4月3日「おなかが減っても半導体は食えんけんね」。
暗い空だ。小さな雨が降り続く。仕事に向かう。背後の竹林から伸びて来た根っこ退治を兼ねて、サツマイモの苗を植える準備をしておく。いま頑張っておけばサツマイモの苗300本くらいの面積は確保できるだろう。頭の中にスケジュール表がある。これから6月末まで、大きな面積を要するものは、このサツマイモの他に、大豆、生姜、ピーナツだ。竹の根っこ退治と並行し、焚火もやる。雨の中で燃やすというのは難しいんじゃないかと思う人もいようが、激しい雨ではない。それに、風がなく、周辺のヤブもこの雨で湿っているから、飛び火するという心配もない。好都合なのだ。
この作業をしながら頭に浮かぶ。朝日新聞の「半導体が来た 農地が足りない」という記事。熊本県菊陽町に台湾の世界的半導体メーカーの工場が進出したという、その話題について、僕は前回のこの原稿で触れた。過疎の町に活況がもたらされる、いいことではないか・・・ポジティブなニュアンスで僕は書いた。しかし、一昨日の朝日の記事では必ずしも喜ばしいことばかりではないらしい。工場本体だけでなく、勤務する従業員を対象とするマンションその他の施設のために土地需要はどんどん高まっていく。その影響を受けるのが農家だというのだ。ホルスタイン200頭を飼う古庄寿治さん(68)という方が記事に登場する。1日に6トンの餌を要する牛のために、輸入飼料とは別にトウモロコシと牧草を借地である20ヘクタールの土地を耕して作っている。そんな古庄さんの耳に入って来るのは、「山林6ヘクタールがあっという間に売れてしまった、借地で農業を営んでいる人が更新時期を待たずに地主から返還を持ちかけられた・・・」そんな話だという。そして古庄さんはこう語る。
日本の食料自給率は38%。家畜飼料を含む多くの食料を輸入に頼っている。気候変動や国際情勢で農産物の輸入は簡単にはできなくなるだろう。日本人の口に入るものはどこで作るんだろう。おなかが減っても半導体は食えんけんね・・・。
たしかに半導体では空腹は満たせない。その一方で、もはや半導体なしには動かせない社会と時代になってもいる(スマホもそのひとつか)。さてどちらを優先すべきか我々は。世界規模の紛争が生じず、日本列島を揺るがす大地震が生じない限り半導体優先できっといいのかも知れない。しかし、巷間伝えられる東南海地震が発生した時、物流遮断という事情も含め、我々はたちまちにして食糧不足に陥るのではあるまいか。大きな揺れの中、電気も消えて真っ暗な部屋で状況を知ろうとスイッチを入れたスマホには何ら情報は入らない。その不安感に、やがて空腹の苦しみが重なる・・・想像するに辛い話である。農地を確保する。農業に情熱を傾ける人材を確保する。半導体の製造と同じくらい食料の生産も大事なんだよな・・・人々の思考がそこに向かうことを零細百姓の僕は願う。農業に優しい時代が来てほしいと思う。
そろそろまとめよう。強さ、弱さ、優しさ、冷たさ・・・そんな言葉が入り混じった77歳の男の心情について最後に書こう。こうして冷たい雨の中で畑仕事をしている時、あるいは、ベッドの中で見る夢に、近頃しきりと、共に暮らした生き物たちの姿が浮かんでくる。犬、猫、山羊、チャボ・・・。猫は自分の死を人に見せないというが、傷ついた体で、僕の呼びかけにも応じず林の中に入って行って、そのまま帰ることのなかったチビクロ。やせ細ったがゆえに首輪が外れ、遠くの方で畑仕事に精を出している僕のそばに座り込み、やがて死んだ犬の喜八。犬は何匹も飼ったが、その最後の愛犬だったマサオは乳房にしこりが出来、それでも明るく生きていたが、ある日突然けいれんを起こし、僕の腕の中で死んだ。それぞれのその姿が、ここ1年、2年、頻繁に思い出されるのだ、かなり鮮明に。僕は思う。もしかしたらこれがトシを取るということか。頭の中に描かれる風景、そして見る夢は、新しい出来事ではなく、20年、30年という昔のことばかり。まさしくこれが老化現象ということなのだろうか。
今日のような冷たい雨の中に、すまなかったという気持ちとともに思い出されるのはチャボのシロチャンだ。先に書いたくろちゃんと同じく老齢で、若く活発なオスたちの中で肩身の狭い生活をしていた。それゆえに僕は細かい世話を欠かさなかった。もう4年前になるか。千葉県を襲った風速58メートルという台風で、シロチャンが暮らす小屋が壊滅した。翌日から、一緒にその小屋で暮らしていた数羽の仲間とともに近くのフェイジョアの木の枝に止まって夜を過ごすようになった。しかし不運なことに雨が何日も降り続いた。老体のシロチャンには辛かろう。かなり無理をしながら僕は、その頭の上にビニールを張り、なんとか雨がしのげるようにしてやった。しかし不運が訪れた。ある夜、たたきつけるような豪雨となったのだ。翌朝、僕は現場に駆け付けた。一緒にフェイジョアの枝に止まっていた他のチャボたちは元気な姿を見せた。しかしシロチャンだけは見つからなかった。豪雨に叩かれ地面に落下した。他の若いチャボたちは暗い中で咄嗟の対応ができたが、老体のシロチャンだけは機敏な動きができず、地面で身を縮めて座っているところを夜行性の動物に襲われた・・・僕はそう想像した。穏やかな最期を迎えさせてやりたかった・・・ベッドの中で外の雨音を聴くたび、僕の胸にはシロチャンの恐怖と苦しみがよみがえる。77歳と3か月。僕にはまだいくらかの強さと優しさが残っている。その一方に深い悔恨がある。ともに暮らした生き物たちに、忙しいことを言い訳とせず、時間を取って、もっと細かい世話をしてやるべきだった、すまなかった・・・この申し訳なさが、せめて、という気持ちに今の僕をさせる。現在、ともに暮らしているチャボ、猫、ヒヨコ、水槽のウナギや鯉、みんなに十分な世話をしてやらねばと考える。忙しい中でも懸命に時間を工面して世話するのはそのためである。
この記事の画像一覧
この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
田舎暮らしの記事をシェアする