12月22日「人はなぜ疲れるのか」。人はなぜ「疲れる」のか? こう題する記事があったのは先々週の『週刊現代』だった。「これはノーベル賞級の研究だ!」というリードがあって、疲れの原因は、脳に炎症が起きている、軽い運動が疲れを回復させる、玄米には疲労回復パワーがある・・・その一方で、栄養ドリンクは「命の前借り」だとも記されていた。毎晩僕はベッドに入ってからニュース番組を見るが、栄養ドリンクのCMを見るたび思う。人間の体は、1本のドリンクを飲んだくらいでどうこうなるほど単純じゃない、オレはそう思うがなあ・・・。
強烈な冷え込み。天気予報が伝える通りだから、まあ覚悟していた寒さだ、ランニングに向かうために庭に出て驚いた。ニワトリたちに飲ませる牛乳の器を洗おうと水道をひねるも水は出ず。そのすぐ下の、ふだん野菜を洗う桶には分厚い氷が張っている。残念、出ねえかあ・・・。ここでついでに老人ボケの話をひとつする。ひねった蛇口を、ああ、ダメかと思って、そのままにしていたらしい。それから2時間ほどして物音で気が付いた。凍結した水道が融解し、すごい勢いで水が飛んでいる。ひねってダメな蛇口は元に戻しておくべきだったよね。ほっといたら後でどうなるかは明白なこと。それに気が回らないのは老齢ゆえのことだと思うのだ。この上の写真は午前7時40分、ランニングに出発してすぐ目にした風景だ。隣地との境に15メートルにおよぶ椎の木が10本くらいある。その樹間からほぼ水平に太陽が光を注いでいる。この時刻の畑はまだ薄暗いのだ。
ピーマンを取りに行って、再び驚いた。昨日まではシャンとしていたピーマンの茎葉がいっせいに溶けて崩れ落ちている。少し大げさだが、ああ、生きているものが死ぬとはまさにこういうことだな、そう思うほどの惨状だ。みんなキツかったなあ。こう囁きつつ、重なり合った葉っぱに何とか守られて無傷なピーマンを集める。ただし・・・ピーマンのハウスは2つあるのだが、もう一方のハウスの葉はまだシャンとしていた。その違いは推測できる。シャンとしている方は高い位置にある。日照時間が長いせいでもあるのだが、ダメだったハウスはそれより15メートルくらい下方にある。我が畑は傾斜地ゆえ、低い方に冷気がどんどんたまるのだ。
今日は冬至である。昼間の時間が最も短い日。冬至、冬中、冬初め・・・キビシイ寒さはこれからが本番である。しかし僕の胸は、毎年この日に大きくふくらむ。日照時間の短さは本日が底値。明日からは少しずつ長くなる、上向いてくる。そうこうするうち立春の声が聴かれるようになるのさ・・・。この上の写真のごとく、空は真っ青、晴れてはいるが、吹く風は強烈に冷たい。金属を触るとさらに冷たい。だが、希望(我が希望はチッポケなものだが)・・・ともかく明日への希望があれば、人間、たった今のキビシサなんて耐えられるものだ。いっぱい体を動かすうち、寒いも暑いも忘れてしまえる。冒頭の『週刊現代』での話。人はなぜ疲れるのか? 我が持論では、「体を動かさず、骨も筋肉も疲れない、だから人は疲れる・・・」。妙な論法に聞こえるかもしれないが、いっぱい体を動かす。すると、食べたものはよく消化される、ウンチは心地よく出る、夜は深く眠れる。これでもって人は疲れなくなる。『週刊現代』は「脳に炎症が起きている」かも、そうも言っているが、かような炎症を防止してくれるのは、手足を使った作業である。野菜栽培がまさしく手足の作業だが、僕が今日やった古いハウスの分解、そしてリニューアルという作業は「モノを作る」という工夫と苦心でもって、脳はたぶん、ほどほど「洗浄」されて、炎症なんか起こさないはず。テレビを通して百姓の目で見る昨今の都会の姿。幸い人々は骨も筋肉もさほど疲れてはいないようだ。しかし心が疲れている。その心の疲れをなんとか消したいと、〇〇プレミアムと称されるドリンクを飲む・・・『週刊現代』はそれを「命の前借り」だと言う。
今日も風があり、煽られてパタパタする10メートルのビニールをパイプの上に広げるのにちょっと苦心したが、どうにか完成した。左向こう側に見えるのが先週完成させたもの、手前右が今日出来上がったもの。ビニール代は2つ合計で1万6000円。1万6000円という少額なモトに比べると、はるかに大きな夢が僕の心の内に広がる。このビニールハウスでは何を作ろうか。ジャガイモならば4月の収穫が可能だな。別なビニールトンネルで育てているチンゲンサイなら300本くらいの苗が移植できるな、年明け早々、人参をまくのもいいかもな・・・今日の青い空よりもっと青く広い展望、そいつが目の前に開けてくる。
最後に余談をひとつ。百姓生活38年。僕はどれほどの数のビニールを買い、夢をふくらませてきたことか。ひとくちにビニールと言っても強度、透明度、価格、製造会社によって違いがある。上の写真、タキロンという会社の製品に出会ったのは5年くらい前である。他社製品に比べて強度が高く耐用年数が長い、メートル当たりの単価が安い。それでもって最近は迷わずタキロン製品を買う。そうした中、ある時、ふと思い出した。医学雑誌の編集時代、校了直前のゲラを持って出向くのがJR神田駅すぐそばにあるタキロンの診療所だった。のちに東大衛生学の教授となるW氏は当時40歳になったかどうかという年齢。東大に籍を置きつつ、たぶん生活のためであろう、タキロン診療所で働いていた。そこにゲラを届け、翌日に受け取りに行く。編集サイドのミスはもちろん、専門家である筆者でも、ケアレスミスをすることはある。そうした誤りの有無を第三者の目でチェックしてくれる、それがW氏の役目だった。そんなわけで、何年にもわたり、僕は神田駅近くのタキロン診療所に出入りしていた。しかし、40年も経た中でそのことは記憶からもう消えていた。ところが、3年前か、4年前か、ビニールの上に印刷してある「タキロンスカイコート。この文字が正しく読める面がハウスの外側です・・・」その文字を見てハッとした。ああ、あそこじゃないか、懐かしい・・・。東京でのサラリーマン生活、それに続く百姓生活。ふたつが1枚のビニールの上で交差し、少しばかり胸にジンと来たのである。W氏はすでに亡くなった。中部地方の進学校でトップの成績。この先どうするか。そりゃ東大医学部しかないでしょう・・・そんな周囲の声に押されて東大に入ったんだよ。柔らかなジョークを交えてそう語ったことのある笑顔がいまボンヤリと思い出される。
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