中村顕治
間もなく師走である。世の中が華やぐ時である。きらめくイルミネーションとも、忘年会の盛り上がりとも無縁になって30数年がたつ。僕はテレビを通してだけ都会の今を知る。30数年という歳月で東京もかなり変化したせいでもあろうが、その場所に、かつて、自分がいたという実感が、もはや皆無に近い。もともと季節の行事に無頓着な性格である。我が子に七五三の祝いをするという発想がなかった。初詣に行くこともなかった。心がヒネていたわけではなかろう。世の中の行事を超越するという立派な思想があったわけでもなかろう。前回書いた「沸点が高いネクラ」なところが、おそらく、僕の関心と行動を制御していたに違いない。
例年のごとく、僕は大晦日も元旦も畑に出ていつも通りに働くだろう。正月だから朝酒を少し……などということはなく、お節料理というものも食卓にはない。朝食はふだんと同じ、畑からつまんで来た小松菜やチンゲンサイにハムかチーズ、好きなライ麦パン、そして大きなカップで珈琲を飲む。夜は肉料理、魚料理を1品ずつ作り、ワインをグラス1杯飲む。そして、寝床の中では明日の農作業のことだけを考える。
会社勤めとアパート暮らしで東京には30年近くいたわけだが、そのほとんどの記憶が薄れているのは……たぶん、田舎暮らしによって「上書き」されたせいであろうかと思う。他の田舎暮らし実践者はいかがなのであろう。僕の場合は、脳内に収まるファクターは、野菜のこと、天気のことのみ。「濃厚接触者」は光と風と土と水と草。知らず知らずのうちに自分が単細胞化しているのだなと、これを書きながら今思う。自然とは、我々が思っているよりはるか、人間の身体、さらには脳の働きにまで影響を及ぼすものであるなあという気がしている。
さて今回は、世に害虫と目されている毛虫やゴキブリ、あるいは昆虫、さらに爬虫類まで含めた周辺の生き物たちと仲良く暮らす、その楽しさと、いくらかの悲しみと、精神衛生におけるプラスについて書いてみようかと思う。
朝の気温が5度まで下がり、間もなく初霜というこの時期、畑仕事をしていてカマキリによく出会う。動きが鈍い。夏のカマキリは手を出すと攻撃態勢を示すが、そういうこともない。体はヨレヨレで、初冬の光の中でじっとしている。もしカマキリに考える能力があるのなら、自分の命が残り少ないことを知っているだろうか。訪問介護の世話にもならず、最期の時をひとり、じっと、待つ、そんなカマキリを見つけたら、僕はビニールハウスの中に連れて行く。いずれ死ぬとわかってはいるが、せめて、吹きっさらしではない場所で死なせてやりたい。
初夏、あちこちの果樹の枝に産み付けられた卵から、5ミリほどのカマキリがぞろぞろと這い出す光景。それには少しばかり胸が躍る。なんであれ、若い命の躍動というのはいいものだ。しかし命には限りがある。最近、人生100年とも言われるようになった人間に比べたら、カマキリの6か月はなんと短いことか。残りの命が短いカマキリに僕が格別な悲哀を感じるのは、もしかしたら、あの人間だって痛みを感じる長い前脚もすでに役立つことはなく、硬直し、崩れ、晩秋・初冬の光の中でじっとうなだれている姿ゆえではないだろうか。
夏の畑には、さまざまな命が満ち溢れる。カナブン、アブ、オケラ、キリギリス、ミミズ、トカゲ、おんぶバッタ、カメムシ、セミ、テントウムシ、アオガエル、ガマガエル、モンシロチョウ、アゲハ蝶、さらには毛虫も。家の中はといえば、カマドウマ、蜘蛛、ナメクジ、蚊、ゴキブリ……。こうして書き並べながら、ふと僕は思う。世の中、虫嫌いと虫好き(平気)とはどのくらいの割合なのだろうかと。
最近、『現代思想』掲載、足達太郎氏の「人はなぜ虫をきらうのか」が朝日新聞の「論壇」に紹介されているのを読んだ。そこで、故・桐谷圭治という方が唱えた「消毒思想」という言葉に出会って僕は少しばかりの衝撃を受けた。戦後、合成農薬が広く使われ始めてから見られるようになった「作物以外の生物は天敵も含めて一切その存在を否定する」という姿勢を表した言葉なのだという。
近隣の農家では徹底的に虫も細菌も駆除する。人参、生姜、大根、トウモロコシ、ピーナツ、ブロッコリー。作物によっては二度も三度も行う。他人の畑だから、中にまで立ち入って見ることはできないが、おそらくそこには、バッタもカマキリもいないはずだ。モンシロチョウも飛んではいない。なぜそこまで消毒にこだわるのか。収穫が減るからというのならばいくらか理解はできる。しかし現実は違う。「見かけ」の問題なのだ。先ほどの足達太郎氏は「斑点カメムシ」を例に挙げる。この虫は、もみの汁を吸い、米に黒い斑点を残す。健康に害はないが、色の悪い米粒がわずかでも含まれると価格が大幅に下がる。消費者も見た目の悪いものは避ける。結果、生産者は農薬を吸い、消費者はそれを食べ、かつて村の川にいたドジョウ、タニシ、ザリガニがすっかり姿を消してしまう。この下の写真は、たぶん「分蜂」途中だったらしいミツバチたちが、我が家のガラス戸で一時休憩している場面なのだが、このミツバチも、農薬のせいで激減していると言われている。
「生物多様性」という言葉がある。さまざま、多数の命が地球という環境の中に共存することでそれぞれ互いに益するものがある。しかし実際には、農業の現場だけではなく、家庭内においても「消毒思想」は存在している。僕は薬ではなく日用雑貨を買うために近くのドラッグストアーに行くが、夏の売り場には害虫駆除のための薬剤のなんと多いことか。さらには、かつてはなかった家庭菜園家向けの除草剤が売られていることにも驚く。手で取ればいいじゃないの、草なんか……と思う。僕は……毛虫だって手で取るよ。初夏、プラムの木はベッタリ毛虫で覆われる年がある。隙間なく、ベッタリであるがゆえ、すぐにはそれが毛虫だとわからない。ヤツらはやがて葉を食いつくすので退治せねばならない。ズルズルとこそぐようにしてつぶす。毛虫のトゲは手のひらにちょっとくすぐったいものだ。そして手は紫色に染まる。
ジェンダー問題をはじめとして、人間社会では多様性を認めようという機運が最近は高まっている。僕はこういう話にあまり詳しくはないが、例えばスリムで足の長いことが条件だったモデルが、近頃は「デブ」でも「短足」でもいいじゃないかという風潮になっているらしい。人間、外見じゃなく、中身だよ、という主張も高まっているらしい。とてもいいことだ。それを虫や昆虫の世界にも広げられたらいいんだがなあ、やたら敵視せず、そこそこに仲良く暮らす……。
前にこのシリーズのどこかで書いたが、僕は人工的なものに心が向かわない。端的な例がゲームで、それ自体を否定するわけじゃなく、どうしてあれが面白いのかがわからないだけだ。それよりも、暮らしの中に存在する生き物たちを観察し、時には飼ってみる、その方がずっと僕の気持ちはコーフンする。次の写真のガマガエルには、激しい雨が降った翌朝、ランニングの時に出逢った。冷たい朝の空気の中で、びしょ濡れの落ち葉の上に所在ない目をして佇んでいた。ちょっと切なかった。僕はうちに連れて帰ることにした。まだランニングの所定距離は残っていたが、落ちないように腹の位置にしっかりと抱き、「イコイコ、うちにイコ♪ 次の春まで一緒にくらそ♪……」リズムを取ってそう言葉をかけながら走って帰宅した。そして、穴が開いて使い物にならなくなった水槽に枯葉を詰め込み、そこで冬眠させることにした。水槽はパソコンデスクのそばに置いてある。最初は草の上の方にいたが、今はいちばん深いところにもぐり込んで眠っている。
身近な生き物たちと共存する暮らし。それは概して楽しいが、正直、困ることもある。困ることの最たるものはチャボを襲って食ってしまうハヤブサだ。その次が卵を持ち帰るカラスだ。ハヤブサは一度捕獲したことがある。その長くて鋭い爪を初めて間近に見て、これならチャボの体を引き裂くのは容易なことだと感心した。でもすぐに逃がしてやった。またやって来るかもしれないが、命は奪いたくない。カラスは二度飼った。カラスの育児期は梅雨のころ。そして、高い木の上にある巣から雛が落下するというアクシデントがたまにある。それを飼った。けっこう慣れてきて、僕の手の上から餌を食べる。でも、やはり親を恋しがってか、空を見上げて寂しそうな目をする。やがて、居場所を突き止めた、親か親戚らしいカラスが何羽も箱の中を覗き込むようになる。かぐや姫の場面みたいだな……僕は箱の扉を開けてやる。いきなり飛び去ったりはしない。すぐ近くの木の枝に止まり、このまま立ち去っていいものかどうかといった思案の表情を見せる。さらば友よ。また、いつか会おう。卵はあんまり奪わないでくれ。
ヘビもやや困る存在だ。ヤマカガシとマムシは僕が行くと逃げるが、青大将は違う。時には家の中に入る。ある時は居間の鴨井に長々といた。巣箱で卵を抱いているチャボのところに侵入することもある。夜中にチャボの悲鳴が上がるとパンツ姿のまま駆けつける。ちょっとかわいそうだが、棒で叩いてひるんだところを尻尾をつかみ、遠くに放り投げる。あそこはヤバイぞという意識はヘビにもあるらしく、ちょっと痛い目にあわせると同じ場所には侵入しなくなる。
ペットとして飼われていたヘビやオオトカゲが逃げ出したというニュースが相次ぐ。そんなものを飼うのは男だろうと何となく思うが、いつかのニュースは飼い主がアパート暮らしをする20代の女性だというのでちょっと驚いた。身近に生き物がいる。それは人間にちょっとした活力を与えてくれる。たぶんアパート暮らしのあの女性もそれを求めている。人間と違い言葉を持たないが、逆にそれだからこそ、犬や猫に限らず、オオトカゲでもヘビでもモルモットでも、それらが発する「生気」みたいなものが人間に伝わってきて生きる活力となるからであろう。そして、これは僕の勝手な想像だが、ヘビやトカゲを飼う人は、男女に関係なくオンラインゲームはやらないのではあるまいか。
寒い季節になると、夏の喧騒がちょっと恋しくなる。足元から忍び寄る冷気を感じつつ、燃え盛る焚火の炎に手を差し出して、たった4か月前のことでありながら、遥かな時間を経たような「あの夏」のことをふと思い出す。セミがいた。カブトムシがいた。オニヤンマがいた。眼球がしみて痛いほどの汗をかいて働いていた、あの夏……。
この下の写真は、僕が不出来なマクワウリを踏みつぶしておいたら、それにカブトムシが群がっている場面だ。ペットショップで買ったカブトムシが死んで、電池が切れたんだと言ったという子供の話が昔あったが、今はどうなんだろうか。切り倒して長い年月を経た大木が半分くらい腐食した、そんな場所からカブトムシの幼虫がゴロゴロと出てくることがある。スコップで傷つけなかったかと僕はまず心配し、それから元の場所に戻してやる。
マクワウリにしがみついていたカブトムシたちとは別な場所で、食い気より色気というカップルを見つけた。メスの背後からオスがしっかり抱きつき、まさに交尾する瞬間だ。これは貴重な写真ではないかと自分でも思う。命はこうして引き継がれていく。人間を含め、生きることにはいかなるものにも苦難が伴う。人は時として、惑い、苦しみ、悲しみ、それによって心の変調をきたすこともある。さて、虫や昆虫や爬虫類はどうなのか。彼らは生を享けた瞬間から、なすべきことはひたすら食べる物を見つけること。僕が飼っているチャボたちで言うと、1日の90%の時間を地中や草むらに潜む食物を見つけ出すことに費やす。そして交尾し、卵を産み、次の世代に命を引き継ぐことでやがて生涯を終える。
僕は新聞を、ニュースを知るためというより、物語や、文壇時評や、コラムを読むために購読している。朝食の時間に、あるいは仕事を終えた風呂の中でページを繰る新聞は、生き物と接することの次くらいに日々の安らぎとなる。次の句は最近、読売新聞「四季」で目にしたもの。氷の張った湖で2羽の鶴が羽を広げている写真が添えられている。
孤高なる鶴に人間群れにけり 森田純一郎
動物は欲望のまま生きるが、人間は自分の欲望を正当化(つまり言い訳)する。ここが人間の浅ましいところ。鶴にかぎらず動物は自分を正当化しない。1羽の鶴が高貴に見えるのは姿が美しいからだけではない。
長谷川櫂氏のこの解説は、ちょっと人間に厳しすぎるかなとも思うが、たしかに、動物は欲望のままに生き、かつ、それを正当化しない。生きる上で言葉というのは大切なもので、とてもありがたくもあるが、言葉が豊富にあるがゆえに、生きる目的や、行動の焦点がぼやける。のみならず、せっかくの言葉を使用することで惑いや悲しみが拡大され、言葉によって自らを苦しめるということが、まま、ある……それが人間なのかもしれないなあと、僕は思ったりする。
あの燃え盛る夏と、湯たんぽのぬくもりを必要とする初冬の今とで、田舎暮らしにおいて最も顕著な違いは何であろうか。それは、前者が常に何らかの音が響いていたのに対し、寒い今は無音であることだ。夏、夜明けとともにセミの声が聞こえる。コジュケイが鳴き、ウグイス、ホトトギスも鳴く。キジもびっくりするような声を発する。夕刻の畑では、残業にいそしむ僕の体の周囲にアブと蚊の羽音が途切れず、日が暮れてからはコオロギなどの虫の声が庭に充満し、アオガエルの合唱もそれに加わる。その時から、たった3か月を経た今はまるで無音の世界である。こうして書いている時も、僕の耳に届くのは壁にかかっている時計の針の音だけだ。
種類によって違うらしいが、セミは何年も地中で暮らし、地上に出てきてからの命はとても短い。だからであろうか、短い「人生」を懸命に生きようとしているように感じられる。夜明けから暗くなるまで鳴き続ける……。セミのなかで僕がいちばん好きなのはカナカナ(ひぐらし)である。鳴き始めるのは6月末から7月早々。夕暮れの林に響く声そのものはちょっと物悲しくもあるけれど、でも、その声が好きだという理由は、ああ、梅雨がそろそろ明けるな、夏はもうすぐだな、ジャスト・アラウンド・ザ・コーナーだな、毎年そう思うからである。四季を通じて、僕はほぼフラットな精神と肉体で百姓仕事を貫くが、ただひとつ、梅雨の長雨だけはチト困る。布団が干せない。布団乾燥機というものもないので湿っぽい布団で寝ることになる。作業着と作業靴はかなりの数があるけれど、長雨だと濡れたままのものに足を入れて畑に出ねばならない。さらには、ドブドブの庭や畑を行ったり来たりしながら荷造りをせねばならない……そんな僕に、シーズン鳴き始めのカナカナの声は朗報なのである。マラソンで言えば40キロ地点か。よっし、どうにかここまで来たぞ。あとひと頑張りだ……それが僕にとってのカナカナの初鳴きなのだ。
しかし、違う印象を持つ人もいる。僕と同じ山口県の出身で、少し年長の方。直接お会いしたことはないが、ブログを通して10年以上の交流がある。その方は、カナカナの声に哀愁と無念を感じるという。ああ、これで夏も終わりなんだなあ……と。たしかにカナカナは9月半ばくらいまでは鳴いている……。さて、アナタはどちらか。始まりの「希望」か、終わりの「哀愁」か。
秋、僕を困らせるのはジョロウグモである。蜘蛛そのものは構わない。子供のころは捕まえたジョロウグモを家で飼い、友人たちと長い棒の上で戦わせたものだ。敗者は無残にも相手の糸でグルグル巻きにされてしまう。僕が今困ると言っているのは、その糸だ。畑のそこかしこに糸を張って獲物を待っている。仕事の途中、僕はそれに絡まる。荷造りを急いでいると周囲が見えなくなる。眼鏡の上から糸が絡まる。両手に野菜を持っているので、視界不良のまま歩くことになる。手で引っ張ってもすんなり取れてくれないのが蜘蛛の糸だ。寒さとともにそのジョロウグモたちも姿を消してしまう。そして無音、無景の初冬となる。
夏が終わり、冬に向かって寒さが少しずつ増してゆく中、僕の暮らしで最も顕著な変化は……庭を埋め尽くしていたカマドウマとゴキブリがすっかり姿を消すことである。「埋め尽くす」、この言葉以外にはないほどの数が暗躍する。日中はもちろんいない。僕が仕事を終えて部屋に戻るころにもさほどの数はいない。ところが……晩酌をすませたあたりで忘れ物をしたとか、何かの用事を思い出したとかでサンダル履いて外に出る。そこでまず、バサバサという派手な音を聞く。カマドウマが跳ねる音だ。そして、足元には、そのカマドウマとともにゴキブリが地面を覆うほどに走り回っている。彼らの目的は食料である。チャボたちに与えた米ぬか、魚のアラ、パンの耳、さらには、賞味期限切れで食べられなくなった煮物なんかを投げ捨てておく……それに群がるのだ。日中は、そこらにある段ボール箱とか古いビニールとかの下に全員身を隠している。たまたま僕がそれをめくると彼らは大慌てするが、あえなくチャボたちの餌食となる。
夜行性と言ってしまえばそれまでだが、彼らは彼らで自分の身の安全を考えて行動しているように僕は思う。チャボが寝て、飼い主の僕も部屋にいて、さて、もう大丈夫だ、活動開始だと考える……。ちょっと不思議なのは、ゴキブリとカマドウマには縄張り意識というものはないらしく、地面に等分に平和共存していることだ。地球上の昆虫で最古参なのはゴキブリだと何かで読んだことがある。最も長く存在し続けられたのは、その体形ゆえであるらしい。平べったいから甲高の他の昆虫が通り抜けられないような狭い空間を自由に往来できる。足は速く、飛ぶこともできる……なるほどと思う。そのゴキブリは、たぶん、一般家庭では最も嫌がられる生き物であろう。嫌われる理由は何であろうか。その黒光りする色か。動きか。夜の庭ほどではないが、当然ながら部屋の中に入って来るものもいる。でも僕は慣れている。ゴキブリホイホイを仕掛けることもなく、放任する。食べ物の器に入っている場合を除き、おお、おまえかと見過ごす。そんなゴキブリにも寒さが募ると哀愁が漂う。もうみんな冬眠に入ったはずなのに、まだ夜更かししているやつがたまにいる。しかしヨロヨロで、夏のすばしっこさが消失しているのはカマキリと同じで、写真のごとく、容易に手でつかまえることができる。
最近のニュースで、へえ、そうなのかと思ったことがふたつある。ひとつは、オリンピック種目から今後は馬術が消えるというニュース。もうひとつは犬・猫の販売がフランスでは禁止されるというニュース。僕はリアルタイムでは見ていないのだが、東京五輪で意のままにならない馬をドイツの女性騎手がムチで叩いた、あるいは、ドイツのコーチが落ち着かない馬を制御しようと拳で叩いた。それが動物虐待と非難されたためであるらしい。フランスでは、2人に1人がペットを飼い、うち3割が犬か猫。ところが、年間10万匹ものペットが捨てられ、夏のバカンスシーズンには何週間も家に放置されるケースが後を絶たないらしい。そして、こうした背景にはアニマルウェルフェア(動物福祉)への意識の高まりが関係しているという。
アニマルウェルフェアという言葉を僕が最初に目にしたのは鶏に関してだった。卵を産み続けさせ、集卵の手間を省力化するために狭い空間(ケージ)で飼育するのは動物虐待に値する。そういう意識がヨーロッパでは高まり、すでに法律的な対処も整っているという。その意識の流れはいずれ日本にも及ぶ……このこととどうやら関係があるらしい。大手養鶏業者の代表が、官僚に献金という名目で多額の金を贈った。鶏のケージ飼育をやめるとなれば莫大な手間と資金が必要とされる。それを回避するための献金だったのではないか、そう推測されている。
「自由」とは何か。定義の仕方はいろいろあるが、人間を含めた生き物にとっての、最も基本的、素朴な自由とは、狭い空間に閉じ込められず、思うままに行動できることであろうと僕は考える。はじめからケージ飼いという経験しかない人にはわかりにくいことだが、ひとたび鶏の自由行動を眼にしたら、足元には土がない、止まり木がない、体の向きを変えることもできない、虫を追いかける楽しみもないという飼育方法がどれほど「反生命」的であるかがわかるであろう。もちろん僕がやっている放し飼いは効率が悪い。たった10個の卵を見つけるために、倉庫の中、軒下、床下、ときには収穫した野菜が入っている箱や袋の中まで探したりもする。彼らも次世代に命をつなぐため、知恵をしぼるのだ。あれこれ思案して、安全と思われる場所を見つけ出すのだ。朝は寒いが日中の日差しは心地よい。そんな小春日和、しばし食料探索を忘れたチャボたちは、いっせいに陽だまりの中で砂浴びをする。目をトロンとさせている。人間ならば、銭湯の大風呂で頭にタオルを載せ、鼻歌をうたいながら心地よい湯の快感に浸っている、あの風景とほぼ同じだ。人間に食べさせるための卵を産む鶏の不自由さは、たぶんこれでわかっていただけるであろう。
ゴキブリと並ぶ嫌われ者であるスズメバチについても少し書いておこうか。僕はこれまで3回刺されたことがある。いずれも出会い頭であった。ヤブ周辺で作業に集中するあまり、スズメバチの存在に気が付かない。それで刺される。事前にいることに気づけば刺されることはない。彼らは、人間が近づくと威嚇のために旋回する。そしたら、頭を低くし、後ずさりして距離を取れば立ち去る。たまに、野外でなく、巣を作ろうとして、部屋の中まで下見にやって来ることがある。たまたま入ったのではなく、キョロキョロする感じのその動きから僕には、営巣の場所を算段しているのだということがわかる。この時だけは厳しく対応する。うちわのようなもので窓の外に送り出す。
スズメバチがらみで古い話を書く。20代の終わり、長野の山の中に粗末な小屋を手作りした。そして、妻と、2歳の息子、まだ這い這いの娘を連れて行った時のこと。小屋の扉を開けたら天井にスズメバチが巣を作っていた。このままでは危なくて夜は寝られない。3人を退避させ、僕は長い棒を手にした。怖くないと言えばウソになる。なんとか叩き落した。落ちた瞬間、用意しておいた毛布を掛けた。少し時間をおいて、踏みつぶした。必死の作業だった。男として、夫として、父親としての、それはなすべきミッションだった。
この下の写真は、そのスズメバチを救助した場面。ふだん、チャボ用の牛乳にはいろんな生き物が寄って来る。このスズメバチは牛乳を飲もうとして、器のふちからうっかり足を滑らしたらしい。瀕死の状態であっぷあっぷしていた。そこに枯れ木を差し伸べ、溺死を免れさせてやった。僕は瀬戸内海の島生まれ。5歳くらいから泳いでいた。中学生の頃、目の悪い少年を助けたことがある。僕より1つ年下だったが、体は大きかった。目が悪いゆえ、目測を誤り深みにはまったのだ。そばにいた僕はとっさに助けようとしたのだが、溺れまいとする彼は必死に抱き着いてきて、二人して水没した。なんとかなったけれど、海中に沈む苦しみをこの時初めて味わった。そんな僕は、身近な生き物が水に溺れているのを見過ごせない。死はどんな場合でも悲惨だが、溺死というのが海育ちの僕には最も悲惨という気がする。ナマズやウナギのいるプールとか、雨水を受けるタンクとかに落ちる昆虫というのはけっこう多い。このスズメバチの他、カナブン、セミ、ミツバチ、ハサミムシ、毛虫。人間と同様、意のままとならない水中で、自力で水から上がることもできず、もがき続けることがどれだけ苦しいことか。その場面を見たら、たとえ毛虫であっても仕事の手を止めて僕は救出してやる。
僕は外に出て遊ぶということは皆無。行って見たいという所がまるでない。そして、家にいても遊ばない。よくそんなんで……と思われるかもしれないが、心配無用。ひたすら畑仕事に明け暮れる日々であっても、仕事の中に「遊び心」がちゃんとひそんでいる。一般の職業で、仕事しながら遊ぶというのはちょっと難しいだろうが、それを可能とするのがまさしく田舎暮らし、百姓暮らしというものなのかもしれない。かつまた、その遊び心の発端となるのが、暮らしの周辺にいる植物も含めた生き物たちなのである。
先に引用させていただいた朝日新聞の「論壇」。そこに、日本の農地面積あたりの農薬使用量は欧州各国に比べて極端に多いとある。日本が温暖多雨な気候で、病害虫が発生しやすいためだと説明されるが、足達太郎氏は「虫が発生しやすくなるというのはそんなに単純ではない。表面的な言説にとどまって、思考停止してはいないか」と疑問を呈する。今の日本は必要以上に「害虫」を生み出し、それを排除することに多くの人は何らの疑問を持っていないのではないか……ここに足達氏は先述の「消毒思想」を提示したのだった。
温暖多雨という気象が虫の発生を促すことは確かにあると僕も思う。今年の場合、暑い8月が終わり、9月に入ると雨が長く続いた。僕の畑では、例年よりはるか、白菜やキャベツが虫に食い荒らされた。だからとて、先進国の中でダントツの農薬使用量というのは、やはり不名誉なことだ。人間の体でもそうだが、やたらクスリに頼るというのを僕は好きになれない。僕が最も嫌いなシーンを書いてみよう。それは、除草剤を散布した後の無残な茶色の風景だ。僕だったらスコップで1時間もかからずやり終えてしまう面積にシュウシュウと除草剤を散布する。先に、ドラッグストアーでも家庭菜園家向けの除草剤を売っているのを見て驚いたと書いたが、ガンコで厄介な雑草もこれでイチコロ……全ては手軽で便利というところから発している。厄介な労働から解放してくれた有り難いヤツ……ラクをしたいという人間の心が出発点なのだ。結果として、畑にも道端の草むらにも虫や昆虫がいなくなる。ふだん、スコップや鍬で刈り取った草を僕は堆肥として再利用する。そのスコップ仕事は僕の骨や筋肉、心臓や肺までも強くしてくれる。生き物もいっぱい住んでいる……良いことずくめではないか。これが我が「思想」である。
古い話をついでに書いておこう。もう30年も昔、僕が書いた本を読んだと訪ねてくれた人がいる。農家の息子さんだったが、自分の代になったら有機農法を試みたいのだと僕に語った。その彼のお父さんのエピソードにびっくりした。お父さんは、箪笥の引き出しにぎっしり詰め込んだ農薬・除草剤を見つめながら、「これだけあればもう大丈夫、安心だ」とニンマリしていたという。僕のような5反百姓と違い、何ヘクタールといった農地を耕す農家にとって、たしかに草や虫は手ごわい相手である。しかし……最近の農薬・除草剤は毒性が低くなったとされてはいるが、以前は違っていた。農薬によって肝臓を侵されるという例が数多くあった。僕を訪ねて来た人のお父さんは、そのような危険性を伝える報道にはまだ接していなかったのだろう。ひたすら、草や虫を撃退する重労働から解放される、その喜びだけをたぶんかみしめていたのだろう。僕は何がなんでもアンチ農薬というわけではない。ないが、周辺の生き物たちのことも考える視点はキープしておきたい。大袈裟な言い方になるが、地球は人間のためだけにあるのではないのだ。あの、シュウシュウと吹きかけられる除草剤の下で苦しんでいるかもしれない地中の虫のことを思う想像力、それを皆で持っていたい。
地球環境を守ろうという意識が世界中で高まっている。温暖化による猛暑、大雨、洪水……僕くらいの年齢だと影響を受ける時間はそう長くないが、30代、40代という人は人生の残り時間はたっぷりある。災害に遭遇する可能性は高い。目下、盛んにメディアで取り上げられているのは原油高と、それに起因する諸物価の高騰だ。お風呂屋さん、漁業者、農業者は大きな影響を受けているらしい。農業の場合だと、重油をたくさん使用するメロンやイチゴの栽培農家だという。この問題を取り上げた過日の「天声人語」は、生活を直撃する急激な価格変動を抑える努力は必要だと唱えつつ、脱炭素の流れのなか、石油の採掘を控えるのは自然のこと、長い目で見れば、原油高を受け入れ。社会のあり方を変えることが求められるとも書いている。そして、筆者が最後に記したのはイチゴだった。
例えばイチゴの需要はクリスマスなどのため、旬の初夏より冬の方が旺盛だ。ゆえにビニールハウスでたくさんの重油が使われる。消費する側も、このままでいいのかと疑ってみる目を持ちたい。
僕もイチゴ作りにはかなりの力を入れている。ビニールトンネルかハウスに苗を植え、夜は何枚もの古毛布や布団を掛けて防寒する。しかし、残念ながら、クリスマスシーズンに店で見る大粒のものに比べるとなんとも貧弱だ。まあ、人力でもって真冬のイチゴを栽培する、それは面白いからさ、チャレンジングだからなのさ……言い訳めいたそんなつぶやきもしてみるけれど、やはり出来上がった品物を見れば、重油とコンピュータ制御の力を借りて作られる立派なイチゴとは、月とスッポン、大リーガーと中学の野球部ほどの差がある。
しかし、でも、どうしてもクリスマスシーズンでないといけないのかという疑問は生じる。SDGsに熱心に意識を向ける人も、ひょっとしたら、冬のイチゴにまでその思いが及ぶことはないかもしれないなと僕は思う。産業革命から200年。人間は重労働から解放され、さまざまな利便をもたらす機器の恩恵を受けるようになった。しかし、産業革命後、世界の平均気温は1.5度上昇し、このままだと海面が7メートルも上がる可能性もあるのだという。たかがイチゴ……しかし、我々の周辺にはイチゴと同じような状況が数多くあるかもしれない。
こんなことを書くからといっても、科学に背を向けるわけではない。昨夜(28日)、寝床の中で「サイエンスZERO」という番組を見た。主題は放出された二酸化炭素をどう処理するかだった。放出を抑制するというのが全世界での今の動きだが、研究者たちは、放出されたそれをつかまえ、消し去る方法に取り組んでいる。あらゆる物質は燃焼すると二酸化炭素を出すが、それをつかまえ、つなぎ合わせると別な物質、例えば石ようなものにも変換させることができる。それを聞いた僕は科学者への敬意を抱き、科学の力を再認識したのだった。地球上に生きる一生物としての人間の肉体、すなわち手足の骨や筋肉のパワーと、この科学の力、それをうまく組み合わせて生きることが理想……そう僕は考える。
11月下旬の野菜だより
11月24日、初霜が降りた。例年よりも早いなあ、でも、今朝はたまたまだろうよと思ったけれど、以後、連日、霜のみならず氷も張る寒い日が続いている。ラニーニャ現象の発生で、今年の冬は寒さが厳しい、そう気象庁は発表している。この写真は29日朝のタアサイと白菜の様子。タアサイは寒さに強い野菜のダントツだろう。どれほど寒くとも葉に傷みが生じることもなく、食味は上がる。しかし、他の野菜は大なり小なり寒さの影響を受ける。僕も、アナタも、まさに今が頑張りどころ、腕の見せどころである。
僕が住んでいる地域はもともとが農村だが、8割がよそから移って来た人たちの一般住宅で、専業農家というのは僕が知る限り数軒しかない。数種類の品目に特化しての営農で、まもなく師走という今、ピーナツ、生姜、里芋などを出荷し終わったあとに残るのは人参だけという空白の風景が広がっている。
そんな中、スモール百姓ではあるが、品目だけは多いという僕は野菜たちの越冬作業にこの時期は奔走する。まずは生姜である。生姜は寒気に弱い。腐りやすい。生姜のプロはユンボで深い穴を掘って保管するが、僕は手作業。まずは高く土を盛ってやる。
それだけではまだ不足。次の写真のように、使い物にならなくなったビニールやシートを拾い集め、生姜の上から乗せる。さらにその上から土を盛る。これでなんとか春までもつ。
僕はキャベツにも、天井部分だけだがビニールを掛けて夜の冷え込みを防いでやっている。それでも、秋キャベツの在庫は年内で品切れとなる。なんとか空白期間がないようにせねばならない。そこで、次の写真のように、10月に種をまいた苗をビニールハウスに植える。春キャベツゆえに、そのままでは4月にならないと結球しない。ハウスの中だとそれが2か月くらい速まる。ただし、外はかなり寒いのに、ハウスの中は風も当たらず温かいゆえに虫がつきやすい。常に見回りして虫を退治する必要がある。他に、越冬で気遣ってやらねばならないのはエンドウとソラマメ。いよいよ寒さが募ると土の表面が凍り付く。1週間に一度くらい、晴れた日の日中、ソラマメの畝間にはスコップを入れて土の水分を飛ばす。さらに北側の土を高くしてやる。エンドウには、葉っぱのついたままの篠竹を切って、多めに土に差し込んでやる。葉っぱがいくらか防寒の役目を果たす。あと、玉ねぎは……昔の人は「玉ねぎは踏みつぶせ」と言ったが、強烈な霜で浮き上がることがある。だから、頻繁にチェックしてやる必要がある。僕は面倒でも1本ずつ指先で浮き上がった苗を軽く押し込んでやっている。
本論の方で、最後、イチゴの話を書いた。自分でも、どうしてこれほどまでにイチゴに情熱を捧げるのか不思議なくらい、かなりの面積、僕はイチゴを作っている。栽培されているイチゴを初めて見たのは60年余り昔。ふるさと祝島は平坦地が少なく、そこに僕の子供時代は600軒の家が、屋根伝いにどこまでも行けるくらいぎっしり建っていた。当然ながら、農家でないかぎり庭のある家というのはなかった。
ところが、同級生のE君宅には庭があった。そこは町営の賃貸住宅だった。お父さんは漁師だが、実家は長男が相続していた。そのE君宅に遊びに行って、僕は初めて地面になる赤いイチゴを見る。聞くと彼のお母さんが熱心に育てているとのことだ。なっている実はまさしく今の僕が育てているものと同じ小粒ではあったが、10歳の少年にはとても美しく、魅了される風景だった。僕は虫や動物の好きな少年だったが、今もまだ、E君宅の赤いイチゴの風景が記憶に残るというのは、百姓精神みたいなものがすでにあの頃、芽生えていたのかな、そんな気もしている。
何度も書いてきたが、真冬にイチゴを収穫するのはなかなか大変である。ビニールトンネルに苗を植えて、何枚もの防寒シートを夕方になると掛けてやる。毎日、掛けたり外したり。この先、さらに寒さが募ると、シートについた夜露が氷となって、朝それを外しに行くと、足元にカラカラと音を立てて落ちてくる。そんな苦労をものともせず、僕はイチゴに大いなる情熱を傾ける。上の写真は11月28日に撮ったもの。日中の気温も1桁という1月、苦心の末に収穫した小粒のイチゴにハチミツと生クリームをかけ、レンジでチン、ホットにして食べる……収穫の喜びがその味を引き立たせてくれる。
寒さはこれからが本番。石油ストーブを使わない僕は、昼間の畑仕事のみならず、夜の部屋でも寒い思いをする。太陽光発電から充電した電気座布団と電気湯たんぽで足腰を温かくするのだが、手先の冷えはそれでは足りない。日によってはパソコンのキーを叩く指先がしびれる。べつに、石油ストーブごときで地球温暖化に抗うなんてことではなく、まずは経費削減。築40年近いボロ家は隙間風が容赦なく、それをストーブひとつで暖めようとすると、たぶん、月額1万円近い灯油代がかかろう。節約なのだ。もうひとつは負荷。暑さも寒さも、力仕事も、繰り返しやって負荷をかけていれば、人間の身体はいつしか馴化してくれるもの。
さて、寒さはこれからが本番という今、心の中だけは春を先取りし、気持ちをウキウキさせたい。そのウキウキとはビニールハウスの設営である。前にも書いたように、ハウスの維持にはけっこうお金がかかる。今回も、パイプとビニールで3万円近い出費をしたのであるが、ウキウキ、晴れやか、そして希望をもたらすものと思えば3万円はさしたる金額ではない。
前回の野菜だよりの最後にホウレンソウの種まきをし、これは「遠くない未来への期待と希望」だと書いた。厳しい寒さの中で、小さな芽吹きが生まれ、少しずつ大きくなってゆく姿は、本論で書いた「生き物たちが与えてくれる生気」と同様、たしかに人の心をふわっと持ち上げてくれるものだ。今日(29日)は、夕暮れ、そのホウレンソウに、そっと、そっと、指先を使い、土を寄せてやった。ビニールが掛かっているとはいえ、まだ指ほどの大きさの野菜には夜の寒さがこたえる。その根っ子周辺に、深くなりすぎないように気を使いながら軽く土寄せしてやる。それで生育が進むのだ。師走が近い。30日から12月1日にかけては、雨のみならず風も強く吹くと今夜のテレビが言っていた。それも、なんとかして乗り切ろう……百姓暮らしには様々な試練があり、それゆえに、いろいろと工夫する楽しさと喜びが隠されている。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/
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