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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

猫もいい。犬もいい。鶏がいればもっといい/自給自足を夢見て脱サラ農家36年(8)【千葉県八街市】

中村顕治

 今から60数年前、ふるさと祝島での話である。10歳ほどの僕は、放課後、バケツを持ってごみ溜めみたいなところに行き、ミミズを集めていた。うちに鶏がいたわけではない。近所の農家の、今思えば粗末な鳥小屋があって、20羽ほどの鶏がいた。ミミズはそれにやるためだった。誰に頼まれたわけでもない。もしかしたら、飼い主が見たら、余計な事をするなと怒られたかもしれない。でも、僕には、金網の向こうの鶏たちが大騒ぎしてミミズを食べるのが楽しくて仕方がなかったのだ。

 動物が好き、虫が好き。三つ子の魂百まで……そう言われるが、まさにそうだなあと、あと3か月で75歳になる僕は今思う。我が家は僕が10歳になるくらいまで商店をやっていた。もう使わなくなったお菓子を入れるガラスの器がいっぱいあった。それにメダカ、フナ、タニシ、ドジョウを入れて飼うのが楽しかった。タツノオトシゴを飼ったこともある。こちらはガラスの器でなく、タライを使った。洗濯ができないじゃないのさ……家の者には叱られたが、めげもせず、バケツを持って海に行き、頻繁に海水を取り換えてやる。海藻も交換する。そしてある時、小さなタツノオトシゴがうようよタライの中で泳いでいるのに興奮する。そうか、海で捕まえたのはメスだったのか……幼い僕はそう思ったが、それから何十年もたってから、メスはオスの腹に卵を預ける。つまり、僕がメスだと思ったあのタツノオトシゴは、実はオスだったのだと知る。

 中学生になったら部活動が始まる。あの頃、人気があったのは男子なら野球部、柔道部、女子ならバレーボール部。しかし僕はどの部にも入らなかった。みんなが練習に励んでいる頃、小さな入れ物を持って野原を歩いた。キャベツ畑ではちょっと失敬。キャベツに群がっている青虫とキャベツの葉を何枚かいただいた。それを部屋の中で飼う。やがて部屋いっぱいモンシロチョウが飛び交う……やったぜの気分。僕はそういう少年だった。しかし、ちょっと余談になるが、この何年か後、男たるもの、このままじゃダメかもしれないなあという気持ちになる。大学で空手部に入る。ただしダメ部員で、同輩の中ではビリッケツ。腹筋をやっているところに先輩部員が足刀という蹴りを腹に食わせる、背後からは竹刀が飛んでくる……そういった野蛮な世界でもあったが、その経験はどうやら無駄ではなかったらしい。適度な負荷をかけてやれば筋肉は発達するものだということを僕は知り、部活で養われた体力が偶然にも今の百姓生活に役立ってハードな肉体労働を全く厭わなくなったのだから……。ちょっと話がそれてしまったが、少年時代とまるで変わらないままの遊び精神、生き物好き……それが現在の田舎暮らしにもどうやら引き継がれている。

 小学生から中学生にかけて、病気の母はすでに炊事ができなくなっており、家事をまかされたのは5歳違いの姉だった。その姉が、おかずを作る時間がなかったのか、面倒だったのか、ケンジ、卵買っといでと言う(その頃、まだ学校給食がなくて昼ご飯は家に帰って食べていたんだね)。僕は姉から渡された10円玉をふたつ手にして近くの農家に走る。卵ふたつください……農家の親父さんは黒光りした重そうな引き戸を開ける。もみ殻を敷いた箱の中に卵が列を作って並んでいる。帰宅するとそれが煎り卵になる。3つ違いの弟と鍋の底をスプーンで削るようにして奪い合いとなる。ああ、腹いっぱい卵を食べてみたいなあ……。 

 1個10円の卵。それはどれだけ価値のあるものだったか。アンパンが10円、箱入りのグリコは20円。親から与えられる小遣いは5円(ただし毎日ではない)。これらと比べれば10円の卵がどれだけのものか……昔は病気見舞いに卵を持って行ったという話とも合わせて考えれば、若い人にもその価値が分かっていただけよう。経済の話の中で「卵は物価の優等生」という言葉が登場する。さすがに最近はないが、数年前まではスーパーの特売コーナーに10個パック99円という卵が並んでいた。すなわち、もっと食べたいと僕が熱望した60何年前とほとんど変わらないのが卵の値段なのだ。

 42年前、念願の、最初の田舎暮らしを始めるにあたって真っ先に考えたのは鶏を飼うことだった。その心の半分は、あの、食べたくとも存分には食べられなかった卵へのあこがれ、あと半分は、庭を自由に歩きまわる鶏(ゆえに庭鳥=鶏)がいてこその田舎暮らしというイメージが僕の頭にこびりついていたせいかもしれない。で、僕の養鶏の出発点は毎日新聞の「譲ってください、譲ります」の読者欄だった。そこに僕は「チャボを譲ってください」と投書した。かなりの反響があった。今と違い杉並区や世田谷区は東京の中でまだ田舎だった。それゆえ自宅の庭でチャボを飼う人は多かったに違いない。会社からの帰り、僕は大きな入れ物を持って指定の場所に向かう。駅の改札口でチャボを受け取る。そのひとつ、杉並の老婦人は「かわいがってもらうのよ、元気に暮らすのよ……」そうチャボに向かってつぶやき、よろしくと僕に頭を下げた。帰宅のサラリーマンで混み合う電車。ネクタイと背広姿の男がチャボの入った箱を抱えるのは周囲の人たちにはきっと奇妙な感じだったろう。

 かくして、最初の田舎暮らしが始まるや、ものすごいこととなった。チャボの他に、犬、猫、アヒル、ヤギ……。人間を犬派と猫派に分けることがよくある。僕は典型的な犬派。妻と子は猫派。かつ、犬に関して言えば、大きいことはいいことだ。ランニングの途中で知り合いになったオジサンから僕が譲り受けたのは母親がセントバーナード、父親がシェパードという大型犬だった。その性格は穏やかで、まだ小学生になったばかりの娘がハモニカを吹くとそれに合わせ、高く顔を上げて歌うような楽しい犬でもあった。 

 あれから42年。「譲ってください」の欄から始まったチャボたちの命は脈々と今に引き継がれている。途中、専門業者から導入したヒヨコとの交配も行われ、羽の色と模様、トサカの色と形、体形、脚の長さ……現在およそ100パターンが存在する。姿だけではない。性格も実にさまざまだ。おっとり型、せこせこ型、神経質型。トロイの、ズルイの、すばしっこいの、愛嬌たっぷりの。臆病者をチキンと言う。なるほどそれは当たっている。だが、「鶏は三歩あるくと、もうさっきのことは忘れている……」というのは間違っている。少なくとも、僕が飼っているチャボたちは、頭が悪いどころか、むしろ良い。例えば……僕がスコップを手にして畑に向かうと全員集合、ぞろぞろと後をついてくる。さあ、ジイチャンの仕事場に行けばミミズがいっぱい食べられるぞ、そういう顔をして。まだある。しばらく使わないまま放置してあったビニールを洗濯して再利用しようと持ち上げる。その、ガサガサ、ゴワゴワというビニール音でもチャボたちは素早く集まる。ビニールの下からハサミムシだのムカデだのアリの卵だのが出てくる。そのことをちゃんと学習しているのだ。さあみんな、牛乳だよ、魚だよ、僕のその声でも遠くからみんな走り寄って来る。頭は悪くないのだ。

 さて、以下では、鶏の飼育経験がない、もしくは浅いという方を念頭に、その生態、産卵、育雛、運動、給餌、保安などについて書くこととしよう。まず食べ物。僕が日常的に与える餌は、トウモロコシ、米ぬか、牛乳、ヨーグルト、魚のアラ、パン、そして、人間用に作った煮物の残りだ。かつてヤギがいた頃、搾ったその乳を飲ませていた。今はスーパーから買ってきた牛乳とヨーグルトで代用する。もちろん水も飲むが、猛暑の時期、チャボたちは喉を鳴らすようにして冷たい牛乳を飲み、ヨーグルトを食べる。それに含有のカルシウムはしっかりした卵殻にするため欠かせない。 

 僕がふだん切り身の魚を買わず丸ごとを買ってくるのは骨や頭に細かく残る身をチャボたちに食べさせるためだ(生ではなく煮てから)。あとパンは、賞味期限が近いものをスーパーの特売コーナーからどっさり買ってくる。パンはチャボにとって人間のおやつに当たる。給餌は原則、朝1回だけで、日中から夕刻にかけては各自、畑を走り回り、地中からミミズや昆虫の幼虫を探し出して食べる。成体の昆虫も好き。例えばカマキリ、カナブン、トンボ、セミ、バッタ、さらにはゴキブリ、トカゲも大好きだ。チャボに見つかったトカゲはちょっと悲惨だ。チャボAがまず発見し、くわえる。それに気づいたチャボBが奪取を試みる。この争奪戦に気づいたC、D、Eが駆けつけて参戦する。やがてトカゲは切り身となってチャボたちの腹に収まる。そうそう、忘れるところだった。タケノコのことも書いておかねば。春、タケノコの最盛期。僕は茹でてからお客さんに送るのだが、切り落とした頭と尻の部分にチャボたちは群がる。初めてその光景を見た時は奇妙な感じがしたが、思えばたぶん、チャボたちは繊維質を腹に入れたいのだ。

 次は運動。ここまでの記述でもうおわかりのように、うちのチャボたちはパスポートもワクチン接種も陰性証明も必要なしで、どこまでも畑、さらには家の中までもフリーパスだ。人間を含め、生きているものすべて、その健康の半分を支えているのは運動であり、自由な行動であると僕は考える。それをチャボに当てはめている。コロナ禍で外出機会が減った人間は肥満をはじめとした心身の問題が生じているとの調査結果があるが、鶏にとって狭い閉鎖空間での暮らしは単に運動不足にとどまらず、精神面や衛生面でも悪影響を及ぼすと僕は考える。例えばうちのチャボたちは、畑で存分に動き回り、食べ物を口にしたら、決まって砂浴びをする。人間にとっての入浴。体に着いた虫や汚れを洗い落すのだ。それで気持ちもリラックスするのだ。この点においてもチャボは賢い。グジョグジョに濡れた土はもちろん駄目だが、パサパサに乾いたのも駄目。ほどよく湿り気のある場所を実にうまく見つけ、長い時間、土に埋まってゴロゴロと体を回転させる。最後は立ち上がり、遠心分離機みたいなパワーとスピードで全身についた土をバサバサ振り落とす。もしケージ飼いの鶏がその様子を見たら、おかしなやつらだなあ……と思うか、それとも羨ましいなあと思うか。僕にとって、この自由放任のデメリットはたしかにある。発芽して間もない苗を齧られてしまうのだ。でも、共にみんなで楽しく生きていくためには仕方がないと被害には目をつぶる。どうしても齧られたくない野菜にはネットを張って防御している。

 1日の行動を終えたチャボたちは、夏なら午後5時、冬なら午後3時半頃、眠りにつく準備に入る。眠る場所はこの写真のように軒下である。低い場所は外敵に襲われるということを彼らは本能的に知っている。僕の知り合いに地面設置の小屋で鶏を飼っている人がいるのだが、野犬に網を破られたとか、蛇に侵入されて卵を取られたとかいう話を時々する。その点で、この軒下がベッドルームという飼育法は安全度が高い。ただし完璧ではない。最大の敵はハヤブサなのだ。ハヤブサは上空から急降下し、あの長く鋭い爪でチャボを失神させる。そして食う。食うのは肉ではなく、内臓だけ。ハヤブサ襲来は叫び声の種類でわかる(襲って来たのが野良猫か青大将かハヤブサかで違い、僕は聞き分けることができる)。そのアラート音を聞いたら鍬を投げ出し、畑から全力疾走する。間に合う場合もある。間に合わないこともある。概算、これまでハヤブサに食われたチャボは100羽を超えていようか。小屋に閉じ込めず自由放任という飼育法で最大のマイナスがこれなのである。

 では、自由放任で飼うチャボたちはどこで卵を産むか。産卵場所の候補地となるポイントは無数にあるが、長年の経験で僕にはほぼ見当がつく。奥まった場所、穴の形となった場所、雨が降り込まない場所。さらに、これらいずれの場所でも、産んだ卵が直接地面に触れないような、「敷物」となるような物のある所を選ぶ。敷物とは、古新聞、枯葉、ぼろきれ、あるいは荷物に入っているプチプチなど。ひとつの例としてこの写真。大きな植木鉢。ちょっと見えにくいが、茶色のほかに黒いのもいる。この植木鉢の底には小さなジャガイモやニンニクが入っている。お客さんには出せないサイズで、自家用にするため投げ込んである。そこにまず黒いのが産卵を始めた。続いて茶色。そして、今日はまだ来ていないが白いのもこの場所を使う。つまり、この植木鉢は3羽共用となったわけだ。

 しかし、朝顔に釣瓶とられてもらい水……それは風流であり、チャボに植木鉢をとられるのも微笑ましくはあるけれど、そうでない例外も多くある。例えば部屋の奥、僕の下着類が入った段ボール箱に産卵を開始、やがてヒヨコが生まれる。雨の日にはヒトデの形をした泥足の跡が廊下に残る。夜は夜で、部屋の明かりが睡眠を邪魔するだろうと、ふたをしてやったりテレビの音を小さくしたりの気遣いを要する。最近は、さらなる手間の生じる事態が起こっている。黒いチャボが僕の布団の上に卵を産むようになったのだ。チャボによって産卵時刻にはバラツキがある。最も遅いタイプは午後2時頃に産む。しかしこの黒いチャボ、まことに朝が早い。これまでの記録では、午前5時半、すなわち日の出とともにやって来た。くちばしで雨戸をノックし、ジイチャン、開けろと催促するのだ。半分ボケた頭で僕は時計を見る。今日は特別早いなあ……。黒チャンはそんなことはお構いなしに僕の頭のすぐそばに腰を下ろして産卵態勢に入る。僕はそれから二度寝に入る。

 さて、ここに面白いエピソードがある。卵を産み落とした瞬間のけたたましい鳴き声。せっかく秘密裏に、奥まった場所、深い穴の場所に産みながら、その大声は矛盾しないのか、外敵に卵のある場所をわざわざ教えることになりはしないか……僕はそう思うが、母鶏は高らかに、およそ1分は鳴き続ける。たぶんこれが母性というものなのだろう。黙っていた方が安全度は高まるが、それを我慢できないほど、大声を出したいほど、新たな命を生み出す喜びが大きいのだ、きっと。面白いのは、その鳴き声に雄鶏が唱和することだ。つまり、1個の卵が産み落とされた時、雌雄の声が重複するのだ。どうして自分が産んだわけでもないのに雄鶏は鳴くのか……僕はそれを男の愛情表現と見る。パートナーの喜びを共に喜ぶ。よかったねえと高らかに唱和する。つまり愛なのだ。男の愛はそれ以前にもある。産卵場所はどこにしようかと雌鶏が迷っている時、雄鶏はしかるべき場所に先に行って、座ってみる、足元を蹴ってならしてみたりもする。そして、どう、ここは? といった顔で雌鶏を誘導する。まるでマンションの内覧会に出かけた若夫婦みたいだ……。 

 だが、人間世界と同様、世の中は幸せだけで満ちてはいない。一方では男のエゴみたいな場面もたまには見られる。雄鶏Aが雌鶏に近づく。今はそんな気分じゃないわとツレなく逃げ去る雌鶏もいるけれど、産卵期に入っている雌鶏は精子が必要なため自分から進んで腰を落とし、交尾の姿勢をとる。若い雄鶏がその上に乗っかる。遠くからそれを見た先輩格に当たる雄鶏が駆け寄り、背後から体当たりを食わせる。乗っかっていた雄鶏はドタッと地面に落ちる。そして、体当たりを食わせた雄鶏はこう言っている。こわもてのお兄さんふうの表情……オレの女に手を出すな。 

 ケージ飼いの鶏は1年365個の卵を産むという。その産卵率が低下するとすぐ処分され、ラーメンのダシなどにされるとも聞く。対してうちのチャボたちの産卵率はその半分にも満たない。改良が重ねられ、産卵という点において優秀この上ない採卵鶏に比べ、野性の血の濃いチャボは、人間に食べさせるためではなく、あくまで種の保存のために卵を産むからだと思う。チャボによって違いはあるが、平均して15個の卵を産んだら抱卵態勢に入る。最初の卵と最後の卵にはかなりの時間差があるが、どの卵も有精卵であるゆえによほどの悪条件でない限り生き続け、母鶏が温めてくれる日を待っている。

 抱卵は21日間だ。あと1日か2日でヒヨコになるという日、母鶏は、くちばしで卵を回転させながら、コココッという声を掛ける。自分の声を記憶させるのだ。うちの庭には最も多い時には10組以上の親子が歩きまわる。それだけいると、生まれて間もないヒヨコは、自分のママがどれなのか、混乱してわからなくなっても不思議ではないが、そんなことは生じない。母鶏のおなかの下にいる時からその声を聴いて認識しているからだ。 

 孵化から48時間は餌、水ともなしでヒヨコは生きる。卵の栄養成分をその体内に保存しているからだ。そして孵化から3日目あたり、親の誘導で庭に出る。ここから母鶏にとって長い育児が始まる。これも母鶏によって違うのだが、平均して育児離れをするまでは2か月ほどだ。育児離れの日は、ある日突然やってくる。ついさっきまでヒヨコを連れて庭を歩いていた母鶏が、産卵前に寝ていた軒下に飛び上がり、下にいるヒヨコたちに、さあ上がっておいでと呼ぶ。生後2か月。2mの高さは無理だ。飛べないの、しょうがないわねえ……そんな顔して降りてくる母鳥もいるが、泣こうが叫ぼうがしらんぷりというママもいる。そこで僕の出番となる。ヒヨコたちを捕まえ、箱に入れ、玄関で寝かせる。翌朝は再び親子で行動する。その、逃げ回るヒヨコを捕まえる時に欠かせないことがある。最初は本能的に警戒、逃げ回るのだが、どうにか捕まえたら、必ず言葉を掛けてやる。かわいいねえ、いい子だねえ……。同時に、羽やおなかを愛撫してやる。これでもって、僕を、自分のママではないらしいが、親戚の優しいオジサンくらいには認識し、大人になっても良いリレーションが維持される。

 さて、チャボというのは1年間にどのくらいの卵を産むのか。さっき書いたように、卵を抱き始めてヒヨコが生まれるまでが21日。ヒヨコが生まれてから子離れするまでが約2か月。この期間、およそ80日は産卵しない。そして、このサイクルを年に2回繰り返す。つまり、トータル160日は産卵せず、他に猛暑や天候不順の時にも産まないゆえに、1羽あたり1年に100個の卵が得られれば合格というのがチャボである。ビジネスとして考えたら、わが卵価50円は間違いなく赤字である。真夏には牛乳2L、ヨーグルト2箱をペロッと飲み、食う。これだけでも1日700円の出費だ。割の合わない事情は別にもある。先ほど、ケージ飼いの鶏は、産卵率が低下するとラーメンのダシになるという話を書いたが、うちではそれはない。老衰で命を全うするまで飼い続ける。確たることは言えないが、チャボの寿命は10年以上。そして、5歳を過ぎると産卵は減少する。最後の3年くらいはただ食べて寝るだけ。しかし構わない。我がビジネスを担う生き物であると同時に、僕にとってチャボたちは可愛いペット、かつ、同じ時間と空間で生きる同志なのだから。そして老衰が進むと僕の手間が増える。脚立を伝って登っていた軒下のベッドまで到達できなくなる。それを僕は毎夕、箱に入れ、真冬ならば夜ひとりでは寒かろうと古いセーターなんかで巻いてやる……ヒヨコの時はベビーシッター。老衰の時はデイケアーの介護士……これが我が日常なのである。

 さて、ここでいったん鶏の話を中断し、話題を変えよう。先ほど僕は自分は犬派であると書いたが、けして猫が嫌いというわけではない。今から10年以上前のことだ。畑仕事から戻ると部屋に猫がいた。一瞬僕はコラッと叫んだ。勝手に部屋に上がったことよりも、そいつがヒヨコを襲う心配をしたのだ。僕のコラッに対し、その猫はゆっくりと外に出た。ところが次の日にもまた部屋に。3日目にはなんと、僕のパソコンデスクの椅子にゆったり寝そべり、椅子から半分ずり落ちそうな頭をちょっとだけ曲げて、僕をチラッと見たのだ。まるで、おかえりとでも言うように。その時の僕の気持ちを簡単に言えば……ああ、負けたヨ、おまえには負けた。 

 こうして、まるで押しかけ女房みたいに僕と同居することとなったのがトラである。トラは近所の真っ黒の雄猫の子を宿し、生まれたのが、今回の原稿の冒頭から何度か登場しているチビクロなのである。生後しばらくは部屋の中で暮らしていたチビクロだが、やがて庭に出てヒヨコと対面することになる。なんだ、この生き物は? 猫じゃあないな。足は2本だし、よちよち歩きだし(自分だってついこの前はよちよち歩きだったくせに)、そう思っているかのような目をして、庭に出ると必ずヒヨコと遊ぶのがチビクロだった。 

 そんな平和な風景は、しかし、そう長くは続かなかった。「成人」したチビクロはほとんど外猫になった。3日も4日も、長い時は半月もうちには戻らず、戻ってごはんを食べたかと思えばさっさとまた外出する。そしてある時、全身傷だらけで帰宅した。放浪癖と闘争本能が豊からしいチビクロは以前から喧嘩による生傷が絶えなかったが、今回は違っていた。生きて帰れたのが不思議なくらいの、目はふさがり、耳は切れ、背中には大きな擦過傷があった。ただならぬことと思った僕は、発送荷物であたふたしていたゆえ、とりあえず布で巻いて箱に入れておいた。だが、仕事から戻るとすでにチビクロの姿はなかった。永遠の別れだった。猫は自分の死に顔を見られたくないという。それにしても、あんな体で出て行くなんて。人知れず、林の奥で、降り積もった枯葉の上に横たわり、死の瞬間を迎えようとしている彼の姿を想像すると、僕の目から少し涙がこぼれた。 

 その日から5年。最近、唐突にチビクロと暮らした日々のことがよみがえる。いや、チビクロだけではない、それ以前に飼った犬の喜八、マサオ、眉山、さらにはチャボの菩薩やリンダ、愛ちゃんの、顔の表情、動きのひとつひとつが、畑で、寝床で、時にはランニングの途中で浮かび上がってくるのだ。これはどういうことだろう。ふと思うのは、どうやら自分の年齢のせいであるらしいこと。新聞が伝える著名人の死亡記事。そこに記された年齢を見て、80歳か……オレはまだ5年あるな。85歳か……まだ10年もあるな。残り10年あれば十分だな……どうやらこれも、僕に限らず人生のゴール地点がぼんやりと見えてきた男の年齢と関係するらしいが、百姓になって以後、生活をともにしてきた動物たちの顔や動作が唐突に目の前に浮かんでくるようになったのは、どこかで、終点までさほど遠くない僕の心が「人生のおさらい」をしているせいではないかと思う。

 ちょっとシンミリした話にしてしまったが、最後は楽しく〆ようか。猫がいて、犬がいて、そこに鶏がいたならば、田舎暮らしはうんと楽しく、面白いものになる。最初の田舎暮らしから42年余という僕は自信を持ってそう言える。猫もいい。犬もいい。しかし鶏は、共に暮らす楽しさだけでなく、美味しい卵という贈り物を与えてくれるのだ。産みたて卵で作るオムレツなんて、もしかしたら人生最上の幸せかも。そればかりではない。放し飼いをした鶏は飼い主に「動く風景画」をもプレゼントしてくれる。鶏のいる暮らしの最良のポイントはその風景にある。先に書いたように、鶏はバカじゃない。けっこう頭はいい。そして人間との意思疎通もある。目の前のミミズを追うのに懸命なチャボたちは、スコップを握る僕の手をジャンプ台にして獲物に突進してゆく。ちょっと作業の邪魔にはなるが、捨てがたい憩いの時、笑顔の時だ。そして夕刻。軒下のベッドに帰った彼らは全員、しばし西の空をぼおっと眺めている。僕にはその声が聞こえるのだ。ああ、今日も一日、いい日だったねえ……。その声を下から聞く僕も同じだ。いい一日だった。明日もみんな、一緒に楽しく、元気で暮らそうな……。

 

9月下旬の野菜だより

 9月も終わりとなった。秋・冬ものの野菜たちが喜び、すくすく育つ時期である。まだ日中は暑い日があり、白菜もキャベツもぐったりした顔を見せるが、夕刻にはぐんと気温が下がり、シャキッとする。この写真は前回お見せした白菜、そしてブロッコリーだ。この時期やるべきは、ブロッコリーは青虫退治、白菜は株と株の間に軽く鍬を入れて空気の通りをよくすることだ。9月は雨が多い。雨が降り続くと土がしまる。鍬入れは酸素の補給ということだ。

 この写真はジャガイモの畝間をさらい、土寄せをしているところ。あなたは初冬に収穫する秋のジャガイモを作ったことがありますか? 春に定植して初夏に収穫する春のジャガイモは、よほど大量に作っていない限り初冬の頃には品切れとなる。仮に残っていたとしても寒い季節に新ジャガが得られれば嬉しい。そこで8月、種イモを植える。栽培の基本は春と同じ。ただ、注意すべきは連作。すでに前の稿で書いたが、家庭菜園で最も大きな面積を占めるのは、トマト、ナス、ピーマン、そしてこのジャガイモのナス科。そこに加えて秋のジャガイモを作るとなると連作障害が心配になる。ナス科が重ならないような作付けをするのがベストだが、心配な場合はホームセンターで堆肥を買ってタップリ施してやるといい。

 さて、この写真、僕は何をしている場面か……ゴボウの移植である。大根、ニンジン、チンゲンサイ、そしてこのゴボウ、コツをつかめばほとんどすべての野菜が移植可能である。日中の暑い時間を避け、日暮れ前にやればどれも失敗なく根付く。しかし、ゴボウの移植なんて知らなかったという人は多いのではないか。 

 ゴボウは2年収穫しないでおくと高さ2mにも達し、ほとんど木と呼んでもよい姿になる。そして、とんでもない数の種を作る。次の写真。ヒゲみたいなのが1個の種で、硬い。この球体のひとつが丸ごと体にくっつく。その吸着力はすさまじく、かつ痛いのである。そばを通るときは気を付けているが、うっかり4つも5つもくっつかれ、往生する。そのシャツを洗濯機にかけてもこいつは取れないからさらに厄介だ。

 で、この種が落下して自然に発芽する。発芽率の高さを含め、おそらく「たくましさ」という点では野菜の中でナンバーワンではあるまいか。次の写真が発芽から1か月というものだが、発芽した場所は僕の通り道。気を付けて通りながら、荷物を抱えているとうっかり踏む。しかし、踏まれてもなお育つ。今日は、その苗をトウモロコシ畑が片付いたので移植してやったのである。2mにも成長したゴボウの全体像はその次の写真である。

 さて、来月のことを少し予習しておこう。10月はけっこう忙しい月。まくもの、植えるものが多い。ニンニク、ラッキョ、エンドウ、ソラマメ、玉ねぎ。まずは頭の中で配置のデザインをしておこう。エンドウとソラマメは、この春これらがあった場所は避けよう。僕の場合、エンドウ、ソラマメをまくのはサツマイモを掘り上げた所にする。タイミング的にも、サツマイモ→エンドウ・ソラマメは好都合なのだ。そして、10月にまく・植える作物の前に、ぜひ土質改良をしておきたい。僕は竹や木を燃やして灰を作るほかに、苦土石灰、カキ殻石灰などを土に混ぜ込む。 

 そして最後は、10月の作業をしながら、頭の中で来年の春から夏にかけての畑デザインもしておきたい。例えば、エンドウとソラマメは6月までその場所を占拠する。玉ねぎ、ニンニクもほぼ同じだ。つまり、これらを植えた場所が他の作物のために使えるようになるのは早くて来年6月初め、遅いと7月。そうなると、来年のジャガイモには使えない、トマトやナスのためにも使えない……作物に関する年間カレンダーを頭の中にセッティングできるようになったら初心者から中級レベルに昇格したということになる。

 

【関連記事】

(1)百姓と体力
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
 

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