9月28日。「移住者と地元の軋轢」。昨日よりもさらに気温が上がった。34度だ。今年90回目の真夏日だという。ヤブの開拓を今日仕上げてしまおうと思う。発送荷物があるとパワーと時間が分散されるが、荷物のない今日はトコトンやれる。そして、これほどの汗は何日ぶりか。ドボドボと流れる汗が爽快である。便秘予防には日々の運動と食事の内容が大切。そんな科学記事を読んだ。そして、恒常的に便秘の人は認知症になりやすい・・・医師がそう指摘しているのが印象的だった。
さて今日は、あまり楽しくない話を書く。地域おこし協力隊は全国1116の自治体で導入されているという。そして、総務省から給料・活動費として年間480万円を上限として支給されるという。ああ、時代が変わったんだなあと僕は思う。僕が農地を買おうとした38年前、県の農業委員会に呼び出され、キビシイ面接を受けた。農業者でない者が農地を買う。そのハードルは高かったのである。そして、当然ながら、ようやく手に入れた農地でがむしゃらに働いて、作った野菜を片道1時間半かかる道をトラックで走って配達して、月に入る金額はやっと5万円・・・そんな経験をした僕から見ると、地域おこし協力隊への年額480万円という手当はうらやましいほどの額である。それのみならず、自治体によっては住宅の無料提供とか手当支給とかをしてくれるところもあるらしい。
そんなすばらしい話の背後には想定外の問題も生じることがある。手軽さからのズレ。出会いのズレ。移住後のズレ。地域おこし協力隊に入る人と自治体と地域住民、この三者の間にはさまざまなズレが生じる。その問題を追跡したのが過日のNHK「クローズアップ現代」だった。NHKが行った1453人に対するアンケート。そこに寄せられた声の数々・・・「お世話になっている農家との関係が悪化、いつ怒鳴られるかわからず、体調が悪くなって畑も田んぼもあきらめた(新潟の40代女性)」。「地域の習慣を教えてもらえず、決まり事ができない人間とされて孤立。地域に出るのが恐ろしくて引こもるようになった(愛媛の20代男性)」。その日のクローズアップ現代には、ユーチューブに投稿された移住者の嘆きの声もあった。「もう限界、引っ越します」「我が家の教育移住が失敗に終わった話」「田舎移住の落とし穴」「田舎移住の恐怖。隣人に脅された」「沖縄移住の闇、暴露します」・・・僕はふだん、こういう話に触れる機会がない。ひたすら働き、人間関係においては、のほほん、お気楽に暮らしていられる今の僕だから、どれもビックリするような、というか、にわかには信じられないような暗い話ばかりであった。
田舎暮らし43年の僕は、消防団を経験し、あとで飲み会となる村の集会に欠かさず出席し、もちろん、祭りの準備、道草刈り、ドブ掃除、さまざまな地域活動をこなしてきた。はっきり言って、人混みとにぎやかなことが好きではない僕だから、それは楽しいことではない。早くうちに帰って畑を耕したい・・・でも、クローズアップ現代に登場したある地域の老人が口にした「郷に入ったら郷に従えという言葉があるじゃないですか・・・」その言葉通り、僕は、二度の田舎暮らしにおいて、郷に従う姿勢をずっとキープしてきた。
地元住民との軋轢を生じさせない秘訣は何か。ヒントは前に書いた挨拶にある。よく知っている人にも、よく知らない人にも、道ですれ違う時には明るく、はっきり、朗らかに、おはようございますと挨拶し、頭を下げることである。長くランナーである僕は、朝のランニングで村人に出会うことが多いのだが、必ず少しスピードを落とし、おはようございますと声を出す。明るく、朗らかにネ・・・ここが大事である。ふふふっと苦笑いしながら・・・ふと昔の経験を思い出す。大学の運動部、先輩に挨拶しないと後でビンタをくらった。例えば御茶ノ水駅近くの雑踏で、距離はあるし、どうせ気づいていないだろうと挨拶を省略すると、ちゃんと相手は気づいているのだ。それゆえに、どれほど遠くでも「チワッ」の大声を発した。チワッはその日最初に顔を合わせた時の言葉。他に、先輩の指示を受けて、わかりましたの省略語は「シタッ」、先輩がいる部室に入る時の失礼しますは「シマスッ」。はるか昔のことなのに今もそれが引き継がれている。よって、路上で大声を出して人に挨拶することに僕は全く抵抗がないのだ。話がそれてしまったが、移住地においては、大きな声、朗らかな声での挨拶が大いなる力を発揮する。「あの新入りは明るく、朗らかなヤツじゃないか」という印象を生む。逆を考えてみよう。もじゃもじゃとした口調で、頭は下げているのかどうなのかわからない(本当はシャイなんだが、でも他人から見ると、どうもはっきりしないヤツ)、そんなパフォーマンスだと、周囲からの受け止められ方も暗い人間ということになるのだ。暗くてよくわからん人間だ、今度の新入りは・・・そう思われることが最悪。そして、もし、農業技術においては全くの初心者であり、村人の教えを必要とする場合、自分の先生役に対しては、必ず頭を下げる。今日もよろしくお願いしますと笑顔でもって接する。もしわからないことがあって、質問したい場合にも、クリアーな言葉で、姿勢を低くしてお願いする。これも大事。
そして最後に・・・読者には受け入れにくいことかもしれないが、僕の提案は、誰にも借りを作らないかたちで移住すること。家も土地も自分のカネで手に入れるのだ。安いボロ家を買って自分の手でリフォームすればいいのだ。そして懸命に働くのだ。先ほど書いたように、村人には爽やかな挨拶を欠かさない。行事には必ず出て、しかし、飲み会が長引くようならほどほどのところで退出する。これらのことを守ればせっかくの移住生活を途中で断念するなんてことには絶対ならない。クローズアップ現代では高知県土佐市での軋轢問題が詳細に伝えられていた。ある男性が家族4人で地域おこし協力隊に入るかたちで移住した。はじめのころは村の有力者とともに地域おこしの活動に奔走していた。ところが、その地域には観光推進を目的とした建物があり、その中にいずれはレストランにしたいというフロアーがあった。たまたま男性がシェフの経験を有するということを知った市役所が彼に店を任せることにした。そして経営は順調だったらしい。
だが横やりが入った。「地域の未来を考える会」を題目に掲げたNPOというのがあって、その代表者が男性のことを、「今まで地域おこしの活動に奔走していた人間がレストランのオーナーになるなんて予想外、本当は地域のことを一緒にやりたかったのに彼は拒否してしまった」と言う。外回りの仕事をやめ、レストランだけに集中する男性が気に入らなくなったらしい。NPOの代表者は市役所に顔のきく人物であったようで、結局、男性は市役所側から退去通告をされてしまった・・・。男性には以後、それまであった地域活動に関する連絡もいっさい来なくなったという。彼は無念な表情で厨房を片付ける。まちを去ろうとしている。そしてSNSに事の顛末を投稿する。これを見たらぜひ拡散してほしいと書き添えて。読んだ人からずいぶん反響があったらしい。「これだから過疎化が進むのは当然」「村八分ってことかな、ひどいな」「田舎の闇だ」「田舎ってほんとに排他的ですよね」・・・さらに土佐市役所には爆破予告、誘拐予告もされたのだとか。移住が全くの他人事ならそこまでの反響はあるまい。これは移住に関心を寄せる人、自分もいつか移住したいと思っている人が世間には多いことを意味するのではないか。ただし、逆に、移住希望者の側にも問題があるらしいことを僕は以前耳にした。移住してやるよ・・・初めからそんな態度で役所の担当者に電話し、どれだけ出してくれるか、住む家は、手当は・・・高飛車にそう聞いてくる不届き者もいるらしい。
冒頭に書いたように、人口減少に悩む地方は外部からの流入を強く望む。それゆえにさまざまな厚遇を示して人材を確保しようとする。手当を出す、住宅を提供する・・・43年前に最初の田舎暮らしを始めた僕にはとても羨ましいことばかりなのだが、そのことが案外、両者のズレを生じさせるのではないか。もちろん、地域おこし協力隊がらみの問題発生は一部のことでしかあるまい。しかし・・・せっかくの時代の流れに水を差すような言い方になってしまって恐縮だが、僕が望ましいと考えるのは、両者、貸しも借りも作らない対等な関係での移住だ。損得がからむとどこかでトラブルが生じる。自分の足と目とカネで移住先を見つけるしか方法がなかった昔と違い、今はすべてが簡便になった。それゆえに、移る者と受け入れる者にズレが生まれる。よって僕は言いたいのだ。移住という、人生における大きなイベントは、基本、誰の手も借りず独力でなすべし。そもそもが、移住とは、ゼニカネを稼ぐ方法だけでなく、精神の「自由」を実現する手段でもある。誰かの助けを借りる、ましてや丸抱えでは、その精神の自由がぐらつく。難しくなる。風景の美しさなどよりも、精神の自由をどれだけ我がものとするか、それこそが移住において大切なことなのである。
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