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田舎暮らしの本 12月号

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田舎暮らしの本 12月号

11月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

「生活」と「人生」/自給自足を夢見て脱サラ農家36年(17)【千葉県八街市】

中村顕治

「生活」と「人生」・・・田舎暮らしはどこらに位置するのだろうか。

「生活」と「人生」。ありふれた言葉の組み合わせである。そもそも、このふたつをなぜ対照化させるのか。「生活」の連続が「人生」のはずじゃないか・・・初め、僕自身そう思ったのであるが、今アナタも同じような疑問を抱いているかもしれない。だが、どうやらここには深い意味が隠されている、それが後でわかる。

 話は1月のある夜にさかのぼる。寝床に行って、ふとつけたNHKの、昔で言う教育テレビが、作家・遠藤周作氏に関わるものをちょうど放送し始めるところだった。番組の主テーマは、未発表の小説原稿が没後25年にして発見されたということだった。小説家の未発表作品が没後に見つかるというのは他でもよくあることだ。しかし、NHKのテレビを見ていると少し違っていた。単に原稿が散逸していたのではなく、どうやら、作家自身が公の作品として出すことをためらったようだと、何人かの研究者が推測した。作品には、作家の幼少時の家庭内での体験が詳細に語られている、いわゆる私小説の範疇にあるものだ。のちに公刊されたその小説のタイトルは「影に対して」。作家自身を主人公とし、主人公の目に映った父の姿、母の姿が、「嫌悪」と「好感」という対照でもって描かれる。父は「生活」を重んじる人だった。母は「人生」に主眼を置く人だった・・・。

 詳細は追って少しずつ番組から引用させていただくが、その夜、NHKの放送を見ながら、僕の胸に浮かんだのは、他でもなく「田舎暮らし」のことだった。都会生活者が生活の場を変えたいと思う、田舎で暮らそうと願う。その願いの先にあるのは、「生活」なのか、それとも「人生」なのか。あるいは、両者に足を広げて掛けて、その狭間にうまく収まることを理想とするものなのか・・・・。

 2月もあっという間に半月が過ぎた。ああ、時間の経つのは早いなあ、トシを取ったらよけい早いなあ、などと思いつつ、僕は「生活」のために今日も懸命に働いている。2月の前半は、畑仕事の合間に確定申告の資料作りにかなりの時間を費やした。毎年この時期、軽いウツになる。人生においてウツ症状は皆無だと胸を張る僕なのだが、ただひとつ、時間限定でウツとなる、それが確定申告なのだ。そのわけは・・・基本的に計算が苦手である。加えて、サラリーマンを辞めて35年。自分の頭と体から、デスクワークにアダプトする適応因子が消失してしまった、それゆえかもしれない。

 確定申告は、まず書類を集めることから始まる。昨年の申告用紙の控え。かなりの数の領収書類。保険の払い込み証書。年金通知書。社会保険の通知書。出版社からの支払い調書。そしてマイナンバーカードのコピー・・・。それらを揃えてから電卓を叩き、のべ5枚の用紙に書き込んでいく。始めてしまえば実働は10時間ほどですむことだが、取りかかるまでの気持の助走時間が長い。畑仕事なら、どれだけ暑くとも寒くとも、どれだけ重くて危険でも、すぐさま動き出せるというのになあ・・・それもこれも、元来計算が苦手で、事務仕事には長く疎遠だったゆえか。現在の僕は、頭1割、体9割で生きる肉体労働者になりきったらしい。この比率は肉体労働をしている限りは快適。何らの支障も迷いもない。けれど、いざ頭を使おうとすると困り果てる。

季節の暮らしをしてみること、それがきっと人間の骨格をつくっていくんだ。    山内明美

 朝日新聞「折々のことば」からの引用である。都会にももちろん季節はある。だが、より鮮明な季節とじかに、毎日、向き合うのはたぶん田舎である。自然の営みがそのまま人間に降りかかって来る。ただしそれは、美しく心地よいものばかりではない。けっこうキビシイ場面も、とりわけ今年のような寒さ続きの冬には多くある。僕はここで山内明美氏の言葉をそっと味わっている。季節の暮らしをすることで、人間の骨格が作られていく・・・確かにそうだと思う。ただし次の、鷲田清一氏の解説を読むと、僕のこの理解と視点は山内氏とはやや違っているのだということがわかる。

「季節の暮らし」というさりげない表現に、歴史社会学者の痛切な希いがこもる。パンデミック下で人びとの猜疑心や排除行為が蔓延する。経済成長という強迫の下、人が自己を肯定できるような場所が塞がれる。それらは日々の小さな暮らしが「どんなに大変で、尊いことかを忘れ去った」その顛末なのではないかと。

 日々の小さな暮らしがどんなに大変で、尊いことか。それは都会も田舎も変わりない。人は、どこでどう生活しようが、誰もが、昨日、今日、明日の暮らしを保つため懸命に働いている。そして、懸命に働いて維持されている「生活」を、もうこれで十分だと受容するか、それとも、働いて、ご飯が食べられる、しかし人間、それだけでは足りないのだと考え、生活の場から一歩先へ、別な方向に踏み出し、自分の「人生」を描こうとするか・・・。夫婦という関係の中で、その立場を鮮明に分けたのが遠藤周作氏の父と母だったのだ。

 遠藤周作氏の父は「平凡が一番だ」と言ってはばからず、安定した生活を求める人だった。そんな父を、小説家としてはいまだ世に認められず、翻訳の仕事などでなんとか生活を保って妻子を養っている遠藤氏は、『影に対して』の主人公・勝呂という人物として、父を見る、そして軽蔑する。このような描写で。

小指の爪を父は大事そうに長く伸ばしている。その爪でうつむいて新聞を一枚一枚、丹念に読みながら耳をほじくる姿には、いかにもみみっちく、自分の無難な毎日に満足仕切っている老人の雰囲気があった。

 2月13日。日中、冷たい雨が降り続いた。今夜半からは雪に変わると天気予報は言っている。3日前の雪はまだ畑に残っている。それに上乗せしようというのか。また降り積もるのか。いつもより2時間早く荷造りにとりかかる。野菜の洗い桶に入れる手が、痛いの、しびれるの・・。そのことは、もう何度か書いた。中休みなしに続くこの寒さは体にこたえるが、やらねばならない、やるのだ、「生活」のためにネ。

中にいると「外のことが、どーでもよくなる」。   藤森照信

 今日付けの朝日「折々のことば」で目にしたものだ。藤森照信氏は建築家で、樹上の茶室、半地下の家、ハンモック風に吊るされた小屋などさまざまを故郷の長野県茅野市に造ったという。その藤森氏は自分の感覚を、造営した建物の中にいると「外のことがどーでもよくなる」との言葉に置き換えた。ああ、少し分かる、自分にもその感覚はある・・・。僕も、畑仕事に専念していると(生活に追われていると)、世間のことはどうでもよくなる。もちろん、世間のあれこれが無意味だとかどうだとかというわけではない。しかし、感情や感動が自分の動き回る100×50メートルの空間に固定され、外に流れ出て行くということがない。結果として、外部での出来事への関心が湧かない。分かりやすい例が、今行われている冬のオリンピックだ。テレビで見ることを僕は全くしない。うちのテレビは天気予報のためにある・・・昼も夜も、頭にあるのは、この連日の寒さの中で、野菜たちをどう維持してゆくか。あるいは、春もの野菜の種をどう発芽させるか・・・それだけだ。明朝の最低気温はどこまで下がるのだろうか。僕が熱心にテレビを見るのは天気予報の時間だけなのだ。

 僕の意識と行動の90%は「生活」のために向けられる。気温3度の中で水仕事が出来るのは、生活費を得て、暮らしを成り立たせるためである。そんな僕が会社員時代とちょっと違うかなと思うのは、「生活」以外の部分が、わずか10%といえども存在すること。その10%とは、遠く隔たった場所でのスポーツイベントや音楽ステージへの関心ではなく、すぐ目の前にある風景だ。気が付けば、僕自身も「外のことがどーでもよくなって」いる。自分でも不思議なくらい外への関心が低い。鷲田清一氏の解説の中に「人が自己を肯定できるような場所」という表現がある。我が暮らしのさまは、客観的に見たら「肯定」と言うにはちょっとあやしい、かなりの貧しさに満ちてはいるが、田舎暮らしという場所で、僕が自分の生活を肯定して生き、働いている、それは事実である。と同時に、「生活」から一歩ハミ出し、「人生」を追求してみたい、そんな気持が胸のどこかに、微量だが、あるらしい。

 遠藤周作氏の母はバイオリンに情熱を注ぎ、音楽の道を志す人だった。母が練習する部屋には息子さえも立ち入らせない。小説の中での周作少年は、学校から戻り、隣の部屋で母が奏でる弦の響きをただじっと聴き入っている。そこへ父が帰って来る。宿題はもうやったのかい、父はそう少年に尋ねた後、こんな言葉を漏らす。おまえ、寂しくはないかい?  バイオリンに情熱を傾ける母にかまってもらえない少年の心を、まさしく読み取った父のそれは言葉だった。そして・・・じつは、妻の心と自分の心が重なり合わない、父自身も同じような寂しさを抱えていたのだということが作品の行間から読み取れる。

 咲くべきか、とどまるべきか・・・例年ならすでに満開に近い早咲きの梅が、冷たい雨に打たれながら惑っている。収穫した野菜を抱いた僕は、ふと、その前で足を止める。雨を貯めて、小さな水滴を尻尾のように垂らしている梅の花たちに、胸の内で囁きかける。この氷雨、人間も辛いが、おまえたちはもっと辛いかもしれないなあ。だって、人間は、仕事を終えれば熱い風呂に体を沈められるものな。湯上りの晩酌で少し心地よくなり、腰に電気座布団なんかを当てて夜の冷気をしのぐことだって出来るものな。でも、おまえたちは動けない。冷たい雨を受け、雪をかぶり、じっとこの場に耐えて、春を待つしかないんだものな・・・梅から離れ、僕は畑に再び戻って行く。ビニールトンネルに半身を入れて今度はホウレンソウを収穫する。根っ子の土を払い、黄色くなった葉をちぎり捨てる。指先の感覚はだいぶ鈍っている。そして・・・歌う。

私を捨てたあの人を 今更悔やんでも仕方ないけどお
未練ごころ消せぬこんなあ夜 ♪
外は冬の雨まだやーあまぬ この胸を濡らすように
傘がないわけじゃあないけえーれど 帰りたあくうーなあい ♪

 日野美歌の「氷雨」。へへっ、前から好きなのである。秋の小春日和には山口百恵の「秋桜」を仕事しながら口ずさみ、今日みたいなしびれる寒い雨の日には、決まってこの「氷雨」が口をついて出てくるのである。歌詞は哀切である。メロディーも暗い。それでいながら僕の気分は明るくなる。ヤケっぱちじゃなく、ほんとに明るい気分になる。傘がないわけじゃあ、なあーいけれどお♪ 野菜の土を落としながら、ときに鼻水をセーターの袖ですくいあげながら、歌う。すると、ほどよく元気が出るのである。思えば、僕も、妻と二人の子に捨てられた男なんだな・・・。自分を捨てた人(たち)への未練ごころは、もうないと自分では思っているが、どこか胸の奥には燃えカスが残っているかもしれない・・・が、日野美歌の「氷雨」を、山芋を、里芋を、掘りながら歌うと、どれほど冷たく寒くとも、僕は元気が出る、作業効率だって上がるから妙である。それゆえに、「氷雨は」、しばれる今の季節の我がオハコなのである。

 2月16日。ずっと光に恵まれなかった。朝は晴れていても午後には雲が広がる。そんな天気が今日、ようやく解消し、終日、途切れることなく光が降り注いだ。気温は低いが、光そのものは冬至から50数日、言うところの光の春だ。ビニールトンネルやハウスは少し換気を必要とするくらいに内部の温度が高くなっている。しかし喜んではいられない。この週末はさらなる寒気が到来するらしいから。

好きなことをしてお金になればいいと思いがちだけど、好きなことはお金にしたくない人もいるんですよ。   都築響一

 以前、僕は何かで「好きなこと、趣味なんかを、仕事にしてはいけない」と、どなたかが書いているのを読んだ記憶がある。今の百姓としての僕は、会社員として失格というのが発端だったけれど、その後、形の上では「好きなことを仕事にしてしまった」人間ということになるだろうか。

 これも朝日新聞「折々のことば」からの引用である。鷲田清一氏はこう解説する。

好きなことを飯の種にできれば幸運だろうが、金稼ぎは不安定なものでやがてその「好き」も濁る。が、仕事をただの手段とするのもやるせない。いずれにせよ「好きなことだけして大金持ちはありえない」と編集者・写真家は言う。

 これは自分でも感心するというか、不思議に思うのだが、僕は百姓仕事を、もう「やんなった」と考えたことは一度もない。この道に進んだことは間違いだったかも、そう思ったことは皆無。その点では、鷲田清一氏が使った言葉「やがてその好きも濁る」は当てはまらない。濁っていない。ただし、好きなことだけして大金持ちはありえないは、まさしくドンピシャだ。大金持ちどころか、小金持ちにもなれない自分。それでも、僕の心は畑からは逃げない。転んでもすぐ起きる・・・転ぶは比喩ではなく、ほんとに転ぶ。降った雪が溶ける。あるいは分厚い霜柱が午後には溶ける。そこをうっかり、他のことを考えているゆえ視界の狭くなっている僕は踏んでしまい、見事に転倒する、大根や白菜を抱いたままで。幸い受け身は上手ゆえ、怪我をしたことはないけれど。

 雨が降らず、風もない。そういう日の僕は嬉しい。焚火ができるからである。焚火の効用はふたつ。第一が、散乱している剪定枝や枯草を集めて燃やしてしまうと畑がきれいになる。第二が、体が暖められ、「生活」のノルマを果たしてから、風呂と晩酌までのしばしの時間、たぶん1日で唯一と言ってよいであろう、静かで、ゆるやかで、考え事のできる時間、それが燃え盛る炎の前で得られるのである。今夕の僕は、赤い火に目をやりながら、こんなことを、ふと考えたのだった。

 あなたの家庭で、田舎暮らしを発案したのは誰ですか?

 すでに実践している人、これから実践したいと思っている人を対象とした、そんなアンケート結果はどこかにないのだろうか、きっとどこかにはあるだろうな・・・と。燃え盛る炎の前で僕は自分流の設問を考えてみる。

 発案者は、①夫、②妻、③夫婦が同時に、④子どもたち。さらに調査項目を足すならば、発案した夫(あるいは妻)に、あなたはどのような対応をしましたか。その答え。①すぐさま賛同した、②大賛成ではないけれど、夫(もしくは妻)の言うことに最終的には賛同した、③夫(もしくは妻)の考えに反対した・・・。

 冒頭、田舎暮らしへの願望は、「生活」だろうか、「人生」だろうかと僕は書いた。ならば、キミ自身はどっちなのだい?  そう問われたら・・・僕はこう返答する。堅実・懸命に、1年のうちの90%の時間と労力を傾けてなす「生活」が、まず基本にあります、その奥の方に、ささやかながら「人生」が存在します・・・と。

 田舎暮らしは楽しいことばかりじゃない。天気との関わりで言うならば、都会での生活の10倍はキツイ、百姓の僕はそう思う。ただ、モノは考えようで、そのキツさが人間の心身を知らず知らずに鍛えてくれる。これは机上の論、あるいは情緒などでは全くなく、経済的に目に見える具体性のあることでもある。分かりやすい例で言うなら、キビシイ天気で鍛えられた心身は医療費ゼロというかたちで暮らしに貢献する。ウツなんかにも、確定申告を例外として(笑)、ならない。そして・・・ちょっと辛口で申し訳ないのだが、都会には、自分ではない誰かのパフォーマンスで与えられたとかいう「感動と勇気」が溢れ過ぎているように僕は感じるのだが、田舎暮らしには、そのような感動と勇気は、残念ながら、草むらにも、高い樹上にも、ない。土を掘り返しても、出てこない。

 まるでないのか?  田舎暮らしには、感動も、勇気も。いや、そんなことはないネ。ある。ただ、テレビやネットで有名人のパフォーマンスを眺めるようなわかりやすいものではないだけさ。とことん動き、とことん汗を流した身体の中に、地中から発芽したばかりのピーマンかナスの芽ほどしかない微小な感覚と情緒が生まれるのだ。今その感覚と情緒が何かをキャッチしたようだ。野鳥の声かもしれない。風に散る桜の花びらかもしれない。昼と夜の境目を印す、林の向こうの赤い落日かもしれない。はたまた、ちらつくボタン雪かもしれない。僕はそれを感動だと表現する。「勇気」ではないけれど、移ろう風景の中で生きている「実感と喜び」だと表現する。

 2月20日。雨戸を開けると、夜来の雨はまだ小さく降り続いていた。空気はひえびえとしている。でも午後には止む、晴れ間もあるかもしれないと天気予報は言っていたな。それを信じて、僕はランニングに向かう。その前に洗濯機を回しておく。この寒い時期には何枚も重ね着して畑仕事をする。それが雨と泥と水仕事でみな汚れる、濡れる。アナタはきっと驚くだろうが、3日で洗濯機いっぱいとなるほどの汚れものが出る。

 そして、ランニングをすませたら朝食の支度だ。だが、シンクの惨状を見て、まずはここを掃除すべきだと考える。食べるのはその後だ。我が台所のシンクをふさぐのはほとんどが野菜の屑。包丁を使ってむいた山芋の皮、丸ごと茹でて手でむき取ったサトイモの皮。鍋の底に焦げてこびり着いた煮物をタワシでこすり取ったもの・・・そういったものをかき集め、僕は所定の場所に運ぶ。そう、ゴミを堆肥にするルーチンワークだ。

土に還すということ。そこに、命の始まりと最後を見届けるような安心と無常を感じる。   高橋久美子

 鷲田清一氏はこう解説する。

文筆家は、東京のような大都会でも、庭があれば、なくともコンポストがあれば、生ゴミも微生物に分解させて堆肥にできると言う。ゴミではなく資源なのだ。死んでも何一つ無駄とも無意味ともされずに引き取られるという安堵と、形あるものがやがて崩れ、存在としては消えるという儚さ、潔さ。そこに「ほこほこ」とした命の温みを感じると。『その農地、私が買います』から。

 サラリーマン失格を転機として百姓の道に進んだ僕。だが、ふと思うことがある。これは必然だったのかもしれないなと。百姓遺伝子というものがもしあるのだとするならば、親とも兄弟とも違う、突然変異的なDNAを僕は誕生時に獲得していたのかもしれない・・・そんなことを考える場面のひとつが台所から出るクズを堆肥場に運ぶ時なのである。誰に教わったわけでもない。土の中にはさまざまな生きものが棲んでいる。人間が食べ残したものをその土に混ぜ込めば彼らはそれを分解し、また食餌ともなり、やがて土の活動を促してくれる・・・そのことをずっと前から僕は直観していた。人間、野菜をしっかり食べなければ不調をきたす、そのこともまた、学習ではなく、僕の直観だった。高らかに宣言する有機農法なんかじゃなく、我が農法はその直観の積み重ねだったようなのだ。そして、積み上げた野菜クズを、ある日、大きな入れ物に入れて、野菜の畝間に施そうとする時、すでに真っ黒になって、ふかふかで、そこからダンゴムシ、ハサミムシ、ミミズ、時にはゴキブリもムカデもトカゲも出てくる、その現場を目に捕らえる瞬間、僕の胸には「感動と勇気」の情が湧き出る。花火が打ち上がるわけじゃない。電光掲示板が美しく躍動するわけじゃない。しかし感動はある。こいつらも土の中でそれぞれが、懸命に生きているんだよなあ。よっし、オレだって・・・地中の虫たちから生きる勇気をもらう。

 2月21日。昨夜、日付の変わる頃から北風が強く吹き始めた。そんな時、必ずベッドの中の僕の頭に浮かぶのは、その風で夕刻掛けた防寒シートが飛んでしまわないかということ。そして今朝、畑を見回ると、やはり飛んだり、ズレたりしていた。茶室の屋根にかなりたまっていた雨水が風にゆすられ、じわじわと落下したのだろうか。雨水が1メートル近い長さのツララになっていた。風は今日の日中も強いまま。キリキリと全身に冷たい。冷たい風が強く吹くと、包み紙としての新聞が激しくめくれて落ち着かない。フキノトウやアシタバを包むために広げるアルミホイルもじっとしていてくれない。荷造り作業の効率はふだんの三割くらい低下する。それゆえに、3時間がかりの荷造り作業を終えると安堵感と解放感が胸に湧き上がる。珈琲を一杯飲む。日が暮れるまであと2時間働くぞ。その意欲を一杯の珈琲が僕にもたらしてくれる。

 遠藤周作氏は常より、人の道には「生活」と「人生」、ふたつがあると口にしていたという。「生活」とは、毎日の日常を当たり前に生きること、平凡に生きること。一方、人生とは、志を持ち、高みを目指して生きること。「生活」だけの人生では、本当に人生を生きたことにはならない・・・。このことを『影に対して』の中では次のように描写した。歩きやすいけれど、足跡は残らないアスハルトの道というのが「生活」。歩きにくいけれど、足跡が残る砂浜の道というのが「人生」。「平凡が一番」という父の歩みををアスハルトの道だとし、音楽の道に志を抱いて精進する母を砂浜の道に作家は例える。そして、小説の中では、母が息子に宛てて書いたというシチュエーションで、こんなふうに母に語らせる。

海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれどもうしろをふりかえると自分の足あとが一つ 一つ残っている。そんな人生を母さんは選びました。あなたも決してアスハルトの道など歩くようなつまらぬ人生を送らないでください・・・。

 寒い日が続くが、日暮れの時刻はだいぶ遅くなってきた。正月明けは4時半で暗くなっていたが、今は5時半で暗くなる。畑仕事を終え、仕事で出たゴミや使った道具を片付けてから、僕の1日はストレッチと懸垂と腹筋で終わる。軽トラのタイヤに足を掛けてやる腹筋は150回。その回数をすませたら、寝た姿勢のまま両腕を背後にうんと伸ばし、曲がった腰と背骨を矯正する。そんな僕の真上で星がまたたく。自分の影が見えるくらい明るい月の輝きが頭上にある日もある。精神が不思議な静けさに包まれる。この瞬間の「孤独感」を僕はポジティブに捉える。これも田舎暮らしの断片だろうか。

 午後6時半といえば、東京の新宿も渋谷も、どの駅でも家路を急ぐ人々で混雑していよう。コロナ禍だから、以前とは違うのかもしれないが、これから飲むのだ、これから友人と食事するのだ、そういう人もいるだろう。そこには、さまざまな人工の光が満ち溢れていよう。そんな都会の人々には、30数年前まで自分たちの仲間であった一人の男が、今こうして畑仕事を終え、真っ暗い中、冷たい土の上で、軽トラのタイヤに足を引っ掛け、横たわり、頭上の月や星をボンヤリ眺めている・・・なんて、ちょっと想像しにくいことかもしれないネ。そもそも、洋服のまんま地面に転がるなんて発想は、たぶん都会にはない。ホームレスの人たちだって段ボールを敷いてから横たわるもの。いつだったか、暗くなったらうちの前を人なんか通りはしないのだが、何かの用事で隣家の奥さんがひょっこり表に出てきて、横たわっている僕を目にして小さな悲鳴をあげた。中村さんが軽トラの下で・・・死んでいるのかと思ったそうだ。

 遠藤周作氏の父母は激しい諍いののち、やがて離婚することになる。父は離婚後すぐに別な女性と結婚し、母は、小さなアパートでの暮らしを始め、誰に看取られることなく亡くなる。死後数日たった母の死を遠藤氏に伝えてくれたのは、仕事でアパートに出入りする高齢の女性だったという。そして、没後25年で発見された原稿とともに、もうひとつ、古い写真が書斎の本の間から出てくる。母の死に顔。それは眉間に皺を作り、苦しみをたたえる写真だった。おそらく、もう二度と見たくはない・・・そんな気持で書棚の奥にしまい込んだのでしょう・・・研究者はそう推測していた。

 母の「人生」に共感を寄せた遠藤周作氏だが、後年、平凡を第一とする「生活」派の父への理解も、その胸には生じたらしい。そして、「生活」か「人生」か。いずれの道を歩むべきか、氏自身の心も揺れ動く時期があったらしいという。「生活」をなおざりにした「人生」はあり得ない、意味もない。さりとて、ただメシが食えて、平穏に時が過ごせればよいというのも、どこか寂しい・・・1日の労働を終え、ノルマである150回の腹筋も終えて、冷たい土の上で頭上の星や月を眺めている僕は、そんなことを独り考えたりもする。

 2月24日。今僕はハウスの補修作業に精を出している。ビニールの賞味期限は通常は3年だ。3年たつと光の透過は悪くなり、台風が来れば破けたりもする。それを、だましだまし、応急処置だけして使い続ける。もちろん予算の関係だ。しかし、我慢も限界。昼でも薄暗いビニールハウスに入ると、カネはかるが、やっぱり、そろそろ、新品に替えないといかんなあと思う。本格的な春に先駆け、今回購入したビニールは幅5メートル40で長さが10メートルを2本、12メートルを1本。その出費合計は4万円だった。4万円は、我が働きで8日を要する金額。「生活」を維持するための必要経費なのではあるが、常に綱渡り、貯蓄ゼロというこの百姓は、古いビニールをはがし、新品に取り換える作業をしつつ、明日への期待とやりくり不安をないまぜにしつつ、この仕事に励む。

 そして、きっと、やりくり不安よりも、明日への期待の方がずっと大きいんだろうネ。なんとなれば、新品のビニールに取り換えるという日には高揚感がある。いつもの荷造りを終えて、腹ごしらえをした僕は、いくらでも働けるという気持になるんだ。真っ暗になったら太陽光発電につないでだワークライトの灯りを頼りに頑張って残業する。昨日は7時まで、今日は7時半まで。手当は出ない。まかない食も出ない。世間で言うサービス残業だ。

 2月25日。新装なったビニールハウスに大根をまく。土に種を落としながら、僕は思う。ああ、なんと明るいことよ。ずっと暗かった人生が、ふとした転機で、明るさと希望を取り戻しましたよ・・・世間でよく耳にする再起・再出発のストーリーって、きっと、こんな感じなんだろうなあ。まっ、そこまでドラマチックじゃないけれど、たった4万円で明暗を分ける。3日前までの暗が、のべ10時間の労働で明に転じる。人間の気持の明るさだけじゃなく、この空間では自分の食い物と商品が生産されるのだから、4万円は安いぜ。費用対効果はとても優れている。

 ビニールを閉じたままでは暑いので裾をまくって僕は作業する。するとチャボが何羽も侵入する。ジイチャンの行くところには虫が出てくる・・・彼らはそう学習している。みんな、ここはダメだよ、あっちに行ってな。優しく追い払ってなお大根の種まきを続ける僕の頭に、不意に、まるで突然、不倫なる言葉が浮かぶ。倫とは正しい心、正しい行い。そこから外れるのが不倫・・・突然こんな話を持ち出したりしたら、きっと編集長にはお叱りを受けるだろうなあ・・・。ですが、しかしですが、今回のテーマとまるで前後脈絡のない唐突でもないような気が僕はするのだ。すなわち、家庭という堅実な「生活」の場から、ある志を持って一歩「人生」に向かって踏み出そうとする、ひょっとしたらそれが不倫かも・・・。不倫は人の道を外れます・・・世間一般ではそう考える。それでいて、我が子を捨て、不倫の恋に走った瀬戸内寂聴さんの生き方には称賛の声が集まる。ダブルスタンダード・・・しかし今はこれ以上は踏み込まないこととする。「生活」と「人生」、さらに「田舎暮らし」について、僕にははもう少し考えてみたいことがある。この続編は次回ということとし、今日はこのへんで筆を置く。

 

2月下旬の野菜だより

 2月27日。霜も氷もない明るい朝だ。これはいったい、いつ以来であろうか。それにしても、なんとも厳しい冬であったなあ。そして今日は、まるで春一番かと思うような強風が吹いた。これはこれで困ったものだが、霜や氷よりはずっといい。この夏は例年よりも暑いとの予報が出ている。温暖化の影響というのは、単に気温が上昇するとかということではなく、高温と低温、洪水と旱魃、気象の振れ幅が両極端に向かうことであるらしい。

 ともあれ、光と空気だけは今日、春のものとなった。ずっと、気の毒なくらい地面にうなだれていたソラマメも、今日は空に向かって両手を広げている。そろそろ根を旺盛に伸ばす頃だ。畝間をしっかり耕してやることにしよう。春のアブラムシの害は、運を天にまかせるより他にない。酢とか石鹸とかビールとかで防除を試みるという話を聴くが、アブラムシにとりつかれた株は、もったいないとは思わず抜き捨てるのがいいと、僕は思う。

 1月に植えたハウスの中のジャガイモを点検する。前号に書いた。1月植えは、あえて切らず、丸のまま植えると。それだと後で芽欠きの手間が増えるのだが、切って植えるより、丸ごとの種イモの方が低温でも発芽は旺盛になる。写真ではわかりにくいが、ハウスの中でありながら、数日前の零下4度という寒さで芽には一部、傷みが生じている。ジャガイモは、このハウスのものを第一弾として4回に分けて植えた。第一弾は4月下旬の収穫を期待しているのだが、さて、どうなるか。

 次は人参。やはり1月早々にハウスに種をまいた。ハウスの中には、雑草のこぼれ種が憎たらしいくらい生えてくる。そのままでは人参が負ける。草の大きさは2ミリか3ミリ。それを、人参を傷つけないように取ってしまう作業はかなり大変。発芽後、たぶん20回くらいその指先での除草作業を僕はやっている。そして今、人参の草丈は5センチくらい。これからは、ハウスの中は乾燥しやすいゆえ、20メートル離れた水道からホースを引っ張り、潅水作業に精を出す。うまくすればGWが始まる頃には初物が味わえるか。

 さて、ジャガイモと人参以上に僕が苦心しているものをお見せしよう。次の写真の上の方に小さく映っているもの、そう、カボチャである。このハウスには、先ほど書いた人参と、写真に見えるチンゲンサイがある。チンゲンサイはあと半月で収穫を終える。そこにカボチャを這わせようという計画なのである。

 種は、電気カーペットを使って加熱した「室内菜園」のポットにまいた。発芽から半月あまり、そこで様子を見たが、LEDはやはり自然の光のような効果はなく、軟弱化の気配がみられた。それで移植を決心した。ただし、移植したころは毎日結氷、最低気温は連日零下。そのままではとても耐えられない。そこで、この次の写真のように、火が暮れる頃、まずプラスチックで蓋をしてやる。

 この上からさらに、小さな毛布を2枚掛ける。つまり、ビニールハウスを含めて三重の防備というわけだ。この場所以外、別なところにもカボチャはあと2か所ある。朝外す、夕方掛ける・・・なかなかの苦労である。そして、移植から半月、どうにかカボチャらしくなった姿がこの次の次の写真というわけだ。

 カボチャは授粉から完熟まで最低45日と言われている。今この大きさの苗だと、初花をつけるのは4月の半ばかそれ以降になるか。そこに45日を足すと、初収穫は6月に入る頃となる。この苦心の作とは別に、本来の栽培は、5月に入ってからの種まきとしようと考えている。梅雨どきの開花をあえて避ける。5月に入ってからの種まきだと、まず、玉ねぎの収穫あとが場所として確保でき、ローテーションとして都合がよい。とともに、5月に種をまいたら、花が咲くのは梅雨明けの頃。そこから授粉にもっていって、9月の、まだ高温が続いている中での完熟が期待できる。

 どうにもこうにも寒さきびしき1月、2月ではあったが、葉物を切らさぬよう、ビニールトンネルにせっせと種をまいた。ホウレンソウ、カブ、小松菜、春菊。それらにもやはり、日の暮れる頃には何枚もの防寒シートを掛けてやるのだ。最も厳しい冷え込みの頃には、午後4時半の空気は手が切れるほどで、日中になっても溶けないままシートに張り付いた氷が僕の足元にカラカラと音を立てて落ちた。しかし、ホウレンソウ、小松菜、カブ・・・幼い芽たちはそんな寒さの中でも頑張っている。えらいぞ、おまえたち。百姓バンザイ、野菜たちにもバンザイだ。このまま本物の春になるなら、あと半月で梅とプラムが咲きそろい、それに梨とサクランボとジューンベリーの花が続くだろう。アスパラとウドも地中から顔を出す。田舎暮らし、百姓暮らしの神髄そこにありだ。もう一度バンザイをしよう。そして、風呂だ、酒だ。ささやかなれど、確かな人生の幸せがここにある。

 

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(5)あの角を曲がって
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(6)理科のダメな男が電気の完全自給に挑む話
https://inakagurashiweb.com/archives/8301/

(7)ボロ家に暮らす男が積水ハウスのCMに胸をときめかす話
https://inakagurashiweb.com/archives/8877/

(8)猫もいい。犬もいい。鶏がいればもっといい
https://inakagurashiweb.com/archives/9271/

(9)人にはどれほどの金がいるか
https://inakagurashiweb.com/archives/9927/

(10)人間にとって成熟とは何か~メンタルの健康についても考えながら~
https://inakagurashiweb.com/archives/10432/

(11)心をフラットに保って生きる心地よさ~メンタルを健康に保つためのルーティン~
https://inakagurashiweb.com/archives/10864/

(12)周囲の生き物たちと仲良く暮らすこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11356/

(13)僕の家族のこと
https://inakagurashiweb.com/archives/11953/

(14)独り身の食生活と女性たち
https://inakagurashiweb.com/archives/12410/

(15)家庭菜園と人生における幸福論
https://inakagurashiweb.com/archives/12775/

(16)人生の惑いをゴミ箱にポイするTips集
https://inakagurashiweb.com/archives/13260/

 

中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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