掲載:2020年10月号
かつて父が手に入れ、開拓を始めた山を引き継いで、そこに隠れ家的レストランを開業した山本剣さん。客商売を考えると不利に思える秘境的立地も、「必ず客は来る」と山本さんは確信を持っていた。人里離れた山に住み、そこで飲食店を営む理由とは?
高速のICから約30分、山の中のレストラン
房総半島の山は深い。標高300〜400mの山々で高くはないが、山歩きに来た人がたびたび道に迷い、遭難している事実がその深さを物語っている。
富津館山(ふっつたてやま)道路の鋸南富山(きょなんとみやま)インターチェンジを降りて、2つ目の信号を左に曲がると、その先は、今回の取材先「隠れ屋敷 典膳」まで約20km、まちと呼べるような集落はおろかコンビニもない。ところどころに家々が点在し、小さな給油所とわずかな食料品が並んでいる小さな商店を2〜3軒見かけただけだ。
高速のインターチェンジから30分ほど車を走らせたところで、道路脇に「隠れ屋敷 典膳」の看板を発見。案内に従って脇道を入る。道は車1台がなんとか通れる程度の幅しかなく、対向車が来たらすれ違うのは難しい。昨年の台風15号によるものと思われる倒木があちらこちらに転がっており、沢沿いの崖も崩れている。脇道を入って1.5kmほど走っただろうか。それまで緑のトンネルのようにずっと頭上を覆っていた木々の枝がパッと切れて明るい空が顔を出す。と、そこに「典膳」と大きく書かれた一枚板を掲げた瓦葺きの堂々とした門が立っていた。
その門をくぐり、ガラリと音を立てて入り口の引き戸を開けると、厨房で料理を仕込んでいたご主人の山本剣さんが「どうも、どうも。こんな山奥までようこそ」と気のいい笑顔で迎えてくれた。ここは知る人ぞ知る南房総市の隠れ家レストラン。
なぜ、こんな山奥に?
それは、山本さんの父の話にさかのぼる。
山を入手して開拓を始めた父だが……
山本さんがこの地に住まい、「隠れ屋敷 典膳」を構えたのは、17年前の2003年。同市で居酒屋を営む実家から独立する際に、新たに店舗を営む場所として目をつけたのが、この山の中だった。
「ここの土地自体は、30年くらい前にオヤジが入手したものなんですよ。今でこそ周りには何もありませんが、ずっと昔は集落があって、当時も3軒の家が残っていました。そのうちの1軒が土地を売りたいと役場に相談していたところに、たまたまオヤジが居合わせたんです」
山本さんの父は群馬県出身。10代前半に丁稚(でっち)奉公のような形で東京に出た。その後、さまざまな職業を経験し、高度経済成長期の別荘ブームのときに就いていた不動産屋の仕事で和田町(現在の南房総市)を訪れ、そのまま移住。
「言ってみれば田舎暮らしのはしりですね。そのためか田舎で生まれ育った人とはちょっと違う都会の人の目を持っている」
と山本さんは話す。
その父が移住後に開業した居酒屋は、店内を骨董品で飾った古民家風の建物で、雰囲気のよさから毎晩遅くまで客足が絶えない評判店になった。そして、もっと人里離れた場所で店をやろうと入手したのがこの土地なのだ。
「登記簿上の面積は約3000坪ですが、あちらの山も、こちらの森もと言われていて、はっきりした境界があるわけでもないので、実際はどれだけ広いかわかりません」
今では集落もなくなり、山を管理する人もいないのだ。
土地を手に入れた山本さんの父は、続いてショベルカーやトラックを入手し、自らの手で開拓をスタート。そのころ地元の高校を卒業した山本さんは、大阪で料理の学校に通い、その後、東京・八王子の料亭に就職して働いていた。
その料亭に「父が倒れた!」と実家から電話があったのは、仕事を始めて3年ほどたったころだ。
「じつはその数日前にオヤジから私に直接連絡があったんですよ。『店にはオレが倒れたって電話するから、辞めてすぐに帰ってこい』って(笑)。どうやら山の開拓が楽しくなっちゃって、自分の店に手が回らなくなったらしいんです。それで、店は息子にやらせとけと。で、自分は山で遊ぼうというわけなんです」
数年前に入手したときは何もなかった山には、寝泊まりするための住まいと地元の農家から移築した蔵が立ち、東京から運んだ武家屋敷の門と玄関も移築。しかし、数年がかりでそこまで開拓したところで、作業は遅々として進まなくなり、いつしか止まってしまったのである。
「飽きたんでしょうね(笑)。で、その後は門と玄関だけが立っているという映画のセットのような状態だったんです」
骨董が飾られた築100年を超える古民家?
山の開拓に没頭する父に呼び戻された山本さんだが、実家の居酒屋で働き始めて10年ほどたったころ、家族との話し合いで独立することになった。
「居酒屋は兄が中心になってやっていたので、次男の私はどこかでやっぱり独立しなくちゃいけなかったんです。この土地はオヤジが開拓し始めたときから興味があったんですよね」
独立の話が持ち上がる1年ほど前に結婚していた正枝さんは、初めてここに連れてこられたときのことをこう語る。
「私は海育ちなんで、まさかこんな山の中で暮らすなんて考えてもいませんでした。そのときは、お金を積まれたって絶対来ないよ!なんて言っていた気がします。まあ、なんだかんだだまされて連れてこられちゃった感じ。周りに人がいないのはちょっと寂しいけど、何もないっていうのが逆に居心地よかったりもするし、住めば都です」
それからは2人で父が建てた住まいに暮らし、門と玄関だけの張りぼてを山本さんのイメージする店へとつくり上げていく作業が始まった。
「地元の同級生や後輩が、大工や電気屋や屋根屋だったので、店を建てるときはいろいろ融通を利かせてもらいました。設計図は焼き肉をごちそうして描いてもらったし、実家に転がっていた骨董の扉を壁に使ってもらったりしてね。作業後の掃除などできることは私も手伝って、材料費や工賃を少しでも抑える努力をしました」
組子の欄間や古い扉、黒く塗った柱や梁、そしてあちらこちらに飾られた骨董が、新築の建物をあたかも築100年を超える古民家のように見せる。
「建築をちょっと知っている人はすぐに気がつくんですけど普通の人は新築だと思わない。でも、建物が古いとか、新しいとかはどうでもよくて、お客さんが満足してくれる空間をつくることが大切だと思っています」
ちなみに、店内に所狭しと置かれた骨董は山本さんの父のコレクション。トラのはく製や武士の甲冑、妻壁には直径1mほどの葵の御紋まで飾られている。
「夜中にこっそり実家に行って、めぼしいものをちょっとずつ持ってきちゃいました。葵の御紋は、昔、近くに『モーテル徳川』ってのがあったんですよ。その看板です(笑)」
求めるものがそこにあれば人は来る
房総半島の人里離れた山の中で営業する「隠れ屋敷 典膳」。鉄道や高速道路からのアクセスもいいとは言えず、近くに見るべき風光明媚な場所もない。ところが、この店ははやっている。
「こんな山の中ですけど、車さえ通れれば客は来ると確信がありました。東京・八王子で働いていたときの料亭もこういう山の中なんですが、賑わっていましたから。今考えればその料亭を就職先に選んだときから、いつかここで店をやろうという思いがあったのかもしれません」
山本さんがお客さんに提供しているのは料理だけではない。この自然以外に何もない山の景色と、季節を感じさせる草木の彩りと、鳥や虫の声と、風のにおいと、それから時代を感じさせる建物の雰囲気と、ここに至るまでの秘境めいた道中もそう。料理の味はもちろんだが、人里離れた山の中にあるというそのことにむしろ価値があるのだ。求めるものがそこにあれば、人はやってくる。非日常を感じられる期待に胸を膨らませて。
どこか厳かな響きを秘めた「典膳」の店名にも秘密がある。
「地元の剣豪の名前なんですが、一般的にはあまり知られていないんですよ。で、ある晩、夢枕にその剣豪が出てきて『オレを有名にしてくれ』と言うもんでね(笑)。まぁ、武家屋敷というのもあるし、地域とのつながりやストーリーが加わればお客さんも面白がってくれるでしょ」
田舎で生まれ育った人は、その周りにある自然を見ても何も感じない。なぜなら、生まれたときからそこにある当たり前の景色だから。しかし、都会の人は、その当たり前の自然を見て大いに感動する。古民家にしてもそうだ。都会の目を持っていた山本さんの父はそれを知っていた。山本さん自身は田舎で生まれ育ったが、やはり同じ目を持っていた。それから大阪や東京に出て視野を広げ、戻ってきた地元で改めてその環境の素晴らしさを感じ、より自然豊かな山の中へと居場所を移したのだ。
「休みの日は畑とか、草刈りとか、山の整備とか、そういうことをしています。昨年は台風でライフラインが1週間止まったり、今年はコロナ禍でいろいろ騒がしいけど、山の中の暮らしって何かあったときにこそ強い。食材も、薪もあるし、水は湧水だし、庭に出てくるイノシシはお肉に見える。山整備の道具もあるからね。自分たちで生き抜くすべを知っている」
高齢になった山本さんの父がたまに店にやってきて、「お、客入っているじゃねえか」などと一言、二言会話を交わすそうだ。きっと父もこんな暮らしを夢見て開拓を始めたに違いない。そして、ここを訪れる都会の人たちに田舎の自然や、暮らしの素晴らしさを伝え、食という時間を通して、この雰囲気の中で幸せな時間を過ごしてもらいたかったのだろう。その思いは山本さんにしっかりと受け継がれ、今、こうして実現されている。
文/和田義弥 写真/阪口 克
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