子育てを終えた佐藤さん夫妻は、東京から鹿児島県鹿屋市へと移住した。そこにあったのは、「一度きりの人生、それを2人で楽しみたい」という思いだ。技術者だった夫は農業法人に再就職し、元プロボウラーの妻はスローな専業主婦生活をスタート。まったく違う人生を歩み出した2人の未来は、「やりたい」を重ねてつくられていく。
掲載:2022年4月号
「孫にも“田舎”をつくってあげたい」と移住地探し
車が緩やかな勾配の国道を上がると、広々とした畑と青い空、標高1000mを超える山が25㎞も連なる高隅山(たかくまやま)を見渡す景色が広がる。
「こんなに広い空がある景色、素敵でしょう?」と、鹿児島県鹿屋市を案内してくれるのは、2021年7月に東京から移住した佐藤博之(さとうひろゆき)さん(58歳)・多紀子(たきこ)さん(57歳)夫妻。4年前に結婚した、ともに再婚のカップルだ。
博之さんは離婚後7年間、3人の子どもを1人で育て上げた。
「子どもの弁当もつくったし、頑張っていたと思う」と振り返る。ある日、息子から子どもが生まれることを聞かされ、「もう親として頑張らなくてもいいのだと思うと、どっと疲れが出て、残りの人生を妻と楽しみたい気持ちが生まれました」と話す。
元プロボウラーの多紀子さんもすでに2人の孫を持つ身で、その気持ちはよくわかった。東京育ちの佐藤さん夫妻だが、両親は地方出身。子どものころの長期休暇は祖父母のところで、田舎を楽しんだという。自然のなかでホタルを捕ったり、獲れたカニをお腹いっぱい食べたり……。孫たちにもそんな“田舎”をつくってやりたいという気持ちも芽生え、博之さんは技術系の会社を早期退職、移住するという生き方を選ぶに至る。
さっそく東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」を訪ね、出会ったのが、鹿児島県の担当者だった。鹿児島には縁もゆかりもなかったが、担当者の人柄にひかれて興味を覚えた。そこでまずは21年2月に鹿児島への旅に出る。
「ピンと来るところに出合えたら」と県内をくまなく回ったが、何もないまま旅が終わりかけたとき、出合ったのが冒頭の景色だ。すぐ近くにはずらりと店舗が並ぶエリアもある。「これは生活にも困らない」と心が躍った。
3月に博之さんが退職すると、翌月には鹿屋市の移住体験住宅「吾楽暮(あいらいく)」で10日間お試し暮らしをすることに。自治会の人の紹介や、ゴミ出しなど生活の仕方、はたまた東京の家の処分法を指南するなど、市や移住サポートセンタースタッフたちが、仕事を超えてかかわってくれる親切さに感激した。教えてもらった空き家バンクを仮押さえして帰京すると、東京の自宅を売却し、7月には移住を果たすという早業だった。
移住した鹿屋市は、肉や野菜が驚くほど安くておいしかった。夫妻ともに飛行機やミリタリー好きとあって、自衛隊の鹿屋航空基地から飛び立つ飛行機を見ることも楽しみの1つだ。乗り物好きな博之さんは、トラクターの免許を取得し、農業法人に就職。足腰に自信を持つ多紀子さんは、自転車で市内各地を走りまわり、家の中ではミシンを踏むなど、初めての自分だけの自由な時間を楽しんでいる。
孫たちのための“田舎”づくりも着々と準備を進め、4月末には早くも新居が完成予定だ。
「移住も何もかも、やりたいと思っているだけでは始まらない。まずは相談したり動いてみるべき」と佐藤さん夫妻。自分たちのやりたいことに向かって邁進する潔さがまぶしい。
鹿屋市移住支援情報
「かのや移住サポートセンター」が移住に関するあれこれに対応
車があれば海・山・川まで数十分で行ける一方、市の中心部にはさまざまな店や病院、学校などが集まっていて、日常生活は非常に便利。年平均気温は18.1℃で、気候は温暖で過ごしやすい。鹿屋市を好きになってほしいとの思いから「かのや移住サポートセンター」を設置し、住まいの相談から就農相談まで幅広い相談を受け付けている。
かのや移住サポートセンター ☎0994-45-6930 https://www.city.kanoya.lg.jp/iju/index.html
文/マエダ マリ 写真/岩松敏弘 イラスト/時川真一
この記事のタグ
田舎暮らしの記事をシェアする