12月24日「100歳の感激なんてありませんよ」。今日もさらにキビシイ寒さの朝だ。僕は洗濯ものをあまり増やさないようにと、昨日の仕事でもって濡れてさえいなければ、シャツ、モモヒキ、パンツを今日もう一度着る。ふだんありふれたことなのだが、今朝はダメだった。浴室前に投げたままになっているそれらはとても足や袖を通す気にならないほどに冷え切っていた。午前8時15分の室温は6度。それを、熱い珈琲と野菜炒めでじわっと腹の中から暖める。よっし、仕事に取り掛かろう。4月に岐阜から届いたヒヨコ30羽。その住居のために例のごとく、ありあわせの材料で僕は小屋を作った。ニワトリは止まり木にとまった状態で夜も糞をする。その糞が20センチくらいの層になっている。一昨日完成したビニールハウスに運び込めばすばらしい肥料になる。トータル100キロくらいになるか。箱と袋に詰めて、30メートルの距離を頑張った。我が作業は重い物を持って常に前屈み、何十年も。背中が曲がるのは必然だ。しかし、たかが77歳くらいで年寄ぶっては90歳、100歳の人に笑われる。
佐藤愛子さんがこの秋に100歳になられた。幼い日を振り返ったエッセー『思い出の屑籠』(中央公論新社)を出したのを機に読売新聞のインタビューを受けていた。僕は『戦いすんで日が暮れて』(講談社)など、愛読者の一人である。それにしても100歳とは、なんともすごい。
100歳の感激なんてありませんよ。歳は勝手に取るわけで、私の知ったことじゃない。朝に太陽が昇り、夜に月が出るのを論じてもしょうがないでしょ・・・。
僕は勝手に推測させていただく。逞しさ、なにくそという根性、その一方にジョークがあり、あっけらかんとしたものがある。それが佐藤さんが100歳まで元気であった理由に違いないと。なにくそという根性、あっけらかんとしたふるまい。これらのファクターを1つ2つ持つ人はいる。しかしすべてを等分に使い分けて生きる人は案外とすくない。例えばなにくそという根性を突出して持つ人はそれ自体に自分が縛られ身動きできなくなる。あっけらかんが日々の大部分を占める人は、とかく前進のためのエネルギーを欠く。
この頃、私が死んだ後のこの部屋の様子が目に浮かぶんです。テレビや椅子、花はあるのに人がおらず、とても寂しいんです。私がいないからじゃなく、いつも誰かがいた場所に、来る日も来る日も人がいない。その情景が寂しい。愛すべき人間という存在の痕跡が消えてしまう・・・・死っていうのはそういうものなんですね。
よくわかる。僕の場合は部屋ではなく、畑だ。盆も正月もなく僕は畑で体を動かしている。僕が働く姿は誰も見ていない。四方が高い木々で、見えない。ネギがある、サトイモがある。ジャガイモ、ソラマメ、ニンニク、キャベツ、白菜がある。その野菜たちは僕の働く姿を見てくれているが、よその人間には見えない。最後はどうなるか・・・自分では突然死するような気はしていないのだが、わからない。万一、いつものようにスコップ仕事で力を込めた瞬間、いきなり心臓が止まったら・・・収穫を待つネギや大根、人参、草取りと土寄せを待つタマネギやソラマメ、移植の時を待つキャベツやブロッコリーは、その日以後、人間の足音の消えた畑で、ただ風に吹かれ、光を受け、夜になったら眠り、新しい朝を迎えることになるだろう。頭に浮かぶその風景が、こうしてエネルギッシュに立ち働いている僕には、とても寂しく、悲しいものに思われる。昨日まで、おはよう、虫はいたか、ハヤブサに気をつけろ、そう声を掛けられていたニワトリも、ジイチャンが急にいなくなったらガッカリすることだろう。耳が遠くなり、背中が曲がり、歯もいくらか弱くなったが、目前に死があるわけではない。それでも「将来」が意識に昇る、例えば夜の床の中、夢の中で。野菜やニワトリたちに寂しい思いをさせずにすむにはどうするか。やれることはただひとつだ。1日でも長生きすることだ。野菜たちと、ニワトリたちと、猫のブチとも、共に楽しい時間を少しでも長くすごすために、食いものに心を配る、クヨクヨせず、キツイが、でも楽しいぜということをやる、うんと体を疲れさせ、ガッチリと眠る・・最期の日まで、そうする。
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