ねぎに最後の土寄せをし、そのついで、最近までレタスのあった場所を徹底的に打ち起こし、雑草を根絶する。午後からは荷造りで、それが終わった午後4時半、不出来なイチゴを30ばかりもいで口に入れ、赤く染まり始めた西の空をしばし仰いで、さあもうひと働きだと気合を入れる。この時刻こそ、百姓にとって、うまく言葉に出来ないような充実感に満ちている。

自給自足

 1日の仕上げはいつも通り、軽トラのタイヤに足を掛けての腹筋だ。そして腹筋しながらライトを灯して僕は夕刊を読む。朝日夕刊の一面トップは「ムスリム 日本で弔いたいのに」という大きな記事だった。日本に住むイスラム教徒は20万人以上という。その方たちが亡くなったとき、墓地の確保が難しい。イスラムの人たちにとって火葬は、遺体を焼くという行為は、不敬・失礼なこと、遺体をパンチするより痛くてつらい感覚なのだという。しかし、日本には土葬を受け入れてくれる墓地は全国に7か所しかない。

 この朝日の記事で僕は初めて知った。火葬率99.97%の日本は世界で最も高く、フランスだと39.01%、イタリア30.68%、アメリカは54.58%であるらしい。ちなみに、日本では自治体の条例で土葬を禁じる都市はあるが、法律としてはないという。(ふふ、そうか・・・僕はひそかに、我が畑、35年前に自分の手で植えた桜の木の下に穴を掘って埋まりたい・・・そう願っている)。この朝日の記事の最後はこういう言葉でしめくくられていた。

自給自足

日本でも昔は亡くなったら「山に返す」、「土にかえる」という言い方をした。

 この最後の言葉を読んで僕の頭に浮かんだのは深沢七郎「楢山節考」だった。30代の僕は、ララミー牧場という所で田舎暮らしを楽しむ異才深沢七郎に心酔した。今も倉庫を探せばその全集が出てくるだろう。この楢山節考が坂本スミ子、緒形拳の主演で映画化されたのは1983年だった。この作品の舞台となっている地方では、70歳になったら「楢山まいり」、「お山に向かう」、すなわち命を終えるという風習がある。坂本スミ子演ずる「おりん」は69歳。もうすぐお山に行くことになっている。息子の辰平は45歳。最初の妻を事故で亡くし、倍賞美津子演じる美しく肉感的な女と一緒になる。辰平は母親思いの男である。

 おりんの歯はまだ33本もある。それを彼女は、年寄りらしくないことと恥じている。それでもって顔を岩に打ち付け、わざわざ歯を折ってしまう。そしておりんは、家族に生きる術をあますことなく伝え、お山に行く準備を着々と整える。一方の辰平は少しずつ元気をなくす。布団をかぶってじっとしている。母との別れが辛いのだ。貧しく、食料の乏しいその村では、家族の頭数が増えるということは、そのぶん家族にいきわたる食べ物が少なくなることを意味する。おりんはいさぎよく、自分の食べる物が子や孫にいきわたることを願って山に向かおうとするのだ。ずっと陰鬱な気持ちでいた辰平だが、ついに心を決める日がやって来る。母を背負って急な山道を登る。息子の背中から降りたおりんは大きな切り株の上に正座して最期の時を待つ。それから間もなく、母を残して山を下りかけた辰平が振り返り、突然叫ぶ。「雪だ、おっかあ、雪だぞう・・・」。村には「山へ行く日にゃ雪が降る」という盆踊り歌があり、雪が降るのは運の良いこととされる。息子の辰平は、降り始めた雪のことを、残してきた母に向かって叫び、知らせたかったのである。遥か昔に見た映画で・・・このシーンが最も僕の胸を打つものであった。

 ついでに書くと、20代の僕が信州にノコギリひとつで作った山小屋、その最寄り駅は「姥捨」という。作者・深沢七郎は、自分の作品の主題・姥捨て伝説から、読む人は信州が舞台だと思うだろうが、実際のモデルとなったのは自分の故郷である山梨だ、そう述べている。

 4月13日。今日で何日目になるか。25度を超える夏日が連続している。僕は暑いのはいくら暑くても平気という体質だが、ここ何日か、特に嬉しいのは湿度が低いこと。干した布団は心地よい眠りを毎夜僕に与えてくれている。桜が散り終わった。代わりに梨とジューンベリーが満開だ。キウイとサルナシが新芽を吹き、梅の木では小指の先くらいの実が風に揺れている。フキはどんどん丈を伸ばし、水仙とスミレの花が庭を覆い、タケノコが顔を出す・・・田舎暮らしを喜び楽しむシーンはいくつもあるが、この、4月から5月にかけての花と緑の豊かな時は間違いなくトップクラスであろう。

 なすべきことが多いのも今の時期である。今日の作業はサトイモの植え付け、ジャガイモの土寄せ、キャベツの水やり、人参の種まき、イチゴの草取り、マクワウリの定植。そしていつもの荷造り。そんな僕の目の前で、あの10匹のヒヨコたちが母鳥とともに砂浴びをしている。心地よさそうである。母と子がともに在る風景・・・それは何にも増して幸福なものと僕には思える。

ニワトリ

 さて、唐突であるが、熊本にある赤ちゃんポストがメディアで伝えられると、いつも僕はホッと心が和む、嬉しくなる。75歳の男にはほとんど関わりのない場所である。しかし、意を決し、産んだ子をポストに預けに赴く若い母親。その預けられた子をきちんと育て、里親を探してくれる病院。それまでの経緯はどうであれ、新しい命が命として守られるということが僕には嬉しく思われることなのだ。

 朝日新聞夕刊「私の選択」。先週の今日、僕が目にしたのは佳山奈央さん(30歳)の「選択」だった。奈央さんは大学1年生の冬、18歳で妊娠に気づいた。自分みたいな未熟な人間が産んで子どもが幸せになるわけがない。そう思ったが、母親に報告すると意外な言葉が返ってきた。「産みなさい。産んで後悔することはないから」。奈央さんのお母さんは夫と離婚し、シングルマザーとして4人の子を育てた。だから奈央さんにとって母親のその言葉は重かった。もうひとつ、彼女の胸に刺さる母親の言葉はこうだったという。

子どもが幸せになれないというのは建前。自分に自信がないから逃げているだけ・・・。

 未婚の母になることを決めた奈央さんは大学を1年半休学。この先の人生は私が決める・・・保育園に子どもを預けて復学し、学費はアルバイトで賄った。リクルートの入社試験では「その人生経験をもって入る新人社員はおもしろい」、そう言われ、採用されたのだという。

 18歳で妊娠したことを母親に告げる・・・今でもこうした例はそう多くはないだろうと思うが、われらの青春時代にはもっとなかったことだ。どこまでも秘密裏だった。告白した奈央さんも立派だが、それを怒るわけでもなく、きちんと受け止めたお母さんもすばらしい。もしかしたら僕は、この母と娘のすばらしいリレーションに背中を押された気持ちになったのであろうか・・・ここでひとつのことを告白する。初めて口外することだ。まだ10代から20代初めだった僕は罪を犯した。二度、相手の女性を妊娠させた。妊娠という事実は、男にとって、驚きや狼狽とはなるが、女性の側の精神的、肉体的な負担とは比較にならない。むろん、その当時にも申し訳ない気持ちはあったが、年齢を重ねるにつれ、僕の罪悪感は募るようになった。75歳になった今、暗鬱な気持ちで産婦人科病院の門をくぐり、診察台に乗り、医師の力任せの処置を受ける。術後の不安や不便な日常生活・・・そうしたことを頭に描き、罪悪感を抱くようになった。相手の女性にもたらした大きな負担。あるいは、芽生えたばかりで摘み取られたひとつの命。もはや償う方法は全くなく、ふとしたことで昔の記憶が戻る今、悔恨の情だけが胸の内を去来する。性欲は旺盛。だが、性の知識はほとんどない60年近い昔の男の青春。コンドームはまだ自分から遠いところにあるモノだった。それを買いに薬局に足を踏み入れる、それさえもできない未熟さだった。

 4月14日。なんということだ。昨日までの夏日が幻のごとく消え去り、今日はほとんど冬である。小雨も降っている。何日間かご無沙汰だった冬用の作業着をまとい、マフラーと帽子のスタイルでの仕事である。不器用で計画性もなし。そんな僕にもし取り柄があるとしたら、それは、気象条件を含めたあらゆる環境の変化にほとんど迷うことなくさっと適応して暮らせることだろうか。人間世界での苦労や軋轢は、ひょっとしたら言葉、忖度、気配り、協調。人間が集団、組織で生きてゆく以上、それらは避けられることではなく、ちっとも悪いことでもないけれど、人によっては、僕もそうかもしれないが、それらがとても辛い場合がある。そう考えると、寒かろうが、野菜を洗う手が冷たかろうが、泥水に足を取られて収穫した大根を抱いたまま転倒しようが、生きる、暮らすのはたやすいことである。それを叶えてくれるのが田舎暮らしである。

樹木は生育することのない
無数の芽を生み、
根をはり、枝や葉を拡げて
個体と種の保存にはありあまるほどの
養分を吸収する
樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還すが、
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々とした自らの運動に使用する
このように自然は、その初源から生命の
無限の展開にむけての序曲を奏でている。
物質としての束縛を少しずつ断ちきり
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。

 今、寝床の中で読み進めているのは福岡伸一著『ゆく川の流れは、動的平衡』。つい最近まで朝日新聞に連載されていた「新・ドリトル先生物語」を毎日楽しみに読んでいたが、僕は以前からの福岡ファンである。上に引用したのは18世紀ドイツの詩人フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉だという。著作の冒頭でこれを紹介した福岡氏はこう述べる。

私の生命論のキーワードは、本書のタイトルにもある「動的平衡」である。生命はたえず自らを壊しつつ、自らを作り変えることによって、なんとか時の試練にあらがっている。もう少し正確に言えば、エントロピー(乱雑さ)増大の法則に抵抗して、なんとか生命という秩序を守ろうとしている。

しかし生命は、エントロピー増大の法則に打ち勝つことはできず、最後にはたおされてしまう。それが老化ということであり、生命の有限性ということである。そして生命は有限であるからこそ生きる意味があり、ひととき輝けるものである。

生命は環境から絶えず物質を取り入れている。植物は炭酸同化作用という形で、動物は他の生物を食らうという形で。それと同時に生命は環境に絶えず物質を供給している。呼吸や排泄、あるいは食べられるという形で。手渡されつつ、手渡す。これは利他性に他ならない。手渡されつつ、一瞬、自らの生命をともし、また他者に手渡す行為、すべての生命はこの流れの中にある。これが動的平衡である。
生命が利己的でなく、利他的であること。

 生命が本来的に自由であること。しかし生命は有限であり、有限であるからこそ生きる意味があり、ひととき輝けるもの・・・福岡伸一氏の言葉を夜更けの僕はかみしめる。若い頃、いや60歳を幾つか過ぎる頃まで、僕は命が有限であるなどということを意識したことはなかった。だが、75歳の今、明らかにゴールラインが近いことを知る。日々、新聞での著名人の訃報を目にするたび、自分の年齢との比較をしてしまうクセがついている。そして、あらためて思う。グチャグチャ言わんでなすべきことをなそう。どうせ、なすなら、楽しく、軽やかな気分で何事にも取り組もう・・・この姿勢は意外な効果をもたらすらしい。老人性ウツというのに僕はならない。ベッドで目を覚ました瞬間、さあ、今日も、めいっぱい、行くぜという気持ちになる。生命は有限・・・その自覚は新しいエネルギーを生むものらしいのである。

 4月15日。朝から強い雨である。気温は昨日よりも低い。さあ、今日も1日、気合を入れて乗り切らなくちゃあ。生活の維持のためにベストを尽くさなくちゃあ。雨に打たれながら、出荷用のウドを掘る、大根を抜く。途中でイチゴをもいで、雨にもマケナイ体力と意気を養う。そんな僕の頭に浮かぶのは、またまた「折々のことば」。

「雨でも雪でも、田村さんは何かやることがあるんですね」  瀬尾まいこ

 鷲田清一氏の解説はこうだ。

人生を見限り、山里の民宿で睡眠薬自殺を図るもぶざまにやり損ねた女性は、宿の主人・田村の「生きるためだけに毎日を送る」生活を前にして、自分を解(ほど)いてゆく。が、自分にはこの地を守るという「使命」感も、自分のルールで生きる「強さ」も、土地に惚れ込んでしまう「まっすぐさ」もないと気づき、自分なりのそれを求めて山を下りる。小説『天国はまだ遠く』から。

 ああ、なるほどなあと僕は思った。小説の主人公・田村ほどにカッコよくはないが、生きるためだけに毎日を送る、さらにこの地を守るという使命感、自分のルールで生きる強さ、土地に惚れ込んでしまうまっすぐさ・・・いずれもが少しずつだが僕にもあるような気がする。おそらく、田舎暮らしを始めて・・・そうだなあ、20年以上が経過した人なら僕でなくとも、誰もが抱く、そして獲得するこれは感情やルールではないかしら。田舎暮らしとは、それが単なる場所ではなく、木々や土や堆肥や枯葉と、会話し、守り、ときには守られ、互いに睦み、ほとんど人間の男女の関係にも近い「同棲生活」なのだという気が、僕はする。

 雨に打たれ、10品目の野菜と卵を着々と包み、箱に収めてゆく。そして、頭の隅で僕はこの原稿のことも考えている。そろそろ最後のまとめに入らねば・・・少子高齢化。その未来は明なのか、暗なのか。社会と人間生活にはどんな変化が待っているのか。僕の足元にはあの10匹のヒヨコたちが母鳥に抱かれている。ひどい雨だから今日は遠出をしなかった。ずっと玄関近くで雨をよけていた。そろそろ寝床である大きな段ボール箱に入れてやらないといけない時刻だな。荷造りが終わるまで待っててくれ・・・。

 いきなりではあるが、僕は、1組の夫婦、あるいは事実婚の男女が産む子供の数を、戦後のベビーブームの時、1940年代の10分の1だと仮定してみる。10分の1は厳密なものではなく、あくまでわかりやすくするための数字だと理解されたい。生まれる子供の数がその10分の1となる2040年ないし2050年、ひとつ言えることは、僕も、アナタも存在しない可能性が高いということ。ここで言う「僕」と「アナタ」は現実の僕でもアナタでもない。生まれたてのヒヨコであれ蛙であれ、天井を走り回るネズミであれ、いずれにも名前はない。犬や猫には名前があるが、それは人間が付けたもので、すべての生き物は原則、自然界では単なる1個の命でしかない。その命ひとつひとつが、成長し、交尾し、新しい命を育み、命はひたすら連鎖してゆく。

 2040年から50年。生まれる子の数が最盛期の10分の1という時代。その仮想空間に僕やアナタを置いてみよう。僕やアナタが存在している可能性はかなり低い。新たな命はたしかに生まれてはいるが、保育園にも小学校にも僕やアナタの顔は見えない。すなわち、生まれる子の数が少ない、少子化という時代にあっては、かつて何千万と存在した「人生」が大きく減少する。あの頃にはいた「僕」や「アナタ」、そして隣のみよちゃん、同じクラスの太郎君、初めて手を握り、淡いキスも交わしたダイスケ君だって、ひょっとしたら存在しないかもしれない。これはすなわち、人間と人間がかかわることによって描き出される人生模様が減る、編み上げる糸の数がどうしても足りず、未完のままに終わるかもしれないことを意味する。

 楽しいこともあり、辛いこともあり、笑い、泣き、時には身も心もふさぐ。だから手放しでバンザイを唱えることの出来ないもの、それがまさしく人生だが、でも・・・先ほどの仮想空間をバーチャル「リアリティー」にまで引き寄せてみよう。僕もアナタも、命のひとつとしてこの世に生まれ出たからこそ、KFCのチキンナゲットやどこかの皿うどんの味が楽しめたのだ。相手にフラレた辛さはあっても、それ以前には恋のときめきが存在していたのだ。念願のマイホームを手に入れ、愛らしい我が子を抱き、ベランダで花を育てる喜びも、自分がこの世にひとつの命としてあるからこそ出来たことなのだ。

 今から20年以上前、当時まだあった10坪の鶏舎。それに野犬が入り、半数以上をかみ殺されたことがある。オスで残ったのは1羽だけ。その惨状に落胆するだけでなく、元の数に戻すのに僕はかなり苦労した。生まれるヒヨコの半分はオスである。ヒヨコが卵を産むまでに育つには半年かかるのだ。個体数がある一定の水準を大きく下回ると復元するのにかなりの時間を要する。トキの話を持ち出すまでもなく、人間の世界でもおそらく同じことが言えよう。ただし、少し前に触れたが、現在の人口1億余りがたとえ7000万まで減少しようとも、なあに悲観することはない。むしろ、暮らしやすい世の中になる可能性は十分にある、そう予測する専門家もいる。さて、どちらが良いのか。僕の頭では判断は下せそうにない。

イチゴ

 僕は生き物を扱ったドキュメンタリー番組や映画が好きである。なかでも、生まれた川に遡上して卵を産み、そして死ぬ、サケの姿には感動を通り越して、涙さえ出る。静岡大学の稲垣栄洋氏の著書『生き物の死にざま』を読んだのは昨年秋だったか。そこでも、僕にはほとんど涙なしには読めないサケの生涯物語があった。

 サケは川で生まれ、何年も海で暮らし、再び生まれた川に戻ってくる。誕生の川に戻るのは、新しい命を生み出すため、そして自分の命を全うするため。海から生まれ故郷の川の上流にたどり着くまでには多くの障害物がある。とりわけ現在では、人間のために作られた人工の障害物も少なくない。その障害物を乗り越えるため、全身をバネにしたかのごとくジャンプするサケの姿はいつ見ても僕の胸を熱くする。上流に行くに従い、水は浅くなり、川底には石が多くなる。産卵を終えたサケの体がボロボロなのは、何度もその石で傷ついたせいだという。

 目的地に達したメスのサケは穴を掘り、卵を産み付ける。そこにオスが精子を振りかける。この時点ですでにメスは瀕死の状態にあるが、稲垣栄洋氏の著書によると、メスは最後の力を振り絞り、卵に寄り添い、そばで大きく呼吸し、卵に酸素を送ってやるのだという。そして死ぬ。メスの死んだ体はさまざまな生き物の餌となる。澄んだ川の上流には元来プランクトンはいないものだが、この死んだメスを餌としてプランクトンが発生する。そのプランクトンを孵化した稚魚が食べて育つ。やがて稚魚は海に向かって長い旅路に出る・・・母サケは死んでからもなお、新たな命、わが子の成長に役立っている。

 75歳4か月。僕は間違いなく若い頃に比べて涙もろくなった。つい先日も、ウクライナからの難民が一緒に連れてきた愛犬を、日本の法律によって殺処分されそうだというニュースをテレビで見て、僕はすぐさまチャンネルを替えた。瓦礫となったウクライナの街でいかにも疲れた、腹をすかせたらしい猫が力なく歩いている場面でもずっと画面は見ていられなかった。誰もがこの世にほんの偶然から生まれ出た命。いずれは死ぬ定めにある命。だからこそ、福岡伸一氏が述べるように、懸命に、輝ける日々を送って人生を終えなければならない。戦争で傷つく、失われる多くの命、犬や猫も含めて。その切なさ、辛さが若い頃とは比較にならないほど胸に迫るようになった。今の僕は、まさにそんな老人である。

 

3月下旬の野菜だより

 4月16日。ようやく光が戻ってきた。ここ10日、なんともめまぐるしい変化の天気が続いた。おそらく皆さんのところもそうだったと思うが、数日は25度を超える夏日。僕は連日ハウスやトンネルの温度調整、そしてポット苗への水やりに奔走した。ところが一転、今度は雨と冷え込みだ。再び冬の作業着で仕事せねばならない空模様となった。どうにも予測不能の気象だな。天気にブレが大きいのは、やはり温暖化と関係あるのだろうか。

ビニールハウス

 上の写真のハウスにはいくつもの作物が共存する。人参、インゲン、イチゴ、そしてカボチャ。畳15枚分ほどの広さ。これを作るのにはかなりの資材費と手間がかかる。だから目いっぱい活用するのだ。これまで何度かお見せした1月4日にまいた人参はごらんの通りの大きさとなった。収穫まであと半月といったところ。

ニンジン

 その人参の隣にあるのがインゲン。これまた想定外、発芽してから半月、氷と霜という冷え込みが再来し、かなり痛めつけられた。ギリギリ枯れはしなかったのだが縮まってしまった。急いでビニールカバーを追加して、あれから3週間、ようやく蕾を付けるところまで復活した。

インゲン

 もうひとつ、苦心して育てたのがこのカボチャ。ハウスの中だが夜はかなり冷える。成長するたびに小さなポット→バケツ→大きな植木鉢とサイズを替えてかぶせ、さらに上から毛布を掛けること1か月半。こうして今、親ツルを元気に伸ばすところまできた。このハウスの中には他の作物があるゆえ、ツルは外に誘導する。最低気温はあと数日、10度に満たない日が続くらしい。よって、いきなり寒い思いをさせるわけにはいかず、今日はせっせとトンネルパイプを打ち込みハウスの拡張作業をしたのだ。心配なく露地にツルを這わせてやれるのはたぶん5月に入ってからだ。

カボチャ

 ソラマメは不安定な天候の影響を全く受けずにすんだ。今年はアブラムシの発生も全くない。花つきも良い。豊作が期待される。

ソラマメ

 数日前からタマネギとジャガイモの収穫を始めた。ごらんの通りまだ小さい。しかし、目下、店でいちばん高い野菜がタマネギとジャガイモということなので僕は「まだ小さいのですが」と断ってお客さんには送っているのだ。ハウスにジャガイモを植えたのは1月早々だった。一方のタマネギは、途切れることのない寒さで元気がなかった。5つのグループに分けて作っているのだが、そのうちのひとつのグループに2月の半ば、写真のようにトンネルを掛けた。露地と比較すると歴然たる違いがあった。

タマネギ

タマネギ

 もうひとつ、大根も紹介しておこう。これは最初に書いたハウスとは別なハウス。そこに大根をまいたのは3月はじめ。気温の変動が大きい中で最も温度調節の難しいのがこの大根だった。高温のままでほったらかすとトウ立ちする。水が不足すると成長が鈍る。ハウスのビニールを開けたり閉めたり。そしてホースを引き込み数日に1回の潅水。いまようやく3センチほどの太さになった。

ダイコン

 次にハウスの中で育てている苗ものは、ゴーヤ、トウモロコシ、マクワウリ、キュウリ、オクラ。そのうちトウモロコシとマクワウリが定植すべきサイズに達している。ただし、朝の気温が10度を割る中ではちょっと危ない。僕は躊躇している。トウモロコシもマクワウリも、だいぶポットの中に根が回っているはずだが、もう数日待たせておくより仕方がないか。

トウモロコシ

 マクワウリは子供時代の懐かしい記憶でもって僕は毎年作る。ふるさと祝島で、夏の果物といえば決まってマクワウリだった。井戸水に半日くらい投げ込んでおいてから食べる。高級な桃やブドウやメロンが出回る現在、マクワウリは田舎っぽい果物だが、さっぱりとした甘みとサクサク感が僕は好きで、夏、大汗をかいて仕事した後、ふたつ割りして種を出したやつをガブガブと食べる。中のトロトロした種の部分はチャボたちの大好物だ。

マクワウリ

 数日前、ホームセンターに行ったとき、ああ、苗もかあ・・・と思った。あれこれ値上がりしているが、ホームセンターでのトマト、ナス、キュウリ、パプリカ、いずれもが例年よりも高くなっていた。燃料高、資材高。苗屋さんもきっとその影響は避けられないんだろうねえ。

 さてそろそろ、皆さんの家庭菜園も本格始動する頃であるに違いない。すでにどこの店にもさまざまな苗が出回っているが、5月の連休が終わる頃までは夏野菜にとっては温度不足の天候が見込まれる。だから、もし、今すぐ苗を植えるのであれば、マルチをするか、防寒のカバーをするかが賢明な方法だと思う。ひとつの目安は朝の最低気温が15度以上あること。それより低いと夏野菜にはちょっと辛い。皆さんの奮闘を祈ります。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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