中村顕治
創刊時からお付き合いのある『田舎暮らしの本』。そのWeb版がスタートし、何か書いてみませんかというお誘いをいただいた。読者には20代、30代も多いです……。編集長の言葉に、あと数カ月で後期高齢者となる僕はちょっとした感慨を覚える。我が子より若い、孫にも近い年齢の方々と文章で向かい合う。思えば、僕自身の田舎暮らしや自給自足の夢も、なるほど、たしかに、この年齢で芽生えた。やってみよう。40年、50年の後輩、かつ「同志」でもある若者たちの夢の実現に我が体験が少しでも役立てば嬉しいじゃないか。
1回目のテーマは「百姓と体力」。いきなりこれを持ち出したのは、まさに今が百姓にとって体力勝負のときだから。気温34℃。畑の土の上は50℃を超す。帽子をかぶらず、首にタオルを巻かず、丸出しの上半身にたっぷり光を浴びてスコップを踏み込む。息は切れない。心拍数も変わらず。掘り上げた夏草は山積みにし、糠と鶏糞を混ぜておけば良質の土になる。その期待が暑さを忘れさせる。
今テレビはオリンピック開催で盛り上がっている。「危険な暑さとなります。屋外での運動は避けてください……」。テレビはそうも言っている。涼しい朝夕だけ畑に出て、暑い日中は昼寝などで体を休めるという農家もある。自称、カツオかマグロ、動きを止めると死んでしまうかもという僕はついぞ昼寝をしたことがない。じっとしてられない性格もあるが、自給自足を貫徹するとなれば、どれほど寒くとも暑くとも、さまざま工夫して食料の確保に努めねばならない。
とりわけ7月、8月はやるべきことが多い。秋から冬の収穫に向けて、ピーナツ、山芋、里芋、生姜、ヤーコン、大豆の草を取り、土を寄せる。ブロッコリー、キャベツ、カリフラワー、白菜、大根、人参などの種を蒔く。動力はない。鍬とスコップ、それと自分の手足が頼り。これでもって実働10時間。幸い熱中症にはならず、困るのはただひとつ。流れ出た汗が眼球に染みて痛いこと、視界をふさぐこと。
僕の一日はランニングか自転車で始まる。フルマラソンで言う「サブスリー」だが、若いころのようなスピードはもはや望むべくもない。それでも欠かさず走るのは自分の体に本日始動のサインを送り、筋肉を目覚めさせるためだ。走り終えたらみっちりストレッチをやり、新聞を読み、柔らかな音楽を聴きながら朝食とする。しっかり動ける体をつくるには食事も大切。肉、魚、野菜、乳製品、卵……バランスよい食事に心掛ける。忙しいからカップラーメンですまそうという経験はない。若い時代、カツ丼も天丼も食えず50円のラーメンで我慢した。それがトラウマとして残るか。でもラーメンに罪はない。
何事もそうだが、体力の維持・増強には「ムラっ気のない律儀さ」が肝要だろう。何か食べたらすぐ歯を磨く、あれと同じくらい日常の些事として運動を定着させる。筋肉と骨を強くするには欠かさぬ負荷が必要。我が論は「筋肉と骨の複利漸増(ぜんぞう)法則」。元本100に年利3%の利息が付く。1年後に103となった元本にまた3%の利息が付く……。
強い筋肉と骨は日々の肉体労働を支えるだけではない。精神面にも効用をもたらす。徹底的に体を動かすと夜の眠りが深い。良質の眠りは翌日の疲労感を軽減する。人生、あれこれ惑いは避けられないが、深い眠りが最上のクスリかも。深く眠り、起きたらすぐに光を浴びる。木々の緑を眼に映し、深い呼吸で朝の風を取り込む。人生の惑いは半減。暗い気持ち、ウツからは遠くなる。「田舎暮らし」とは、まさに、このファクターがすぐ手近に存在する生活である。
もしあなたが夢を実現し、田舎暮らしや自給自足の生活に入ったとする。その生活では、もしかしたら……いや、きっと、夢の時代には考えなかった問題が生じよう。生活費のこと、栽培技術のこと、近隣との付き合いのこと……僕自身にもいくつか障害が生じた。その障害を乗り越えるのに、あえてクヨクヨせず「楽観論」で行くというのも手なのだが、意外と、面白いことに、強い筋肉や骨、すなわち体力が、襲ってくる悩みごとの防波堤になってくれる。土俵際で踏ん張って、態勢を整えさせてくれるのはソフト(精神)が3割、残り7割はハード(体力)の役目らしいと、35年の百姓生活で僕は知った。
畑仕事に動力なし、すべては手作業だとさっき書いた。これにもうひとつ、我が家にはエアコンがない。就寝時の室温30℃。それを太陽光発電につないだ扇風機でしのぐ。顔に似合わず荒っぽい言葉をぶつけてくる我がガールフレンドはそんな僕のことを「原始人」と呼ぶ。へへっ、でも、当人は案外、その原始の暮らしを楽しんでいるのよ。暑さ、寒さ、不便さ、汚さ。人はどこまでそれに耐え、健康でいられるか。僕はその実験モルモットでもある。
人はときに、世間に横溢する美しい言葉に魅了され、巻き付かれ、ときには溺れながら快感に酔う。必ずしも悪いことではないが、「他者製品」の美辞麗句に浸りすぎると問題が生じる。実際行動にブレーキがかかるのだ。本当は他人の業績なのに、自分でもやったかのような誤認識に陥ってしまうのだ。世にあふれる美辞麗句はあくまで「参考資料」としよう。「書を捨てよ、街に出よう」という有名な歌人の言葉があるが、僕はひとまず、書を捨てて畑に出る。自分の手足と汗を通した実験結果を自らの頭で分析し、確立して、独自の「自者製品」を開拓する。それが望ましい。
次回は食料、電気、住居、さまざまな自給自足の具体策である。
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1947年山口県祝島(上関町)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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