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田舎暮らしの本 12月号

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田舎暮らしの本 12月号

11月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~/自給自足を夢見て脱サラ農家36年(10)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回も、編集長から手元にいただいている数々のサジェスチョンとサンプルテーマ、それに基づいて決めたテーマである。普通、人間にとっての成熟と言う場合、多くは肉体でなく、精神のことだろうか。年齢を重ねるとともに得られる、心の柔軟性とか他者への優しさとか、まろやかさとか迷いのなさとか、そういったことを念頭にして云々されるものであろうか。ただ、優しさも、迷いのなさも、言葉にすると単純だが、ひとつひとつを細かく吟味すると、それを導き出したそれぞれの人生のバックグラウンドはさまざまだし、自身が「成熟」だと認識する実態にも、きっとかなりの違いがあるように思われる。

 はじめに、精神の「成熟」をいったんわきに置いといて、僕自身の肉体の「未熟」について書いてみようと思う。これは、ずっとのちの我が人生の方向に大きく関わったことと思うし、老齢となった今、いくつかの曲折を経て到達した精神の成熟ともかなり深く重なり合っているように思うからである。

 僕は戦争が終わって1年5か月後に生まれた。母が僕を妊娠したのは昭和21年3月頃と推測される。おそらく、食べる物も生活用品もかなり不足していた時代である。母は僕を産んで2年後に結核を発症するのだが、食料や生活物資の困窮と母体の体力低下、それがもしかしたら僕自身の未熟と関係したか……ふとそう思ったのは遥か後のことだった。

 他の兄弟と違い、僕は肩幅がかなり狭い。腰回りもかなり細い。着る物はなんでも女物がピッタリだ。小中学校の運動会で、背の低い順で走る徒競争は必ず第1組だった。高校に入ってすぐ知り合った友人が、だいぶ後に笑いながら漏らしたことがある。なんと細い体か。こんな男は見たことがない。ナカムラを見てそう思った……バスケットの選手だった彼にはけっこうな驚きであったらしい。以前の原稿で、中学時代どの部活にも入らず、放課後はひとり野山をふらついていたという話を書いたが、団体活動が苦手という精神とともに、たぶん、自分の肉体にコンプレックスを抱いていたからであろう。

 これも高校時代の話だ。クラスに肩で風を切るようなワルがいた。名前はオオモリイワオといった。しょっちゅう弱い者イジメをする。ある時、僕は口をすべらした。相変わらずネチネチと弱い者をいじめる彼に、僕は「もういいかげんにしろよ」と言ってしまったのだ。たちまちにして空き教室に引きずり込まれた。頭をつかまれ、ガンガンと黒板に叩きつけられた。一瞬、こっちも手を出そうかと思った。しかし、そんなことをしたらきっと、立ち上がれないくらいに叩きのめされる。僕はやられ放題でようやく解放された。

 この一件が、軟弱、「女物サイズ」だった僕の心を燃え上がらせた。僕はのちにボクシングと空手を少しばかりかじるが、それはすべて打倒イワオ、復讐精神に燃える結果だったのだ。今に見てろよ。ヤツと互角に戦える体になってあの日のリベンジをしてやるから。それから30年ほどの月日が流れた。すでに百姓となっている僕に高校の同窓会の案内が来た。久しぶりに東京に行ってみようか。場所は池袋のサンシャインホテル。いたいた、イワオがいた。あちこちの席を回って愛嬌を振りまいている。しかし、その風貌には肩で風を切る昔の豪快さはもうなかった。頭は禿げ上がり、顔には皺が多かった。ふんわりとした体形に変じていた。僕の復讐心は萎えた。落胆があり、同時に、とても爽やかな気分でホテルを後にし、電車の窓から暮れゆく東京の風景を眺めた。

●光と風と緑に自分の心をあずける

 この写真は、僕の畑の南側のすぐ下を通る道路である。僕はここをゆっくりと、フルマラソンで3時間を切って走っていた若い時代の5分の1くらいのスピードで毎朝走る。大きく息を吸って朝の冷気を肺に取り込んで、無心に……ではなく、朝食は何にしようかな、昨日はベーコンだったから、今日はツナを野菜に添えて食べようか。パンはレーズンにするか、ナッツにするか……みたいなことを考えつつ、走る。田舎の町の、さらに田舎であるゆえに、人にも車にもほとんど行き会わない道路。そこで僕のカラダとココロが目の前の風景と融合する……などと言ったら文学的に過ぎるかな。でも、たしかに、それに近い。若い頃、「風景と融合する」ということはなかったもの。百姓になって、50、60という年齢になっても、まだそこには至っていなかった。

 比較的最近、どこかの大学の研究チームが、緑の多い街とそうでない街の、ウツの割合を調査して発表した。緑の多い街に暮らす人の方が明らかにウツ症状が少ないのだという。木々の緑というのは、たぶん、美味しい水を飲むために水道の蛇口に取り付けられたあの浄化装置みたいな役目をする。人間、生きていれば部屋の中と同様、汚れやゴミが増えて、心身双方にまとわりつく。木々の緑には、それを吸着し、丸めてポイとゴミ箱に捨ててくれるパワーがある。それに気づいたのは還暦を過ぎ、70歳に近い頃だったか。僕は、柔らかな風と光の後押しを受けた木々の緑の味わいが、老いるにつれてよくわかるようになった。

●不運と書かれたトランプカードの裏には幸運という文字が隠れている

 会社員時代、優秀な社員ではなかったと思うが、ダメ社員でもなかった。月刊の雑誌の担当だったゆえ、校了と重なったら盆休みにも出社したし、夜もたいてい8時くらいまではデスクにいた。僕は結婚が早かったので、また妻は専業主婦だったので、ひたすら家庭生活の維持のために働いていた。少ない楽しみのひとつはマラソン大会に参加すること、それと、月給が出たら文学や哲学が語り合える唯一の同僚と居酒屋に行くことだった。しばらく麻雀に熱中したこともあるのだが、その才能なしと自覚し、ジャン仲間たちも弱い僕をだんだんに誘うことがなくなり、いつしかそれと手が切れた。

 そんなサラリーマンである僕に異変が起こったのは30代半ば。それまでの上司がヘッドハンティングで他社に移り、上司が変わったのだ。いま昔を振り返って思う。男女の恋愛・結婚でも、飲み仲間でも、人間対人間には必ず相性というものがある。それは言葉とか態度とかではなく、もしかしたら嗅覚、視覚、触覚みたいなものから生じている。新しい上司と僕は、どうやらその悪い組み合わせだったようだ。ただし僕は、家庭生活を維持するために、上司の理不尽な、言いがかりめいた言葉にも耐えた。不満げな顔は全くしなかった。誰とでも明るい声であいさつを交わし、努めて平穏を維持していた。

 しかし心の奥では、あるいは脳の中では、どうやら違っていた。上司を殺す夢を何度か見た。凶器を手にした僕の耳にパトカーのサイレンが聞こえる。妻や子が泣きながら取りすがる……そこで目が覚める。かなりの汗をかいている。この精神の不安定さを補ってくれたのがマラソンと家庭菜園だった。多い時は毎日20キロ走って練習してから参加するマラソン大会は僕の肉体を作った。現在と比べると横綱と序二段くらいの差がある家庭菜園での野菜作りだったが、それでも、田舎暮らし、百姓への道に通じる手技と精神を養成したのはこの時代だった。

 百姓になって10年くらい。創業者である先代社長が亡くなったという連絡があり、僕は偲ぶ会に出席するため東京に向かった。ホテルのロビーに座っているところに近づいて来たのがあの上司。ご無沙汰してますという型通りの挨拶の後に上司の口から発せられたのは思いがけない言葉だった。あなたにはとても悪いことをした……。お尻がもぞもぞする感じだった。なんだか照れ臭かった。曲がりなりにも僕はすでに百姓として身を立てている人間だった。意識は過去にではなく、未来に向いていた。日々の畑仕事の奔走の中、昔の記憶はだいぶ薄れていた。

「あなたにはとても悪いことをした……」この上司の言葉の意味がわかったのはしばらく後のことだった。黒塗りハイヤーで高級ホテルに日常的に出入りし、スプーンやフォークが10本も並ぶフルコースを口にし、日本の医学界を牛耳る国立大の学長クラスと仕事で交わる上司から見て、田舎の農村に移り住んで百姓仕事を始める男というのは、間違いなく零落であり、都落ちだと思われたのだ。もちろん僕はすでに東京を離れているのだから都落ちには間違いない。そして、なんとか百姓としての暮らしを維持するための苦労を日々重ねていた。しかし、上司が考えるような悲惨と哀れさはなかった。

 むしろ、かつての隙間だらけだった心は5月の新緑、畑に育つ大根や人参やキャベツ、そこに舞うチョウやミツバチで十分に満たされていた。そして思ったのだ。殺してしまいたいとさえ夢に思ったあの上司に、本当はオレ、ありがとうございましたと感謝すべきではないだろうかと。6年に及ぶ鬱屈がなかったら僕は会社を辞めなかったかもしれない。家庭生活の保持を大義として新たな道に踏み出す勇気もなかったかもしれない。ずっと安全パイを切り続けながら……。

 人生の不運は転機に変わる。不運というカードの裏には幸運というあぶり出しの文字が隠されていることもあるんだな。そう思えるようになった僕は、体は相変わらず小さいままだが、精神は一歩成熟の道に歩み出していたかもしれない。そして知ったのだ。あの上司は東京の偲ぶ会で再会して数年後に亡くなったと。加えて、実生活には満たされないものがどうやらあった方だとも。もしかしたら寂しかったのかな。違う人生の道を歩んでみたいと考えたことが、ひょっとしたら……一度くらいあったかな。過去への悲しみでも怒りでもなく、かつての上司の年齢をはるかに超えた今の僕は、人を愛する、人と人との出会いをも愛する、その味わいと大切さを胸に秘めて暮らしている。

●自分の頭で決めて、自分の手足で事をなす自由の喜び

 田舎暮らしを侮ってはいけない。百姓生活を侮ってはいけない……こんなことを言うと、先輩面した憎まれ口だと誤解されるかもしれないな。しかし、会社員時代と変わらぬ精神のタフさが要求されるのが田舎暮らしであり、さらに、会社員時代とは比較にならない肉体のタフさが要求されるのが百姓生活である。でも心配することはないよ。そうしたタフさをしっかりカバーし、お釣りまでくれるのが田舎暮らし、百姓生活でもあるのだから。それって嬉しいことじゃないかと、最初の田舎暮らしから通算して42年余の僕はいま、じわっと思う。田舎における百姓暮らしとは、トップと現場をすべて自分が兼務するのである。今はすでにハンコの時代ではないらしいが、僕は連日、作業の内容と必要な時間、必要な予算を書いた紙を(心の中で)上司に提出し、すばやく変わり身した僕が今度はその上司の役となって、ウン、まあいいだろうと言いつつハンコを押す……。ちょっとしたひとり芝居の喜劇みたいだが、僕を魅了し、だんだんに成熟の道に導いたのは、この、ひとり芝居というところにある。脚本を自分で書き、演出を自分でなす単独の芝居であるゆえ、観客の評判が悪くとも他の役者のせいにはできない。シナリオが悪かったと言うこともできない。すべてを自分でひっかぶる。逆にうまくいったら、観客の大きな拍手が聞こえたら(実際には畑は無観客で、せいぜい、いるのはカラスかヘビか、ガマガエルかカマキリくらいのものなんだが)、それでも、仮想の観客のカーテンコールが大きく聞こえたら、その喜びを独り占めできるわけだ。

 世に数えきれないくらいの職業がある。その中で、「独り芝居」が許される仕事のひとつが田舎における百姓暮らしである……と僕は思う。同じ農業でも、法人格で働く場合は違うが、零細農業だと、幸か不幸か、企画、生産、販売、そして経理まで自分でこなすのだ。その、何でもやりますの暮らしに、タモリがテレビで喉を鳴らし、笑顔で漏らす「ああ、本物の味……」あれを感じ取れるようになったらシメたもの。もう自由への道を一歩踏み出している。むろん、内部事情はひっちゃかめっちゃかである。天気が定まらず、予定していた収穫が得られず、お客さんに喜んでもらえる自信がない時にはちょっと気分が落ち込む。だが、落ち込んでばかりでは得る物はないことに気づくのも人間の成熟である。やるのだ、前に進むのだ。そこで次の一手が浮かぶ。人間、気持ちを明るくするコツをつかんだら、三手くらい先まで読めるようになる。

●花より団子から少し変身して「花も団子も」へ……

 百姓になって20年余りは、ほとんど花に興味がなく、団子(野菜と果物と卵)にしか意識が向かわなかった。僕はアメーバのブログを「ガーデニング」に登録しているのだが、ときおりのぞいて見るトップクラスの人々のガーデニングには目を見張るものがある。とても真似のできないレベルである。

 そんな僕がある時から花に意識を向け始めた。資材なんかを買うために行ったホームセンターで、売り場にあるミニバラやガーベラの鉢植えに手を出すようになったのだ。人は、うんと悲しい時か、うんと楽しい時に花を買いたくなる……ある作家の本にそんな記述があったように思うが、僕が花を買うのはたいてい楽しい時、あるいは疲れのたまっている自分への栄養ドリンクみたいな役目だった。花づくりの基礎がないせいか、花の方が野菜よりも難しいと僕には感じられるのだが、食べられる実を与えてくれない、ただ見るだけという花なのに、思いがけないパワーを秘めているということを、だんだんと僕は知る。なるほどこれか……庭のみならず、部屋いっぱいに鉢花や観葉植物を並べている人は、その明るさとパワーを糧に日々を生きているんだな……。

 花に意識が向いたのとほぼ同じころ、僕はナマズやドジョウや鯉やメダカや、ウナギまで飼うようになった。部屋の水槽では物足りず、人間が泳ぐプールも2つ買った。毎日、時間にするとわずかだが、畑仕事の合間、鉢植えの花に水をやり、プールのナマズにミミズをデリバーしたりする。部屋の水槽にいる鯉とドジョウは、僕がそばに寄ると、いっせいにガラスに顔をつけて騒ぎ出す。どうやら餌の時間であることを学習したらしいのだ。団子(野菜、果物、卵)は商品だった。その生産をいかにして高めるか。それだけを考えて暮らしていた。そこに花と魚たちが加わった。そしたら、団子の味が少し良くなった。花と魚たちは、料理で言えばちょっとした隠し味なのかもという気がしてきた。

●やると決めたら何がなんでもやる。その心地よさを知ることの大切さ。

「今日できることを明日に延ばすな」。これをおちょくって、「明日やれることを今日やるな」という逆バージョンが世にある。それなりに、たしかにここには含蓄らしきものはある。性急さを戒め、ゆとりをもって事に対処して生きる、いわば大人の態度だ。確かに、急いては事を仕損じるの言葉通り、やっつけ仕事で失敗したら元も子もない。だけれども……明日できることを今日やるなと言っておいて、やるべきことが新たに明日もまた生じたら、アナタ、どうするの? 負債はどんどん蓄積してしまうよ。

 僕は、今日やろうと決めたことは必ずやり終える。その心地よさを積み上げて、そこそこの成熟を得た男じゃないかと思う。日々ランニングをし、腹筋と懸垂と、曲がりかけた背中と腰を伸ばすストレッチを現在は欠かさないのだが、雨が降ったり、畑仕事がかなりハードだったりした日でも、自分で決めたノルマをきちんと果たす、その爽やかさは捨てがたい。日暮れの早い今は明るい時間内にやり終えられない作業が毎日たいていある。そんな時は、ライトを照らしながらでもスコップ仕事をするのだ。なんたって、そうした後に入る風呂は有名な温泉の湯にも劣らぬくらい心地よいし、風呂上がりに飲むワインは安物とは思えぬほどに美味なのだ。いや、そんな卑近なことよりも、そこで手にするのはジグソーパズルの最後の1枚をはめたような達成感だということ。かなり無理をしてでも、今日やるべきことを今日やり終えると、そうでない場合に比べ、明日への活力が大きくなる。精神がフル充電された気分になる。ベッドの中での眠りは深く、それでもって、懸案事項を先延ばししたよりも、布団をはねのけた時の、視界の明るさ、脳内のバイタリティーは大きい。今日の作業効率がうんと高まるのだ。

 ひとたび、この好循環を体得すると、「明日やれることを今日やるな」はただのジョークでしかなくなる。ここで付言しておけば、人間の心身において悪いのは睡眠不足、とりわけ精神的なひっかかりから来る「眠れなさ」が良くない。僕の、ライトをつけてまでする夜間作業は、なるほど、一時的には肉体への負荷は大きいだろう。しかし、精神への負荷に比べ、肉体の負荷というのは、ちゃんと食べ、しっかり眠ることで簡単にチャラに出来る。筋肉や骨はなかなかに逞しく、柔軟性に富んでいるのだ。それにそもそも、大いに体を使うことで睡眠の欲求度は高まり、深く眠れる。食欲は増し、消化能力は高まり、便通も正確に訪れる。リカバリーは難しくない。だから、悩むな、惑うな。それよりも、すぐに飛べ、走れ、額から流れ落ちた汗が眼球にしみて痛いくらい、そんな汗をいっぱいかけ……僕自身がこれまで自分に言い聞かせてきたその言葉を、もし精神の負荷でもって眠りが浅いという人が今どこかにいたら、そんなアナタに、僕は贈りたい。

●仕事に誇りを持ってはいたけれど、豊かな人生ではなかった……という言葉から学ぶべきこと

 NHKの番組に「ドキュメント72時間」というドキュメンタリーがある。ある場所に72時間カメラを据えて、そこを訪れる人間を観察、さまざまな人生模様をうまくあぶり出して見せる。ちょっとした私小説の味わいを持つ番組に感じられて僕は好きで、欠かさず見ている。この見出しに使った「仕事に誇りは持っていたけれど、豊かな人生ではなかった」という言葉を口にしたのは60代の男性だった。登場した最初のシーンでは、どこが悪いのか、杖をついていた。海外を飛び回る仕事をしていたが、定年前に早期退職した人らしい。そして語り始めた。何度も口にしたのが「自分の仕事には誇りを持っていたよ」であり、「でも、豊かな人生ではなかったな……」これを何度か繰り返し口にした。

 僕は不思議に思った。仕事に誇りはあったけれど、豊かな人生ではなかった……その前段と後段は、どこか矛盾してはいないか。仕事に誇りを感じて生きているのであれば、人生も豊かであると思えるものなのではあるまいか。テレビの前で、そして次の日になっても、畑の上の青空を見上げつつ、ちょっとした哲学の命題ふうな思いで、あの男性の言葉の含意を僕は考えていた。そして、もしかしたらこういうことかなと、ひとつの推測が湧いてきた。

 ビジネスというビビッドな世界、とりわけ海外を渡り歩くという仕事に長年身を置いたこの方は、きっと、心身ともかなり高揚する年月を経たのであろう。確たる決定権が与えられ、訪れた国々では相当な接待を受ける場面もあったかもしれない。それをあの男性は「誇り」と呼んだ。しかし、その、心身高揚する年月で、何か、見落としたものがある。自分の体のそばには立ち止まってくれず、そっけなく素通りしてしまったものがある……それはもしかしたら、風ではないか。光ではないか。光と風の中にそよぐ木々の緑ではないか。それらの重奏で醸し出される、低く、静かな弦楽器の調べのようにゆるやかに流れる時、それが彼にはなかった。もちろん、訪れた国々でも風は吹き、光は注ぎ、木々の葉は揺れている。しかし、人間には、それを感じ、受け入れるレセプターみたいなものがないと意味を持たない。彼はそのレセプターがないままに、華々しく海外を飛び回っていたのではないか。その虚ろさを、「誇りはあったが豊かな人生ではなかった」そう表現したのかもしれない……。僕はそんなふうに想像した。

 始めに使った言葉に戻る。「カラダとココロが目の前の風景と融合する」。それは、人間にとっての成熟であり、少し大袈裟かもしれないが、人生の豊かさを感じさせることだと僕は思う。生活の資を得るための仕事はもちろん大切である。仕事に誇りが持てる人は幸せである。ただ、ひとつ、動物としての喜びや活力が失われていく暮らしでは、せっかくの誇りも減ずる。

 近頃、僕が違和感を持つのは、AIをはじめとした先端技術が発達し、多くの人がそれに素直すぎるほどに身を任せていることだ。いや、飛躍的な技術の進歩は喜ばしい。ごく最近も、なんと、空気中の二酸化炭素を吸着する技術が開発されたという驚きのニュースがあった。それは地球温暖化に待ったをかけるだけでなく、機械で集約した二酸化炭素をビニールハウス内に取り込み、例えばトマトに吸収させると光合成が高まり、収量も味わいも増加するのだという。すばらしいことではないか。だが、「ココロとカラダが風景と融合する」、あの動物としての感性と柔軟性と逞しさが、機械任せによってもし失われていくとしたら喜んでばかりはいられない。あるメーカーの収益が飛躍的に伸びた。それは、コロナ禍によって巣ごもりが増え、人々がゲームソフトを買おうという気になった、というニュースを聴いて、ゲーム好きの人には怒られるかもしれないが、なんだかなあ……という気持ちに僕はなった。たまに電車に乗って驚くのは、本を読んだり新聞を読んだりしている人がめったにいないこと。どの人も下を向いてスマホの画面を眺めている。その風景は、動物としての人間の姿をどんどん失い、どの人も、バーチャルリアリティーの物語主人公になろうとしているかのように思われる。

 さて最後は「メンタルは面足る」というダジャレもどきで〆たい。近年、機械と技術の発達で人々の肉体にかかる負荷は大きく減少した。その一方で精神的な重圧を抱えて不安定なメンタリティーに陥る人が増えているともメディアは伝える。自ら命を絶つ人も増えているらしい。僕は思う。精神の一極集中はよくないと。メガホンをさかさまにして風景をのぞき込むような精神状態をなんとか避けようではないかと。僕の提案は「散らす」ことである。追い散らす、食い散らす、書き散らす……散らすという言葉にはあまり良いイメージがないけれど、状況が行き詰まった時の人間に必要かつ有効なものが「散らす」テクニックである。そのためには、ふだんから自分の暮らしを多面体にしておくことだ。そうすれば、窮状に遭遇した場合でも精神が一極集中せずにすむ。暮らしが単面、もしくはそれに近いほど何かの場合、一極集中化してしまうのだと僕は考える。暮らしの中の活動の、その面をなるべくいっぱい用意しておく、すなわち「面足る」。これがメンタルを平穏に保つコツである。「女物サイズ」であったがゆえに手を染めたボクシングやマラソン。庭のあちこちにいるチャボ、ナマズ、ウナギ。それなりに花を咲かせてくれるバラやガーベラ。大工仕事、さわやかな光の中を走らせるドロップハンドル、酒、珈琲、映画、バッハ、またまた押しかけ女房的に居ついた青い目をした猫……そこそこの「誇り」を持って励む畑仕事の他に、まあまあかなといった程度の面が僕にはある。どうぞ、アナタも、ちょっとだけスマホのゲームをやめ、青い空の下で大きく息を吸ってみてください。

 

10月下旬の野菜だより

 10月としては高い気温がずっと続いていた。それゆえに虫の害は例年よりはるかに多く、特にヨトウムシにはだいぶ泣かされた。しかし、11月にじきなろうとする今、本来の気温となって、朝は10度未満の冷え込みである。僕の感覚では、雨も例年以上に多かったように思うのだが、こうして今朝は、キリッとした空気、真っ青な空。野菜たちも、僕も、とてもうれしい。

 人間は衣替えをすませ、畑の方も夏の名残りを捨て、秋から冬へ、作物によっては来春に向けての模様替えの時である。広い面積を占めていたサツマイモはすべて掘り上げ、その跡地はエンドウ、ソラマメ、春キャベツなどに変わろうとしている。いったん降るとなると激しい雨になるのが今年の特徴で、どの作物も叩かれ、土に埋まる。こうして迎えた晴天の日には、鍬は使わず、僕はニンニクもネギもラッキョも、ひとつずつ指先でケアする。それにしても、ニンニクの葉をポキリと食いちぎる虫がいるのは不思議だ。うまくもないだろうし、そんなことして何が楽しいのか。

 今の時季、僕が多くの時間を取られるのは豆類の収穫とその管理である。大豆、アズキ、パンダ豆。畑から収穫したものを天日に干す。カラカラにしてから倉庫に保管する。お客さんへの出荷、自分の食べる分。必要に応じ、大きなシートの上に広げて豆取りをする。僕はダンスはできないけれど、シートの上で豆を踏むためのステップはダンスもどきである。人間、食う、生きるというのはなかなか大変。このアズキの殻をむきながら思う。この小さな粒を指先で選別し、ダメな豆を捨てる作業はひたすら忍耐である。しかし、それは、悪い、嫌な、時の流れではない。今日は風がない。光は豊か。モズが鳴く。サザンカの花が咲き始めている。元気で生きていられる喜びが、ほのぼのと沸いてくる。そんな時間の中で生まれたのがこの駄句である。 

秋の日の小豆の殻むくしづかさよ  顕治

 僕が作っている大豆は昔から地元に伝わる品種で、豊産だし、味も良い。10月半ばまではエダマメとして出荷し、11月以降は大豆になる。今年は例年よりも葉が枯れるのが早く、せわしない気持ちにされている。ボヤボヤしていると莢がはじけて豆が落ちてしまう。でも、株によってはカラカラになったものと、まだ青いのが混じるものが半々で、これまたかかる手間のひとつである。

 収穫し、選別したアズキや大豆を僕はモヤシにする。パックに詰めてお客さんに送り、自家用にもする。なかなかに美味であるから、皆さんにもおすすめしたい。この次の写真がそのモヤシ製造機である。いま太陽光発電につないである。中国製で、たしか4000円くらいだった。4台あって、12月になるとフル稼働させる。底部が水タンクになっている。その水が電気でぬるま湯となり、一定時間が来ると噴水でもって豆の上から振りかけられる。中に収めるザルは3段重ね。手間はほとんどかからないが、唯一、豆から洗い流された汚れが水タンクにたまって濁る。それで1日1回、きれいな水に取り換える必要がある。およそ4日でモヤシが出来上がる。

 自給自足と言う場合、その成否は、晩秋から早春にかけて、どれだけ食料を確保できるかにかかっている。夏野菜をどこまで延命させられるか。冬越しの野菜の収穫をどれだけ早められるか。その工夫は数々ある。トマトとナスは終わったが、ピーマンだけはまだ盛大に実をつけている。大きい実はしもやけさせないように、小さい実はもっと大きくするように、こうしてビニールの上から大きなシートを掛けてやる。日の暮れがどんどん早くなるこの時期、1日の最後の仕事としてこのシート掛けを連日行う。朝になったら真っ先に行って外して光を浴びさせる。キャベツは露地とは別に、9月から10月にかけて種をまいたものがハウスに植えてある。これでもって収穫が途切れることはない。

 今回は最後に、みなさんにおすすめしたいものがある。ヤマイモである。僕は初秋の頃から大きく育ったヤマイモを掘る。出荷の際、その先端10センチくらいを折り取って保管しておく。写真がそれである。スコップで溝を作り、これを10センチ間隔くらいで埋める。嬉しいのはその逞しさ。どんな土でも育つし、病害も皆無だ。掛ける手間はただひとつ。春になって伸びてくるツルが巻くための棒を立ててやることだ。その棒は冬になって、葉もツルも枯れてしまっても、ここにヤマイモがありますよという目印となる。

 山芋の栄養価値はよく知られているが、料理法が多彩であるのもおすすめのポイントだ。すりおろすのは誰でも知っていよう。それとは別に、豚肉なんかと合わせて煮物にしてもいい。カレーに入れてもいい。スライスして、オリーブオイルで、ちょっと焦げ目がつくくらいに焼くとワインやビールのつまみとしても美味である。ついでに言えば、ヤマイモという野菜はトレーニングジムに行く時間とカネを省いてくれる嬉しいヤツ。最高に育ったものは直径50センチ、深さ70センチくらいの穴を掘って取り出す。そのスコップ作業で使う腕と足の筋肉はなかなかのものなのだ。ぜひみなさんも栽培してみるといい。

 

【関連記事】

(1)百姓と体力
https://inakagurashiweb.com/archives/6637/

(2)僕は十種競技
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(3)無理をする技術
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(9)人にはどれほどの金がいるか
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
 

 

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