中村顕治
先ごろ編集長からいただいた魅力的なテーマの数々。前回はその中から「男というもの」について書いた。そして今回は「孤独について」書いてみようかというのである。先に断っておく。孤独について、僕が向ける視点はネガティブなものではない。むしろ、それは、大いなる価値を含有するもの、もしかしたら、それこそが、あらゆる人生において深い味わいをもたらし、自らを成長させ、日々の雑事までも楽しませ、生きていることの意味を知らしめるものではあるまいか・・・これが僕の考えなのである。
前にも書いたが、僕はふだん、近所の人と顔を合わせると、おはようございます、今日も暑いですねえと必ず相手よりも先に挨拶する。また、名前は知らなくとも、ランニングの途中にすれ違う人にも挨拶し、軽く会釈する。その他、配達に来るクロネコ、アマゾン、日本郵便のドライバーにも、いつも荷造りに奮闘している時にバイクで夕刊を届けてくれる初老の男性にも、さらにはプロパンガスのボンベを運んで来てくれるオジサンにも、暑いですねえ、雨ですねえ、ありがとう、ご苦労様・・・必ずそう言う。人と人との関わりに言葉は大切。この思いと同時に、おはよう、ありがとう、ご苦労様と相手に向かって言うことで自分自身の心が軽やかに、気分よくなるゆえだ。
そんな僕なのだが、なら、社交的であるか、人との接触を進んで求める性格かといえば、そうでもない。矛盾しているという印象を抱く読者もいるかもしれないが、例えて言えば「明」と「暗」、あるいは「動」と「静」、僕の体の中にはその両面がくっきり存在する。そしてどうやら、軽やかに社交の場に出るよりも、「引きこもり」の精神みたいなものの方が僕の内部にはやや強く存在している。これはおそらく、子供時代の暮らしから身に着いたものだと思う。母は長く結核を患い、僕には母とともに食事をした記憶が全くない。単身赴任の父は天草、日向、対馬を転々とし、めったに帰らない。8歳違いの兄は15歳で島を出て街の高校に入って下宿生活、そのまま東京の大学へ・・・・すなわち僕には、家族はあったが、全員で食卓を囲み、言葉を交わす、そういった生活部分が欠落していた。
そんな幼少時代に芽生えたのだろうか、「独り」で生きるココロ、そして様々な事柄における工夫が身に着いた。海に潜って取ったサザエやタコを砂浜で焼いて食べる。山の上の池で釣った大量の蛙の脚だけちぎって茹でて食べる・・・。それだけでなく、万事がうまくいくかどうかは別として、頭に浮かんだことを無言のまま、自分の思う通りにこなす、それに心地よさと満足を感じるようにもなった。いま現在の百姓暮らしはまさしくそれなのだ。いっさい誰かと言葉を交わすことのない日は少なくない。朝のランニングをしながら、今日の仕事はこれとこれ、その手順と時間配分を計算し、朝食をすませたらすぐとりかかる。ほぼ計算通りに作業を進行させ、やり終える。思えば、僕は「孤独」になるために、上司も同僚もいない、他人と関わらずに生きられる方法として選び取ったのが脱サラ百姓だったらしいのだ。日々の会話の多くは人間とではなく、野菜や虫や、飼っているチャボたちとする。酷暑の中では、熱いなあ、夕方には水を届けるから待ってろよ、ナスやブロッコリーにそう言う。抜いて積み上げた雑草をどかそうとしたら出て来て大慌てしているミミズやムカデ、オケラ(この上の写真)には、ほら、みんなこっちに早く移動しろ、そう言う。老人になると独り言をよく漏らすと聞くが、僕のこの野菜や虫への囁きも、もしかしたら老いた男の独り言だろうか。
もう一度書いておこう。孤独は必ずしも哀しいもの、切ないもの、忌避すべきものではない。よく噛んで食べればなかなかに味わい深い食べ物に似ている。と同時に、この「食べ物」は人のカラダとココロに豊かな栄養をもたらすのだ。ただし・・・孤独にも肥料が必要である。無肥料、ほったらかしだと、うまく育たない。丈はあってもヒョロヒョロと徒長するばかりで、ほとんど実をつけてくれない。それでは困る。ならば、孤独に施すべき肥料とはどんなものがあるだろうか・・・以下、それを考えながら筆を進めていく。
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