1月21日「そのゴキブリは契りを交わしたら死ぬまで一緒。ゴキブリ夫婦は協力し、我が子に口移しでご飯を食べさせ、掃除もする」。昨日午後から降り出した雨は、夜遅くになって強くなり、今日、日暮れ直前まで降り続いた。雨の勢いと総雨量。それは久しぶりのもので、ついに我が寝室に雨漏りが生じた。その雨でもって、昼近くまでは部屋の中での作業とした。大豆を選別する。選別し終えたらモヤシ製造機にセットする。部屋の中は例によって5~6度。指先が思うように動いてくれず、マメの選別に大いに手間取る。
そして午後1時、ランチをすませてビニールハウスに向かう、雨はまだ激しいが、ここならぬれずに仕事が出来る。電熱器を使って育てたカボチャの苗。それを定植する。ハウスのビニール1枚では幼い苗には辛いから、三角帽子型のプラスチックをかぶせてやる。空いたスペースが勿体ない気がしたのでタアサイを50本ばかり移植してやる。カボチャがツルを伸ばすまでには2か月ある。タアサイはそれまでに十分な大きさになって収穫されるから競合することはない。
さて今日はゴキブリの話である。以前、ゴキブリの話になって、その写真を掲げようとした時、編集長から、ゴキブリはちょっと・・・アレルギーの人もおりますから・・・そう言われた。でもって今、僕は躊躇しているわけだが、しかし、今回のテーマと関連するし、記述はアカデミックでもある。ゆえにお許しいただけるのではないかと思う。一昨日の朝日新聞「読書」のページ。そこで僕の目に留まったのが『ゴキブリ・マイウェイ~この生物に秘められし謎を追う』(大崎遥花著、山と渓谷社)だった。よっし、オレ、次はこの本を読むぞ・・・評者の小宮山亮磨氏も冒頭、読者に頭を下げてこう書いている。それが僕には笑える。
週末の朝に申し訳ない。Gの話である。ウゲーと思ったあなた、ちょっと待って。ゴキブリって、人間くさいのだ。何しろ結婚式で相手の翼を折り、互いに離れられなくするというのだから。この行動を見つけた若き研究者が自らつづったのが本書だ。
著者は94年生まれ、米ノースカロライナ州立大学で研究している、まさしく若き研究者で、しかも女性。彼女の研究対象が世間から冷たい視線を浴びているゴキブリだというところに僕は少しばかり驚き、かつ称賛するわけだ。研究対象となっているゴキブリは、我々がふだん接するものとは違う「クチキゴキブリ」であるらしい。その名の通り、森で暮らし、朽ち木の中で朽ち木を食って生きる。こう聞いて、さて、うちにいるゴキブリは都市型なのか、森型なのか、そう思う。以下の描写は、ゴキブリアレルギーの方は読み飛ばして・・・。我が家の庭には夏の日が落ちた午後8時頃、庭が茶色いゴキブリ色に染まるくらいの大群が現れる。不思議なことに、カマドウマも大量に現れ、縄張り争いすることなく両者は平和共存する。午後8時とは、天敵であるニワトリたちがすっかり寝静まった時刻だ。僕がニワトリたちの餌として投げ与えた米ぬか、パンの耳、魚のアラの煮たもの、それらを求めてドッと現れるのだ。そこで先ほどの疑問。うちのGは森型か、都会型か。我が家の周囲には枯れ木、それもかなりの大木が数多くある。朽ち木を食べるだけでなく、住処、隠れ家としても腐食の進んだ太い枯れ木は彼らにとってコンフォタブルであろうと思う。夏の夜、風呂場や台所にGがいることはいる。でも、庭の大群に比べたら、ほとんどいないに等しいささやかな数。評者・小宮山亮磨氏は続けてこう書く。
謎だったのが、繁殖期には飛び回っているのに、ペアで見つかった個体には羽がないこと。実は彼らは交尾の前後に相手の羽をムシャムシャ食べてしまう。その場面を動画で初めて確認したのが著者だった。それがどうしたと思った、そこのあなた。羽の食い合いは育児と関係があるかもと言えば、もう少し聞いてもらえるだろうか。交尾を終えたオスはさっさと次を探すのが生き物の通例だが、クチキゴキブリは契りを交わしたら死ぬまで一緒だ。夫婦が協力し、我が子に口移しでご飯を食べさせる。掃除もする。
以前付き合いのあった、東京のマンションで暮らしている女性が、うちでゴキブリに遭遇した時、あっゴキブリめ・・・などとは言わなかった。短縮形の「ゴ」を使用し、あっ、ゴだ!! そう叫んだことを僕はいま思い出す。小宮山氏はGという表記にしておられるが、世の中でいかにゴキブリが忌避されているか。フルネームで呼ぶことさえためらう、ゴとかGとかの呼称とする、僕は人の恐怖心、嫌悪がそこからよくわかる。しかし、著者の、30歳になったかならないかの女性は、かようなことはどこ吹く風。「シロアリの専門家にコツを聴いて飼育箱を作り、使い古しのカーテンと物干し竿でこさえた暗がりに備え付ける。ゴキブリには見えない赤い光を出すライトも自作し、市販カメラで動画を撮った」という。大学という所にも、アカデミックなハラスメントがあり、研究費は減少し、先の見えないキャリアだ。それでいながら、「この本から伝わってくるのは研究の楽しさだ・・・」そう小宮山氏は書く。虫好きの僕も同感だ。何とも楽しそうな研究。ゴキブリ愛だ。
ゴキブリ愛は著者自ら描いた挿絵ですぐわかる。腹部の光沢や脚のトゲを描き込んだ点描画だけでも見てほしい。あの虫に特段の執着を持たない人も、美しいと思うはずだ(たぶん)。
生きているものに共通する本質、それはまず食べることに大きなエネルギーを費やすこと。そして、次世代を生み出すことに多大な情熱とエネルギーを注ぐこと。僕はそう思っている。父と母のゴキブリが、生涯ずっと一緒との約束を交わし、生まれた我が子に口移しでご飯を食べさせる・・・これでもアナタは、ゴだのGだのと蔑称で呼び、百年の敵ででもあるかのようにスリッパやハエ叩きで叩き殺しますか?
さきほど、庭にはドッサリ、しかし家の中はさほどでもない・・・僕はそう書いたが、あくまで庭にドッサリと比較対象した場合でのこと。絶対数においては皆さんの家をはるかに上回る数が室内にはいる。夕食時から寝るまで、台所やパソコンの部屋を彼らは徘徊する。さてどうするか。僕は手を使わず、履いているスリッパで踏む。踏む力が強すぎるとつぶれるので相手の動きを止めるくらいの塩梅で踏む。次に、動けなくなったGを所定の瓶に入れておく。きゃあっーとは言わないでね。ニワトリの大好物は昆虫。ゴも昆虫なのだから。そしてもうひとつ伝えたいこと。夏の終わりから秋の初め、Gたちは愛の交歓の季節を迎える。彼らの交尾姿勢はお尻とお尻をつなぎ合わせ、互いの顔は反対方向に向けられている。この現場に遭遇した僕は例外的に、決して手出しはしない、見逃す。理由はもう・・・おわかりでしょ? 男女の秘め事を邪魔することほど野暮はない・・・これもゴキブリ愛です。
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