TJ MOOK『田舎暮らしの本特別編集 山を買いたい!』より
※2019年8月取材時の内容です
のっぺりとした関東平野にぽこんと小さく盛り上がった筑波山地。古橋和也さんはその山塊の隅っこで土地を切り開き、妻や友人らと一緒に家族の家を建て、一家4人で暮らしている。求めたのは好きなことをやって生きる自由。それは1人で山暮らしを始めた25年前から家族ができた今も変わらない。
うっそうとした峠の脇道
電気なし、水道なしのプレハブ暮らし。古橋和也さんは、山の中で20年近くそんな生活をしていた。
「なぜ山の中かって? 誰にも干渉されずに生活したかっただけ」
とその理由はシンプルだ。
古橋さんの隠れ家のような住まいは、茨城県の筑波山地北東部に連なる吾国山(わがくにさん・標高518m)の中腹にある。
石岡市と笠間市を分ける峠を上り、途中で脇道に入る。そこに道があるのを知らなければ、気づかずに通り過ぎてしまうような細い簡易舗装の道だ。脇道に一歩入ると周りはスギとヒノキの森で、間伐も行き届いていないため昼間でもうっそうとして暗い。道端にはところどころイノシシが泥浴びした跡もある。
その道を1kmほど行くと、ほんの少しだけ森が開けて、そこにポツンと古橋邸があるのだ。プレハブ生活を経て7年ほど前にセルフビルドした丸太の柱の立派な家である。
周りを気にせず暮らせる自由な場所を求めて
古橋さんが山暮らしを始めたのは25歳のときだ。そのきっかけは、さかのぼると当時夢中になっていたハンググライダーにある。石岡市は年間を通して安定した風が吹き、筑波山地の山並みが独特の上昇気流を生むことから全国有数のスカイスポーツエリアとして知られている。
石岡市の隣の桜川市(旧真壁町・まかべまち)で生まれ育った古橋さんは、子どものころから風に乗って空を飛ぶ人たちを眺めていた。そして高校生になるとハンググライダーを始め、卒業後インストラクターの仕事に就く。
「スクールに住み込みで働いていたんだけど、それからずっと八郷(やさと・現在の石岡市西部)だね」
しかし、その仕事は1年で辞めてしまう。
「イントラやっていると、自分で好きなように飛べないってことがわかってさ」
その後は運送屋や牧場、印刷会社など、仕事を変えながら休日にハンググライダーを楽しむ生活を送っていた。住まいは空き家を借りていたが、そこで近所付き合いなどちょっと煩わしいことがあり、もっと自由に暮らせる場所を求めて、山暮らしを考えるようになったのだ。
週末に仲間が集まる山の中のプレハブ
周りに家がない山の中。それだけの条件なら売りに出ている山林はいくらでもあった。ただ、そこで暮らせるかというと話は別だ。いくつかの土地を不動産屋に紹介してもらったが、ライフラインがないのはもとより、ことごとく急な斜面で、とても家なんて建てられそうにないところばかり。
「この土地だけだね、わずかでも平地があったのは。沢から水も引けそうだったんで、何とかなるかなと」
山の中に見つけたその土地の広さは300坪。ただそこは借地で、年間20万円で借りることになった。地主には家を建てたい旨をきちんと相談し、開拓のための伐採許可も得た。借地といっても半ば自由に使えるのがよかった。早速開拓を進め、間もなく土地は開けたが、ここに住むといっても果たしてどうしたものか。伐採した木を材料にして自分で家を建てようとは思っていたが、お金も、知識も、技術も、道具もなく、取り掛かったところで、その先どうなるか見当もつかなかった。
「友達にもそんな話をしていたと思うんだよね。そしたら、ある人がプレハブを譲ってくれて。それで山暮らしが始まったよね」
水は当初考えていたように沢から引けた。問題は電気だった。峠から入る簡易舗装の道に電柱を立てて電線を引いてこなくてはならない。工事自体は電力会社の負担でやってもらえるが、電柱を立てる土地の地権者に同意を得る必要があった。しかし、それが得られなかった。
「電気は引きたかったんだけどね。でも、なければないで何とかなっちゃう。平日は仕事から帰ってきて寝るだけだったし、ランタンとヘッドライトが必需品になるくらいで、そんなに不便でもないよ。ただ冷蔵庫が使えないから、夏は食材の買い置きができなくて、毎日のように買い物に行かなくちゃならなかったのが面倒だったかな」
料理はプロパンガスで行い、風呂は庭に置いた薪焚きの浴槽で露天風呂。開放感は抜群だ。
週末になるとそんな古橋邸にハンググライダーの仲間が集まった。スカイスポーツのメッカである石岡には遠方から訪れる人も多く、古橋邸は絶好の宿泊所になっていた。妻の邦代さんも、そんな仲間の1人だった。
福岡県出身の邦代さんは、当時茨城県南部の龍ケ崎市に住んでいた。仕事が休みになる週末に石岡を訪れパラグライダーをやっていたが、あるとき友達が古橋邸に誘ってくれた。
「初めて連れてこられたときは不安でしたよ。友達と一緒だったけど、薄暗い道をどんどんどんどん山の中に入っていくでしょ。それで家っていうのがボロいプレハブなんだもん(笑)。あの暮らし、私には無理だな」
仕事を辞めて家づくりに没頭した2年
いつか自分で家を建てる。その思いはずっと持っていた。ただ、山の中の気ままな一人暮らしは、プレハブで充分だった。しかし、結婚するとなればそうはいかない。
古橋さんは、本腰を入れて家を建てるために勤めていた印刷会社を辞めた。土地を開拓したときの丸太は敷地の一角に積み上げてあったが、すでに半ば朽ちていて使い物にならなかった。それで、新たに何十本もの木を切り出した。DIYは空き家に暮らしていたときにちょっとしたリフォームをしたのと、牧場で建物の修理を手伝ったくらいの経験しかなかったが、わからないことは本で調べながら進めていった。
「私は仕事をしていたので、週末に手伝いに来るんですけど、自分で家を建てるなんて普通はなかなか経験できることじゃない。初めてのことばかりでけっこう楽しかったなぁ」
と邦代さんは当時を振り返る。
2010年に建て始めた家は、2年後には風呂、トイレ、キッチンなどの設備も整い一応の完成をみる。柱や梁などはほとんど敷地から切り出した丸太で、かかった費用は約500万円。
「実際は、今も壁が下地のままだったりして完成はしていないんだけど、住み始めると生活にどうでもいいようなところは、なかなか工事が進まないよね」
と古橋さんは話す。
山暮らしを始めたときに引けなかった電気は、このときも電柱を立てるのに必要な地権者の同意を得られなかった。とはいえ、もう無電化というわけにはいかない。別のルートを探し、山の麓から地面を通して引くことで解決した。
好きなことを自由にやっているだけ
家が完成した翌年に長女の優妃ちゃんが生まれた。2年後には長男の陸矢くんも誕生。仕事はセルフビルドで広がった建築関係の知り合いから手伝いを依頼されるようになった。地元の農家から耕作放棄地に近かったウメ畑の管理も任され、初夏はウメの出荷で忙しくなる。また冬には狩猟も。古橋さんいわく、できることなら何でもやる便利屋。
「家ができて、家族が増えて、暮らしはちょっと賑やかになったけど、プレハブのころから好きなことを自由にやっているだけ。価値観は何も変わらないよ。ハングはもうやってないけど、それは生活の中に別の楽しさを見つけたから。山の中に暮らしていても子どもとキャンプに行ったりするよ。やっぱり楽しいもんね」
夏の夕方、森の中からヒグラシの涼しげな鳴き声が響くと、古橋さんはウッドデッキに設けた囲炉裏に火を入れた。
「1人で焚き火しながら、ゆっくりお酒を飲むためにつくった囲炉裏なんだけどさ、今じゃ陸矢の砂場だよ」とやさしい表情を浮かべる古橋さん。
夕暮れのそよ風が炎を揺らし、白い煙が森の中を天高く昇っていった。
文/和田義弥 写真/阪口 克
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