田舎に移住してパン屋になる。資金があれば何とかなりそうな夢だが、吉野さんの場合は思わぬ壁が待っていた。しかしくじけることなく夢を追い続け、2021年ついに営業を始める。夫婦で力を合わせる秘境の薪窯パン屋を訪ねた。
掲載:2023年2月号
徳島県吉野川市 よしのがわし
徳島県北部、四国第2位の大河・吉野川の南岸に位置する。吉野川流域には平野が広がり、その南には標高500~1000mの峰が立ち上がっている。人口約3万8000人。徳島阿波おどり空港から車で約1時間。JR徳島駅から徳島線列車で約40分。
パン屋への長い旅。でも、それはよき日々
吉野 秀(しゅう)さん●43歳 真理子さん●38歳
秀さんは愛知県出身、真理子さんは京都府出身。2008年に2人で吉野川市に移住。3男1女の6人家族。2021年に「moku moku note Bakery & Cafe」を開業。写真は秀さんがセルフビルドした「moku moku note Bakery & Cafe」にて。山々の眺めがすてき。Instagram/@mokumokunote
吉野さん家族が暮らすのは、四国八十八ケ所霊場の「歩き遍路」で一番難所の山道「遍路ころがし」に近い集落。標高350m前後の急傾斜な山肌に、10数軒の民家が点在している。「山奥が好き」という吉野秀さんの望みどおりの秘境である。
秀さんは大学卒業後、詩人を目指しながら1年間日本各地を旅した。それはすてきで大いなる日々だったという。
「田舎で自然に向き合い、喜びや楽しみも自給自足する人たちに会い、勇気をもらいました。そして自分も田舎で暮らそうと」
田舎での糧は、大好きなパンで稼ごう。放浪の旅を通じて、田舎でパン屋を成功させている人にも出会った。パンマニアは多いので、おいしいパンを焼けば山奥でもやっていけるはず。
そして見つけたのが現在暮らす山里。あまり補修せずに住める家があり、土地は広く購入価格も予算内。秀さんは真理子さんと移住する。真理子さんはというと、わくわくしたという。
「田舎出身でしたし、いつかは自然のなかで暮らしをと思っていました。おもしろいことが起きそうだなあって」
だが、さあパンだというときに壁にぶつかる。田舎の土地購入で要確認の「地目」である。
「パン屋を建てるのに適した場所のすべてが農地だったんです」
しかも、さまざまな事情が重なり、農地転用の見通しが立たない状況に。
「でも、前向きに考えました」
ならば、腰を据えてパン屋を目指そう。まず、先延ばしになっていた結婚式を挙げた。子どもも生まれ、3男1女の楽しい家庭を手にする。秀さんは会社員になって開業資金を上積みした。10年が過ぎた。
「けど、開業計画をパンのように長時間発酵させてよかった。パンづくりや経営に追われていたら、今の家族の幸せはなかったかな」と秀さんは言う。
吉野さんのパンは卵、油脂、乳製品不使用。国産または安全で、なおかつ風味に優れた 小麦を使い、手づくりの窯で薪で焼く。麦と酵母の香りが自慢。
えりすぐりの全粒粉やライ麦を配合し、自家製天然酵母で発酵。定番はカンパーニュや古代麦パン、レーズンとクルミの薪窯パンなど。
カンパーニュ。しっかりと焼き込んであるので外はカリッとしている。しかし中はちょうどよいやわらかさ。いろんな食事に合う。
そして、ついに農地転用がかなう。長く待つ間に独学した建築知識をもとに、秀さんは自分でパン屋の設計をした。棟上げ以降は秀さんのセルフビルドだ。移住後に築いた人とのつながりが、作業や工作機械の入手を助けてくれた。資金面では、県のふるさと納税のクラウドファンディング「ふるさと起業家支援プロジェクト」を利用し、目標額を達成できた。
約2年かけて開業にこぎつけたパン屋では、真理子さんがレシピを考え、秀さんがパンを焼く。小麦にこだわり、その風味を生かすパンである。まだ経営は安定していないようだが、この山奥に足を運んでくれる人も増えてきた。
「ネット販売をレベルアップし、パンを気に入ってくださる方を全国に見つけたい」
と、吉野さん夫妻は前を向く。カフェオープンも目指して、建物のセルフビルドも続けている。ついに腕を振るうときが来たのだ。この先の夢は、世界一のパン屋になること。2人なら、きっとやり遂げるに違いない。
秀さんが音楽を奏で始めたのは大学卒業後。好きなら下手でも表現するのが大切と、さまざまな楽器に挑戦。おかげで子どもたちは音楽が身近だ。
右から時計回りに吉野家の檀(だん)くん(10歳)、桜(おう)くん(7歳)、楓(ふう)くん(5歳)、柚(ゆず)ちゃん(1歳)。自然のなかでのびのびと育っている。
在来軸組み&金物&板倉工法で設計・セルフビルド。天井の施工は夫婦で力を合わせた。
お店の建築では、基礎、棟上げ、一部の設備工事をプロに手伝ってもらい、その他の大工仕事はセルフビルドだ。
吉野さん夫妻に聞く 田舎で夢をかなえるために大切なこと
「好きなこと、よいところを見つけよう!」
知らない地域に移住すればいろいろあります。でも、よい着地点があると信じることが大切。私たちにそれができたのは、この自然のなかで暮らすことが一番の喜びだったから。自分自身を保ちながら相手に委ねるという、相反することをやり抜いてきたこともよかった。夫婦生活と一緒ですね、いいところに目を向けましょう(笑)。
【吉野川市】移住支援情報
多岐にわたる支援あり!
住宅を取得し定住する場合、「しあわせ住まいづくり支援事業(最大25万円)」を利用可。子育て世帯には、18歳までの医療費助成「子どもはぐくみ医療費助成事業」や「育児用品購入費助成事業(1歳児未満、上限2万5000円)」がある。空き店舗などで創業する人には、改装費と家賃を補助する「吉野川市YYターン移住創業支援事業」も魅力的だ。
問い合わせ/市長公室 ☎0883-22-2203
https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2015030200014/
スポーツ施設や会議室、図書館、そしてシェアオフィスがある複合施設「日本フネン市民プラザ」。吉野川市中心市街地のにぎわい拠点だ。
吉野川市美郷にあるゲストハウス「たねのや」。マルシェ「TANE-ICHI」も定期開催。
「吉野川市にぜひお越しください!」
市長公室 松村潤さん
文・写真/大村嘉正 写真提供/吉野 秀さん、真理子さん
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