3月2日「春寒のこつんと打ちて茹卵」。
光は薄く、風がかなり冷たい朝だ。僕の卵料理はふだん目玉焼きかスクランブルが多いのだが、今朝は茹で卵にしてみた。読売新聞「四季」で目にした句の影響。卵を2つに切り、梅の枝を1本手折って添えた。
春寒のこつんと打ちて茹卵 渡部有紀子
現代人の生活から自然が失われたと嘆く人は多い。もしかすると、ひっそりと息づく身辺の自然に気づかないだけではないか。この句、茹で卵を割る乾いた音に春先の寒さを感じている。音一つにさえ季節は宿る。句集『山羊の乳』から。(長谷川櫂氏の解説)
今日の風はかなり体にしみる。僕だけでなくヒヨコも寒いだろうが、庭で動いた方がいいよな、ママと散歩に行こう・・・このヒヨコ、前に書いた、小さい体のチャボのオスが、大きな体の鶏のメスに、ずっこけつつ、のっかって、受精させたあれである。毛の色と体形は母親そっくり。チャボのヒヨコは羽が2色か3色のまじりになるのが普通だが、こいつは単色である。さてと寒いな。でも頑張っていこう。畑のあちこち、清掃を兼ねて焚火をする。秋遅くまでトマトがあった場所。ここで焚火をし、出来た灰をすき込んでビニールトンネルを1本仕立てる。
人間が湯浴びできるくらいのサイズのポリの箱を持ってあっちへ行き、こっちへ行き、大きな山で6つぶんを集めた枯れ木。たちまちのうちに燃え上がった。火が落ち着いたところで周辺に鍬を入れる。畑表面の土も黒いが、強く打ち込んだ鍬の力で下から現れた土はもっと黒い。雨続きだったせいで水をいっぱい含んでいるためだ。赤と黒は我が人生の土台・・・そう、焚火の炎の赤と、足元から躍り出た土の黒は見事な対照の色合いである。その赤と黒が百姓の心に平安をもたらす。生きる力をくれる。ガールフレンド・フネは我がことを原始人と呼ぶが、原始人を原始人たらしめるものがこの赤と黒なのである。上の句の解説において、長谷川櫂氏は「ひっそりと息づく身辺の自然に気づかないだけではないか・・・」そう書いておられるが、いま僕の前にある自然は明瞭である。焚火の炎は、その高さと発する熱でひっそりどころか強烈な自己主張をする。それに対して、ついさっき地下から顔を出した黒い土はちょっと控えめだ。されど、僕の手によって出来上がった2×8メートル、タップリ水分を含んだ黒い土の帯は間違いなく自然の風景の一端である。日々是好日・・・この演出の役を担うのが赤と黒、ふたつの色の組み合わせなのである。
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