我が家のニワトリの親子。母と子の姿から、人間の生き方、母性、人口などについても考えてみる。
今日みたいな天気の下で収穫した野菜を水洗いする。零細な百姓の姿がそこに凝縮されている。
小梅の花である。商品としての価値は薄いが、バリバリの霜の中でのこの姿には価値がある。
あまりの寒さに外の仕事を躊躇。部屋で大豆の莢むきをやったけれど、部屋の中も手がしびれる寒さだった。
部屋で育てた苗をビニールハウスに移す。ビニール1枚では寒いだろうからプラスチックの三角帽子をかぶせてやる。
我が家周辺には多くの朽ち木があり、様々な虫が棲む。クチキゴキブリもここらで暮らしているのだろうか。
ヒヨコたちは歩く。生後半月すると捕まえるのも難しいくらいの健脚になる。
育児は辛いか大変か。それとも楽しいか。抱卵21日、生後の育児が約60日。母になるとはどういうことか・・・。
走らない人生なんて考えられない・・・ラン歴50年余。骨の髄まで浸みこんだ生活習慣である。
たまの来客はここで応接する。ビニールハウスに入るのは初めてという人は少し驚くが、たいてい喜んでくれる。
凍結した金魚の池から黒いチャボがなんとか水は飲めないかと奮闘。
ガリガリに凍結した土の上で露地のエンドウは朝を迎える。その逞しさには頭が下がる。
僕はなかなかモノが捨てられない。いつか必ず使える、そう思って綿が飛び出た布団も取っておく。今まさに出番である。
露地より2か月早く結実させるために僕が費やす時間はトータル100時間。時給1000円ならなんと10万円か・・・。
カッコよく仕上げるつもりのホットケーキだったが、無惨な姿となり果てた。でも素材は卵とキウイとと牛乳。朝の栄養摂取としては十分だ。
イチゴのハウスで草を取る。明るいけれど閉ざされた空間。そこで小さな草ひとつ見逃すまいと精神を集中させる。ある種の瞑想状態となる。
今年最初のイチゴ。草取りに入ったハウスでポツンと見えた赤い実には心が躍る。
大量の生姜を大鍋で煮る。そこに毎日ランダムに野菜を投げこんで食べる。生姜のスープは半月くらい使い続ける。
梅切らぬバカというが、10数本ある梅の木を全部きれいに仕上げるにはなかなかの時間を要する。
氷の上のヒヨコ。足は冷たくないか。スケート靴でも履かせてやろうか。
大豆の実取りはとにもかくにも根気である。ひたすら莢をもみ続けるのである。
マシーンに仕掛けて5日ほどでモヤシになる。急ぎたい時はマシーンを電気カーペットの上に置く。
玉子は卵子。産み落とされてから少なくとも半月は生き続ける。母に抱かれる日が来るまで物置の隅にじっと横たわる。
母に抱かれて21日。生命力の強いヒヨコは自分の力で殻を破る。少し虚弱なヒヨコには僕が力を貸してやる。
3日に1本という割合でビニールトンネルを仕立てて種をまく。春の収穫を夢見つつ。
フキノトウ、そしてタケノコ。百姓はそれで春の足音を聞く。
猫だってママだ。ヒヨコは生まれてすぐ眼にした動物を、肉親や親と思い込む。
キレイに咲いてくれた花たち。美しい姿に元気をもらえる。
氷の張る1月。電気カーペットを敷き、夜は布団を掛けて苗を作る。楽しいゲームである。
ブロッコリーは癌予防に効果的と言われる。素早く火が通って料理の応用範囲が広いのも嬉しい。
母親のチャボは、他のチャボの子どもの面倒も見てくれた。
無言でヒヨコを抱くことはない。ママだよ、可愛いなあ、みんな元気だなあ・・・必ず声をかけながら抱いてやる。
幅7メートル、長さ12メートルのビニールを張る。無機質であるビニールが希望をもたらす。ジイチャンがんばれと囁きながら、エールをくれる。
耕さず、草を取らず・・・その理想を現実のものとするのは遠い道である。