中村顕治
今回は生き方をラクにする方法論。僕にも悩み多き時代があったが、新聞・テレビで見ると、僕と同じように悩んでいる人、あるいはもっと多くの悩みを抱えて生きている人も少なくないようだ。生じるままに悩みをほったらかしにしておくと、あれやこれやと更なる雑念が身にまとわりつき、とかく、くたびれてしまう人間という動物。その暮らしが、ちょっとした思いつき、ひらめきみたいなものでスッキリするかも、惑いを捨てることができるかも、熱いハートで生きてゆくことだって可能かも・・・それがテーマである。前回は「家庭菜園と人生の幸福論」だった。今回大筋において、その後編みたいなものと考えていただきたい。前回は家庭菜園を主軸としたわけだが、今回はちょっと違う。雑念、惑いを捨てるためのあれやこれやの大盛り具体策。タイニーであってもいいじゃないか、自分の暮らしをもうちょっと、明るく楽しいものとするにはどんな事柄があるか、どんな工夫が必要か。僕自身が長く肌身に着けて離さない、名もなき田舎神社の「雑念お祓いくじ」、それを実例としつつ、書いてみようかと思うのだ。
じつは、このテーマでいこうかと僕に思わせたのは、あの高校生である。東大医学部を目指していたが、成績が伸びず落胆した。だからとて、あまりに飛躍しすぎていないか、入試の現場に行って他人を傷つけるなんて・・・。この少年に、もう少し、自分を誤魔化す、苦しみを散らす、そのテクニックがあったなら、あのような行為に及ぶことはなかったはずだ。僕は前から、自分を「誤魔化す」、自分の悩み、苦しみを、うまく「散らす」テクニックが大事だと書いている。誤魔化す、散らすは、一見、ネガティブな表現だが、長い人生においてとても肝要なことである。このままでは死ぬかもしれないと思うほどの苦しみも、うまくやればほどよく誤魔化す、散らすことができるのだ。それのみか、それがうまくやれた人には敗者復活戦という可能性さえ生まれる。その敗者復活戦で1勝でも2勝でもしたならば、やがて、なあーんだ、あの時の苦しみはなんだったのだ、ハハハッということにだってなるのだ。
東大医学部と聞いて、僕には思い出す出来事がある。もう40何年も昔のこと。僕がかかわっていた医学雑誌は年に4回の編集会議が行われ、1回当たり3号分の特集テーマと執筆者が決定された。常任の編集委員は日本の医学界をリードする教授ばかり。また、各号に執筆を依頼する人たちも各分野で業績を上げた第一線の方ばかりである。いったん決まった執筆者が急に変更となるというのはほとんどゼロに近い。しかし、その変更がある時急に生じた。
発行までにあまり時間がない。僕は資料を持ってピンチヒッターとなったドクターに面会に向かった。指定された部屋に入って、まず驚いたのは思ったよりもずっと年配のドクターだったことだ。通された部屋は暗く、ご当人のお顔も暗い。同じ年恰好ならば、すでに東大の教授、助教授になっている。もしその席が見つからない場合には、私大医学部にちゃんとした椅子がある。編集資料をデスクに広げ、特集テーマ、他の執筆者、そして仕上がりのページ数、図表・写真の枚数、締切日などについて僕は説明した。そしてドクターの部屋を辞する時、僕はもう一度、驚いた。対面した瞬間の暗く年老いた感じのお顔が、明るく、若返ったかのような印象だったのだ。若造の僕に丁寧に出口で頭さえ下げてくださったのだ。僕は会社に戻りながら考えた。あくまで推測にすぎないが・・・あのドクターは、東大内部にも、当時、次々と設立された私立の医大にもしかるべき椅子を見つけることができなかった。おそらく、専門誌への執筆の機会もあまりなかったのではないか。だから、急遽、回って来た出番が嬉しかった、それゆえの、僕が部屋を辞する瞬間のあの明るい笑顔となったのではないか・・・。
事件を起こした高校2年生。晴れて東大医学部に入れたならば、同級生の中ではダントツの成功者であったろう。だが、エリート集団である天下の東大医学部にも歴然とした階級差があるのだ。そこにうまく入学できたとしても、その後にオール人生の成功者になれるとは限らないのだ。誤魔化す、散らす、その手段を少年は持たなかったのか。人生、楽観かつ、粘り腰。あるいは柔らかな心身のしなり。それがないと、人も羨むエリートであってもどこかで行き詰まる。
1月21日。年末からずっと寒くて氷の張る日が連続しているのだが、今日という日はそのワーストワンであった。風さえなければ焚火をして体を暖めることができる。しかし瞬間的には10メートルを超す北風。危ないから焚火は不可。カラッ風に吹かれながら荷造りをした。ほとんどの野菜は水洗いせねばならない。気温5度。手は冷たいのではなく、ヒリヒリ痛い。野菜によってはハサミを使って姿を整えねばならないが、しびれた手ではそのハサミさえ意のままに動かない。
だが、こんな悪条件の中にも、僕が肌身離さず持っているあの田舎神社の「雑念お祓いくじ」、そいつが効力を発揮する。あと2時間がんばれ、熱い風呂と晩酌タイムがおまえを待ってるぜ。その晩酌テーブルのすぐそばでは、「室内菜園」(1枚目と2枚目の写真。詳細は野菜便りで後ほど)の可愛い苗たちが、「おかえり、ジイチャン、どうよ、うんと寒いけど、頑張ってるでしょ、アタシたちだって・・・」そう甘くささやきかけてくるはずだぜ。そうなんだ、たったこれだけの「散らし法」でも十分に苦境を脱することができる。さらに付け加えるならば、今日の寒風の中での売り上げは6000円(時給にしたら900円)。月末までにあと12個荷物を作って今月の野菜販売はトータル12万円・・・ふふっ、これだけありゃあ何かまた素敵な物が買えるじゃあないか・・・銀行への振り込みは2か月も先だ。なのにもうカネの使い道を算段し、しびれた手の痛みも忘れ、アグレッシブに荷造りに励める。それもまた「雑念お祓いくじ」のおかげ。
そして風呂上がりの晩酌タイム。寒風の中での水洗いに奮闘して早や1か月。もはや人間の手とは思えない手を僕はじっと見つめる。「働けど働けど」、そう詠まれたあの有名な歌とはまるで逆、枯れ木のような手の平に、けっこうな充実感、達成感さえある。安物ワインにだってちょっとばかり味が募ってくる。そんな男を、ふふっと笑い飛ばす声が足元から小さく聞こえてくる。すぐそばにある壊れた水槽の、その枯草の下で冬眠中のガマガエルが、おかしなジイサンだよね、カエルよりも単純かもな、そう言って笑っている・・・。
何度か書いたことであるが、サラリーマン時代のハラスメントで苦しんだ僕は、ふたつの「散らし法」でどうにか苦境を脱した。ひとつは家庭菜園、もうひとつはマラソン。マラソンは数値化されるところがいいんだよね。わかりやすい。それゆえか、僕はどんどん深みにはまった。もっとタイムを上げるにはどうするのがよいか。単純に練習距離を伸ばすだけではダメ。さらに強い負荷をかけるべし。急勾配の石段を好んで走った。大阪などに出張する時はシューズを鞄に入れて、泊まったホテルの裏階段を走った。石段でのナンバーワンは、東京港区の愛宕神社であったろう。あまりに急で、その石段が無理という参拝客のためにゆるやかな上り道さえ別に作ってあるほど。僕はその石段(たしか85段だったと思う)を、走りに行った時は必ず20本やった。
その成果は時計に表れる。ランニングを始めた頃には1キロ4分だったのが最終的には3分20秒まで上昇した。自分の努力が・・・今で言うと「見える化」される。僕はすっかり走ることの虜となったのだ。ハラスメントは依然として続いていたが、ランニングはその苦しみを、ウィスキーの水割りみたいに薄めることが出来た。目前にある苦しみを、うまく誤魔化す、散らす。我が人生において、その効果が初めて実感されたのが走ることだったのだ。今はもう昔のようなスピードでは走れない。だが、1秒でもタイムを縮めたいとの思いで月間の走行距離が600キロだったあの若い時代。その頃の貯金が今もって利子さえ生んでいる。百姓としての僕の身体のみならず精神が日々のハードさにいま耐えるのは、思えばあのハラスメントが出発点だった。誤魔化し、散らし法にも予期せぬオマケが付いてくるというひとつの見本であろうか。
僕がマラソンランナーで好きなのは、男子は中山竹通、女子は福士加代子。どちらも初めからバンバン行くタイプ。また僕は、福士の、目、口、鼻、眉毛、総動員して笑うあの笑顔が好き。面白いのは、彼女、自分のことがずっと嫌いだったそうだ。それが、陸上、マラソンを通して自分と向き合うことが増えて、好きになった。また、序盤から攻めるスタイルについて聞かれて、こう答えている。
怖いんだけど、逃げるよりはいい。ボロボロだったアテネ五輪で、「負けたことに負けるな」と高校の恩師に言われた。私って失敗ばっかり。でもそのたび、「このままじゃ終われない」と奮起することの繰り返しだった・・・。
僕の今回のテーマは誤魔化す、散らすである。ただしそれは、雑念、惑いについてであって本筋ではない。自分の暮らしにおいて、僕は本筋をあくまで強気に押し通す。思い通りにいかないことがあっても心をクサらせずに、次の機会に力を尽くす。福士加代子のあの笑顔に僕は心地よい爽やかさとパワーを見るのである。
1月22日。新聞でこんな人生相談を見た。20代の女性。
入社後しばらくすると過剰な業務を一人で任され、サービス残業や休日の呼び出しも増加。ヘアアレンジが好きで伸ばしていた髪は「見苦しいから切って」と指示されました。ミスをしてしまい、経過報告の会議で「頭おかしいんじゃないの」「バカだよね」と叱責された数日後、意識を失い救急搬送。精神科で適応障害と診断されました。両親は退職手続きなどをやってくれ、ゆっくりしたら良いと言ってくれて感謝しています。でも私は休んでいいのか、あの会社でもっと頑張れば、我慢すればよかったんじゃないか、そう思ってしまうのです。私はどう心を持てばいいのでしょう。助けてください・・・。
心療内科医である回答者はこう言っている。
まずあなたにしていただきたいことがあります。しっかり睡眠をとる。午前中に起床して窓を開け、太陽の光を浴びる。昼間に散歩など戸外で体を動かす。食事をきちんととる。これを1か月やってください・・・。
高度な機械を使いこなし、世界に生じる事象を瞬時に知ることのできる人間も、本質はただの動物である。眠る、食べる、働く、陽に当たる、汗をかく、食べる、また眠る。このサイクルから大きく外れた時に必ず異常をきたす。「頭おかしいんじゃないの」「バカだよね」。言うに及ばず、かような言葉をまっすぐ浴びせる上司こそ頭がおかしい、バカだと僕は思うけれど、この女性も、再び同じような苦境に立たないためには、回答者の言葉にある通り、単純な、動物としての原点に立ち返ることがよいように僕は思う。ランニングひとつ取っても、陽に当たる、体を動かすという条件がすぐにかなえられる。それによって落ちかけていた食欲も回復するし、日中の疲労によって夜はよく眠れるようになる。さらに付け加えるならば、まだ20代、いくらでも仕事は見つかるだろう。いやいや、コロナ禍の中、そう簡単に転職は・・・というのならば、主として体を使う、世間ではキツイと嫌がられている仕事を探すとよい。たぶんそこでは「頭おかしい」「バカだよね」といった言葉が投げつけられることはないはずだ。重い荷物を右から左に移し、トラックに積み込む、そんな現場に「頭」はほとんど関係ない。これは僕の考えではあるが、精神を病むくらいなら肉体疲労で筋肉痛に苦しむほうが、人間、ずっといい。
そのマラソン以外に、百姓になって以後の36年、誤魔化しと散らし、と同時に、小さなお楽しみ、気分転換として我が暮らしに寄与したものは、時系列で言えば、自転車、愛犬、大工仕事、ナマズやウナギの飼育、太陽光発電、そして最新は先ほどチラッと書いた室内菜園、さらにミツバチの飼育、そして、なんと料理だ。これらの各項目に相互の関連性は全くない。「突然炎のごとく」我が胸に沸いてきたものばかり。計画性と緻密さに欠ける我が性分。それがいいのか悪いのか・・・自分では良い方に解釈している。ふだん、本業である畑仕事と同様、頭に浮かんだことはすぐやってしまうのだ。何事も躊躇しない。例えば大工仕事を思いついたのが午前中だったとすれば、午後、荷物を出し終えた足で僕はもうホームセンターに向かっている。そこで買う材木は、たいてい1万円以上、ときには3万円。それが案外と、ちょっと大げさに言えば生きるバネになる。すなわち、こんなにカネ使ったんだから、オレ、しっかり働いて稼がなくっちゃ・・・明日からの労働意欲の発火剤となる、間違いなく遊んだ後の僕はよく働いている。
1月24日。いつものランニングをやめて、自転車を走らせることにした。ドロップハンドルの自転車を4台持っている。うち2台は中古で買って、自分でグレードアップした。ランニングから自転車に乗り換えると気分転換になる。ランニングでは味わえないスピード感も味わえる。僕の決めたコースには2つの長い坂道があるのだが、そこを、サドルから腰を高く上げて、懸命に登りきる。呼吸が荒くなる。使う筋肉の部分もランニングとは異なる。そのぶん、平坦な道にたどり着いた時の心地よさは増す。人生もきっとそうだね。キツイ坂道を経験したからこそ、平坦な所での心地よさと有難さがわかってくる。
自転車にまつわる記事を新聞で目にした。今25歳の男性。慶大の3年時、シャンプー、洗剤、漂白剤、手当たり次第に飲んで病院に運ばれたという。就活のプレッシャーが強く、副キャプテンだったバスケ部でも人間関係に悩んでいた。ストレスが重なり、眠れない日が続いていた。精神病棟に入院し、なんとか回復し、保険会社に就職したものの再びメンタルに不調を感じ始めた。家族に促されて行った病院でうつ病と診断されたが、それまでは病院に行かず、仕事も休まなかった。
青年は、うつ病をネガティブに捉えすぎ、精神科のハードルを必要以上に高く感じていた。うつ病に対する社会の空気が変われば、治療できる人が増えるはずだ、そう考え、自転車で日本一周しながら各地の学校を訪ね、生徒と一緒にバスケをやって、「まわりの人でメンタルで悩んでいる人がいたらいつでも連絡してください」と呼びかけているという。自転車で日本一周しながらというのが何よりもいいと僕は確信する。漂泊の旅が、彼の今後のすべてを改善してくれるはずだ。僕も10代の頃から自転車に情熱を注いだ。1日で200キロという長丁場を走ったこともある。知人を訪ねるために向かった鎌倉の、その途中にある大船の坂道、あるいは箱根の坂道、いずれも忘れられないものだ。人間は人間との関わりで最も苦しむ。無人島で暮らさない限りその苦しみからは逃れられないが、うまく誤魔化す、散らすことはできる。徹底的に自分の肉体に負荷をかけるのだ。すると不思議なことに、これまで人体の重心が大きく精神に傾いていたものが、うまく平衡状態になってくるのだ。精神3割、肉体7割。この割合で生きるのが動物としての人間にとっていちばん理想的・・・僕はそう思うが、アナタはいかがか。
今の季節は寒いのでダメだが、桜が咲く頃からは、我が手製、上の写真にある屋上庭園で朝食する。いつも畑作業に追われているゆえ、ここでそんなにゆったりはできないのだが、たとえ20分でも、1日がバタバタと過ぎる百姓の生活に小さなアクセントを与えてくれる。ここには木々の緑があり、光があり、風が通り抜けていく。後で野菜を食べる大切さを書くが、緑も光も風も、人間には大切である。光に当たり、風に吹かれる。そうすると・・・人の心も風化する。もちろん風化は悪い意味じゃない。人間社会で避けられない、苔、埃、垢、そういったものを風は吹き飛ばし、光は、人が脳内にため込んだ雑念、惑いをかなり上手に透析してくれるように僕は思うのだ。
これまでの20年、倉庫として使っているボロ家の改築、母屋での屋根修理、増築。不器用なクセに、次から次へとやってしまったDIY。その仕上がりはどうにも気恥ずかしいシロモノなのではあるが、これほど手応えのある気晴らし法はない。なんたって力を要する。高いところでの作業ゆえ、危険も伴う。それゆえにこそ、作業が完璧にやれる人から見れば50点そこそこの仕上がりでも、その精神効果はかなりのものだ。押し寄せる雑念、惑いが、4トントラックにポイできるくらいの爽快感が得られるのだ。ホイジンガという人は人間の本質を「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」と説いた。一方、ベルクソンという人は、「ホモ・ファーベル=働く人」と定義したとされる。遊ぶと働くは正反対のようにも思われるが、大工仕事を通して僕が考えるのは、ふたつは重なり合うものではないかということ。自分の手足をギリギリ駆使して何かを作る。すなわち働いている。しかし心は確かにそれで遊んでいる。アナタにもDIYを僕はおすすめする。
時間はこれを使うことによってしか忘れることができない。
--シャルル・ボードレール
朝日新聞「折々のことば」で目にしたものだ。僕はすぐには含意が理解できなかった。鷲田清一氏の解説を読んで、なるほどそういうことかと理解した。
時間という観念や感覚に押しひしがれないためには、二つの対処法しかない。「われわれを摩滅させる」快楽、もしくは「われわれを強くする」仕事だと、フランスの詩人は言う。時から解き放たれるためには、恍惚と集中、つまりは我を忘れることが必要だということ。ただしこの二つは両立しない。だから「選ぼうではないか」と。
僕が今回のテーマとして掲げた「人生の惑いをゴミ箱にポイする」とは、ここで言われる「時から解き放たれる」、それにほぼ近い。さらに言えば、僕が考える「時」とは暮らしの現実のあれこれ、すなわち些事の連鎖だ。カネのこと、付き合っている相手のこと、会社でのこと、ご近所との行き違いのこと、百姓の僕の場合だと厳しい気象条件のこと・・・。そんな「時」から解き放たれるために必要なのは、恍惚と仕事なのだと詩人は言うのだ。そして、鷲田清一氏の解説には、このふたつは両立しないとある。なんだ、両立しないのかあ・・・僕はちょっと落胆するわけだが、少し自分に都合の良い解釈をしてみる。詩人の言う恍惚と集中、それはかなりレベルの高いもののはずだ。だから両立しない。ならば、うんとレベルを下げてしまえば、ひょっとしたら両立するかも。
そのレベルの低い事例が先に羅列した大工仕事とか太陽光発電とかの事柄である。はたして「恍惚」なる表現に合致しているのかどうか、自信はないが、僕の脳細胞、手と足、あらゆるものが目の前の事柄に集中することは確か。予期せぬアクシデントもあるけれど。例えば大工仕事ならば、仰向けになって打ち付けようとしていた天井板が顔面を直撃する。眼鏡が飛ぶ。太陽光発電でいえば、負荷オーバーでインバーターが発火したり、プラスとマイナスのケーブルを一瞬のミスで接触させて煙が立ち昇る、なんてこともあった。それでも、僕は時から解き放たれている。作業の出来栄えを確認しながらその合間に飲む一杯の珈琲。そのなんと美味いことか。やがて僕は、本来の業務、カネを稼いで生きてゆくための百姓仕事に戻っていくわけだが、その畑仕事にだって、しばしの「恍惚」を味わった後にはうんと力が入るのだ。我が暮らしには恍惚と仕事(集中)がうまく両立している、低レベルではあるけれど。
太陽光発電を始めてから、僕は料理の楽しさに目覚めた。相変わらず、材料のカットとか、盛り付けだとかは雑もいいところなのであるが、調味料だって、世間でいう大さじ2杯だの何だのとは縁遠く、ドボドボ、ざざっざとヤマ勘でぶち込むのであるが、大いに楽しんでやっていることは確かだ。そのきっかけは圧力鍋2つを含む4つの調理鍋の購入だった。出発点はガス代の節約。太陽光でせっかく発電したものを無駄にしたくない。快晴の日、ソーラーパネルはどんどん発電し、バッテリーが満充電になると、まだ空に光はあっても自動的に充電はストップされる。そこで、朝のうちに料理を仕掛けておけば、圧力鍋は800ワットを消費するのだが、料理完了の後、その日のうちにバッテリーには再充電がなされる。だから光のロスがない。また、プロパンガスに鍋をかけておいて畑仕事に向かうというのが僕には都合よいわけだが、それでは焦がしてしまうことがこれまで何度もあった。その点、電気の圧力鍋は仕上がれば自動で停止し、保温もしてくれる。百姓仕事には有難い道具であることがわかったのだ。
それまで、圧力鍋なんて使ったことはない。まだ家庭があった頃、妻がガスにかけた圧力鍋から強い蒸気が噴出しているのを見た記憶はあるが、実際の経験はここ半年ほどのことだ。使ってみて、なるほどと感心した。豚肉も魚も大根もサトイモも白菜も、巨大に育った小松菜だって、何もかもがトロトロに仕上がる。キウイのジャムだって出来る。だから、日によっては3つの鍋を同時に稼働させる。部屋に戻らずともよい窓際、畑仕事の合間、手の届く位置に太陽光からのケーブルをセットし、出荷のために抜いた大根や人参から不出来なものを取り出し、外の水道でザザッと洗って切って鍋に投げ込むのだ。これまで、太陽光発電そのものが、僕にとっては大いなる気晴らし、散らしの手段だったのであるが、そこから料理の楽しさにつながるとは思いもしなかった。
野菜の有効利用にもなった。例えば切り落としたキャベツの外葉。ガスの火でトロトロにするにはかなり時間とエネルギーを要するが、圧力鍋を使えばそれが容易にできる。つい先日にはフードプロセッサーも買った。今度、時間が取れたらキクイモ、ヤーコンでコロッケ作りにトライしてみようと思うのだ。料理の話のついでに付け加えよう。野菜の大切さを。人間の体には肉も魚も必須で大事。その肉、魚の分量と同等の野菜を食べることはもっと大事。これは僕の経験則でしかないが、日々の野菜摂取の種類と量は、お通じとか、ビタミンとかとの問題とは別に、精神の安定にもつながっているような気がする。振り返ってみると、僕が百姓になった理由のひとつは食べることが好きだった、特に野菜をいっぱい食べたいという願望があったゆえだ。そして、多くの野菜を食べることが、人体の、とりわけ精神面においての潤滑油となるのだということを、たぶん僕は、かなり前から直感的に察知していた。コロナで在宅ワークが増えて、椅子に座る時間が長くなったせいで痔になる人が増えていると最近知った。もちろん座る時間が長いこととも関係するだろうが、僕の推測では、まだまだ野菜の摂取量が足りない人がいるのではあるまいか。蛇足ながら、僕は便秘をせず、痔にならず、胃腸薬というものを一度も服用したことがない。きっと野菜のおかげである。
「むなしい」とは、実や身のない「みなし」が語源であるという説があるが、現代のオンラインのコミュニケーションが空しいのと同じで、密な肉体の触れ合いがなく、肉筆や肉声の伴わない交流に伴う感覚であろう。もとより人生はこの空しさに満ちていて、自死の一部はこの空しさに圧倒されたものだと考える・・・。
これは、精神科医・きたやま おさむ氏の回顧録から引用させていただいたものである。きたやま おさむ氏とは、若い人にはすぐにはピンとこないかもしれないが、「帰って来たヨッパライ」と言えば、年配ならばわかる人は多いだろう。おらは死んじまっただあ、酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ・・・20代初めの僕は、仲間と麻雀やりながら、深夜のラジオから流れてくるこの歌を聴いて、パイを場に切りながら、ラジオに合わせて歌いながら、よく笑ったものである。きたやま氏は、この歌が売れに売れた60年代を振り返りつつ、「悲しくてやりきれない」若い時代の心情を語る中、右の引用文を言葉にしたのだった。
むなしいとは、実や身のない「みなし」が語源・・・これを知った時、僕の頭に浮かんだことは何だったか。冒頭から繰り返している、誤魔化し、散らしの手法についてであった。「みなし」に倣って言うならば、誤魔化し、散らし、気分転換、その方法は人それぞれであっていいとは思うが、より手ごたえがある、よりリターンがあるのは、自分の手足を動かす、汗をかく、それによる誤魔化し、散らし、そして気分転換、すなわち実や身のある「みあり」なのではあるまいかと、僕は自分の経験を通して考えるわけだ。
前回の原稿に「推し活」という言葉を使った。その後、僕は偶然、NHKのテレビが推し活を特集しているのを見た。なるほど、世の中ではすでにこの言葉が定着し、多くの人が何らかの推し活動に熱中しているのだとそこで知った。熱中できることがあるのはいいことだ。それでもって時を忘れるほどの恍惚に浸れるのならば素晴らしいことだ。だが・・・トシのせいだろうか、ちょっとヒネた精神ゆえだろうか、僕には少しばかり世間での推し活が物足りない。人気の歌手や俳優や、話題の漫画に情熱を注ぐ。そこには自分自身への推し(押し)がない。もっと具体的に言えば、誰かを推すことで興奮は得られているようだが、先ほどの、きたやま おさむ氏の言葉を借りれば、「実や身がない」・・・ように僕には思える。文字通りの手応え、自分の手先や足先に対象物からの反応がある、負荷がかかる、そういった事柄に向かうよう自分の心に「推しと押し」を及ぼすことはできないだろうか。これが出来たらもっと楽しいんじゃなかろうか。
1月26日。昨夜からの雨はほぼ上がったようだが、光は全くなく、空気は冷え冷えとしている。ランニングを終え、台所に立つ。だいぶたまった汚れたままの皿を洗い、パンと珈琲の準備をしているところに、背後の廊下から小さな足音がカチカチと聞こえる。ああ、来たな・・・そう思う間もなく、足元で僕を見上げている白いチャボの姿。彼女はすでにジャンプの姿勢に入っている。シロちゃん、おはよう。ちょっと待っててな。自分の食事の支度の手を休め、冷蔵庫からパンを取り出す。このシロちゃんだけだ、台所までやって来てパンをねだるのは。他のチャボたちはみんな庭にいる。シロちゃんはとりわけパンが好きなのだろうか。僕が台所に入ったのをどこからか敏感に察知し、こうして決まって訪問する。
3回、4回、ジャンプして、僕の手からパンをちぎり取ると、満足した顔で庭に戻って行く。ありふれた日常。これはほんのひとコマである。しかし、不思議なことに、気持ちがなごむ、ちょっと楽しい。1羽の白いチャボが、我が暮らしのせわしなさを、ほんのちょっと、散らしてくれている。ただし良いことばかりではない。雨の日にだって訪問するから、廊下にはヒトデのマークの泥が付く。頻繁にあることではないが、ウンチを落としてゆくこともある。でも、いいのだ。泥足やウンチのマイナスよりも、僕がシロちゃんから与えられている安らぎの方がずっと多い。ウンチも泥も、後で拭けばそれですむ。
いま、ミツバチの巣箱を雨風にあえてさらしている。木材が新しいままだとミツバチは敬遠するというのを知ったからだ。巣箱を買ったのはこれが初めてではない。もう20年も昔、当時連載していた知り合いの編集者が、自分の友人に巣箱を作っている人がいると教えてくれた。何も知識のないまま、2つ買って庭に置いてみた。しかし効果はゼロだった。いつしかその巣箱はゴミくずになった。
よっし、本格的にやってみよう、基本からきっちり勉強しよう。そう思ったのはここ3年ほど、決まってミツバチの大群がやって来るようになったからだ。あれこれ参考資料を読んだ。わかったことは、ただ巣箱をそこらに置いただけではミツバチは来てくれない。巣箱の内部には、そもそもミツバチが分泌した蜜蝋を塗りつける必要がある。そればかりか、ハチは中国原産のバラ「きんりょうへん」の香りが好きでやってくる。ただしその花は育成が難しく、買うと高価でもあるので、合成された誘引剤が売られている・・・。このようなことを僕は学習した。他にも、巣箱を設置する時期、場所、さらには外敵からの防除、冬場の給餌、はちみつの精製など学ぶべきことはいっぱいある。それらを学んだからとて、めでたくハチが来て、はちみつがドッサリ取れるという保証はない。それでも、この遊び半分、実益半分の行いが、僕の精神のほどよいリクリエイションになっているのは間違いない。巣箱作業をする僕の心はなるほど「恍惚」状態なのである。
この上の写真は夏のもの。現在、ナマズやウナギやドジョウが暮らすプールは完全に冬の風景である。夏の水は濁り、冬は透明。しかし今、魚たちはどこにも姿がない。ブロックで組んだいくつもの水底の寝ぐらに潜んでいるのだ。暖かくなったら、やがて彼らは水面に浮上するだろう。それを見たら、僕は急いで土を掘り、ドンブリ一杯分のミミズを投げ込んでやる。幼な児の遊びみたいか。しかしこれも、立派な散らし、気分転換なのである。
前から書いているように、焚火は精神安定剤の役目をする。石油ストーブもエアコンもない僕にとって、体の芯まで暖めてくれる焚火は大いなる実益である。だが、実益以上のものでもあるのだ。キリスト教信者でもない僕が、祭壇の前に膝をついて両手を組み合わせて祈る人の安らかな心、それがこの焚火に寄り添うといくらかわかってくる。30年ほど前、頻繁にロシアに行っていた頃、何度も教会に出入りした。僕自身、教会の建物やその内部を見るのが好きなのだが、同道するロシア人女性はたいていが熱心な信者だった。人々は胸で何度か十字を切り、キリストのイコンに接吻する。そばにはろうそくの火がゆらめいている・・・今、焚火の炎の前でロシアの教会の風景が思い出されるというのは、薄暗い聖堂内でのステンドグラスの輝きと、この、ろうそくの炎の記憶とが重なるからかもしれない。
夕刻。荷物を出し終え、野菜たちに防寒シートを掛け終えた僕は、朝のうちに始めた焚火のそばに行って静寂のひとときを過ごす。ときには文庫本を手に、何ページかを読んだりもする。晩酌のつまみはすでに、ふたつの圧力鍋に仕上がっている。あとは部屋に戻って風呂に入るだけだ。この瞬間の、小さな「自由と平穏」、さらにはすべてのノルマを今日もちゃんと果たしたぞという安堵感が僕のせわしない日常を忘れさせてくれる。
さて、今回最後に、ぜひアナタに伝えたいことがある。眠りにつく時には楽しいことを考えよう・・・。これは僕が日々欠かさずやっていることでもある。灯りを消す。布団にもぐりこむ。驚く人もいるかもしれないが、毛布4枚、布団1枚にくるまって僕は眠っている。頭には毛糸の帽子をスッポリかぶっている。足元には太陽光で充電しておいた電気湯たんぽが入れてある。最も寒い夜で、我が寝室の室温は2度。家が古いせいでもあるのだが、雨戸もガラス戸も、すべて数センチが開いたままだからだ。どうして? 太陽光発電のケーブル。壁に穴を開けて通すのは面倒だし、これ以上は壁を傷めたくない。
灯りを消したベッドの中で、眠りがやってくるまでの10分か20分、ランダムに楽しいことを頭に浮かべる。人生、楽しくないことも、解決しなきゃならない面倒なことも、もちろんあるね。それがもし頭に浮かんだら、すぐさまシャットアウトしてしまおう。さっきの教会での話に関連付けて言うと、ほら、懺悔する時、教誨師がさっと開いたり閉じたりする布製の小さな扉がある、あの扉みたいなものを僕は自分の頭の中に用意して、嫌なことはさっと見えなくしてしまうのだ。そして、楽しいこと、ポジティブなことを、何でもいい、思い浮かべ、嫌な事に上書きしてしまう。例えば、さっきのミツバチのことで言えば、ドッサリと蜂蜜が取れた場面を思い浮かべる。せっせと濾過器で精製して喜んでいる自分の姿を頭に描く。他にも、大工仕事の続きの作業、新しく組み立てたビニールハウスには何を植えようか・・・とか。
そんなにうまくいくものなの? アナタは疑問に思うかもしれない。だが、出来ます、誰だって、アナタだって。それはひとつの訓練だからである。自分で自分を誘導するコツを身に着けることである。いや、その前に、確認すべきことがある・・・暗い部屋のベッドの中で、嫌なこと、未解決になっている問題をいくら考えても解決には結びつかないのだということを知っておく必要がある。どうしても解決せねばならない問題があるならば、電気を消した暗い部屋ではなく、ピカピカとお日様の輝いている時間に屋外で考えた方が解決策にたどり着きやすい。
ちょっと話がそれるかもしれないが、文章のこと。昨日、夜中に書き終えた文章をそのまま完成文としてはいけない・・・そう言われている。いったん机の引き出しにしまい込む。翌日、明るい光の中で読み直してみる・・・。どういうことか。夜の筆は、とかく滑りやすい。軽く、甘く、ロマンチックなものになりやすい。それを、自然の明るい光はうまくセーブしてくれるからだと。僕もこのことを心している。この原稿も、畑に出る前の午前中に必ず読み直してから編集長にお送りする(まっ、人間、とかく自分には甘いものだから、それでもなお完璧にはいかないけれど、「夜の情緒」まかせだけにはしないようにと自分に言い聞かせている)。
暗い夜の部屋では未解決の問題を考えないようにする・・・。今の文章の例とは少しズレているようでもあるが、暗い夜の時間というファクターが、人間の思考をラフにしてしまう、頭の中での厳密な論理構成を邪魔してしまう、そういう意味では相通ずることかもしれない。ともあれ、ベッドに入って眠りがやって来るまでの何分間かは、ささいなことでいい、明るい、明日の希望に結びつく題材を頭の中に用意するのだ。そうするうちに、ああ、そろりとやって来たネ、睡魔が・・・B級だがハッピーな自作の「脚本」。それに、ボンヤリ、ニンマリしているうちに、たぶん、僕は、そしてアナタも、すでに眠りに落ちている。翌朝の目覚めも、心地いい。やってみて。これは訓練次第で、誰にだってできることだから。
1月下旬の野菜だより
寒い日はまだ続いている。ハウスのなかにあるキャベツさえもが凍傷で傷む。このハウスの白さを見ていただこう。内部の水蒸気がビニールに凍り付き、僕がランニングに行く時刻には全く中が見えない状態だ。早く春にならないかなあ・・・。
そう願う僕にかすかな喜びを与えてくれるのが、このフキノトウ(背後に見えるのはアシタバ)だ。例年ならすでにかなりの数があるのに、今年はうんと目を凝らして探して、やっとこれだけ。それでも、フキノトウは春近しを最初に告げる喜ばしいものだ。この機会に書くと、アシタバを作ることを読者にもおすすめする。寒さに強い。氷の張る寒さでも新芽を出す。しかも美味しい、栄養価は高い。
今の季節はビニールハウスの中での作業が多い。次の写真は、年末から正月明けにかけて移植したチンゲンサイ。別なハウスに種をまき、5センチ足らずのサイズで植え替えた。寒さは完全に防御してあり、日当たりは僕の畑ではAクラス。それゆえに移植1か月でそろそろ出荷してもいいくらいに育ったものもある。
同じハウスの中に1月4日、人参をまいた。発芽までに半月。今日1月30日現在の様子がこの次の写真。ハウスの中にはやたら草が生える。その草に囲まれながら、人参は懸命に育とうとしている。ほっておくと草に埋もれる。手を貸してやる。すべては指の、しかも先端だけの細かい作業だ。人参のすぐそばにくっついている草をまずそっと取る。同時に、小さな玉になっている土を指先でほぐしながら、人参の足元に寄せてやる。
なんとも細かい作業である。3センチくらいまで育ってしまえば手間はかからないが、この時期のハウス栽培は、その3センチまでもっていくのが大変だ。あと1か月は今日と同じ作業を数回繰り返すことになる。その苦労がゴールデンウィーク頃には報われる。10センチくらいまで育つ。次の写真は草取りをすませて、なんとか人参の姿が見える状態になったもの。
さて、本編に書いた「室内菜園」について記しておこう。「室内菜園」とは、ちょっと大げさな表現だが、これもお遊び、気分転換なのである。ここにまいたのは、カボチャ、トマト、ブロッコリー、キャベツ、ナス。畑のビニールハウスにもこれらはまいた(あるいは、これからまく)のであるが、全身しびれるような寒い日の朝、僕の頭にこのアイデアがふと浮かんだのだ。楽しい場面を想像したのだ。ランチしてる時、あるいは晩酌の時、すぐそばにある「室内菜園」をのぞいて見る、日々の様子を観察する。ちょっとドキドキする。悪くないじゃないのさ・・・室内での水耕栽培というのはけっこうやっている人もいるようだ。気分としては、僕もそれに近い。
用意したもの。畳1枚サイズの電気カーペット。プラスチックの衣装ケース。LED照明。穴あきの播種ポット。まず播種ポットに種を落とす。発芽まではふたをして温度が上がるようにしてやる。温度計を入れると、カーペットによる熱は最高で27度。水やりは、プラスチックの衣装ケースに流し込み、ポットの下から各自が吸い上げるようにする。LEDライトを消すのは午後5時頃で、消すと同時にビニールの上から毛布を掛けて夜間の温度低下を防ぐ。
最初に発芽したのはキャベツ。続いてブロッコリー、トマト、カボチャ。悪いのはナスで、16粒まいて発芽は1粒だけ。発芽後、少し別な土を入れ足し、安定させてやる。また、日中は、掛けてあるビニールを取り払い、軟弱を防ぐために1時間くらい外気に触れさせる。問題は、どこかで本物の太陽光線に当ててやらねばならないが、いつにするか。今はまだ日中の最高気温が一桁である。どうするか。それを僕は思案している。最後までうまくいくのか、自信はない。でも楽しいことは間違いない。
連日の作業は焚火なしでは辛い。常に火を絶やさず、水仕事をした後、どうにも全身がこわばったら焚火のそばに行く。ただ行って、そばでボンヤリしているわけにもいかず、時間の有効利用でダイズの豆取りなどをやる。そうそう、今日は、ハウスの中に植えたジャガイモをチェックしてみた。そっと土をどけて見ると、しっかりと芽を出していた。小粒でもいいから4月に新ジャガが食べられると嬉しいのだが。
※次回はこの連載をお休みさせていただく。確定申告のためだ。さしたる稼ぎはないけれど、箱から出して整理すべき領収書類だけでもかなりの枚数だ。加えて、僕は算盤に弱い。毎年、机いっぱいに書類を広げ、電卓を叩き、用紙に記入していく作業を思っただけで、少しユーウツになるのだが、やらねばならぬ。2月に入ったら数日間、奮闘するのである。よって、僕の頭はもう別のことで働く余裕がない。この連載は1回、お休みとさせていただく。次回お目にかかるのは2月の末となる。皆さん、コロナにも寒さにも負けず、春の到来を楽しみに頑張ってください。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/
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