掲載:2019年11月号
広大な原野、澄み渡る湖、滔滔(とうとう)と流れる大河、降り積もる雪、駆け抜ける野生動物――。北の大地は、人を容易に寄せ付けない。第二の人生の舞台としてこの地を選んだ中村さん夫妻は、5000坪の荒野を開拓し、家を建て、動物たちとともに歩む。
北海道弟子屈町(てしかがちょう)
人口約7000人。主な産業は観光と酪農で、町名は、アイヌ語で「岩盤の上」を意味する。面積の約3分の2が阿寒摩周国立公園。たんちょう釧路空港から約70㎞、車で約1時間10分。
砂利の一本道の奥にあるログハウス
北海道の雄大なイメージをつくりだしているもののなかで、東西約26km、南北約20kmに及ぶ世界有数の規模を持つ屈斜路(くっしゃろ)カルデラの存在は大きい。カルデラの中には、屈斜路湖や摩周湖、激しく蛇行する釧路川源流部、そして、硫黄山のような火山群とその活動の恵みである温泉が点在し、四季の移ろいとともに北国の自然の多彩な表情を見ることができる。
その真っただ中にある5000坪の原野を1人で開拓し、家をセルフビルドした人物がいると聞いて訪ねることにした。
弟子屈のまちを抜けて国道から外れ、道路以外人工物の見えない町道を車で走っていると、トウキビ畑と牧草地が見えてくる。そして、右手に入る砂利道の角にフクロウの彫り物が施された「NAKAMURA」の表札が立っているのを見つけた。だが、山に向かって真っすぐに延びる野道の先に家は見えない。
車を止め、風に草の匂いをかぎながら奥へ奥へと歩いて行くと、やがて、森の中にマシンカットのログハウスが現れた。柵で囲われた広い敷地の森をウマとイヌたちが自由に走り回っている。出迎えてくれたのは、オーナーの中村敬吾さん、淑子さん夫妻だ。
シラカバやトドマツが影を落とす庭を突っ切り、大きなデッキに上がってログハウスの中に入る。リビングダイニングは吹き抜けになっていて、大きな開口部いっぱいに外の木々が見渡せ、家の中にいながら森とつながっている開放感がある。
外を元気に駆けずり回っていた3匹のイヌたちは家への出入りが自由で、棚やテレビ台の下につくられたボックス型の寝床で休めるようになっている。3匹は、「シータ」「テト」「リン」、そして、寝室がある2階を支配しているというネコが「フィオ」、ウマが「メイ」と呼ばれていて、みな、宮崎駿(はやお)監督作品の登場人物の名が当てられている。
「数日前まではチュンチュンがいたのだけれど、もう完全に森へ帰ったようだ」
と敬吾さんが言うのは、1カ月半ほど前に拾ったシジュウカラの幼鳥のことだ。今まで何度も同じ境遇のヒナを自然に帰してきたそうだが、成功率は3割だという。敬吾さんは子どものころから動物が好きで、いろいろな動物と暮らしてきた。
「私は主夫だから、家からはめったに出ない」と言って笑うが、動物たちの世話や広大な森の手入れをしているだけで、相当の作業量だ。
淑子さんは、地元のクリニックで臨床検査技師をしているが、昼過ぎには帰宅して、毎日、午後3時には2人で晩酌しているという。日和がよければ、デッキに椅子とテーブルを出して、森を眺め、動物たちを愛でながら過ごすこともある。なんとも悠々自適な暮らしだが、今のようになるまでの道のりは決して平坦ではなかった。
2人は、弟子屈の今の土地に入る前は、千葉県に住んでいた。子どもたちが独立し、淑子さんが定年を迎えるに当たって、新たな生活を模索するようになる。船を買って南フランスへ行く、日本全国をキャンピングトレーラーで巡るというような壮大な案がいくつも出たが、そのとき、すでにイヌを6頭飼っていたので、どれも現実的な話ではなかった。それならばと候補に上がったのが田舎暮らしだった。
そして、2006年、淑子さんが現在住んでいる弟子屈の土地をネットで見つけ、購入。2009年に敬吾さんが買っていたキャンピングトレーラーで現地に赴き、そのまま入植の準備をすることになった。
条件は厳しかった。敬吾さんは当時をこう振り返る。
「土地には、どこもかしこも腰の高さまで落ち葉と枝が積もっていたんです」
まずは、人が入れるよう、原野を開墾するところから始めなければならなかったのだ。
1人で建てた2×4(ツーバイフォー)の小屋とログハウス
敬吾さんは、土地を造成する知識もないまま、身一つで原野に飛び込んだ。
「はじめは人力でやろうと思っていたんです。けれど、掘り起こそうとすると土が凍っていて歯が立たなかった。そこで、古いトラクターを買って堆積物を引きずり出すことにしました」
余分な木も間引きしながら、コツコツと作業を続け、見事、この大仕事をやり遂げる。
しかし、これで終わりではない。住む家を建てなければならない。ここで、敬吾さんはまた大胆な行動に出る。
「ネットオークションで、2000円で落札した10坪の小屋の図面を参考にして、2×4材を使って建てることにしたんです」
木材は、土地の購入で世話になった不動産屋に相談し、揃えてもらった。注文した材が運ばれてきたとき、想像以上の量にがくぜんとしたというが、小屋は完成する。しかし、あまりの重労働で、敬吾さんの手は腱鞘炎(けんしょうえん)にかかってしまった。
一方、淑子さんは、仕事をやり抜いて定年退職し、千葉の家を処分して弟子屈の新居へ入った。彼女にとっては、それが弟子屈に来る初めての日だった。
「来る前はとても不安でした。北海道の暮らしそのものになじめる自信がなかったから。でも、実際に来てみると自分でも不思議なくらいスッと入っていけました。家の住み心地は、窓ガラスはビニールで寒いし、雨漏りはするし、最低でしたけど」
と言って笑う淑子さん。
運よく電気は電力会社の負担で引くことができた。配線関係はお手のものだったが、飲用水は井戸で、雪が積もる冬でも外へ汲みに行かなければならなかった。2人はこの小屋に3年住んだ。当時の目標は、「目指せ、普通の生活」だったという。
敬吾さんは、腱鞘炎が完治しないまま、小屋完成の翌年には、現在暮らしているログハウスを自力で建てることを決意。そして、2012年に完成させる。
「基礎は柱状の独立式にし、高さは最高120cmあります。それを見た職人さんに、こんなの北海道で見たことないと笑われました。しかし、雪が積もっても通気性は抜群だし、そのうち、これはいいかもと言ってくれるようになりました」
リビングには、ソープストーンを使った蓄熱性抜群の薪ストーブが据えられ、今では雨の日も雪の日も快適に過ごせるようになった。
動物たちが集い「いい運」が集まる我が家
2人は、北海道に移住する前から、「田舎に住むならウマを飼いたい」と話していた。しかし、どうすれば購入できるのかさえわからなかった。
「こっちには知り合いもいなかったですからね。けれど、家を建てているうちにいろいろな人が見に来て、自然と知り合いが増えました。その縁で、オーナーさんの都合で面倒を見られなくなったウマを2頭、預かることができたんです。大きな動物がいてくれると、それだけで癒やされます」
と敬吾さん。その後、1頭が死に、寂しがる残りの1頭のためにもらい受けたのが、今いるポニーのメイだった。
これまで、イヌやネコ、ヤギ、ニワトリといったさまざまな動物を飼ってきた。そのうち、それぞれの特徴がわかってきたそうだ。
「イヌは、愛情を注いでくれる人間に依存する。ネコは空間的なものに依存する。ウマは同胞の振る舞いに依存するんです。人間だけではない、そうした多様性があってこそ豊かに生きられると思うんです」
だから、中村家にやって来た動物たちは家族同然で、みな、敬吾さんや淑子さんに最期を看取られる。
「これまで病気やケガなどで困っている動物もたくさん助けてきました。助かるということは運がいいということ。ここは、いい運が集まるところなんです。ぼくら夫婦の運がいいのも彼らのおかげかな」
敬吾さんはそう言って笑った。
自衛官時代に学んだ精いっぱい打ち込む姿勢
それにしても、土地を開墾し、家を2棟建て、動物の面倒を見る敬吾さんのパワーには驚かされる。そのバイタリティーはどこから来るのだろう。
「若いころ、海上自衛隊にいたんです。そこで受けた厳しい訓練で、人間の限界を思い知らされました。そして、自分の勉強不足がほかの人にケガさせたり、場合によっては死なせてしまうこともあり得る。だから、自分ができることは精いっぱいやらなければならないと思うようになりました」
電気関係の任務で船に乗っていたが、乗組員はみな、海上での長時間勤務の合間に楽しめる趣味を持っていた。上官が編み物をしていたので自分でもやるようになったそうだ。その腕前は、後々、テレビ番組に出演したほど。そして、調理室の手伝いもよくやった。その結果、ボイラー技士、危険物取扱者、調理師など、数多くの資格を持つようになった。
除隊後は、その経験を生かした電気の仕事、以前から興味のあったタクシー運転手、バイク便などの仕事をしてきた。淑子さんと出会ったときは喫茶店のマスターだった。
淑子さんが持った敬吾さんの第一印象は「ぶっきらぼうだけど気になる人」だった。そして、敬吾さんからのプロポーズの言葉は「ぼくが三食つくるよ」だったそうだ。
その約束は今も守られている。お邪魔した日の前日はちょうど淑子さんの70歳の誕生日だった。そのため、夜はパエリアをつくってシャンパンで乾杯した。淑子さんは、定年退職して北海道に来たが、請われて今もクリニックで働いている。だから、お昼の弁当も敬吾さんがつくっている。
敬吾さんは、北海道へ移住した10年前をこう振り返る。
「あのころは50代半ばだった。自分で開墾して家をつくって暮らすというのは、体力的にも気力的にも人生最後の挑戦だと思ってやりました」
そして、今、大切にしていることは何かと尋ねると、こう教えてくれた。
「人生には、幼少、少年、青年、壮年、老年と、それぞれの時期がある。若いころは、より困難なものを選択したりしたけれど、今は、毎日快適で、楽で、面白い。この生活空間が宝物です」
淑子さんは、毎朝、仕事に出かけるとき、車を運転しながら美しい景色を眺めて「ここに呼んでくれてありがとう!」と叫んでいるそうだ。
すべて自分で選択し、自分でやってきたことに四の五の文句は付けようがない。2人の生活は、それを貫いてきた人だけが持つ潔さと強さにあふれている。
文・写真/吉田智彦
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