【母鶏は2~3カ月間子どもを羽の下に置く】
ふ化から2日間は、ヒヨコにエサは与えない。その後10日ほどは魚のアラなどのタンパク源を親より多く必要とする。とはいえ放し飼いではヒヨコは母鶏の羽の下で守られながらエサ探しを覚えるから、与えるエサに神経質になる必要はない。
「ただ、ヒヨコは飲み水に溺れることがあるので注意が必要です。僕は最初、パンに牛乳を浸してエサと水分とが同時にとれるようにしています」
同じ産卵箱に複数の鶏が入っている場合は、ふ化したヒヨコと親にしたい鶏1羽とを2晩ほど別の箱に入れ、エサも箱の中で与えて閉じ込める。
「こうすると親は子を覚えて面倒をみるようになります」
2〜3カ月後、親鶏は突然、子を放して高いところに上り、子が慌てて泣いても戻らない。そして再び卵を産みは始める。
生まれて2日ほどのヒヨコを、卵を抱こうと座る態勢に入った母鶏とともに2日間コンテナに閉じ込める。その後は、この母鶏がヒヨコを育ててくれる。
親鶏と一緒に土をついばみ、エサ探しを覚える。
ふ化したヒヨコは親鶏の羽の下で守られて、少しずつ外の世界に慣れていく。
【いちばんの心配は、カラス、犬、タヌキなどの外敵】
「10数年前、小屋に野犬が入って一夜にして何十羽もやられてね。オスは全滅。養鶏家に分けてもらいに行きましたよ。もとのような群に回復するまで、しばらくかかりました」
鶏を飼ううえで最も怖いのは外敵にやられることだ。中村さんは昼間の畑で、夜の寝床で、おんどりが泣き叫んで警告を発したらすぐに駆け付ける。
「被害が多いのはカラスです。人がいなくなるのを見計らって、ひなを1羽ずつくわえていきます。鳥ではほかにハヤブサにも狙われますね」
空からの攻撃を避けるには、鶏が逃げ込める背の低い庭木などがあるとよい。
動物では犬のほかネコも手強い。一度味をしめるとしばらく通ってひなを襲う。
「生まれたときから鶏と一緒にいるうちの飼い猫は共存してますけれどもね」
低いところの卵を狙うのはタヌキ、鶏小屋の高いところの破れた網でもくぐって入るのはイタチだ。鶏舎の中の鶏を知ると、穴を掘って入るのもいる。だから鶏舎の壁下には基礎としてコンクリートブロック2段分は埋め込めとも言われる。また、外を歩く敵から見えないように、鶏舎の壁を50〜60 cmの高さにまで板張りにするのも効果がある。
「夜、一風呂浴びて晩酌した後で鶏たちが騒いだら、たいていはヘビの仕業です。卵を食べに来ます。ヘビが出ると産卵率はガクッと落ちるので、僕は植木ばさみを持って駆け付けます」
自給用の10数羽では特に外敵からのダメージは大きい。鶏小屋は小さくても侵入できない頑丈なつくりにしよう。
頭上を低い木の枝で覆われた場所があれば、空からの外敵には襲われにくい。
小屋の床をポツンと歩くヒナを見つけた中村さん。「チビちゃん、おうちに入ろうね」と、親鶏のいる上の棚に戻す。
【気だてのいいおんどりを残す】
中村さんの鶏約200羽のうち成鶏のオスは5羽。生まれてくる鶏の半分はオスだが、現実的には卵も産まず鳴き声も大きいオスを飼い続けるのは難しい。
「残っている5羽のオスは人懐っこくて気だてのいい鶏です。オスとメスは、とさかや顔つきから、ふ化後2カ月ほどで区別できます。3カ月まではどちらもかわいいですけれどね。オスは5カ月で発声練習を始めます」
塩焼きにすると抜群なのは3カ月の鶏。軟らかくカッターナイフでも解体できる。6カ月の成鶏になればまとまった肉がとれるが、解体にはナタが必要になる。
文/新田穂高 写真/菅原孝司
中村顕治(なかむら・けんじ)さん
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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