田舎暮らしの本 Web

  • 田舎暮らしの本 公式Facebookはこちら
  • 田舎暮らしの本 メールマガジン 登録はこちらから
  • 田舎暮らしの本 公式Instagramはこちら
  • 田舎暮らしの本 公式X(Twitter)はこちら

田舎暮らしの本 5月号

最新号のご案内

田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

松本明子さんインタビュー「実家じまいは思い出全部を自分のからだの中に入れ、さよならできるまでの年月だったのかもしれません」

掲載:2022年10月号

抜群の親しみやすさと、いるだけで場を明るくするキャラクターのタレント、松本明子さん。香川県高松市にあった実家の後始末に格闘し、その体験を元にした書籍『実家じまい終わらせました!―大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方―』(祥伝社)が話題です。維持費の総額1800万円、ってなんでそんなことに⁉ これから実家じまいを迎える人へのアドバイスもお聞きしました。

まつもと・あきこ●1966年生まれ、香川県出身。83年に歌手デビュー。その後『DAISUKI!』『進め!電波少年』(ともに日本テレビ系)などのバラエティ番組で活躍。女優としてもドラマ、映画、舞台に出演。

 

宮大工が建てたこだわりのマイホーム

 「〝つい先日、実家じまいしたばっかりで〞と、ご自分のケースをお話しくださる方が多くて。みなさんそれぞれ、実家にまつわる物語があるんですよね」

 松本明子さんは書籍『実家じまい終わらせました!―大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方―』(祥伝社)の反響の大きさに目を丸くして驚いてみせた。

 では、松本さんの物語とは?

 実家は香川県高松市にあった。昭和4年生まれの父親は元公務員、そのあと民間の建設会社に転職して四国支店長に。時は高度経済成長期の後半、父親は〝夢のマイホーム〞を手に入れ、借家暮らしを終える。松本さんが6歳のときだった。

 「市の中心部から10キロほどの山手に、瀬戸内海を見渡せる約90 坪の土地を購入。宮大工さんに頼んだ総檜造りの5DK、平屋建てを完成させました。釘は1本も使わず、凝った欄間や床の間があり、庭には自ら運んだ庭木、ほかに石灯籠まであって。こだわりのマイホームでした」

 引っ越したとき兄は高校1年生。東京の大学へ進学したので、高松の家に住んだのは正味3年弱。そのまま東京で就職して結婚して家を建てた。実家のことは妹に任せると、父の生前に財産分与を済ませた。

 一方松本さんは中学卒業までの10年間を実家で暮らし、上京して高校に入学。17歳で歌手デビューを果たし、その後〝バラドル〞として人気を得る。「やっと親孝行できる」と27歳で両親を東京に呼び寄せた。

 さて高松の実家はどうする?――そこからなんの当てもなく、いつか誰かがまた住むかもしれないからと空き家状態で維持。は!と気づいたときには約25年の月日が流れ、最終的に1800万円ものお金が消えた。

 

両親の死を経て10年。実家じまいを決意

 「固定資産税に火災保険と地震保険、そして水道・電気の光熱費で月々3万円くらい。日々の生活でちょっと節約すれば大丈夫かな?と思ってしまったのがよくなかったですね」

 それにしても1800万円という金額はインパクトが大きい。なかにはこんな出費もあった。あるとき「庭の草木の手入れをしてください。ご近所から苦情が入っています」と、高松市役所から電話が入る。

 「雑草ってびっくりするほど伸びるんですよね。地域のシルバー人材センターに手入れを頼めるけれど、1回5万円と聞いてまた驚いて。それも年に2〜3回は頼まないとダメ。日々節約しながらも、実家の維持では大赤字を出していたんです……」

 笑えない話である。それでも実家じまいの決心がつかなかったのは、「実家を頼む」という父親の言葉も大きかった。

 「重いですよね〜。浮き沈みの激しい芸能界に身を置く娘も住むところがあれば安心という思いもあったかもしれません」

 松本さんが37 歳のときに父が他界、その4年後に母も。その後しばらくは、「では実家を処分しよう」とは思えなかった。

 そして2011年、あの東日本大震災が起きる。東京でも、いつ災害に巻き込まれるかわからない。「まさかのときの避難先に」と台所、風呂場、トイレと水回りのリフォームに取りかかる。

 「カーテンも昭和47年に取り付けたもので、全室一新しようと。カーテンってオーダーだと結構かかるんですよっ」

 床や壁の張り替え、エアコンの取り付けなども行い、リフォーム代は総額350万円に!

 これも痛い出費だった。

 「主人や兄、親戚からは実家じまいを考えたほうがいいよ?と言われていたんです。それで2017年『クローズアップ現代+』(NHK)で社会問題として空き家を取り上げた回にゲストで呼んでいただいて。その後も空き家がテーマのバラエティ番組に呼ばれ、そのたびドキドキして。今大学生の息子が幼いころは、香川に就職したりして?と思ってましたが、その可能性はないのが明確になり、私の代でなんとかしなきゃ!と」

 母が亡くなって10年という節目だったのも決意を後押しする。ついに実家じまいを決めた松本さんは「売るにも貸すにもキレイで使いやすいほうがいい」と2回目のリフォーム。ユニットバスへの改修、一部フローリングの増し張り、電気設備の交換。しめて250万円かかった。前回分と合わせると、リフォームだけで600万円!! これに維持費、掃除のために高松まで往復する交通費で、誰も住んでいない実家のため、すでに1700万円もかけていた。

 「私のような失敗をしないで」と言うけれど、松本さんは実家が空き家だった25年間、ご近所付き合いを欠かさなかった。

 「季節のやりとりとか、お手紙とか。帰ったときは必ず足を運んでご挨拶だけでもするようにして。お向かいさんに至っては合鍵を渡し、月に何回か窓を開けて風を通してもらったり、少し掃除してもらったり。郵便物も数カ月分をまとめて郵送してもらったり。田舎ならではの地域のつながりって、ありがたいです」

 そんな小さくとも確かな心遣いの積み重ねが、ちょっとした奇跡にも思える未来を招く。

「日々節約しながらも、実家の維持では大赤字を出していたんです……」

 

親が元気なうちに早く道筋を立てる

 実家じまいへの第一歩、まず高松の不動産屋に買い取り価格の査定を依頼。「上物は築年数が古く価値はゼロ、土地の価値だけで200万円」と告げられる。

 「え〜!って、愕然としました。〝売却なら更地にしたほうが買い手がつきます〞と言われ、〝もし、実家を更地にするなら?〞と尋ねると〝だいたい500万円〞と聞いてまた、え〜!」

 希望者を広く募るなら自治体の空き家バンクを利用するのも手と聞き、賃貸と売却の両方で登録する。希望額は賃貸が月10万円、売却は「リフォーム代くらい元を取りたい」と600万円。すると「月2万円で」「買い取り価格350万円」と問い合わせがあったものの折り合いはつかなかった。「希望額が高過ぎ?」「これ長期戦?」、思案しつつ3カ月、70代のご夫婦が希望額で買ってくれることに。

 「ご夫婦とも実家近くの出身で。老後は地元で、とたまたまその地区限定で空き家だけを探していたんですって。すぐ住めると気に入ってくださって。本当に、奇跡ですよね!」

 これでよかった? 父は怒ってるかな、そんな思いもあった。

 「でも田舎に帰れば、名義こそ変わりましたけど家はある。あとを引き受けてくださった方も〝10年は住みますよ〞と。更地にしなくてよかった〜って。肩の荷が下りてホッとしました」

 売却が決まってから引き渡しまでの期限は3カ月。それまでに仕事の合間を縫いながら、「死ぬほど大変」だった家財と遺品整理という闘いが始まる。「親も〝いつか住むかも〞と思って他界したので、生活用品がそのまま残ってました。昭和初期生まれの人ってモノを大切にして捨てないし、倹約家で下着まで残したまま。100着以上あった母の服や着物は、リサイクルできるものは道筋をつけて。なかには私が幼稚園児のころに習ったバレエの衣装までありました」

 高松までは飛行機だと往復6万円ほど、車だと片道10時間。最後の追い込み約2週間は、1泊2500円の健康ランドに泊まり込み。地元のおばちゃんら
と大部屋で雑魚寝しながら片付け続けた。そこは節約!

 「持ち帰る段ボールの数を先に決め、そこに収まるものを厳選するとか、のちに専門家の方のアドバイスを聞いてなるほど!と。マスクを外すスペースを確保しておくのも大事です。片付けていると足の踏み場もなくなり、途中で休める場所もなくなってしまう。からだを壊したら元も子もありませんから」

 廃棄した家財や遺品は2トントラック10回分。1回10万円で計100万円と、これでしめて1800万円。片付け作業のあまりの大変さに、地道にやっておけば……と心底後悔した。

 「両親の大切なもの、残したいものについてコミュニケーションを取るべきだったなと。生前に話し合うのは難しい部分で、下手すると親子関係がぎくしゃくしちゃいます。親には親のこだわり、そのモノへの執着があるから勝手に処分されたくない。その気持ちに寄り添い、円滑に進められれば理想的ですけど」

 エンディング・ノートを活用するのも手。「私の本を実家の食卓になんとなく置いておく、という方もいました」と笑う。

 「ご兄弟がいるなら相続のリーダー、指揮者を1人決めておく。私の場合、そこはもめませんでしたが、そうしないとなかなか進まないこともあるようです」

 そうして多くの驚きと現実的な出費、20 トン分の片付けに奮闘した実家じまいを振り返る。

 「日々の忙しさに〝まあそのうち〞とのびのびになっていましたが、子育てが一段落して、また仕事を頑張ろう!という時期でもあって。人生のいろいろなタイミングが合ったのかも。それで息子に同じ思いをさせないように、と前にも増して高額なものを買うのは躊躇するようになりました。身の丈に合った、処分しても惜しくないものを持つように。シンプルな生活がいい」

 結局25年かかってしまったのも、必然だったかと思う。

 「例えば片付けは両親が生きた軌跡、物語に触れる時間でした。実家じまいは思い出全部を自分のからだの中に入れ、さよならできるまでの年月だったのかもしれません」

 しかしこれで美しきジ・エンド、とはならず。「香川にある墓じまいはこれからで」と松本さん。

 「コロナ禍でお墓参りに何年も行けてなくて、自分の動線の範囲にお墓があればと。でも専門家の方に、墓石は基本的に移動できないと聞いてそこから驚きました。具体的な手続きも、無理じゃん!と思うほど大変そうで。でもやることが明確になるだけで不安は減ります。息子と少しずつ話し合い、環境を整えるまでが私の仕事かなと」

 最後に実家じまいを済ませ、高松との縁が切れた寂しさは?と尋ねた。すると食い気味に、やはり目を真ん丸くして言う。

 「実家がなくなっても自分の原点であることには変わりません。両親の法事に帰るのが楽しみなんです。母は9人兄弟の長女で、いとこも20人くらい。親戚一同が集まり、温泉に泊まって大宴会するんです。私が歌? もちろん歌いますよ!」

 

宮大工が建てた母屋。維持に手間をかけ、大きなリフォームを2度して、即入居可で平屋だったことも、希望額で売却できた要因だったのかも。

ご両親と。

小学生のころに使った彫刻刀、リコーダー、ハーモニカ、作文や習字まで残されていた。まさに親の愛!

庭の一角にプレハブ2階建ての離れをつくり、増え続ける舞台衣装などを保管。写真はアイドル時代の衣装。また両親は松本さんが出演した番組を欠かさず録画していた。βとVHSのビデオテープで再生デッキがなく、業者に頼んですべてDVDにダビング。本数が多く、約40万円かかった。

離れは「作家になる」と小説を書いていた父親の書斎も兼ねていた。「父親の本棚には2000冊もの本がぎっしりでした」。すべて車に積んで東京に持ち帰り、神田の古本屋に持っていくも二束三文だったという。

3年ほど前から山登りを始め、長野県白馬村と富山県黒部市にまたがる唐松岳で初めて本格的な登山に挑戦。その経験をもとに、昨年から軽キャンピングカーのレンタル事業を始めた。荷台泊のできる「バグドラ」と、ルーフテント付きもある「ブギーライダー」の2種。「電車やバスを乗り継ぎ、レンタカーを借りて登山口まで行き、さらに宿代がかかるのは大変。もっと手軽に、節約できる方法は?と考えて。開業時は、ソロキャンプの達人のヒロシさんに相談しました(笑)。芸能のお仕事がないときは電話番もしてます!」。
㈲オフィスアムズ ☎︎03-5913-8166 https://officeams.com/

 

文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 写真提供/松本明子さん、祥伝社

この記事のタグ

田舎暮らしの記事をシェアする

田舎暮らしの関連記事

【移住者に聞いた】~暮らしやすいけん香川県~ 来る人を温かく迎えてくれる高松市仏生山町

香川県の魅力や暮らしの様子が楽しめる「移住促進プロモーション動画」が公開中!

50万円で買った築100年の古民家を夫婦でリノベーション(床DIY編)【香川県】

バービーさんインタビュー「栗山町でやりたいことをいつも『妄想』して、どんどん膨らませています」

ヒロシ インタビュー「やりたいことがあるなら、無理だと思っても、自分が始めないと何も始まらないんだよね」

塚地武雅さんインタビュー「知ることで、ものの見方が変わる。それはこの映画の大きなテーマ」

海・山一望の大規模ニュータウン「伊豆下田オーシャンビュー蓮台寺高原」には素敵な物件がたくさん【静岡県下田市】

子育て移住にもオススメ! のどかな果樹園に囲まれ、教育環境も整った人気のエリア【広島県三次市】

移住者の本音満載の必読書『失敗しないための宮崎移住の実は…』/宮崎移住の「いいとこ」も「物足りないとこ」もわかるガイドブック