3月4日。「私たちはいつから孤独になったのか」。
いつにも増してズシリと全身が重い朝。これは毎朝のことで、よっしゃ、起きるぞ、自分に言い聞かせるようにしていつもベッドから抜け出すのではあるが、今朝はふだんの何倍もの重さであった。その事情は後で説明する。ランニングに向かおうとシューズを履いて庭に出ると、空はピカピカ。昨夜のラジオ深夜便で知ったのだが、もう日の出は6時6分だとのこと。今朝も畑には霜が降りてはいるが明るい朝、まさしく「光の春」である。
昨日、のべ5時間をかけてやったこと。まずこの上の写真のごとく、ビニールハウスの中にビニールトンネルを設置する作業をやった。10日後くらいにピーマンの苗を植える。ハウスひとつでは足りない地温をこれでもって上げておこうと思うのだ。それをすませてちょっと危険な作業にとりかかった。1月までは午後2時には途切れてしまう南西からの光、それが今は午後4時半まで注がれるようになった。ただし問題がある。畑から一段高くなっている斜面、それがせっかくの光を遮るのだ。斜面の高さは3メートル。そこに竹や雑木がモーレツに生えているから光の遮断はさらに増す。今日はこの竹や雑木を一気に退治してしまおう。そうすればビニールハウスの地温はもっと上がるだろう。
まず斜面の上から。規則性なしに、目の前の竹や木をひたすら剪定ハサミで切る。もう20年も使っているこのハサミ。乱暴な使い方をし、ほとんど手入れもしないのに故障もせずによく働く、よく切れる。ありがとよ・・・つぶやきながらひたすら切る。最困難は斜面のいちばん突端に生えている竹や木だ。安定した足の置き場がないゆえに、身を乗り出して切ろうとすると転落しそうになる。逆に体勢を安定させようと思って腰を下ろすと、さっき自分で切った竹の切っ先が尻に刺さる。
それでもどうにか斜面上段をやり終え、今度は下から上に向かっての作業だ。かくして5時間、長さ10メートルの斜面が散髪屋から出て来た時の頭みたいにきれいになった。しかし・・・今朝起きた時、全身の重さだけでなく、右肩にかなり強い痛みを感じた。骨かと思い触ってみたが、どうやら痛みのもとは筋肉らしかった。
誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多すぎることによっておこる。野口三千三
すべての筋肉を同時に緊張させることも、緊張を同時に解くことも不可能で、ともに死を意味すると、体操の理論家は言う。また、力を集中するというのも、身体各部の力を同時に出すのではなく、短時間の間に順序よく出してゆくこと。力を抜く、つまり緩め、ほぐし、くつろがせることが大事で、固まったきりというのがいちばん危ういと。『原初生命体としての人間』から。(折々のことば、鷲田清一氏の解説)。
懐かしい気がする。野口氏のこの本を僕が読んだのはもう何十年か前だ。さて・・・朝晩はまだまだ寒いが、先ほど書いたように降り注ぐ光は間違いなく春のものだ。昨日も今日も光がタップリ。しかし晴天は今日までで、明日から4日間は雨もしくは雪の可能性もあるらしい。ならば、訪れる悪日を前にした今日という好日を目一杯活用し、めいっぱい楽しまねば。布団を干す。水仕事で濡れた作業着も干す。これがまず僕には快感。続けて、そろそろミツバチが活動する時期。用意した巣箱は5つあるが、去年は思う通りに行かなかった。今年は成功させたいなあ。長くほったらかしにしてあったその巣箱の手入れを軽い鼻歌とともにやった。
話が飛ぶが、「生まれてから彼女がいたことがありません」というちょっと悲しい人生相談を読んだ。30代の男性は、マイペースで頑固者。趣味は漫画、アニメ、推しのアイドルグループの応援。酒、たばこ、ギャンブルはやらない、そう自己紹介する。
しかしさすがに彼女がほしいです。青春を送りたいです。マッチングアプリもありますが、自分の手札(経済力、容姿、経験値、コミュニケーション能力)を考えると選ばれる要因も、相手を楽しませる自信もありません。でも彼女がほしい・・・。
おっ、なかなかいい男じゃないか。僕がそう思ったのは「マイペースで頑固者」の部分。それで他人に迷惑をかけちゃいけないが、そうでなければ、マイペースと頑固を貫くのは何かを成し遂げるのに必須のものなのだ。ただ、この人、人生を歩むための駆動力が足りないかなあ・・・趣味は漫画、アニメ、アイドルへの推し、酒もたばこもギャンブルもやらない・・。それもいいが、もう少し荒くれた男の方が女性との出会いのチャンスはあるんじゃないか。やっぱりこの男性、内向きの、孤独で寂しい人なのか・・・。孤独にもふたつの種類があるということを最近知った。10日ほど前の朝日新聞書評欄。『私たちはいつから「孤独」になったのか』(フェイ・バウンド・アルバーティ著、みすず書房)。その評文の冒頭はこうだった。
孤独とは、人が抱く感情のなかでもとりわけ複雑で不思議なものだ。英語ではソリチュード(愉しめる孤独)とロンリネス(不幸でつらい孤独)とを使い分けるが、孤立や疎外のようなネガティブな面も、自分と向き合い内省を促すポジティブな面もある。単一不変の感情ではなく、ライフステージや経済的・社会的状況によって流動的に変化するし、その実態は不安や悲しみや怒り安らぎなどさまざまな感情が混じり合う感情「群」に近い・・・。
人生相談のこの男性には、僕だったらこう回答する。漫画やアニメ、アイドルグループのことはしばらく忘れなさい。外に出なさい。夜はダメだ。太陽が輝く明るい時と場所に向かいなさい。ハイキングもいい。ランニングもいい。自転車を走らせるのもいい。汗をかく。その帰り道、花屋があったらふらっと立ち寄り、気に入った1鉢を買ってアパートかマンションの窓辺に置いてみよう。漫画からいきなり難しい本は大変だが、軽い、ちょっと洒落たエッセイをその窓辺の花に時々目をやりながら読んではどうか。そうするといつか彼女が出来る、きっと出来る。世の中、お金があって、イケメンで・・・そんな女ばかりじゃあない。万一彼女が出来ないとしても、ソリチュード(愉しめる孤独)に君は出会えるかもしれない。
そろそろ「日々是好日」の話を締めくくろう。今日、明日、あさってを、妙に悩まず、孤独感を漂わせず、力強く生きて「好日」とするには何が必要だろうか。思うのだ。地面に足を着ける。骨や筋肉を使って汗をかく。周辺にある自然のさま、光、風、生き物、花・・・そこに心を重ねる。これらをすべて満たしてくれるのは田舎暮らしだと・・・こんなことを言うと手前みそもいいかげんにしろとの声も出るかもしれないが、間違ってはいない。不安とも怒りとも悲しみともかかわらずに生きていける日々は、喧噪や華やかさからそこそこ距離を置いた、ちょっと不便な場所にある。それだけではない。田舎暮らしとは、自分の食べるものを生産する舞台ともなるのだからスゴイじゃないか。たとえその暮らしが綱渡り的であろうと、かえってそこから生じる緊張感が「愉しめる孤独」を手繰り寄せてくれだろう。
ここ何日か、寝床に入る前の僕は室内点検を欠かさない。千葉県沖の太平洋で地震が頻発している。以前、屋根瓦をズタズタにされたことのある千葉県東方沖地震。その予防的措置だ。うちには倒れたら危ないという大型の家具はない。しかし、自分で作った木製の台の上に太陽光発電がらみの機器がいくつも並んでいる。最重量のポータブル蓄電器は30キロ超だ。床に落ちたら壊れるだけでなく、他の物も巻き添えにする。だから寝る前、重い物は床に下ろしておく。これとは別に、懐中電灯、小型のラジオ、安全靴、革の手袋、アルコールティッシュ、ハンマーやノコギリなどの大工道具、それらをベッドのそばにキープしておく。母屋が倒壊するかもしれないほどの揺れが生じた場合、荷物の置き場として作った小屋を避難所としてしばし暮らすつもりなのだ。パネルやケーブルが損傷しない限り、太陽光発電の電気で井戸水の汲み上げは出来る、電子レンジや湯沸かし器も使える・・・備えあれば患いなし。今日という日に全力を尽くして明日の暮らしにつなげよう。「日々是好日」の精神を踏まえた我が行動なのである。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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