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田舎暮らしの本 5月号

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田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

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人にはどれほどの金がいるか~年金と老後2000万円問題を考えながら~/自給自足を夢見て脱サラ農家36年(9)【千葉県八街市】

中村顕治

 皆さんもご存知、ロシアの文豪、レフ・トルストイの民話に「人にはどれほどの土地がいるか」というのがある。今回のタイトルはそれをもじったものである。そして、「年金と老後2000万円問題を考えながら」、この副題は編集長からいただいたサジェスチョンによる。年金受給について僕はまさに当事者である。かつ、老後の貯蓄は最低これだけ必要という2000万円問題に関しては、それがメディアに登場した時以来ずっと、「イロン・ハンロン」を含めて自分の考えがあった。編集長からいただいたサジェスチョンとサンプルテーマはかなりの数なのだが、よっし、今回はこれで行こうか、日頃から腹にためている「ゼニカネ」のことを思いっきり、腹蔵なく今回は書いてみようか……そう決めたというわけである。

 この写真、過日の台風16号にそなえて、雨漏り個所に補修シートを張っているところである。大工仕事、電気仕事、下水仕事……やることが雑ではあっても、僕はなんでも自分の手でやってしまう。時間と手間がかかり、ときには危険も伴うが、これらの作業はけっこうおもしろい。だけでなく、生活費の削減にも大いに貢献する。もし専門業者に頼んだらどれだけの支出を伴うか。 

 ここで我が収支、つまり、脱サラ百姓のふところ具合をお見せしようか。まず収入。年金は月額にして12万5000円。ここから健康保険と介護保険が天引きされるので、実際の手取りは11万円ほど。収入のふたつめは農業で、月によるバラツキはあるが、平均して8万円。これに月にならして3万円ほどの原稿料。すなわち、月額にして22万円が僕の全収入である。この金額、世間に照らすと、詳しくはわからないが大学新卒のサラリーマンくらいだろうか。参考までに、会社を辞める直前の給料は残業代を含めて45万円くらいだった。つまり、今はサラリーマン時代の半分以下での暮らしということになる。

 支出はどうか。農業収入は稼いだぶんがほぼそっくり出て行くのが現実だ。前回、鶏のテーマの時に書いたが、チャボを飼うために毎月3万円を要する。まあしかしこれは、卵という商品を作るためであると同時に、我が暮らしに欠かせない良き伴侶、皆さんが愛犬、愛猫に与えている餌代と同じだと考えればよい。さらに、農業支出として大きいのはビニールハウスの維持費である。自然災害がなくとも劣化するわけだが、そこに加えて台風などの強い風がハウスを壊滅させる。一昨年の台風15号では4つのハウスがそっくり粉砕された。それでもって、新たなパイプやビニールを買うことになる。僕には農閑期というものがなく、真冬でも10品目以上を送るというのを「売り」としているゆえ、ビニールハウスは必需品なのだ。

 では、一般的な支出はどうか。皆さんと比べて明らかに少ないのは電気・ガス・水道代であろう。太陽光発電を始めてから、従来かなりの金額だったプロパンガスを使わず電気にシフトさせた。そのせいで電気とガスが月額合計4000円弱ですむ。水道代は井戸水ゆえにゼロ。さて食費は……これがけっこうかかっている。以前の原稿で、我が食料自給率は40%という話を書いた。残り60%は近くのスーパーやアマゾン・楽天を経由して購入する食品である。具体的にはどういう内容となるのか。今日1日3食で僕の腹に入った品物を二分してみよう。柿、卵、ピーマン、ミニトマト、インゲン、小松菜、ヤマイモ、ポポーのジャム、生姜、イチジク、エダマメ、里芋。これらが自給の物である。一方、珈琲、パン、チーズ、米、ベーコン、おやつのケーキ、豚肉、魚、様々な調味料、ワイン、これらがお金を出して買った物である。月額にして5万円ほどがこの購入代金となる。

 以上とは別の支出として、インターネット環境の維持費として1万円、新聞代が同じく1万円、安物の生命保険が5000円、あと、土地家屋の固定資産税、それと軽トラの維持費として月額に直して1万円ほどがかかる。で、支出はこれで全てかというと、そうではない。太陽光発電のおかげで光熱費は安く上がっているわけだが、先行投資のツケは残っている。最近も15万円の蓄電器を買ったのだが、一括払いが出来ずに分割支払い。そういうものがいくつかあるゆえ、カード会社への支払いは常に月額4万円ほどある。以上が脱サラ36年百姓の生活実態、すなわち、入ったカネは全て出て行く、貯金は皆無……という暮らしなのである。 

 すでに鋭いカンで気づいた方もおられるかもしれない。ナカムラさんの生活項目には外食費と衣料費と医療費がない……。そうなのである。僕は外での飲食をまるでしない。着る物は全てもらいものだ。自分で買ったことはない。兄から、弟から、お古どころか新品同様の品が送り届けられる。さらにお隣さんからは「ダメな物は捨てちゃってくださいネ……」、そういう言葉とともに、セーターやジャンパーをいただく。これまた新品同様である。ということで、パンツ以外、僕は買ったことがない。いや、パンツだって、男の大事なモノがこぼれ落ちそうな穴が開いていても捨てずに穿き続ける(それを見かねたウサコが誕生日プレゼントに五色のパンツセット……なんて粋な事をしてくれることもたまにある)。そして、パンツがどうにもボロボロになったら台所のガス台の油汚れなんかを拭く布巾にする。かくして衣料費ゼロの暮らし。これも、ひょっとしたらSDGsの範疇に入るのかな?

 もうひとつの医療費はどうか。脱サラ36年で僕が病院に行ったのは二度だけ。いずれも怪我だった。それ以外、健康保険証は手つかずのままに、市役所から次年度の新しいものが送られてくる。幸い、風邪も引かず、体に支障はないので市販の薬も飲んだことがない。怪我で病院に行った時にひとつ思ったことがある。外来の椅子で待っている時間の、ああなんと長いことよ。これだけの時間、畑で仕事していたら、あれも、これもやれたはずだなあ……。通院には時間もかかるし、お金もかかる。かつ生産性もない。それをしないで働き続けられる体は経済的で、少ない家計の助けになる。 

 20年近く医学雑誌の編集という仕事をした。いま新型コロナの話によく出てくるmRNAのmはメッセンジャーで、RNAはRibonucleic Acid=リボ核酸の頭文字。「免疫」という雑誌に関わっていた僕は、こういった用語に40年以上前から日々触れていた。高名な医学者とも接していた。そんな男でありながらどうしてだい? 医者と薬があんまり好きじゃない。ひそかに出した結論は、「自分の体は自分で作り、守る」ことだった。もちろん現代医学の力はすばらしい。特にここ何十年かの発展は医療機器の大進歩とともに社会福祉の大きな力となっている。そのことを重々承知した上で僕は結論を出した。人生ギリギリまで元気で働ける体を毎日の努力でなんとか作り上げようと。

 話が少しそれるのだが、解剖学者・養老孟司先生と愛猫マルのNHKドキュメンタリーは、猫好きの方ならきっとごらんになったことがあるだろう。その養老先生とは仕事の上での接点があった。かつ、勤めていた出版社にある時おいでになって、全社員を前に講演をなさったことがある。柔らかな語り口、豊かなユーモア、医学者らしからぬ他分野に関する見識の幅広さ。僕はすっかり魅了され、以後は一般読者としてその著作を読んでいる。先生は健康診断を受けないそうだ。病院にも行かないそうだ。曰く。ひとたび病院に行くと「数字と機械にがんじがらめにされてしまう」……。さらに先生は言う。「自分の体の声を自分の耳で聞くことが大切です」と。がんじがらめとまでは言わないが、僕も考え方は養老先生と同じだ。市からの健康診断の通知は有り難くいただくが、病院に足を向けることはない。

 ちょっと寄り道をしたが、僕が欠かさずランニングや腹筋・懸垂をするのはそのためだ。そして、どれほど忙しくとも食事に手抜きをしない。畑仕事を終えて台所に立ち、芋の皮をむき、人参を刻む。魚のウロコを取る。毎日、肉、魚、野菜、果物、乳製品をバランスよく摂取する。ついでに言うと、何か食べたらすぐ歯を磨く。どこにいてもすぐ歯磨きが出来るようにあちこち歯ブラシが置いてあり、畑を見回りながらでもゴシゴシやる。歯は全身の健康ともかかわるらしいので……。ということで、遠回りであるように見えて、このような暮らしは生活費節減に確かに役立つ。医療費ゼロ……少ない収入でも生活を成り立たせる基本はやはり元気で働ける体を常に維持することだ。

 年金は60歳から受給を始めた。同期入社で65歳まで働いた同年齢の人の年金が45万円くらいと聞いてたまげたことがある。僕が退職してまもなく会社は企業年金にも加入したらしいので余計に高額なのだが、所有のヨットでクルージングを楽しむなど、彼の老後生活はまことに優雅だ。我が受給額に比べるとなんともすばらしい年金生活だが、でも、僕の暮らしだって、少額ではあっても、年金受給によって以前より安定したのは事実だ。それまでは、台所は火の車だった……。なんとか現金収入の道を考えなければいけない。会社を辞めてじき、百姓仕事がまだ軌道に乗らない頃、仕出し弁当屋での配達バイトをしたことがある。午前の仕事をほぼ終えた11時、弁当屋に向かう。市内に点在する小さな会社の事務所に3つ、4つと弁当を届ける。午後1時頃に自宅に戻り、ランチを食べて、午後の農作業にとりかかる。時給は1000円くらいだったか。しかし長くは続かなかった。日中2時間の空白というのはかなりのロスタイムだった。 

 次に始めたのが英語塾だった。街の中の塾よりはるか低額で、僕の教え方も好評だったらしく、口コミで常に10人以上の生徒がいた。弁当屋のバイトは車で出かけて行かねばならないが、自宅でやる塾なら通勤時間がなくてすむ。もちろん、それはそれで二足のワラジというのは日々慌ただしく、時間的にも窮屈でかなり無理をした。授業が終わるのは午後9時。ザッツオールフォーツデイ……。この終了合図を聞くと、黒板の下で丸くなっていた愛犬マサオが立ち上がる。さて行くかという感じで背筋を伸ばす。夜道を月を仰ぎながらふたりで散歩する……。本業の百姓が軌道に乗るまでと自分にムチ打った。なんとか頑張って、やがて野菜のお客さんの数も増えてきて、塾は閉じ、今のような生活になった。

 ここでひとつ補足しておこう。さきほど農業収入は月額で8万円と書いた。少なすぎやしないかと疑問に思った人もいよう。現実はこうである。僕が送る野菜と果物と卵のパックにはМサイズとLサイズがある。送料を除き、Mの手取りは2500円、Lの手取りは3000円。つまり、MとLの合計30個を出荷しての総額がほぼ8万円なのである。最盛期には連日3個の荷物を作っていた。しかしそれではランチをゆっくり食べる暇もない。野菜を掘って、仕分けして、洗って、包んで、送り状と手紙を書いて、ガムテープで止めて……1個の荷物を仕上げるのに2時間かかるのだ。ランチを食べる暇がないだけならよいが、これでは肝心の野菜のケアも納得いくようには行えない。長くお付き合いいただいたお客さんの中には、家族が減りましたのでとか、ご自身が病気や老齢で台所仕事が出来なくなったのでといった理由で定期購入をやめる人が増えた。それに加えて、時代はネット通販になっていた。僕が始めたころにはまだ野菜や卵の直販というのは珍しかったが、お客さんが減ったのはそういう同業者が進出してきたせいでもあろうかと思う。

 そこで僕は政策変更した。販促の宣伝はいっさいしない。同時に自家消費にウエイトを置く暮らしに変えた。1日1個平均の荷物ならば手も心もかなりの余裕だ。なんたって、毎日3個の荷造り時代には気持ちの余裕がなく、せっかくの田舎暮らしが十分には楽しめていなかった。しかし今はとても気分が平和である。僕は日々、仕上がった荷物をクロネコ営業所に持って行って帰宅。夏ならその後3時間、冬でも1時間半ほど働くのだが、その前に、この写真のように夕暮れ近い時刻、廃品利用の手製チェアに座ってカフェオレなんかを飲む、軽いケーキをつまむ。これがなかなかいいんだな。わずか10分ほどの時間だが、空高く精神が浮遊してゆくのが自分でわかる。ああ、田舎暮らしっていいもんだ……小さいけれど、ゆったりとした人生。これで8万円が得られるならばもう十分さ。

 さて、こんな暮らしをしている男は、自分の老後をどうするつもりなのか……あと3か月で後期高齢者になるのだから僕はすでに十分「老後」なのかもしれないが、今言う老後とは、どうにも体が言うことをきかなくなって、百姓としての現役を引退するという時のことである。「老後に備えて、貯蓄は最低2000万円が必要」……あの2000万円という額の根拠は何なのだろう。1年を200万円で暮らせば10年生きられるということか。あるいは、大きな病気をして、入院・手術ということになっても、それだけあればなんとかなる……ということか。

 僕は貯金をしたことがない。今までずっと、貯金ができるほどの稼ぎではなかったからだよネ……そう言ってはミもフタもないが、月に2万か3万ならやってやれないことはなかったと思う。しかしやらなかった。宵越しの銭は持たない……カッコいい江戸っ子みたいな台詞を吐くつもりもないが、どうやら、僕の体に流れている血は江戸っ子のそれにどこか近い。入ったら入ったぶんすぐ遣う。いや、入っていなくともすぐ遣う。例えば臨時の収入が得られることになったとする。先方から銀行口座に振り込まれるのはまだ先のことなのに、もう買い物気分で、アマゾンや楽天の画面を開いて胸躍らせている……。考えてみたら、2万か3万で胸躍らせてすぐ買い物がしたくなるというのはみみっちい。大金を持ったことがない男ゆえのチャチな高揚感だろうな、すなわち貧乏性ゆえの行いなんだろうな。前に何かで読んだことがある。お金のある人ほど貯蓄精神が豊か……。そのココロは増える喜びを実感しているから。逆に、収入が少なく、貧しい人は、貯蓄して通帳の数字が増加する、その喜びを知らず、目先の誘惑に負ける、すぐ何かを買いたくなる……まさしくこれは僕自身のことだ。ただし、そのささやかな額の買い物効果は決してバカにはならない。ナマズやウナギを飼うためのプールを注文する。電気モヤシ製造機を注文する。その翌日は、よっし、また今日からしっかり働くぞというモチベーションが高まる。思わず「バラ色の人生」の歌を口ずさむほど、精神のポジティブ作用も大きい。みみっちいと一概に笑い飛ばすことはできないのである。         

 貯金をしない理由は僕の心の隅に、どうやらもうひとつあるようだ。それは何か……。すでに述べたように、日々、やれるだけの全身ケアをする。くよくよ考えないことでメンタルの健康をもキッチリ保持する。それで行けるところまで行こうじゃないか。百姓として働き続けようじゃないか。つまり、僕は、将来への「担保」を必要としない人生でありたかった。ちょっとカッコイイ物言いをするなら、その日、その日がすべて勝負の時……そんな人生を歩もうとしたのだ。だが、人の命には必ず限りがある。どうやら「その時」が近そうだなあと感じたら、僕は人生を畳む準備に入ろう。

 葬儀会社のチーフマネージャーをやっている姪がいる。ある時、冗談交じりで僕は彼女にこう言った。「オジサンは家で死のうと思っているんだ。長々と病院に入って死ぬというのはイヤ。このところナカムラさんの姿を見ないなあと近所の人は思う。ふだんメールのやり取りをしている人は、ナカムラさんから返事が来ないなあ、と思う。そして、布団の中で息絶えている姿が誰かによって発見される……そんなふうにオジサンは死にたいんだが、どうかね」。

 姪っ子はクスクスと笑った。そして少し真顔になって、それもいいけど、でもねネ、ちょっと厄介ですよ、警察が来て、事件か事故かなんて騒ぎにもなって……。ハハッハ、たしかにそうだな。本当のところは、オジサンの理想としては別な道があるんだ。元気なうちから訪問看護で定期的に観察してくれる人がいたらいい。あるいは、緩和ケアとかで、もし体に激しい痛みがあったらそれを消しに来てくれる医者が近くにいたらいい。しかし、この地域にはそういう制度はないみたいだ。「かかりつけの医者」という言葉をよく聞くが、病院に行ったことがないので、オレ、どこにもカルテはないし、顔見知りの医者もいない……。

 最近、上野千鶴子さんの「在宅ひとり死のススメ」という本を読んだ。あっさり論旨を言えば、「独り、自宅で死ぬのはそんなに難しいことではないですよ、憐れでもないですよ」だった。住み慣れた自宅を離れ、長く病院のベッドで暮らすというのは誰でもストレスとなろう。もちろん、回復の可能性が大きい場合の入院は別だ。しかし、最期の日はそう遠くないという場合、そして百姓としての僕の場合、やはり望むのは自宅だ。自分の手で植え、何十年と接した果樹の風景を窓の向こうに眺めながらエンドマークを出したい。延命治療は辞退したい。そして……ひそかな願いが胸の奥にじつはある。我が骨は、愛犬マサオや喜八、山羊のメーコ、チャボのリンダやイチバンが眠っている桜の木の下に埋めてほしい。前もって穴と墓標代わりの大きな石は自分で用意しておくから、そこに骨を投げ入れて、土を掛けてくれるだけでいい。墓石も戒名も不要、祝電・花輪も……いや違った、香典・供物のたぐいも、不要。 

 日本国憲法第25条、第1項にはこうある。すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する……。これまでずっと、耳のそばをふんわり通り過ぎていたこの条文だが、今の僕にはけっこうなインパクトであり、現実味を帯びて迫って来ている。まさにこれは、オレのことではないかと……。幸い病気をせずに75歳近くまで健康に生きてきた。そして毎日、テレビでニュースや映画を楽しめている、嵐の朝だってきちんと配達される新聞が読めている。モンカフェの香りを楽しみながら好きな映画音楽やクラシックが聴け、さらに、リクエストしておけばどんな本でも市の図書館は用意してくれる……これって、文句なしに文化的な暮らしではないか。

 話は飛ぶが、定期的な休日なし、有給休暇もなしという僕の労働時間は、畑仕事と原稿仕事をトータルして月に300時間ほどである。全収入をこの時間で単純に割り算したなら、時給は700円ちょっとと出てくる。で、思うわけだ。ちょうど自分が生まれた頃に作られた日本国憲法、その第25条のサンプルイメージは、ひょっとしたら今のオレのことではあるまいかと。脱サラ36年の百姓。急峻ではなかったとはいえ、会社を辞めてからずっと、山あり谷ありドブ板ありの後半生だった。そこをどうにか生きて来た。ありふれた言葉になるが、農地を手に入れた遥か昔、僕はひそかに「不退転」の決意をした。オレは再び都会に戻ることはない。死ぬのは畑の上だ……。少しずつ秋が深まりつつある。モズの鳴き声と金木犀の香りが青い空に広がっている。健康で文化的な「最低限度の生活」を見事に(?)貫いたわが身を少し誇らしくも思うのである。

 最後に、僕の子供くらいの年齢に当たる若い読者世代へのメッセージめいたものを書いておく。国は国債という名の莫大な借金を抱えている。年金制度にも足元のぐらつきがあり、現在40代、50代という人たちが年金受給年齢に達した時、はたして制度は安泰なのかという疑念もある。どうすべきか、将来の暮らしを……。僕には40代後半の娘がいる。ただし30年ほど会ったことがない。結婚し、40歳を過ぎてようやく子供に恵まれたと人づてには聞いたが、新たな苗字も住所も電話も僕は知らない。そんな娘に、もし死ぬ前に会えたなら、彼女の(およびその夫である男性の)気持ちを打診したいという思いがある。この畑を引き継いで老後は家族で田舎暮らしをしてみないかい……?  20年後、30年後、ニッポンの国際競争力と社会経済はかなり厳しい、そう言う専門家は少なくないし、僕も同じように思う。その厳しい将来を生き抜くには何が必要なのか。自分の体験を通して思う。必要なのは土地であり、そこから生産できる食料であると。これは我が娘へのメッセージであると同時に、若い世代の皆さんにも伝えたいことだ。インディアンは嘘つかない。畑だって努力を惜しまず手を掛ければ、やはり嘘はつかない、自分の努力にちゃんと応えてくれる。田舎暮らしを、いっときの夢に終わらせず、人生の長期プランの中にドッシリ組み込むことを、僕はここで皆さんに提案する。そのための基本条件はカネではなく……いや、人生そこそこカネも必要なんだけれど、カネ以上に大切なのは骨や筋肉の強さだ。最近、草彅剛という人が新聞のインタビューで言っていた。「映画の撮影で筋肉が弱いと馬にも乗れない。強い筋肉があれば早朝からの長い撮影にも耐えられる……」と。僕も同感である。骨と筋肉の強さ、そして精神の粘りがあれば、人生の山も谷もきっと乗り越えられる。

 

10月中旬の野菜だより

 10月も三分の一が過ぎたというのに、例年よりかなり気温の高い日が続いている。たぶんそのためであろうか、青虫などによる食害が久しく見なかったくらいひどい。ふだん、青虫は見つけ次第つぶすのだが、今年はその暇もないくらい、急激に広がった。この写真の白菜はまだいい方で、ほとんど消滅してしまったものもある。ただし、別な場所では全く無傷である(2枚目の写真)。さして広くない僕の畑だが、場所によって、土質、日照時間、水はけなど条件が違う。その条件の違いが虫の発生ともどうやら関わっている。経験からそうした違いを学習した僕は、あえて毎年、白菜でもブロッコリーでもキャベツでも、最低3か所、多い時には5か所くらいに分散して作付けする、リスクを減らすために。虫の被害に泣かされた経験のある方はこの分散栽培を試してみるとよい。

 10月12日現在、ニンニク、ラッキョを植え終わり、そろそろエンドウ、ソラマメ、玉ねぎの準備に取り掛かっている。これらを植える場所はサツマイモの跡地だ。サツマイモは出荷のために収穫するたび、茎と葉をスコップで刻み、一か所にまとめておく。そこに米ぬかを混ぜて腐食させる。 

 そして10月は焚火シーズンの開幕でもある。収穫を終えた栗、柿、桑などの徒長枝を切り、来年に向けて果樹の日当たりを良くする。その切り落とした枝を燃やして木灰を作る。秋から冬にかけての夕暮れ、焚火は灰を得るという実益とともに、昼間の労働を癒してくれる貴重な時間でもある。火というのは不思議なほどに離れ難いものだ。本当は他にまだやるべきことがあるのに、腰を下ろし、いつまでもじっと見つめている。さまざまな過去のことを僕は思い浮かべている。記憶の糸はかなり古い昔にまで及ぶが、面白いことに、赤く立ち上る炎というはイヤな記憶にあまり結びつかない。何で読んだのだったか、オレンジ色というのは幸福ホルモンとも呼ばれるセロトニンを増やす作用があるのだそうだ。焚火と向かい合っていて、楽しく、ロマンチックなストーリーに僕の心が向かうのは、なるほどそのせいなのか。いちばん好きな果物は柿なのだが、その色もまたこの焚火の色によく似ている。考えたこともなかったが、仕事の合間に柿を食べて幸せな気分になるのは……もしかしたら僕のセロトニンがここでも増えているせいか。

 さて、こうして出来た灰は、焚火の現場だけで使いきれなければ他に運んで散布する。たいていの野菜は灰を好む。マメ科などは特によく出来る。ホウレンソウにも灰は必須。

 つい昨日までは30度近い気温だったのに、今日10月13日は20度ちょっとの冷たい雨の1日だった。あと3日したら、最低気温が12度くらいの、本格的な秋の到来となります、そう天気予報が言っている。そうか、そろそろ冬支度だな。僕は夏物野菜の防寒に精を出す。キュウリは駄目になったが、トマト、ナス、ピーマンはまだ元気よく生き残っている。それらにビニールをすっぽり掛けてやる。これで1か月、うまくしたら2か月近く延命、収穫することが可能だ。この下の写真、大きなビニールの中にあるのはピーマンである。 

 夏物野菜の防寒とともに、年末から正月にかけて食べるのを目標に、ビニールトンネルに、小松菜、タアサイ、チンゲンサイ、カブ、サニーレタス、ホウレンソウなどをまくのもよい。トンネルパイプは径120センチくらいのがおすすめだ。このサイズだと野菜が大きく葉を延ばすのに十分なスペースが得られる。それに掛けるのはビニールでなく、ポリでもいい。ビニールに比べて保温性は劣るが、ポリは表面の土が簡単に洗い落とせて、何年でも使える。

 さて10月はイチゴの季節でもある。皆さんの中にも苗を買ったとか、もうじき買うつもりだとかいう人もいよう。それで今回は少しイチゴの勉強をしてみようかと思う。イチゴには低温が必要である。秋が深まり、朝の気温が10度台になる頃に花芽の準備を始める。その花芽が来春、日照時間が長くなり、気温が高くなった頃に開花し、実となる。だから、自然の状態に放置しておくと、イチゴという果物が食べられるのは4月から6月にかけてのことだ。にもかかわらず、クリスマスシーズンには大きなイチゴが載ったケーキが店には出る。夜間の照明をし、ハウスの温度を上げてやって出来たものなのだ。 

 我々も、それを少し真似てみようか。例年、僕がやっている方法は、ビニールトンネルに苗を植えて、11月以降は、毎日、夕方、トンネルの上から古い毛布や布団、カーペットなどを掛けて夜間の冷え込みを防ぐ。朝になったらそれらを外し、光を浴びさせ、同時にトンネル内部の気温を上昇させる。つまり、イチゴの気持ちをちょっと騙してしまう。秋に花芽を準備し、春の到来を待っていたイチゴを、ビニールを掛け、布団や毛布まで掛けて温度を上げてやることで、春が来たと勘違いさせるのだ。

 多くのイチゴは畑のビニールートンネルで作っているが、ちょっとしたイチゴ遊びも僕はする。「茶室」と呼んでいる自作の小屋に、ごらんのようなイチゴのコーナーを設置するのだ。苗を植えた箱の幅は広くはないので、平面的にランナーを伸ばすことはできない。それでもって、低い位置に植木鉢を置き、二階建てにする。実の収穫よりも、垂れ下がったランナーがちょっとしたアートになる。もしベランダのプランターで作ろうという人はこれを試してみるといい。

 この写真の上部に見える赤いものは照明である。こういうものを幾つか、日暮れ時刻に点灯し、午後9時か10時くらいまで光を当てておくと開花が促される。霜が降り、氷が張る。炬燵の季節に見る赤いイチゴには胸がときめくものである。

 真っ赤な実は味覚を満たすだけでなく、春を先取りした喜びが胸に沸く。

 

【関連記事】

(1)百姓と体力
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
 

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