中村顕治
しばらくぶりに、編集長にお願いし、今後のテーマに対するサジェスチョンや具体例をいただいた。今回のテーマは、そこから選び出したものである。
定年を機に田舎暮らしを始める。世間には、それへの反対意見もどうやらあるらしい。単なる憧れや甘い夢で始めるにはさまざま問題がありますよ・・・。例えば体力的なこと。田舎ならではの不便さのこと。生活費のこと。昨今の定年は何歳なのだろうか。僕の時代は60歳だったが、今はそれより遅くなっていると聞いたこともある。仮に65歳と考えれば、たしかに若い時代の半分くらいに体力は落ちている。
しかし・・・何事であれ新しいことに挑もうとする場合、ダメな理由を指折るのではなく、どんな準備を整えておけばドリーム・カム・トゥルーとなるか、そこをポジティブに、冷静沈着に判断することだろう。定年後の田舎暮らし。僕はその実現条件として3項目を考える。第一は童心に帰りたい人。第二は体力のある人。第三は、もうひとつの人生を体験してから死にたい、そう強く望む人。童心に帰りたいとは、水遊び、泥んこ遊び、焚火、虫捕り、工作などを楽しむことだ。体力は・・・自信がないと不安を抱く人もいるかもしれない。でも心配無用。カネを貯めるより筋肉を貯める方がずっと簡単。後で、基礎体力をつけるための具体策を僕は書く。基礎体力さえ出来ていれば、田舎暮らしそのものが、そこでの日々の作業が体力増強を推し進めてくれるのだ。最後、もうひとつの人生を体験してから死にたいという熱望・・おそらく、僕の言う3条件の中ではこれが最も重要なファクターだと思う。都会暮らしから田舎暮らしへ。それはまさしく、もうひとつの人生を体験することなのだ。これら3条件についてのディテールは、これから折に触れて詳しく書いていこう。
3月19日。昨日の冷たい雨が止み、すばらしい光の朝だ。昨日が厳しい天気だったぶん、ただ晴れたというだけの今日がとても嬉しい。朝食しながら見た「チコちゃんに叱られる」はニンニクの話だった。専門家の解説によると、ニンニクは火を使える人間だけが食べるものらしい。動物から畑の被害を免れるためにニンニクが植えられていたという話も番組にはあったが、僕には初耳だった。子供のころ、毎晩、仕事アガリに焼酎を飲む父が、ニンニクを生で齧っていたのをテレビを見ながらふと思い出したりした。
今日は天気だけでなく、嬉しいことがもうひとつあった。部屋の中で越冬させたガマ。もうそろそろ庭に出してやろうか。そう思って箱に手を入れると、数日前にはいたのに、いなくなっている。箱は穴が開いて使えなくなった金魚の水槽で、空気を入れるためにガラス蓋を少し開けてあった。そこからジャンプしたのだろうか・・・僕はちょっと寂しかった。もう会えないだろうと諦めていた。ところが、いたのである。ドジョウの池に。ドジョウの隠れ家として置いたブロックの上で正座して、気持ちよさそうに光を浴びている。それにしても、ガマにとっては長い道のりだったろうになあ・・・僕のパソコン部屋からベランダに出て、かなり迂回するかたちでのドジョウ池までの距離は20メートル以上。障害物も多数。ここぞと決めた場所がドジョウの池というのが、再会の喜びとともに、なかなかお前もやるじゃん・・・という僕の感慨だった。
冒頭に書いた童心に帰る・・・これがその一例であろうか。たった1匹のガマが僕にけっこうな喜びをくれるのである。晩秋、冷たい雨の中、こいつは道端の草の上で何やら考え事をしていた。その憂い顔を見捨てておけず、僕はランニングの残り距離1キロを走る間、手からこぼれ落ちてコンクリートで頭を打ったりしないようにとしっかり腹の下に抱いて帰り、穴の開いた水槽に枯草をいっぱい詰めて寝かしてやったのだった。あれから4か月。ガマはこうして春の光を楽しんでいる。それを見る僕も仕事の合間のわずかな時間を楽しんでいる。田舎暮らしには、童心に帰れる材料がふんだんに転がっているのである。
大変、大変って言うけれど、一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?
今日の読売新聞「編集手帳」で目にした言葉である。この言葉の出所は、僕には全く知識がないのだが、ジブリ映画『おもひでぽろぽろ』という作品であるらしい。山形の農業青年トシオはサラリーマンから有機栽培農家に転じ、やりがいを見つけた。「編集手帳」はそこで、こう言葉を添える。「個を抹殺して働きづめになる、かつての会社員像がのぞく・・・」と。ただし、「編集手帳」が言いたかったのはそれではない。むしろ逆。第一生命が行った「大人になったらなりたいもの」で、小中高、男女を問わず第一位になったのは「会社員」だというのだ。そのワケは・・・コロナ禍でテレワークが普及し、自由な働き方への意識が高まった。それで会社勤めが見直された・・・。なるほど、いいことだと思う。パソコンなんてない時代。ハサミと糊を使って割付用紙に本文ゲラやエックス線写真を貼り付けて雑誌の編集を僕はやっていた。ひたすらオフィスにこもり、社員食堂で夕食を食べて、あと2時間働いて、タイムカードを押して家に帰りつくのは10時過ぎだった・・・そんなサラリーマン生活だった僕には、満員電車に乗らず、朝起きたらすぐそこに仕事場があるというのは、それだけで夢みたいな暮らしである。
その夢みたいな暮らしの半分ほどを僕は手に入れた・・・それが現在の田舎暮らし、百姓暮らしである。朝、寝床を離れ、朝食をすませ、部屋から一歩出たところが我が職場なのである。かつては往復で3時間、多い時は4時間を電車通勤に費やしていた。それが今ではゼロになったのだから革命的とも言える。ただし、夢の暮らしはそこまでで、残念ながらリモートワークは不可能である。僕は手と足と、スコップと鍬がないと仕事にならない。対して、例えば大々的なイチゴ栽培、観光摘み取り園なんかだと、温度、湿度、肥料、すべてがコンピュータによる自動制御だという。そればかりか、実の熟し具合を判断し、完熟のものだけを収穫する、そんなロボットも登場していると聞いたことがある。我が農法はその対極にある。温度、湿度、肥料の管理は全てカンと経験に任される。燃料を使って動く農機具は皆無ゆえ、掘るのも、切るのも、運ぶのも、みな人力に頼る。まさしく、「おもひでぽろぽろ」のトシオの台詞、「一生懸命やってる仕事なら大変でない仕事なんてないでしょう?」そのままだ。
一生懸命はある意味誤用で、正しくは「一所懸命」だと聞く。我が百姓暮らしはなるほど、こっちの方がピッタリだ。畑という「一所」において「懸命」に、カレンダーに関係なく、雨でも雪でも働く。だから大変・・・しかし、この「大変」には逆説的なニュアンスがある。自分の好きなことを自分の好きなようにやる、それが隠し味として包み込まれている。「大変」の文字は「楽しい」とピタリ重なり合う。
3月21日。朝は肌寒かった。日中もやや光が足りない。雨の少ない日々がずっと続いていたのだが、ここのところよく降る。2日続きで夜来の雨はかなりだった。その雨が今、ちょっとした安らぎの風景を作ってくれている。ビニールハウスがたわみ、雨水がたまり、細長い池になった。その池に、すぐそばで散り始めた梅の木が花びらを落としたのだ。ビニールの下には、本来このハウスの住人であるジャガイモやブロッコリーが窮屈そうにしているのが水を通して見える。梅の薄いピンクの花びらに、透き通った水。水の下にある野菜たちの緑の葉は、まるで海にもぐって眺める岩場でゆらゆらと揺れる海藻のようだ。田舎暮らしに求める「もうひとつの人生」。それは、盛大なファンファーレが鳴り響くようなドラマチックなものじゃあない。せいぜい、この、雨水がたまった池に零れ落ちた花びら、そんなものである。それでもいい、いや、それがいいデス・・・そう言って、ふわっとした笑顔を見せているそこのアナタ。アナタは、まずは、一次試験に合格である。
今日の天声人語は、世界幸福度ランキングの話だった。日本は54位。先進国の中ではビリ。これは悲観すべき順位なのか。必ずしもそうではないですと専門家は言う。「日本人は自己評価が低い傾向がありますから・・・」と。で、我が暮らしはどうなのだろうか・・・「めでたさも中くらいなりおらが春」。小林一茶の句がほぼ当てはまるかもしれない。一茶はこの句の前書きとして「我が家は風が吹けば飛ぶようなあばら家にふさわしく、門松も立てず掃除もしないで、ありのままの正月を迎えている」と記す。風が吹けば飛ぶようなあばら家、掃除もしない、門松も立てない、それは僕自身も全く同じだ。それでもあえて、「中くらいの幸福度」だと僕は胸を張る。そのココロは? 空と雲と光と花と、土と水と鳥の鳴き声(野鳥と飼っている鶏のダブル)、それらが目の前にあるから、すなわち田舎暮らしだからである。36年前に見た夢「もうひとつ別な人生を」。それが現実の姿として日常生活にいま存在している。
3月22日。暑さ寒さも彼岸まで・・・あの言葉はウソですねえ・・・。親しい友人からそんなメールが来た。そう、昨夜来の冷たい雨。まさしく今日は冬の天気に戻ってしまったのだ。でも、やるべき仕事はいくつもある。やらねば。それだけでなく、部屋にじっとしていられない性分でもある。しっかり着込んで畑に向かう。正午頃の気温は5度。そこからだんだんと下がり、いつもの荷造りを終える時刻には2度だ。荷造りには野菜の水洗いは避けられない。手は、冷たいのではなく、痛い。正岡子規は、老いた母親のつぶやきを耳にして、そのままこんな俳句にしたという。
毎年よ彼岸の入りに寒いのは
定年後に始める田舎暮らし。その3条件のひとつが体力だと僕は言ったが、その体力はふたつに区分される。筋肉や骨の強さ。それでもって重い物を担いだり、穴を掘ったりするパワー。もうひとつは暑さ寒さに対する耐性だ。降り続く今日の雨はいつしか雪に変わっていた・・・。さあ、この寒さにアナタはどこまで耐えられるだろうか。でも、これもやはり心配ご無用なのである。慣れてきます。人間とは、善にも悪にも、何にでも、いつしか慣れてくる生き物・・・これが僕の認識である。時間はかかる。でも、コツコツと継続すれば、骨と筋肉は強くなり、暑さ寒さへの耐性も増す。
完全冷暖房の快適さに人間はいつしか慣れる。それが当たり前という暮らしになる。しかし、思えば、たかだか60年ちょっとくらい前、夏の暑さはうちわ1枚でしのいでいた。冬の寒さは炭が2つ3つ入った火鉢でしのいでいた。だから、やれないことはないはずだ・・・原始人の異名を持つ僕はそう考える。我が暮らしにクーラーはない。そして夏は50度の畑で働く。石油ストーブも、以前はあったが、ここ数年は使っていない。夜の室温はパソコン部屋が5度、寝室が2度。この暑さ寒さでもって具合が悪くなったことは・・・幸い、一度もない。人間、快適さに慣れる、不便さにも慣れる。適応性の高い動物なのである。
では、こんなことを書く僕はやせ我慢の暮らしをしているのだろうか。アナタにもやせ我慢をしろと言っているのだろうか。そうではない。快適な暮らしに身を任せず生きるとは、人体の活動域、可能域を広げて生きる、すなわち、さまざまなことが出来るようになることを意味する。ポジティブ・シンキング。それを僕は強調したい。田舎暮らしにも様々なパターンやレベルがあるだろう。しかし、都会での暮らしに比べたら、不便であり、気象条件も劣ることが多いだろう。そのマイナス要素は人体への負担となって通常は表れる。その負荷をよっしゃと受けて立つのだ。負荷を受けて立つ・・・何のために? 日常の楽しさや面白さを増やすためである。ヒネてるなあと思われるかもしれないが、人の暮らしには、ラクをしていては見えない、出会えない、エンタテイメントがひそんでいる、草の中とか、木の上とか、高い空とかに。それらに出会って、見る、触れる。時には語り掛ける。ラクな暮らしの中ではそのチャンスを逸することが多い。
話がちょっと飛ぶが、コロナのワクチンを受けに行った時のこと。入口で体温を測る。僕の体温は36度3分。周囲の人よりやや高め。具合が悪くて熱があるわけじゃない。筋肉は体温保持の役目を果たすという話をアナタも聞いたことがあるだろう。寒いと感じるのは、単に気温が低いからではなく、冷えに悩む人は筋肉量が少ないから・・・。でもって、定年後にもうひとつの人生を、そう願うアナタは、毎日の暮らしに腹筋、懸垂、スクワット、ランニング(ウォーキング)を取り入れよう。いきなりそんなに頑張る必要はない。少しずつでいい。ただし、毎日欠かさずやることだ。ご飯を食べて、歯を磨く。それと同じように習慣化させることだ。このルーチンワークと並行し、心地よい冷房や暖房の暮らしからちょっと抜け出す。あえて暑さ寒さに自分の体をさらしてみる。1年したら、自分の変化に少し気づく。3年したら、はっきりと気づく。もうひとつの人生への道にそれで一歩踏み出したことになる。
3月23日。ベッドから抜け出し、ランニングの支度をして庭に出て、ちょっとばかり不意打ちを食らった気分になった。寒い朝になるだろうとは覚悟していた。しかし、貯水タンクには氷が張り、畑には1月頃と同じ分厚い霜が降りている。ここまで冷えたのか・・・。インゲンのあるハウスに飛んで行った。この時期はいずれの苗ものもハウスの中だ。加えて、夕刻には防寒のキャップやカバーを掛けてやっている。しかしインゲンだけにはそれがなかった。少しドキドキしながらハウスに入ると、無傷が半分、しおれかかったものが半分。しかし致命的なものはなかったのが幸いだった。明朝もだいぶ冷えそうなので、急ごしらえのカバーを施してやった。
アンズが開花し、プラムも明日くらいに咲き始める。しかし、わあっと歓声を上げるような本格的な春にはまだならないなあ。目を凝らしても、タケノコの姿はまるでない。
人生を振り返って、「あれをやった」と感慨にふけるのもいいが、「あれをやらなかった」と誇りにするのもありだと思う。頭木弘樹
朝日新聞「折々のことば」からである。読みながら、僕はちょっと考えた。オレの場合、「あれをやらなかった」のアレにはどんなことがあるだろうか・・・と。そう思いつつ鷲田清一氏の解説に目を移す。
私たちはつい「何をしたか」で人を評価するが、「何をしなかったか」もじつに大切だと、文学紹介者は言う。例えば「傷つけなかった」、「人の上に立とうとしなかった、差別しなかった、欲に溺れなかった」というふうに。これだけはすまいと、人としての矜持を守り通すだけでも凄いことだ。
僕がこの中で、自分に当てはまると思うのは、人の上に立とうとしなかった、それと、差別しなかった、この2つかな。ふふっ、じつは、会社員時代、僕は人の上に立ちたくても立てなかった。万年「係長見習い待遇」だったからだ。
さて、いま「折々のことば」を枕として僕が書こうとしているのは、引用文の意味とは違った角度で「何をしなかった」かということ。すなわち、〇〇をしなかった、それを誇りに思うのではなく、いくらかの無念さを抱えたままでいる。その気持ちを考えみたいと思ったからだ。具体的に言うなら、定年までの何十年かの会社員時代、やってみたいという心はありながら実行に移す機会に恵まれなかった、そんなことはないだろうか。つまり、やりたいのに「やれなかった何か・・・」。アナタにそれはないか。
冒頭、定年を機に始める田舎暮らしの実現には3つの条件があると、僕は書いた。その3つの中の「童心に帰りたい」という願望は、思えば大人になるに従い、いつしか意識にさえのぼらず、忘れ去られてしまうのが普通の人生である。田舎の高校を卒業して東京に向かう。そのまま就職するか、大学に進むか、とりあえずの道はふたつに別れるが、会社勤めという終着点ではみな一緒になる。そして会社では、仕事を覚えることにまず懸命。そしてやがて、結婚し、マイホームを手に入れ、子供の養育に力を注ぎ、会社でのポジションが上がり・・・誰にとっても必須である「生活」と向き合うままに、ふと気づくと髪にちらほら白いものが混じる年齢になっている。
故里(ふるさと)の街なれどなほ行きつかず 那珂太郎
ウサギを追い♪、小鮒を釣った♪、あのふるさとは遥か遠くに去っている。あの頃、確かにあったはずの童心が、今やその影もない。童心とは、どんな饅頭やケーキよりも甘く、どんな酒の酔いよりも心地よい・・・店ではほとんど売っていない味の誉れ(と、僕は思う)。田舎暮らしには、童心に戻れる材料が周囲のあちこちにある。人はほっておいても時間とともに大人になるが、それは童心を捨ててしまうことを意味する。もし、定年を機に、大人という肩書をとりあえず捨て、無邪気、まさしく邪気のない心でトンボやカエルやチョウと戯れることが出来たらどれほど楽しく、健康にも良いだろう。仕事を終えた僕は今、あのガマ蛙に顔を寄せ、ボソボソと語り合っている。
3月27日。もう寒くはないが、日照時間が短いのがちょっと不満。今日も全く日が差さず、午後には小さな雨が落ちてきた。クロネコ営業所に荷物を出しに行き、そのついで、スタンドでガソリンを入れた。軽トラを満タンにして4000円ちょっと。僕は1日平均10キロも走らないくらいなので満タンなら2か月もつ。ガソリンは相変わらずの高値。排気量の大きい車を頻繁に乗り回している人にはこの燃料高騰はかなり響くに違いない。
さて今日は、定年後の田舎暮らしにおける、足の問題と、生活費について考えてみようかと思う。田舎と言ってもピンからキリだ。ひとつ言えることは、壮大な風景が楽しめる場所であればあるほど足の不便さは募るに違いない。僕が住んでいる場所は、車で駅まで行って、特急電車に乗れば最短1時間半で東京都心に行ける。ただし、電車に乗ることは年に1回もなく、前回電車に乗ったのは入院している姉の見舞いで出かけた3年半前だった。おそらく、田舎暮らしと言われる中では最も東京に近く、便利な場所だと言ってもよいかもしれないが、その代わり、美しい山や川も、青い海もない。たまには心地よい湯を楽しめる温泉なんてものも全くない。「風景」としては価値ゼロ、それが36年暮らしている我が村である。
僕の移住当時は何社かのバスが運行されていた。まだ免許を持っていなかった僕は妻とともにバスに乗ってスーパーに行き、大きな箱を抱えてまたバスで帰って来ていたが、10年くらい前、そのバスは走らなくなった。それを機に、市が、主に老人向けとして循環バスを走らせるようになった。ただし、日中だけ、それも1時間に1本ほど。病院に行って帰る高齢者以外、ほとんど役には立たない。一部の市議会議員が補助金付きの乗り合いタクシーを公約に掲げて努力しているようだが、今のところ実現する見込みはない。だから、軽トラは百姓仕事のみならず日常生活において必需品なのである。去る1月、僕は満75歳になって後期高齢者の免許更新だった。どうにか合格はしたのだが、免許有効は78歳までの3年間。さて、そのあとはどうするか・・・。
おそらく、定年後の田舎暮らしを考える場合、交通の便を事前調査することは必須であろう。定年直後ならまだ体も若い。しかし5年、10年たつと老いてきて、いずれは免許返上を考えねばならない時が来る。その一方で病院のお世話になる可能性は増す。日々の買い物、病院通い・・・そういったことも視野に入れ、移住先をじっくり考えておく必要がある。
次は生活費の問題である。定年を機の田舎暮らしとなれば、当然、年金を受け取る年齢でもあろう。僕の年金は月額にして11万円ちょっと。これに百姓仕事と原稿仕事がいくら加わり、月額20万円で生活している。この20万円の支出を吟味してみる。コロナとの関わりでエッセンシャルワーカーという言葉が登場したが、生きて暮らすのに絶対欠かせない、すなわちエッセンシャル出費は、僕の場合12万円くらいだ。残り8万円は、例えば太陽光発電のインバーターだったり、ミツバチの巣箱を作る材木代だったり・・・すなわち、ただ、食って生きるというだけであるなら(生きている面白味は減じるが)、年金受給額だけでどうにか足りるということになる。
さて、アナタは晴れて定年を迎えた時、どれほどの年金がもらえる見通しだろうか。僕の頃にはなかったが、今はパソコンを通して自分の受給見通し額が早くからわかるようになっていると聞いた。40代初めで退職した僕に比べれば、定年まで勤める予定のアナタの年金は僕よりずっと多いかな・・・。
最低限の生活費は12万円・・・そう見積もる僕の暮らしで、大切な事柄ではないかと思えるポイントを書いておこう。5つほどある。①医療費がゼロ。②衣料費もゼロ。③娯楽・外食費がゼロ。④住居の維持費がゼロ。⑤光熱費が一般家庭の三分の一くらい。僕は現在までのところ、健康保険証は未使用のまま毎年新たなものを受け取っている。着る物は兄弟やご近所からすべて譲り受けている。住居は屋根も壁もすべて自分の手で補修している。光熱費は、最初の投資額は大きかったが、現状は太陽光発電でかなり安い金額ですんでいる。
アナタの、定年を機に始める田舎暮らしにおいて、この5項目をどこまで抑えられるか、いつか試算しておくとよい。自分の手足をうんと動かし、見てくれを気にしなければ我が最低限生活費に近づけるはずだ。あっ、そうだ、忘れるところだった。都会に比べて田舎の物価は安いのか、生活費は安くすむのか、東京なんかと比べて・・・そういう問題がある。安いと言う人がいる。逆に高いと言う人がいる。どっちなんだろう。先ほど書いたように、田舎にもピンからキリまである。一概には言えない。僕の場合はどうだろう。すぐに思いつくのは魚の値段だ。海から遠い農村地帯ゆえだろうか、高い。魚種も限られる。農村地帯だから、ならば野菜は安いかというとそうでもない。地元産の野菜は限られていて、ナスもピーマンもキャベツも玉ねぎもうんと遠くの産地から運ばれた品物でスーパーの売り場は占められている。すなわち、田舎だから安いという物を僕はすぐには思い浮かべられない。せいぜいひとつだけ。ガソリンはなぜか、高騰・高騰とテレビが伝える値段よりも常にリッター単価5円くらい安く入れられる。結論として、田舎だから物価は安い、生活費は低く抑えられるというのは、僕の暮らしには当てはまらない。
となれば・・・もしアナタの定年後の田舎暮らしが実現したならば、何はともあれ自給自足にエネルギーを傾けるべし。魚の自給は無理でも(移住先が海に近い所で釣りに堪能な人は別として)、野菜、果物、卵、そして鶏肉の自給は可能だ。そこで大事なポイントは、一時的な豊作に感動するのじゃなくて、氷の張る寒さの中でも収穫できる、すなわちオールシーズンの自給体制を確立することだ。例えば僕がやっているように、真冬、ビニールトンネルでの栽培。ビニールだけでは温度維持が難しく、僕はその上から古い毛布や布団を何枚も掛けて夜間の冷え込みから守る。これがまた、アナタの「体力」、アナタの「耐寒性」を必要とすることなのだが、なあに、ひとたびそれで、例えば、バリバリの氷の張る2月、ビニールトンネルの中に赤いイチゴを見つけた時の喜びを知れば、じき、寒さをものともせず自給菜園に励む精神がアナタにも芽生えてくる。もう一度書く。夏場のいっとき、食べきれないほどのトマトやキュウリが出来たと喜ぶ、それで満足する・・・というのはダメ。1年を通して食べ物はなんとか確保できている、それを目標とすべし。
3月28日。東京の桜は満開になったとテレビが伝えている。上野公園も、千鳥ヶ淵も、桜が満開です・・・楽しそうな風景、そして人の顔がテレビに映っている。上野公園はサラリーマン時代、毎日昼休みにランニングしていた場所。千鳥ヶ淵は、僕の入社当時、会社が神田神保町にあり、九段から千鳥ヶ淵は地元のような場所だったのだ。もって、懐かしい気分でテレビを眺める。で、こんなことを言うと、ヤなジジイ、ヒネたジジイ、そう思われるだろうが、花見の風景を見るたび感じることなので、嫌われたっていいや・・・そう思いつつ書く。それは、誰も彼もが桜の花にカメラを向けることである。美しさに感動しているのはわかる。でも、それを写真に撮ったからってどうなるの。それよりも、目に焼き付けて、静かに楽しんで帰ればいいのに・・・もしかしたら桜の花の写真は、誰かに、花見に行ってきたよおっ、そうメールするためのものなのかな。
桜だけでなく、アジサイでもいい、菊でもチューリップでもいい、花の名所に人は押しかけ、カメラのシャッターを切る。その風景が僕にはとても「都会的」なものと感じられる。定型化しているように思われるのだ。乱暴な言い方だと取られるに違いないが、僕には、都会での暮らしとは、意識せぬまま、行動がいつしか定型化、類型化する、互いに似てくることなのではないかと感じられる。例えば、あの、渋谷の大きな横断歩道。おびただしい数の人がそこを足早に渡り、それぞれ違った目的地に向かっているようでいて、実は、たとえ着ている洋服にこそ違いはあっても生き方には個性が感じられない。この人たちはみな、同じような店に行き、同じような食べ物や飲み物を注文し、同じような話題で盛り上がるのではあるまいか・・・ふふ、ゴメンね、都会の皆さん。これは、田舎でシコシコと暮らす百姓ジジイのたわごと、今や電車の切符を買って、改札口に入ることさえスンナリ出来ずまごつく、半ボケのジジイ、そのたわごと、そう思って聞き流してね。
今日の主な作業は年末まで大豆があって、以来3か月、放置してあった50平方メートルほどを打ち起こし、草を取り、枯れ枝は燃やし、ゴミは這いまわりながら拾い集めてゴミ袋に詰めていく、そんな作業である。この作業にはまず「生活」という基本部分がある。この50平方メートルに例えば生姜を植える。収穫は8月末から翌年の2月までで、ここから得られる収入は概算で3万円。その収入とは別に、この作業では、抜き取った草を枯らし、小石をつまみ出し、ときどき遭遇する竹の根っ子を切り取って、一面が黒く、サラサラの土になった瞬間に得られる達成感みたいなものがある。さらには、2日がかりのこの仕事で、鍬やスコップを打ち込む回数は200回、もしかしたら300回。その動作でもって、筋肉は発達し、夜はよく眠れるというオマケもつく。背中に感じる太陽の光、流れる汗の心地よさも、もうひとつのオマケとしてつく。上野の桜をカメラに収め、どこかの店に向かって渋谷のスクランブル交差点を急いで渡る人々と、かつてはその仲間の一人でもあったこの僕との距離・・・それは、遠いのか、近いのか。
今日、パソコンを開いて目に入った記事が興味深いものだった。「49歳、会社員。貯蓄1650万円。退職後は田舎でのんびりと暮らしたいのですが・・・」。この見出しを見た瞬間、僕は男性かと思ったのだが、シングルの、愛犬チワワと暮らす女性だった。何度も転職した人らしいが、勤続10年の今の会社では月収手取りが27万円、いくらかボーナスも出るという。悪くないじゃないの。僕はそう思った。だって、オレは週休ゼロ。月間の労働270時間で稼ぎはこの女性のようやく半分だぜ・・・。しかし問題はあるらしい。彼女は給料には満足するも、精神的にはキビシイ職場環境だと言う。精神的な圧迫から逃れるために、日々、薬を服用しながら会社に通っているらしい。ゆえに、なるべく早く会社を辞めたい。老後の生活を成り立たせるため、何歳まで働いたらいいでしょうか・・・という疑問。それにファイナンシャルプランナーが分析・回答するという記事内容だった。
27万円の手取り月収で、彼女は今14万8000円で暮らす。持ち家でローンなしということもあろうが、残りの金額は貯蓄に励み、今や1680万円という貯蓄高は立派なものだ。貯蓄ゼロ、だから病気になってはいられないという僕からすると驚きだ、しかし・・・職場環境が精神的に厳しく、服薬しながらの勤務というのが聞いててちょっと辛いなあ。服薬こそしなかったが、すぐにも辞めたいと思いつつ、家族を養う、生活を維持する、その一心でどうにか耐えていた昔の僕には彼女の日常がよくわかる気がする。
田舎暮らしの良い点とは何だろう。僕の場合は精神的負荷、心的ストレスがゼロになったことだ。時々、調子に乗って太陽光発電のパワーアップのためと、10万円もするパネルやバッテリーを購入し、月末、その支払いにちょっと苦慮するというストレスはあったりもするが、まっ、いっときのことで、毎日通う会社でのストレス、しかも薬を飲まなければならないという暗い状況とは比較にならない。百姓になってからの35年間、身体的にはかなりの酷使となる暮らし続きだったのに、僕が全く病院のお世話にならずやってこられたのは、組織から抜け出したこと、人間関係でのストレスというものがゼロになったこと、加えて、日々の仕事は体力的にはハードでも、好きなことを好きなようにやれる喜び、それらの相乗が僕の体を病気から遠ざけてくれたのだと思う。「病は気から」と言う。たしかに、ヒトの体を変調に向かわせるのは心を押さえつけ、悩ませる重石である可能性は高い。
3月29日。今日もまたさえない空模様だ。いつ雨が降ってもおかしくない雰囲気で、気温も10度ほど。こういう日は、あえて体を激しく動かすことにする。太陽が顔を出さないなら、内部から燃焼させて体を熱くしようというわけだ。あちこちから木を伐り出す。枯れ木、生木を合わせて10本余り。最大は長さ2メートル50で重さはたぶん70キロくらい。さすが、担ぐのは無理で、ドタンドタンと平均台の上の体操選手みたいに回転させながら20メートルの距離を移動させる。
定年を機に始める田舎暮らし。その規模は様々であろうが、ひとつのパターンとして僕はこんな想定をしてみる。総面積は300坪くらい。うち100坪が自給を目的とした果樹や野菜の菜園。そして家の背後には購入以前からあった雑木の林がある・・・。四季を通じてここにいかなる変化が生じるのか。まず菜園には容赦なく草が生える。無除草、不耕起という農法もあると聞くが、我が経験ではそれでは満足に野菜は育たない。1年のうち少なくとも8か月はその草を始末する作業にかなりの時間を費やす。一方、家の裏手にある雑木の林もほっておくとどんどん枝を伸ばし、周囲の日当たりや風通しを悪くする。ということで、田舎暮らしとは、ちょっとした自然とのバトルに明け暮れる生活のことを言う。
4月や5月の爽やかな天候の時期はまだいい。間もなく梅雨入りとなり、降り続く雨が作業の邪魔をする。梅雨が明けたら今度は暑さとの戦いになる。いったん秋の快適さを楽しめはするけれど、遠からず寒さの季節がやって来る。どれだけ寒いかは何県のどの地方かで大きく違ってくるだろうが、多くの人が千葉は温暖と思い込んでいる我がこの村でさえも気象は内陸性で、最低気温はマイナス7度まで下がり、年末から2月にかけてはほぼ連日、霜か氷に見舞われる。もし2000メートル級の美しく壮大な山々が望める場所ならば、冬の寒さは僕の暮らしよりはるか厳しいことであろう。余談だが、前回、「やたら田舎と田舎人を見下す、悪く言う」と紹介した人物は、移住を考えている皆さんに、「寒い所だけはやめたほうがいいよ・・・」とのアドバイスを発していた。かなり寒さに参っているらしい。読んだ僕は、相変わらず大袈裟だなという印象を持った。彼の居場所は東北と称される地域では最も南である。たしかにそこは海から遠く、冬は寒いだろうが、北海道の釧路や帯広に移住する人だっているのだから、それに比べたらどうということもあるまい。キミが寒いのは、外に出ず、家にこもってネットサーフィンばかりやっているからだよ。つまらんネタを探しまくって、論評しまくっての暮らしなんかじゃなく、せっかく農業やるために移り住んだのだから、もっと野良仕事に精を出さなきゃ。そうすれば体だって暖まるよ・・・。
話を元に戻して・・・。田舎暮らしとは、体力的に行き詰る、か、逆に、以前より体力が増強する、か、どっちに転ぶか、微妙なシーソーゲームであるかもしれん・・・というのが僕の考えだ。基本的に田舎暮らしは都会のような至れり尽くせりの暮らしではなくなる。都会のシステムが与えてくれていた快適さが失われる。加えて、先ほど書いた草取りや雑木の枝払いとかの、自然との小さなバトルが存在する。体力的な負担は大いに増すだろう。それに太刀打ちできない場合、生活環境の変化による心的なストレスと相まって心身の不調をきたし、最悪、せっかくの新生活を断念してしまうことになる。
その逆であることを僕はアナタに期待する。すなわち、田舎暮らしにおいて、菜園の草を取る。日当たりや風通しを悪くする木々の枝払いをするという日常。さらに室内に薪ストーブを設置するという人もいよう。ひょっとすると、住居裏から流れ出ている清水を家のそばまで引いて来るという人だっているかもしれない。また僕と同じようにソーラーパネルを何枚か設置し、電気の自給を試みようとする人もいるかもしれない。薪ストーブの場合には裏の林から切り出した太い木を切断し、割り、高く積み上げておくという、かなりの肉体労働が存在し、沢水だって電気だって、肉体負荷なしではなしえない。先に挙げた「体力的行き詰り」の逆、すなわち、こうしたハードな作業をうまく手なずけて、それをうまくこなすことで更なる体力増強にもっていく。つまり、体力・気力の不足で途中でギブアップするのとは正反対。田舎で暮らし始めて、都会暮らしよりもはるか健康、パワーアップとなりました、そういう朗報を僕はアナタに期待する。道半ばでポシャルか、親指立てて雄叫びを上げるか。成否は五分五分なれど、雄叫びの可能性は十分にあるよ・・・それを今ここで僕は伝えたい。
先に書いた3条件に体力のことがあったが、定年後の田舎暮らしを心に描いた瞬間から、その日のためにアナタは、腹筋、腕立て、懸垂、スクワットを毎日欠かさずやるのがいい。冷房や暖房からちょっと抜け出し、外の寒さや暑さにあえて体をさらす生活もしてみるといい。その準備をしておけば、いざ、田舎暮らしを始めてからの身体負荷には負けずにすむ。負けないだけではなく、サラリーマン時代に貯金した骨や筋肉の強さが土台となって利子を生む。それまで中級だった体力も上級に変じる。遥かなる山、青い海。それを眺めて思わず鼻歌が漏れる・・・あるいは親指立てて雄叫びを上げる、そんな田舎暮らしの時がきっとやって来る。
3月30日。今日もさえない天気であった。もっとお日様が欲しいなあ。ガンガン汗の出る天気になって欲しいなあ。そんなことを思いつつ、ポットにトウモロコシ、オクラ、ゴーヤなどの種をまく。レタスの移植をやり、キャベツを定植する予定地に堆肥を運ぶ。今週末には再び霜が降りてもおかしくない冷え込みが到来するという。明後日はもう4月である。例年なら出ているタケノコが今年はまだ顔を見せず、うちの桜が咲くのは数日先くらいになるか。百姓は常に明日の天気を気にかけつつも、なすべきことを淡々となす。
今、雨に降られても 仕事がタイクツでも
恋人がいなくても そんな悪いコトじゃ
なかったりして・・・(なんてね) 伊藤理佐
今回も「折々のことば」を借りて話を締めくくる。解説の鷲田清一氏はこう記す。
どれもこれもうまくいかず、冴えないというか、塞いだ毎日を送る女性。ある日両親のなれそめを聞き出し、にわか雨と、母がとっさについた嘘と、父の勘違いがたまたま重なって自分が誕生したことを知る。自分の生の起点がちょっとした行きがかりにあると思うと、少し気が楽になった。
アナタの今の暮らしはいかがか。もし会社員だとしたら、勤めの日々はいかがか。辛いか。楽しいか。不満か。満足か。人生いろいろだね。僕は思う。やたら嘆かない。やたら悔やまない。やたら妬まない。やたら競わない。それが・・・人間を、小さいながらも、確かな幸せに導くものであると。なんだか、仏の道にでも進んだのかい、ナカムラさんは、そう思われるような表現の羅列だが、これは、田舎暮らし通算40年余という中で僕が「得度」したことなのである。欲を捨てる。他人とは、ほどよく調和こそすれ、羨ましがったり比べたりはしない。日々、意識を向け、肌をさらし、見て、触れるのは四季を通じての太陽であり、風や雨であり、黒い土であり、林の中でチョットコイ、ちょっとこいと僕を呼ぶコジュケイ、あるいは、派手な羽音と鳴き声でヤブからいきなり飛び出しびっくりさせるキジ・・・それがすべてである。そのすべてが、ふと気が付くと自分を「ホトケ」にしてしまっている。自然とは偉大な力を秘めている。地震や台風というかたちで人間を苦しめることもあるが、その一方で、安らかな、静かな、平坦な道に導いてくれる力をも持っている。
たぶん僕は、田舎暮らしという道を選ばなかったら、かようなホトケとはならず、得度もしなかったに違いない。激しい雨に降られる。雨の中での仕事はなかなかキツイ。恋人はいないし、稼ぎも少ないし・・・でも、人生、悪くはないぜ・・・そう思わせてくれるのは春夏秋冬という季節のめぐりであり、そこで足かせなく生きていられるという自由な日々の暮らしである。この次の写真は連日の氷の中で、せっせと防寒シートを何枚も掛けたり外したりして作ったサニーレタスだが、春の光に輝くその薄緑もまた人の心を平和に導いてくれる。田舎暮らしとは、うまくすれば食料を確保できる場所となり、平和な心を与えてくれる座禅道場みたいな所でもある。もうひとつ別な人生を体験してみたい・・・そう願うアナタ。移住候補地の情報収集にまず努めよう。と同時に、いやでも自然と向き合うこととなるその時のために、腹筋、懸垂、腕立て、スクワットに励む、さらに、積極的に暑さ、寒さに身をさらす・・・アナタの奮闘を僕は祈っている。
3月下旬の野菜だより
3月31日。ようやく光が戻って来た。吹く風も間違いなく春のものだ。こんな日の朝、僕は飛び回る。ガッチリ施してあるビニールトンネルやハウスの防寒を外して換気をするためだ。そのままにしておくと内部の蒸れで野菜は参る。その作業に走り回っている時、電話が鳴った。受話器を取ると、男性の声。なんと北海道札幌からだという。先日のテレビを拝見しました・・・そう前置きして、先方が語った話とは。彼は72歳。神奈川から妻の実家のある北海道に転居した。ところが寒さがこたえる。とりわけ今年は雪かきひとつでも大いに難儀した。もう寒いのはイヤだ・・・そんな気持ちでいたところでのテレビ放送。彼は言う。実は、以前から暖かい千葉あたりに引っ越したいと考えておりました。いつか中村さんのお宅に伺い、あれこれ生活のさまを見せていただき、土地の取得法とか、もろもろ教えていだきたいのですが・・僕は快諾した。
さて野菜だより。これまで書いたことと重複するものもあるが、それぞれを簡略に説明しておく。まずカボチャ。夕刻には大きな植木鉢をかぶせ、毛布で覆うという作業を繰り返し、ここまで順調に成長した。親ツルを出すところまで来ている。あと半月したらハウスの外にツルを誘導する。
次はジャガイモ。年明け早々にハウスに、切らずに丸ごと植えたもの。順調に行って、今、さぐり掘りしてピンポン玉くらいの芋が取れるようになった。
こちらはソラマメ。ソラマメの特徴は、早くから花を咲かせ、花の数を増やしながら株が上に伸びていくことだ。大敵はアブラムシ。前に書いたが、あれこれ試すより、アブラムシに取りつかれたものは迷わず抜き捨てることだ。そのままだと伝染してしまう。
これはエンドウ。エンドウは早い収穫を狙ってハウスの中にも作っている。しかし期待するほどには育たない。実がなっても露地よりも明らかに小さい。やはり寒気をくぐり抜けて育ち、花をつけるというのが本来の姿かもしれない。
前に何度か成長過程をお見せした人参。播種から約90日。丈20センチまで育った。ハウスの中ゆえ土は乾燥しやすい。数日に1回、ホースを引っ張り潅水している。来月後半には細いながらも収穫できるはずだ。
2月半ばにトンネルの中にまいたカブ。収穫可能まであと半月くらい。間引きは2回やったが、そのまま捨てるのはかわいそうなので移植してやった。大根もカブも水やりさえすれば移植が可能だ。アナタもお試しを。
次は1月終わりにトンネルにまき、今月半ばに移植したレタス。レタスは酸性土壌を嫌う。僕は木灰をタップリ施してから移植してやる。レタスは高温多湿も嫌うから、梅雨入り前に収穫できるような作付けとするのがポイントだ。
最後はイチゴ。すでに2月初めころから僕は草取りついでにつまみ食いをしているが、本格的な収穫は来月半ばからだ。庭や林ではしきりとウグイスが鳴いている。プラム、アンズ、桃、サクランボの花が咲き、間もなく梨とジューンベリーが花開く。野菜も僕もキビシイ寒さを耐えた。そして春がやって来た。田舎暮らしの醍醐味を実感する季節である。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/
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