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田舎暮らしの本 12月号

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田舎暮らしの本 12月号

11月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

老いと幸せ/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(49)【千葉県八街市】

執筆者:

 1月1日「生きている間は仮退院の患者みたいなもの」。新年の始まりである。ほんの少し風がある。しかし、今朝は霜も降りず、ふんわりと新春の暖かさが感じられる。ランニングの途中、ポツポツと近隣の人に出会う。おめでとうございます、今年もよろしく・・・力を込めた声で僕は言う。ランニングをすませ、朝食をすませ、少しばかり、ゴミ捨て場然としたパソコンテーブルを清掃する。そしてつぶやく。今年もよろしくな。2年ほど前だったか、天井からの雨漏りに打たれたこのパソコンのモニターには太い縦線が入っている。しかし機能は維持されている。スマホのない僕は、仕事の連絡、友人との連絡、そしてブログも原稿書きもみんなこいつのお世話になっている。だから今年もよろしくな・・・。

 いつものように働く。初詣なし、お節料理なし。無粋な百姓の1年がふだん通りに始まる。タアサイのトンネルを開き、寒さで浮き上がった根元に米ぬか堆肥をそっと置き、土を寄せてやる。ニワトリたちに蹴散らされたエンドウにも土を寄せてやる。そして、タップリの光の中で田舎暮らしについて考える。自分でもビックリするくらい古い。よくもまあ、なくさずに取ってあったなあ・・・2015年9月1日の朝日新聞。その「耕論」のテーマは『終のすみか』である。3人の方が持論を展開する。トップは「田舎暮らしに適した日本」との見出しで、あの、テレビ朝日「人生の楽園」のディレクター・後藤和昌さんが語っている。後藤さん自身、旭川に移り住み、仕事の時だけ東京という暮らしをしているという。その後藤さんは冒頭、長崎県大村湾近くに300坪を300万円で手に入れて夫婦で移り住んだ、“あまりの激務に編集部の机に突っ伏して寝てしまい、このままでは死んでしまう”、そう考えて田舎暮らしを決断した元雑誌の編集長の例を紹介する。

プライバシーはほぼ皆無です。知らぬ間に自宅に野菜が置いてあるのは当たり前。ある時は、見知らぬおばあさんが自宅の座敷でお茶を飲んでいる。ここで「どなたですか」と聞いちゃいけません。「何だ、いたの?」「留守番してあげてた」「ありがとね」と会話が続けば合格です・・・。

 僕は決して人間嫌いではない。人と接する機会があると、庭にテーブルを用意し、ふだんの自分には全く無縁なテーブルクロスを掛け、重い蓄電池を運び、ポットとトースターをそこにつないで軽い食事を用意する。相手の話をじっくり聞く。しかしながら、人間関係を意図的に増やそうとする性格ではない。むしろ逆に、人と接する機会は「たまに」が良くて、ふだんは出来る限り独りでいたい。無言のままに、ニワトリ、野菜、猫、ときには訪れる野生の動物と接する暮らしを望む。だから、後藤氏が紹介するこのエピソードは僕の感覚とはちょっと一致しない。自分の部屋が乱れ放題で、他人には見られたくないという羞恥心もあろうが、外から帰ったら見知らぬ人がお茶飲んでいたというシーンは、ほほえましいと思う人もいるかも知れないが、僕はやはりダメだ。

地域の人たちは、言葉に出さないだけで、溶け込むつもりがあるのか、地域に害をなす人ではないかと、移住者が思う以上に見極めようとしています。逆にいつも雨戸を閉めて「何をしているのか分からない人」は、いつの間にかいなくなってしまいますね・・・。

 僕は雨戸を閉めたことがない。玄関も寝室も開けっ放しにしてある(だから用事で庭まで入って来た人には部屋の中まで丸見え)。光と風がタップリ入るようにと開けてあるのだ・・・前から書くように、たとえ名前は知らずとも、道で会ったらおはようございますと会釈する。無理に村に溶け込もうと努力したことはないが、それでも、この村に移ってすでに38年という平穏な時が流れた。僕は地区の役員をやっていた時、集金などで玄関先まで行ったことはあっても、村人の家の中まで入ったことは一度もないのだ。ちょっとカッコつけて言うならば、英国式の人間関係が好きなのかも。Good Morningというあの朝の挨拶は、素知らぬ顔をして通り過ぎたくはない。さりとて込み入った会話をしたくもない。もって、いま自分をも相手をも、取り巻いている空模様を借りることにした。そこで言うわけだ。グッドモーニング、いい朝ですねえ・・・と。「人生の楽園」の人気は根深く、多くの人の憧れの的となっているに違いない。しかし僕にはパターン化しすぎているとの印象がある。近隣の人との交流はまろやかに、たしかにそれがよろしい。さりとて濃密すぎるのはどうも・・・これが我が好みである。そうそう、先ほど愛用のパソコンに新年の挨拶をしたと書いたが、もうひとつあった。1か月前に種をまき、込み合ったものを途中でポットに分割したタケノコ型をしたキャベツ。この下の写真まで成長した。毎朝、板、毛布、電熱器、そしてガラスのカバーを外すたび胸がドキドキし、そしておはようと声を掛けるのであるが、今朝の挨拶は新年おめでとう、おっ、だいぶ大きくなったなあであった。

 さて、「耕論」。そこには解剖学者・養老孟司先生も登場している。見出しは「どこで最期  問題ではない。」先生は冒頭、すでに葬式を済ませ、戒名ももらっていると語る。5歳で父親を失い、3000体の遺体を解剖した先生は、死は考えても仕方のないもの、人は必ず死ぬ、すなわち致死率100%なのだと言う。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・『方丈記』を引きつつ、人間の身体を作る分子は7年ですべて入れ替わる、すなわち無常である、そうとも言う。僕が面白いと思ったのは、多くの人は病院で生まれ、病院で死ぬ。すなわち、生きて、社会で暮らしている間は「仮退院」みたいなもの・・・という論だった。養老先生は以前、現代版「参勤交代」を提唱したことがある。田舎暮らしのススメだが、ずっと田舎に暮らす必要はない。1年に3か月くらい都会を離れ、田舎で暮らしてみてはどうか、そう言うのだ。

光を浴び、土に触れ、風を感じる。刻々と変化する自然によって五感に刺激を与える。あるいは、人間がつくったものでないものに目を向けてみる。たとえば、雲。どうしてあんな形をしているのか。あるいは、葉っぱ。どうして、こんな形でこんなところについているのか、と考えをめぐらせてみる。すると、気づくはずです。自然のように、人間の意識ではどうにもならないものがあるんだ。そして、当たり前のことを思い出す。「今日という日は明日にはなくなる」。ならば、どこで最期を迎えるかは大した問題ではない・・・。

 若い人は今回の話、どんな感じで読んでくれたかな・・・そろそろ話をしめくくろうかと思ういま、そんなことをちょっと考えている。何十年も先のこと、冒頭に書いたようにすぐにはピンとこない人もいるだろう。しかし、歳月は自分の感覚よりはるかに速く過ぎ去る。子供時代、近隣で、ワラ草履や干しイモを作ったりしている老婦の背中が弓のように曲がっているのを不思議な気持ちで眺めていたが、気が付くと自分自身がそれによく似た老人になっていた。そしていま考える。老いるとは、幸せなことなのか、そうではないのか。正直なところ、五分五分であるような気持ちで僕はいる。若さがもたらすエネルギーや高揚感、失われたものは少なくない。でも、歳月を重ね、老いてくることによって見えてくるもの、手に入れるものも決して少なくはない。そして大事なことは、今日、明日を大事にして生きることである。自分の意志と手足の力で日々の暮らしを営むことである。僕の体はまだ、あと5年くらいは故障せず動いてくれるだろう。そのもととなっているのは、青春時代の「弱さ」だった。すでに何度か書いたが、僕は朝礼で並ぶ列の常に前から何番目かだった。体の大きい野球部や柔道部の同級生が羨ましかった。そして高校時代、クラスの番長に楯突いたことでコテンパンにやられた。なんとかせねば。一人前の男にならねば。10代から始めた自転車、ボクシング、空手、マラソン。いずれも胸を張れるだけのレベルではないが、でも、言える。若い人に向かって確かに言える。自分の弱さ、劣等感を悲しむのではなく、それをバネにして生きたならば思わぬリターンがいつかもたらされると。現在の僕が病気せず、日々10時間近い労働に耐えられる力は、上に書いたような弱さと劣等感がもたらした。まさか、60年後の百姓生活に役立つなどとは夢にも思わず、打倒番長を掲げてなした筋トレやランニングが77歳での畑仕事のベースとなったのだ。何日か前、『筋トレスイッチ』(草思社)という本の広告を新聞で目にした。「筋肉を動かす人は一生幸せ! するかしないかが人生の分かれ道」とのリード文があった。同感である。筋肉、さらに骨は、舞台芝居に例えるなら大道具である。役者の演技と直接には関係ないが、でも、その演技の背後にどうしても必要なもの、演技の味わいを深めてくれるものだ。

 若い人たちに向かって老人は言う。日焼けなんて気にせず存分に光を浴びなさい。空の雲や土から這い出す虫たちをじっと見つめなさい。せわしないことこの上ない世間にチョッピリ背を向け、群れから離れ、独り時間を楽しみなさい、野菜や果物をいっぱい食べて、筋肉も鍛えなさい・・・思えば、これら全てを満たしてくれるもの、それがどうやら「田舎暮らし」らしいのである。

この記事の画像一覧

  • まだ高いところでの作業も苦にならない。
  • 背中がぱっくり開いたセーター。ガールフレンドの「フネ」が撮った1枚。
  • 部屋の中で育てているキャベツやレタスの苗。
  • 窓辺に光が差し込まなくなる午後3時から2時間ほど、この植物育成ライトを照射する。
  • 朝は焚火。ぶっとい木もたやすく燃え上がる。
  • 焚火で温まりながら、ガールフレンドの「フネ」と朝食。
  • 新聞がうまくめくれない。使い終えたティッシュがしつこく指から離れない。文句ひとつ言わずこの手は酷使に耐えている。
  • ビニールハウスにジャガイモを植える。うまくいけば4月に収穫が可能。
  • 焚火のそばで本を読む。ささやかな贅沢タイムであるか。
  • 冬の朝の光。それは静かに美しくやって来る。
  • ピーマンたちよ、今日までよく頑張ってれた。
  • 今日は冬至。空は真っ青で、吹く風は冷たい。明日からは日照時間が少しずつ長くなっていく。
  • ビニール代は2つで1万6000円。それが明日への大きな夢を育む。
  • 1枚のビニール上で過去と現在が交錯する。
  • 4月に岐阜から届いたヒヨコたちは今は立派な大人。大量の糞をする。
  • 袋に詰めた鶏糞堆肥は20キロ。そいつを2日かがりで8つ運んだ。背中が曲がり腰痛がひどくなるはずだ。
  • 畑で体を動かし続ける。年末も正月も、最期の日まで、僕はそうする。
  • さあ燃えろ。しびれ手で林から枯れ木を集めて点火。我慢の時である。
  • キクイモの茎は中が空洞。瞬間的な発熱量はガスにも劣らない。
  • この広いビニールハウスの中に、たった1匹、小さなミツバチが舞う。
  • 思えば10歳の頃から土が大好きだった。
  • 小さな命に心を寄せる。戦争なんて、おろかだねえ・・・トカゲに向かって囁く。
  • うちのニワトリとヒヨコたち。
  • 500Wの蓄電器。電熱パッドは100Wなので5時間もつ。
  • 電熱パッドの上から毛布でしっかりとくるむ。途中で電気は切れるが朝までゆるやかな熱気が残っている。
  • 朝、珈琲を片手に新聞タイム。「静謐」ともいえる時間が愛おしい。
  • デコポンは寒さゆえに本場のような出来とはならない。でも味はすこぶる良。
  • すべてはランニングから始まる。
  • 雨の日はビニーハウスに籠って仕事する。
  • 庭にやってきた痩せて毛のないタヌキ。
  • このパソコンも老体である。メモリーも4ギガしかない。でも懸命に働く。
  • お節料理を食べたいとは思わない偏屈老人は元旦にも台所に立って煮物を作る。
  • 種まきから1か月。遅々とした成長が我が楽しみを引き延ばしてくれる。
  • そろそろ今日の仕事が終わるという夕暮れ、僕はいつも西の空に目を向ける。

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この記事を書いた人

中村顕治

中村顕治

【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

Website:https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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