掲載:2020年7月号
自分がやりたいこと、やるべきことを模索して旅を続けた20代。時間が導き出してくれたのは農業で自給的生活をすること。山の中に土地を求めて自分で家を建て、有機農業で生計を立てる。思い描いた暮らしは確かに実現していたが、荒波にもさらされ、今、愛馬とともに歩む。
石岡市は茨城県のほぼ中央に位置し、人口は約7万4000人。南部の市街地には高速のインターチェンジやJRの駅があり、都心まで電車や車で約1時間と利便性がよい。一方で筑波山の麓の旧八郷町にはのどかな農村風景が広がる。有機農業が盛んで、果樹園も多い。
軽自動車じゃないと入れない狭い林道
「なるべく小さな車で、できれば四駆で来てください」
電話でそう言われていたので、待ち合わせ場所の山の麓の寺まで軽自動車で行った。先に着いて待っていると、間もなく軽のワンボックスがやって来た。
「あ、どうも。飯田です」
軽くあいさつを交わすと、こちらの車を見て四駆じゃないことに気づいたようだが、「これなら大丈夫。ついて来てください」と再び車を走らせた。
舗装された峠道を1kmほど上り、それから未舗装の脇道に入った。背の高いスギの林が車のドアに触れそうなほど迫り、路面には落ち葉が厚く積もっている。道はここから下りになった。スマホのナビにはすでに道はなく、いくつか分岐もあって案内がないと確実に迷う。
脇道に入って1kmほど走っただろうか。ブレーキをかけながら急勾配の坂を下りる途中で木々の合間にちらりと黒い煙突の立つ屋根が見えた。茨城県石岡市と隣の笠間市(かさまし)を隔てる難台山(なんだいさん・553m)の中腹に立つ飯田恒司さんの住まいだ。板張りの小さな平屋で、敷地の奥には森を切り開いた馬場があり、額にきれいな流星(りゅうせい、馬の頭部の斑紋の一種)が入った鹿毛(かげ、馬の毛色の一種)のすらりとした馬が1頭、黒い瞳をくりくりさせて見知らぬ訪問者を珍しそうに眺めていた。
「まぁ、お茶でもどうぞ」と促されて家の中に入る。漆喰の白い壁にいろいろな国の写真が飾られている。群青の湖に浮かぶ葦船(あしぶね)、アンデスのカラフルな衣装をまとった少女、チベットの高僧、それからどこの国かも知れない荒涼とした赤い岩山で地平のかなたを見つめる青年時代の飯田さん……。今の暮らしは、そんな旅の結末から続いている。
自分は何がしたいのか? 旅で見つけた答えとは
銀座のデパートと東京タワーの周りが子どものときの遊び場だったというように、飯田さんは東京のまん真ん中で少年時代を過ごした。そして19歳でアジアを旅する。
「進路に迷ったんですよ。高校を卒業したけど、その先自分が何をすべきか、何をしたいのかがわからなかった」
大学に行くことも、就職することもできただろう。しかし、それで安易に自分の人生を決めたくはなかった。志のある若者ならきっと誰もが抱える悩みだ。
1年後に帰国し、一応は就職したが、それで地に足が着いたわけではなかった。探し物はまだ何も見つかっていなかった。またいつか旅をしたい、もっと広い世界を見たいという思いをずっと持っていた。
5年後再び旅に出る。今度は世界1周。期間は5年に及び、30歳で帰国すると旅の途中で出会った女性と結婚。その数カ月後には夫婦で中南米へ。メキシコから南下していったが、ペルーの高原都市クスコで観光ガイドなどの仕事をやるようになり、いつしか旅というより現地で暮らしを営むようになっていた。日本をたって間もなく2年になろうというときに子どもができた。
少年から大人になるときに生じた迷いのなかで、何かを探すためにだらだら続けてきた旅の人生が、このときから新たな方向に転がり始めた。
「これはもう根なし草のようにふらふら旅しちゃいられないな。ヒッピーぶっこいている場合じゃないぞと。じゃあオレは何がしたいんだと考えたとき〝農業で自給的生活〞という答えがそのときはもう自然に出ていた」
旅に出たのは結局探し物があったからではない。先に進むために必要だったのは、時間ときっかけだったのだ。
ビニールハウスに仮住まい。廃材で家を建てる
とはいえ東京育ちのうえに長く日本を離れていた飯田さんに自給的生活をするための足掛かりは何もなかった。そんななか、知り合いのつてを少しずつたどって紹介してもらったのが茨城県石岡市の農家で、そこで仕事の手伝いをしながら居候をさせてもらうことになった。ただ、間もなく子どもが生まれるのに長く居候をしているわけにはいかない。自分の暮らしをつくるために仕事の空いた時間は土地探しに奔走した。求めたのは馬がのびのびと飼えるくらい広くて、自然が満ちあふれた土地だ。
「自給的生活を思い描いたとき、その風景には馬がいた。馬で移動し、馬で田畑を耕す。それってなにも特別なことじゃない。昔の農家は土間の一部が馬房になっていて、生活のなかに普通に馬がいたんですから。アメリカやメキシコで出会った本物のカウボーイは、ただただカッコよかったし、アンデスの険しい山道で活躍していたのも馬だった。そういう馬のいる暮らしに憧れていたんだよね」
ある日、いつものように土地を探して、山道を入って行こうとすると手前の集落に馬を飼っている家があった。
「驚きましたね。農村とはいえ民家で馬が飼われていたことに。すぐに訪ねていって自分も馬を飼いたいこととか、土地を探していることを伝えて、それでちょっと仲よくなれて。結局、その出会いが決め手になって、近くで土地を探したんです。そして見つけたのがここ。南向きの山林で、きれいな沢水が流れていたのがよかった。再生できそうな休耕田もあったし、牧草地になりそうな日当たりのいい平地もある」
家は自分で建てることを決めていた。その間はビニールハウスに仮住まい。山の斜面を整地するため、スコップと鍬(くわ)で木の根を起こし、ウインチを使って伐根(ばっこん)。崩れた棚田の石垣を一輪車で運んで基礎固めをし、家の材料は木材も、サッシも、屋根も、設備もほぼ廃材。
「何かに向かって一生懸命になっているときって、すごく引きが強い。次々に必要なものが集まってくる。周りの人の気持ちが動くのかもしれないね。建築費用はほとんどかかってないんじゃないかな。家づくりの経験は何もなかったので、大変だったような気もするけど、自分の夢に向かって確実に進んでいるのを実感していたから充実していたし、毎日わくわくして楽しかったですよ」
2001年春、きれいな沢が流れる土地に出合い、その年の暮れに住まいが完成した。と同時に電気が通り、実家で暮らしていた妻と10カ月の長男がやって来た。
家族との別れ。馬との出会い
まったくの未経験から耕作放棄地を再生し、手探りで始めた有機農業も数年後には何とか軌道に乗った。移住して3年目の夏には長女が生まれ、目指していた暮らしは実現できていたはずだった。
しかし、10年余りが過ぎたころ、家族の歯車が気づかないうちにちょっとずつ狂い始めていた。
「自給的暮らしといっても生計を立てるためには、ある程度の収入を目指さなくちゃならない部分がある。効率的にやることも必要なはずなんだけど、田んぼは手植えや天日干しなどにこだわっちゃって、1人だとどうしても手が回らなくなる。詰め込み過ぎていたんだね。農繁期はひどく疲れちゃうこともあったし、気持ち的にもパンクしていたんだと思う」
1人になった。
いろいろな事情があって、大好きだった有機農業もやめざるを得なかった。沈んだ日々だったには違いないが、そのころ、額に流星のある鹿毛と出会った。
「近くで乗馬クラブをやっている人たちに、毎年秋に岩手県の遠野で開かれる馬市場に誘われたんです。といっても馬を買いに行くというよりは旅行というか、見学というか。温泉に入ったりしてそれで満足していた。でも、一応30万円だけ持っていた。落札金額を見ていると100万、200万はざらにあって、まったく手が出ないのはわかっていたんだけど、1頭とても目がきれいな雰囲気のいい馬がいてね。セリは10万円から始まったんだけど、私ともう1人、目をつけていた人がいて、15万、16万とちょっとずつ価格が上がっていく。で、20万円になったときに相手が引いてくれたんですよ。その瞬間、〝落札!〞って大きな声がかかって。全身震えましたね。出生履歴不詳の馬で、通常あり得ないような格安価格だったから手に入れられた馬です。これも出会いでしょうね」
この土地を見たときに馬場にすることを決めていた森を切り開き、それを現実とした。農業を始めてからしばらく畑として使っていた日当たりのいい平地も牧草地に変わった。この山に来るきっかけとなった馬飼いとの交流は続いており、調教や乗馬のノウハウを改めて教わった。お互い馬に乗って山道や小川の土手を一緒に歩いたりもする。
「馬を乗りこなせる男になりたいと思っていたからね。でも、それは乗馬クラブとかじゃない。もっと自由に野山を駆けるんだと。馬にはたっぷり愛情を注ぐんだと。そんな自由を愛するカウボーイのようにありたいよね」
19歳で人生を模索し始めたときから、物事が予定通りに進むことはあまりなかった。いつも持っていたのは出発時のチケットだけ。旅も、結婚も、この土地との出合いも、別れも。ただ、始まりには、その先の道筋を示すかすかな予感がある。この山に住まうことを決めたのも、いつか馬との暮らしを実現するためだったのだから。
漂えど沈まず。
「自分の中で最近また何か新しいことが始まりそうな気がしています」
その瞳は家の壁に飾られた写真の中の青年のように、真っすぐ未来を見ていた。
文/和田義弥 写真/三枝直路
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