12月19日「楽しく生きると、楽をするは似てるけど、反対語かもよ」。グンと冷えた朝。ランニングに行こうと庭に出て、ふと足元を見ると、昨日仕事で使ったバケツの水に薄氷が張っていた。いよいよこのシーズンだな。さて今日はガールフレンド「フネ」が来ることになっている。日中の気温は10度とのこと。よっし、焚火で温まりながら食事しよう。先日、切ることは切ったが、ぶっとい木ゆえに躊躇していたやつを20メートルの距離、どっこいしょと運ぶ。空気が乾燥しているのでたやすく燃え上がった。
フネは相変わらず口が悪い。僕も負けじとやり返す。どこか漫才に似ている。すぐに相方の頭をぶったたく漫才があるよね、あんな感じで言葉のパンチを応酬しつつ、ガハハッと笑い合う。めんたいこフランスを口に押し込む、サツマイモを食う、そして朝の光を浴びながら珈琲を飲む。フネがつぶやく。いいねえ、焚火って、いいねえ、こういう時間って・・・。
「楽しく生きる」と「楽をする」は似てるけど、反対語かもよ。
「加藤登紀子のひらり一言」からの引用である。加藤さんは続けてこう書く。
自分で考え、体を使って何かをする喜び! 踏ん張れば踏ん張るほど楽しみは大きくなるのよ! 反対に楽をしちゃうと満足感が得られない。
僕は楽しく生きようとの願望が常にある。他方、ラクをして生きたいという願いはまるでない。加藤さんの言葉、踏ん張れば踏ん張るほど・・・まさしく今朝の僕は踏ん張って、オナラが3つほど出たのも気に掛けず、20メートルの距離を大木を運んだのだけれど、その甲斐あって、燃え上がる火にフネは喜び、せっせと火箸で火の管理をしてくれ、楽しい時が過ごせた。加えて畑はきれいになったし、出来上がった大量の灰は春作の野菜に役立つし、「三方一両得」だよな。で、なぜ僕はラクをしたいと思わないのだろうか。ラクを覚えさせると肉体はどんどんラクをしたがるぞ、との思いはたぶん、大学の運動部やマラソン経験から生まれたような気がする・・・のみならず、キツイことに快感を覚える妙チクリンなマゾ的な性格でもあるらしい。この先、気温がどんどん下がり、乾いた風が吹く日が続くと我が手はこの下の写真のようになる。土には皮膚の油脂分を吸収する作用がある。休息なしに連日働く手であるから、いったん開いたアカギレはなかなか治らない。サトイモなんかの水洗いはタフだ。でも、小さな夢心地も沸いてくる。このアカギレが消える頃には明るい春がやってくるのだ・・・と。
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