12月28日「新聞購読者は25年前の半分だという」。全く光なし。底冷えのする朝。しかし昼頃には晴れて来ると天気予報が言うので、それを信じて洗濯した。だがハズレ。尻当ての電気座布団ひとつで朝食した。珈琲カップを両手で抱きかかえるようにして手先を暖める・・・昨日の朝だったか、パソコンを開くとヤフーの画面に僕の目を引く言葉があった。凍死は雪山ではなく家の中でも起きていた! 死亡者数も熱中症の1.5倍・・・。週刊誌『女性自身』の記事であるらしい。おっと思った僕はクリックして詳細を読んでみた。もしかしたらオレも家の中で凍死するんじゃないか・・・。読んで、少し安心した。持病のある人が発作や呼吸困難で動けなくなる。身にまとうものを取りに行くとか暖房のある場所まで歩いて行くとかいうことが出来ず、そのまま低体温症で亡くなるというのだ。なるほどそういうことか。ひとまず安心だ。
脚立を担ぎ、ノコギリと剪定ハサミを手にしてひたすら移動する。プラム、梨、梅、キウイの剪定だ。3時間くらいやっただろうか。もうハサミに思うように力が入らなくなった。同じ動作を続けているからだけでなく、寒さで骨まで硬直しかかっているせいだ。
午後5時。そろそろ上がろう。暑い風呂に入ろう。最後の仕事。電熱パットで育てているキャベツにスイッチONする。今日は太陽光の発電がわずかだったので貴重な電気だ。たぶん日付が変わるころにはバッテリーの電気は尽きてしまうだろう。そのぶん、毛布をガッチリ掛けて保温性を高めてやろうと思う。
風呂に飛び込む前に、いつものように腹筋をやり、ストレッチしながら夕刊を読む。そして思い出す。昨日の朝日「素粒子」。「墓じまい」「仏壇じまい」「実家じまい」。伝統も慣習も断捨離を求められる時代。傷みを伴う大仕事・・・との記述があった。ああ、時代は移っているのだなあ・・・これに加えてもうひとつ、同じように時代が変わっていると感じるのは、新聞購読者数が25年前の半分になったというニュースだった。25年という時間の隔たりはあるにせよ、半分かあ・・・新聞なしでは生きられない・・・そんな僕には衝撃の数字だった。こんな時代が来るなんて、誰が予測しただろう。いま人々は紙からどんどん遠ざかろうとしている。この流れはもう誰にも止められないのだろうか。
しかし僕は紙にこだわる。いや、単にこだわると言うより、チョッピリ紙に癒されるのだ。朝の光を受けながら、左手に珈琲カップを持ち、右手で新聞をめくる、その時間は貴重、若い人に対して僕からの、ぜひともの「推し」、それがゆるやかな新聞タイムである。そこに流れる、ちょっと大げさに言えば「静謐」の不思議さは、神のみぞ知る・・・いや、紙のみぞ知る味わい。僕も、スマホはないがパソコンはある。それを通して世の中を知る。でも、紙の上に印刷された文字にはどこか劣る。おそらくこれも年齢と関係するのだろう。手に触れる感覚をヨシとするのだ。もし新聞の配達というのがなくなったら、我が人生は、何か忘れ物をしたかのようにきっと心に空白が生じる。日々、うちにバイクで夕刊を届けてくれるのはけっこうな老人だ。ちょうど僕が荷造りに精を出している時刻にやって来る。ご苦労さん・・・必ず僕はそう声を掛ける。以前は三大紙、朝読毎を購読していた。すべてを読み切れない日もあって、ちょっともったいないか、そう思ったので今は朝日と読売だけにしている。年額で10万円超。稼ぎの少ない百姓には少なからぬ金額だが、やめようとは思わない。先ごろ高島屋のクリスマスケーキが崩れて届いたとのニュースがテレビをにぎわせていたが、僕は崩れたとかなんとかよりも、その5400円というケーキの値段に驚いた。新聞代1か月分に相当するじゃないか・・・。妙なところでケチなんだろうか。そんなカネ、新聞には出せるが、ケーキにはオレは出せない。
田舎暮らしの記事をシェアする