7月11日。朝からすごい光である。今日も暑くなりそうだ。カボチャの下草取りに励む。開花まで2日くらいのカボチャの蕾は、草の中に埋もれていると花を咲かせないままに黄色くなってダメになる。朝の畑の見回りで、チェックポイントのひとつが、この、草に埋もれた蕾を見つけること、周辺の草を取ってやることである。
そろそろ午前の仕事を切り上げようと思っている時、郵便の配達があった。連絡はほとんどメールといういま、封書が届くのは珍しい。田舎の同級生とよちゃんからだった。便箋4枚。同級生がひとり亡くなったことを含め、あれこれの近況が綴ってある。そして、こんな一文もあった。「ケン坊は、急に何かがあった時、連絡してすぐに来てくれる人がいるの?」・・・。とよちゃんに会ったのはもう15年以上も前。同級生は関西に就職、そして結婚という例が多いのだが、還暦を記念して同窓会をやるという案内をもらい、駆けつけた。以来、互いの連絡はメール、たまに電話。今日は長い手紙が嬉しかった。仕事の手を休め、自転車をコンビニまで走らせ、葉書を1枚買った。庭の作業台で嬉しい気持ちを走り書きした。
今日も午後7時20分まで畑で頑張った。南の空から爽やかな月がじっと僕を見下ろしている。朝、ベッドを抜け出す時、肩も手首も腰も、体のほとんどが痛いのだが、作業に熱中している時には痛みを感じない。仕事の成果が目の前に確かな形で広がっている・・・その満足感がたぶん痛みを忘れさせるのだ。
君の孤独を そうあっさり手放しちゃあいけない。
もっとざっくり切らせるんだ。
14世紀ペルシャの詩人ハーフィズ
孤独、私の友よ、
君はまだこの古い家で僕と一緒に暮らしているのかい?
アージャン・ハット(オランダ)
この孤独のなかで泳いでみよう、
天使からは見えないところで。
アルヴィン・パン(シンガポール)
コロナ禍の自主隔離をテーマにした50カ国の詩人がリレーして紡いだ連歌。その邦訳『月の光がクジラの背中を洗うとき』が刊行されたという。テーマの主軸はコロナ禍での孤独だが、僕が今ここで書いている孤独に重ねても味わい深い。君の孤独を、そうあっさり手放しちゃあいけない・・・この孤独のなかで泳いでみよう・・・孤独、私の友よ、君はまだこの古い家で僕と一緒に暮らしているのかい? 「孤独」を活用し、足場とし、人は思索を深めるのだと僕は思う。日常の些事も、社会の喧騒から距離を置くことでその意味を見出し、心の中で軽やかな音となって奏でられるのだと思う。
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