ミルキーブルーの海と白砂のビーチが続くダイナミックな景観と、日本有数のサーフスポットが点在し、東京から週末に行ける離島として人気の新島。この地に根を下ろして20年、波乗り大好き夫婦の“いい波を逃さない島暮らし”とは?
掲載:2023年5月号
プロ転向、結婚、出産……。人生を変えた運命の海
東京から高速船で約2時間半、調布から飛行機に乗ればわずか35分ほどで、別世界のような白い砂浜と青い海が視界いっぱいに広がる。世界中のサーファーが憧れるサーフスポットとしても知られる新島では、マリンスポーツ好きが高じて移住を考える人が少なくない。新島歴20年以上のボディボーダー・佐藤晃子さん(44歳)も、その1人だ。八王子出身の彼女が初めて島を訪れたのは20歳のころ。日本とは思えない景色の壮大さに心を奪われた。
「10代は競技選手として水泳に明け暮れていたんですが、競技から離れ、将来を模索していたときに友人に誘われて来たのが新島でした。〝新島=くさや〞くらいしか知らなかったので、なんてキレイな海なんだろう、おばあちゃんになったらここに住みたい!と直感で思いました。1年後にもう一度島に来て、初めてボディボードを体験したら楽しくて楽しくて」
元来のアスリート魂に火がついて、寝ても覚めても考えるのは新島の海のことばかり。そんなときに偶然バイト先で新島の知人と再会。運よく居酒屋の住み込みバイトを紹介してもらい、念願の新島移住にこぎ着けた。
「当時は1年で帰るつもりだった」と晃子さんは言うが、自然相手のボディボードは想像以上に手強い。上手になりたくてストイックに練習に没頭するうちに時は流れ、気づけばプロアマ大会で入賞するほどの実力者に。
「ボディボードは純粋に楽しくて続けていただけで、プロになる気はまったくなかったんです。30歳を目前にして、このまま結婚もしないで、住み込みバイトではいけないと焦りを覚えて。東京でちゃんと働こう!と思い、新島を出る決心をしました」
ところが送別会の席で、仕事で島に赴任してきた移住者のラッキーさんと出会い、新島―東京間での遠距離恋愛がスタート。元スキーヤーでプロ選手のコーチもしていた彼のサポートもあって、プロへの転向を決意した。結婚を機に再び新島へ戻り、それ以降、職員住宅に暮らす佐藤さん夫妻。2人のお子さんにも恵まれ、夫婦で波乗りを楽しんでいる。
お2人のように「きれいな海のそばで暮らしたい」と考える人は多いだろう。けれど外洋に浮かぶ新島は天候が荒れやすく、船の欠航で物資が入らないなど生活面での苦労もある。自治体が移住に力を入れ始めたのも最近のこと。望めば誰もが移住できるわけではないのが現実だ。
「島では賃貸物件がほとんどなく、家を借りるのが難しいんですよね。その壁を乗り越えられず、島を離れる移住者もいます。私たちも結婚、出産といろんなタイミングで離島を考えましたが、なぜかいつも島に戻ってしまう。パパさん(ラッキーさん)には『お前は新島に呼ばれているから、諦めろ』と言われています(笑)。できることなら、このままずっといたいな」
現在はプロを引退し、ボディボードやSUPスクールのインストラクターを務める一方、NSA(日本サーフィン連盟)公認ジャッジの資格を取得。サーフィンの聖地・新島を陰で支えるスタッフとして活動する。
「小さなコミュニティにとけ込むには、謙虚であること、異物にならないことが大切。私たちは新島の海が大好きだから、新島に貢献できる存在になれたらうれしい」と、ラッキーさん。
次の目標は新島で家を買うことと、公認ジャッジの最高ランク・A級ライセンスを取得すること。いい波を目指して、2人のチャレンジは続きそうだ。
佐藤さん夫妻に聞いた「海&島暮らし」のここがいい!
➀スキマ時間に海へ入れる恵まれた環境。いい波を逃しません!
島内にサーフスポットが点在する新島は、刻一刻と変化する潮目を見て、いいときにサーフィンできる!の一言に尽きます。車で10分も走れば海に行けるので、スキマ時間にシュッと行ってシュッと帰ることができる。出勤前や仕事帰りに海へ入る人も多いですよ。朝、海に入るなんて東京じゃ考えられないですが、新島ではごく普通なんですよね。(ラッキーさん)
②島の人は子どもが大好き! 子育てには最高だと思います
子どもが生まれたことで、サーファー以外の人と会話する機会が増えました。島の人は子どもが好きな人が多く、周りの人に育ててもらっている感覚がありますね。用事があるときはママ友同士で助け合っていますし、スクールで教えるときには“もんもクラブ”というサービスを利用して子どもを預けています。週末に家族で気軽に海へ行けるのも新島のいいところですね。(晃子さん)
文・写真/秋枝ソーデー由美 写真提供/佐藤晃子さん、新島村
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