信じることの大切さに気づいた三男の自宅出産
今、げんさんは田んぼ6反、畑2反5畝を耕し、ミツバチを飼育し、月2回石窯でパンを焼いて、調味料やお茶や保存食なども手づくりし、それらで家族の食の大部分をまかなっている。冬は山仕事。薪やキノコのほだ木を切り出したり、間伐して道を整備したりする。里山はそうやって人の手が入ることで自然が保たれ、自分たちの暮らしに必要なあれやこれやを供給してくれるのだ。山が豊かであればこそ、田畑の作物も豊かに実る。自然はすべてつながっていることをげんさんは知っている。
そんな暮らしで得る収入は、自分たちで消費しきれない分の米や野菜やパンなどを販売して得るささやかなもの。
「お金を使うのは車関連と衣類と月々の通信費くらいかな。光熱費は電気代が月2000円程度。基本的には自分たちでつくるものや、身の回りにあるもので生活できるので、お金は気持ちよく使うことにしています」とげんさん。
農作業は3人の子どもたちと一緒にやることも多い。といっても、もちろん平日は学校に行っているので天気のいい土日だけだ。子どもたちでもできる2〜3時間の作業で、その間自然のことや学校のことなど、げんさんや子どもたちがお互いに伝えたいことや、知りたいことを何でもいいから話しながら手を動かす。仕事が終わればささやかなご褒美も。子どもたちも楽しく作業できるし、やる気も出る。
「僕は、子どものころからずっと自給自足のようなことをやっていたけど、父はすぐ感情的になるので、農作業をしていてもいつもどこからか怒鳴り声が聞こえた。その影響を受けていたんでしょうね。僕も子どもができてしばらくは気づかないうちにそうなっていた。ところが三男を自宅出産したときに気づかされたことがあるんです。命って母と子の息があって生まれてくる。父親ができることって、信じることだけなんですよ。心の底から信じる。それがわかったとき改めて父親になれた気がして、それから子どもとの接し方が変わったような気がします」
大森家の子どもたちは、げんさんと梨紗子さんを「げん」「りさ」と名前で呼ぶ。親と子であると同時に、当たり前のことだけれど人として対等なのだ。
目の前のことをていねいにやっていけば、先が見えてくる
2016年、げんさんのお父さんが亡くなった。以来、あーす農場は空き家になり、兄妹はげんさんを除いてみんな地元を離れた。農的な暮らしをしている人は誰もいない。
「僕が、今もこうして子どものころと大きく変わらない生活を続けているのは、根本的な部分でそれが暮らしの基礎であることを知っているし、同じ方向を見ている妻と出会えたから」
結局、生きていくことは、1日働いていくらという収入の上に成り立つものではなく、1年間、山や田畑で何をするかであって、自然に従いながら食料やエネルギーが途切れることなく得られればいいのである。人はお金がなくても生きられる。でも、食べるものがなくては生きられないのだ。
「生活に不安ってあまりないんですよ。今の世の中って何でもふたをしてわからないから、見えないから、怖くて不安になる。でもこういう暮らしをしていると全部見える。種を蒔けば実りがあるし、そこに積んである薪がエネルギーになる。山の木々も時期を考えて切ればまた生えてくる。子の代か、孫の代には、その木が使えるようになって、山の自然も維持されます」
イメージを持って目の前のことを一つひとつていねいにやっていけば先は見えてくる。人が安心して生きるためには、そうやって自然のリズムと生活がつながっていることが大切なのではあるまいか。
「子どものころの自給自足ってホントに大変な思い出しかないけど、今はこだわってこういう暮らしをしているわけじゃない。やりたいことを家族で楽しくやっています。生きるために1年間をどう過ごせばいいか、その時間の流れは父がコツコツ教えてくれた。学校にはあまり行けなかったけど、感謝しています」
自給自足というのは、つまり生きていくための知恵と技をどれだけ持っているかということだ。身の回りの自然を知り尽くし、種から小麦を育ててパンを焼ける人は、世の中が不安に覆われても、きっと戸惑わない。その日やるべきことをきちんとやっていれば、また来年もおいしいパンが食べられるのを知っているから。
文/和田義弥 写真/田中秀宏
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