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田舎暮らしの本 1月号

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田舎暮らしの本 1月号

12月3日(火)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

コロナ禍が意味するもの/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(23)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回も編集長からいただいたテーマのひとつである。4月末、GW明けには新型コロナウイルスの感染者が急増するかもしれないと危惧する声もあったが、今は確実に減少傾向にある。このまま終息に向かい、いずれは「ただの風邪」になってくれるのか。そうであれば嬉しいが、しかし、ウイルスとは常に変異するもの、またいずれは変異株が登場するという懸念もあるから気を許してはいけない、そんな専門家の意見も聞く。

 新型コロナというウイルスの登場で、どこかの国の「コロナビール」が販売中止となったというニュースをいま不意に思い出したりもするが、早いものであれからもう3年である。僕の軽トラには100枚を超えるマスクが置いてある。ガールフレンド「フネ」の手製、それと、ヤフオクで太陽光発電のインバーターを落札したら、サービスですと、束になったマスクが同梱されていたのだ。クロネコの営業所に荷物を出しに行く時、ついでにスーパーやホームセンターに行く時、そのマスクの束から1枚を取り出し、つける。今ではすっかり皮膚みたいなものになった。僕はふだん剃刀を使わない。サラリーマン時代には必須だった朝の髭剃りが百姓稼業では必要なし。とても嬉しい、助かる。今は伸びたヒゲを時々ハサミで切るのだが、剃刀と違い、やはり仕上がりは汚らしい。その汚らしさを隠してくれるのがマスクである。僕にとってマスク生活というのはこの点で有り難いことなのだ。余談だが、マスクのことを「顔パンツ」とも言うのだと知った時は微笑んだ。もうすっかり顔の一部となったマスクは外せない。それを外すと言うのは人前でパンツを脱ぐくらい今や恥ずかしいことなのだという。

 さて、毎日、毎日、本日の感染者は、重症者は、死亡者は・・・そんなニュースを見聞きしてきた僕は、わが身への感染の警戒感と同時に、何十年という過去の時間をテレビの前で巻き戻されているような気持にもなった。かつての仕事との関係でもってだ。23歳から退職するまでの19年間、医学雑誌の編集に関わった。『代謝』、『癌』『和漢薬』、『遺伝』。そしてまさしく、今回のテーマに重なる『免疫』という雑誌。世に頭の構造が文系か理系かという論があるが、我が頭はどうにもならない理数オンチ。そんな男が、上司に、あるいは医学者に、叱られ、叱られ、教えられ、IgA、IgE、IgG、nRNA、NK細胞、貪食細胞(マクロファージ)、マストセル(肥満細胞)、セロトニン、エンドルフィン、ペプチド、アミン、カルシトニン、レセプター・・・そういった言葉を必死になって覚えたのだ。

 今から50年も昔、パソコンのない時代だ。筆者から送られてくる原稿はすべて手書きだった(悪筆もけっこうあった)。その手書き原稿にまずは赤ペンを使って指示を入れ、印刷所(当時は凸版印刷だった)や、写植屋さんに渡す(今はもう写植の会社なんてないんだろうなあ・・・)。そして仕上がったゲラや写植プリントが正しいか誤りがあるかのチェックは、たとえ意味は分からずとも、その用語の文字やアルファベットが編集する側の頭に正しく、きちんと収まっていなければならない。ゆえに、徹底的に、僕は「門前の小僧習わぬ経を読む」という日々を過ごし、これが我がサラリーマン生活の全てだったのである。かような仕事に関わっていた男の目に、あるいは耳に、世界を席巻した新型コロナというウイルスは人間生活にどのような影響を及ぼしたものと映っているのか、聞こえているのか。今回はそれを少しずつ書いてみようと思う。

 5月25日。文句なしの天気である。雨の多い5月で、このまま梅雨入りなんてことになったらどうなるのか、一抹の不安があったが、やっと5月らしい天候となった。ひたすら畑の草退治をする。今年前半の大仕事は2つ。ポットにまいたピーナツと大豆を定植する(次の写真が発芽後4日のピーナツ)。ポットの数は両方で約600。それに必要な面積は300坪くらい。その予定面積を快晴の今日、草を取り、散らかっているゴミの類を片付け、鍬入れしておくのである。湿度が低いので体感は爽やかだが、力仕事を長い時間やると体が燃えてくる。合わせて「やるぞ」の気分も燃えてくる。燃えながら、昨夜ベッドで聴いたNHKの「ラジオ深夜便」を思い出す。

農業

 語るのは神奈川歯科大学教授・川嶋朗氏。テーマは「体も心もぽかぽかに=温活健康法」。聞きながら僕が興味を抱いた言葉は、体が冷えると心が暗くなる。心が暗くなると体が冷える・・・だった。川嶋教授は、体温は生命の源だとも言う。ヒトの体温の理想は36度5分。そこから1度上がるごとに人体の活性は高まる。恒温動物は体温維持のためにむちゃくちゃエネルギーを要する。しかし、昔はなかった冷蔵庫の普及で冷たい物を口にすることが多くなった現代人。でも冷たい物の飲み過ぎはよくない。だから(ご自分の体験も含め)、体温よりも高い物を食べる、例えば夏野菜をあえて温めて食べる、ビールは常温のものを飲む、そういったことをお勧めする。さらに咀嚼は大事。嚙むことによって視床下部に刺激が伝わる。縄文人は4000回嚙んでいたが、現代人は600回。食事の順序も大切で、野菜類を先に食べ、肉や魚はその後で食べる。懐石料理がその見本で、日本人は昔からその大切さがわかっていた。しかし西洋料理が入ってきたことにより今は食べ方が変化してしまった・・・そういう語りであった。そして、最後に出た言葉が、先ほどの、体が冷えると心が暗くなり、心が暗くなると体が冷える、ひいては病気にかかりやすくなるとのこと。僕自身の経験を付け加えれば、たしかに、体が熱くなると血管が拡張し、気持ちも拡張して、精神がポジティブになるような気がする。結果としてそれが病気を遠ざけてくれるのではないか。ウツに陥らない心をも保つのではないか。

 5月27日。昨日は快晴で無風の文句なしの天気だったのに、今日は雨、さらにジューンベリーの枝が折れるほどの強い風が吹く朝である。ランニングから戻った足でカボチャ畑に直行する。この風雨では昆虫は来ないだろう。授粉してやらねば。しかし、どの雄花も雌花も溢れるほどの水を貯めている。まずは、雌花の花びらを一部切り、水を落としてやる。次に、水を貯め込んでいない雄花を懸命に探す。3か所のカボチャ畑で今朝咲いている雌花は14個。それに見合う数、花粉が濡れていない雄花を探すのにずいぶん苦労した。次の写真は別の日に撮ったものだが、このくらいの大きさの実だけでもすでに18個くらいなっている。目標はトータルで200の実をならせること。うち30個ほどは越年させる。冬場の貴重な食料となるのだ。前から読んでくださっている人は記憶にあるだろう。新年早々、部屋の中に土を運び込み、電気カーペットで保温し、上からLEDのライトを灯してこのカボチャの苗は作ったのだ。初物はたぶん7月に入ったらすぐに食べられるだろう。

カボチャ

 免疫の話を書く。免疫学者・多田富雄氏の名前をご存知の読者もいよう。その多田先生に僕が初めて接したのは医学雑誌の編集部に入ってすぐのころ、今から50年以上も昔のことだ。定例の編集会議のゲストとして多田先生は来訪する。場所は、古い和風建築としても有名な箱根の富士屋ホテルだった。上司からホテル玄関でお迎えし、会議場までご案内しろと指示された僕は、まもなく到着してタクシーから降りた姿に少しばかり驚いた。上下ともブルーのジーンズ。異色の姿だった。常任の編集委員はいずれも50代、当然ながら背広にネクタイ姿だ。対して多田先生のブルージーンズは異彩、あるいは異才を放っていた。のちに僕は知る。多田先生は学生時代、江藤淳なんかと同人誌を作っていた。科学者とか医学者という型にはまらない人物。それは、研究者として注目される一方で、能の鼓を打ち、数多くのエッセイも世に出す人であったことでもわかるだろう。あのブルージーンズは、大学医学部の徒弟制度には収まらない、医学という分野だけにも収まらない、そして、若くして免疫学における新たな知見を開いた、その多田先生の矜持の表明ではなかったか、僕は勝手にそう思っている。

 その多田富雄先生の語りもまた新鮮なものだった。免疫のシステムをオーケストラになぞらえるのだ。さまざまな楽器が個別に、あるいは同時に音を出し、高らかに、あるいは美しく、交響曲を奏でる。人体の免疫細胞もそれと同じ。外界からの異物侵入を認知するもの、異物侵入を仲間に知らせるもの、そして異物と闘うもの、闘って死んだ相手を食べて掃除してしまうもの、あるいは今後のために今回の異物のデータを記憶に残すもの・・・見事な連携とチームプレー。それが人体に備わった免疫機構だというのだ。

 もう一度、先ほどのカボチャの話に戻す。皆さんもご存知のように、カボチャほど広い面積を取る作物はない。僕の目標は秋の半ばまでに200の実を収穫することだとさっき書いたが、そのためには畑のほとんどをカボチャでつぶすことになる。考えたのがハウスにネットを張り、その上にツルを這わせることだった。写真では見えにくいが、ネットは以前サクランボの実を野鳥から守るために使っていたものを流用した。ほぼ我が思惑通りに進んでいるが、ひとつだけ注意することがある。ネットの網目は3センチ四方くらい。カボチャはツルの先端をそこに潜り込ませ、自縄自縛、先に進めなくなる。だから僕は毎朝チェックする。潜り込んだツルを引っ張りだし、誘導してやるのだ。しかし、この栽培法は悪くない。家庭菜園で、もっとカボチャを作りたいのに面積不足だなあと思案している人は、例えば畑で使う道具なんかを入れる物置にネットをかぶせ、このやり方を試してみるとよい。

カボチャ

 5月28日。素晴らしい光である。直射日光を浴びるとすごい暑さだが。木陰に入るとすこぶる心地よい。ゆるやかに吹き抜ける風の湿度が低いせいだ。午前中3時間、荷物を発送してからさらに2時間、隣の植木屋さんとの境界線をきれいにする作業に汗を流した。境界の目印として植えられた茶の木は2メートルにも伸び、篠竹はそれよりも高く伸び、様々な雑木までもが絡み合っている。ふだん、時々は伐採しているのだが、斜面になっているゆえ思い通りにはいかない。よっし、今日は本腰入れて取り組もう。

 スコップ、ノコギリ、剪定ハサミ、それを交互に使いながら長さ15メートル、幅3メートルのヤブを前進する。そこで思い出したのはマダニのこと。千葉日報が、県内でもマダニの被害が増えており、死者も出ていると伝えていた。幸い僕はまだ刺されたことはない。ヤブでの仕事でスズメバチに2回刺され、ウルシにも2回かぶれたことはあるが、長い年月こういう作業はやっていても、大きなダメージを受けたことはまだない。細菌やウイルスはどこにでも存在するが、それとの接触に慣れてしまうことで耐性みたいなものが出来上がるのではないかと勝手に判断したりする。そう思わせるのは、南方のジャングルから帰還した横井庄一、小野田寛郎のお二人だ。ジャングルには危険を及ぼすさまざまな生き物がいよう。そうした生き物に危害を加えられたり、外傷を負ったりしても病院や薬があるわけではない。しかし、お二人は生き延びた。日本に帰国してからも、日本人の平均的な寿命よりも長く生き続けた。我がヤブ開拓なんぞ、それに比べると横綱と序二段くらいの違いのあるささやかな作業だ・・・。

 重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型コロナのウイルスは森の中のコウモリ由来だとの説がある。かつては森の中の動物の体内にとどまっていたウイルスがヒトにまで伝播するようになったのは、人間が生産活動のために森を切り開いて奥地にまで侵入したからではないかとの説もある。

 これはエイズの蔓延が危惧されていたころに開かれた医学雑誌の定例編集会議でのことだ。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)はそもそもどこからやって来たのか。会議の本題からはずれたところで軽い話題となった。もとはアフリカのチンパンジーが持っていたサル免疫不全ウイルスが人間に伝播してヒト免疫不全ウイルスとなる。その背景にはヨーロッパの国々がアフリカを植民地化したことがある。しかし、なぜチンパンジーからヒトへの感染がなされたのだろうか。本来ならオフレコだろうが、もう何十年も昔だからいいかなと僕は思うが、ある大学教授が「チンパンジーとヤッタ男がいたんじゃないかい・・・」そう言い、他の教授からもいっせいに笑い声が起こったことを覚えている。たしかに、エイズウイルスはコロナなどと違い、近くに居合わせたとか握手したとかいうだけでは感染しない。濃厚接触による血液を介したものでないと感染しない。例えば男女の通常の性交でも、性器粘膜には微細なキズが生じる。ウイルスはそこから侵入する。かつて、同性の性交による感染例が多かったのはそのためだと言う。しかし、世界を震撼させたエイズも今ではコントロールが可能となり、不治の病でも死の病でもなくなった。医学の力はすばらしいなと僕は思う。

 もうひとつ、副作用との関係で最近よく耳にする子宮頸癌のことも触れておこう。この癌は主に性交によって男性の精液に存在するヒトパピローマウイルス(HPV)が主因となり発症する。ただし、このウイルスはごくありふれたもので、90%の人は免疫力で自然に排除され、発癌にまでは至らないのだという。思えば、ウイルスはどこにでも存在し、ただし、自分では生きられないゆえ他の動物の細胞に侵入し、相手の蛋白質を借りて増殖し続けなければならないという宿命にある。「他人」の力を借りねば生きられない宿命ゆえ、その他人(宿主)が死んでは元も子もない。自分も死ぬから。よって、やたら強毒化するのはウイルスにとっては得策でない。だから一般的には、宿主に生き続けてもらうために弱毒化する。では、変異はなにゆえ起こるのか。理由はコントロールミスだという説が面白い。ウイルスは宿主細胞に入り込み、その蛋白質を材料として自己の複製を図る。その複製のプロセスでミスをする。結果としてそれまでとは少し違った型のウイルスが登場するということらしい。

 話が少しだけそれる。今日の夕刊で、元日本赤軍の最高幹部、重信房子さんが出所したとのニュースが伝えられている(すでに刑期を終えた人なので僕はさん付けで呼ぶ)。ああ、あれからもう50年以上もの時間が流れたのか・・・ちょっとした感慨を抱く。重信さんは僕と同年齢である。大学もたしか同じだったと思う。まさしく同じ時代を生きた女性なのだ。彼女にとって正義とは何だったか。理想の社会、理想の国家とはどんなものだったのか。そんな思いとともに、水道橋から御茶ノ水にかけて、歩道の石がはがされて機動隊に対する武器となり、機動隊からはガス銃が放たれ息がむせた、重信さん出所を聞き、その時代を僕は記憶によみがえらせるのだった。

キウイ

 5月30日。昨日ほどではないが、今日も暑い。気温32度。朝食をすませ、庭に出て、ふと見上げると、受精を終えたキウイの雌花が黄色くなって散りかけている(この上の写真)。今年の果樹は概して不作だが、キウイは例年通りになりそうだ。さて、昨日で5月分の荷物発送作業が終了したので、今日は徹底的に草取り作業に励む。面白いことに、同じ仕事なのに、荷物の発送がない日は気分が休日感覚になって少しウキウキする。でもって裸になる。遠からず梅雨入りする。光がなくなる。気温が30度を超え、光がある限り、秋の初めまで上半身を太陽にさらす。太陽光は敵なんかじゃなく、感謝すべきもの。健康の源泉は太陽の光にある・・・僕はそう信じている。スコップを手に、方向を定めず、ひたすら草を取る。無心、無邪気、無垢、夢想・・・どの文字がふさわしいかわからないが、精神が洗われるような気がする。話がそれるが、「洗う」の原義は「新う」にあると最近知った。例えば石鹸で手を洗ってきれいにするのは「新たな手」になるということだ。上半身裸で光を浴びながらスコップで草を削り取る、今日みたいに荷物の発送がない日はトコトン6時間くらいやる。それでもって心身が洗われる。すなわち新しい自分になる。畢竟、免疫力が向上する・・・。

農業

 昨日、16匹のヒヨコが生まれた。こりゃ忙しくなった。そう思っていたら、今日またまた7匹が生まれた。いずれも僕の目の届かない「秘密の場所」で。長い経験でチャボたちがどんな場所を好んで産卵するかわかっている。しかし、彼女たちも次世代を確保するために懸命だ。僕は親チャボに先導されたヒヨコたちのにぎやかな鳴き声でもって初めて孵化したことを知るわけだ。ああ、またやられたな・・・でもかわいい。

ヒヨコ

 チャボの話となったついでに、高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)について書こう。僕のところには県の家畜保健衛生所というところから定期的に注意喚起の文書が届く。どこかで高病原性の鳥インフルエンザが発生すると送られてくる文書の回数が増える。毎回記されている注意事項は、鶏舎に野生動物が入り込む隙間はないかチェック、定期的な消毒をする、外部から荷物搬入のために鶏舎に近づいたトラックや人間には、車のタイヤや靴を消毒させること・・・。僕が飼っているチャボは数十羽だけ。家畜保健衛生所が監視の対象とするのは基本的に何千、何万という飼育数の養鶏専門業者だが、数こそ少ないが、僕も鶏を飼っていることには変わりないので対象となる。

 もう何年も前になるが、職員が現場視察に来たことがある。庭を走り回っているチャボたちを見て、専門家であり、日々鳥インフルエンザと戦っている彼らは少しばかり顔を曇らせた。そして言った。この上に(そう言って空を指さした)、ずうっとネットを張ることはできませんか?  そうすれば野鳥との接触が避けられるとの判断からの言葉なのだが、我がチャボの活動範囲は50×30メートルに及ぶのだ。物理的に無理な話である。それにそもそも、鳥インフルエンザに感染して大きな問題となるのは、鉄壁の防御態勢を施しているはずの大規模養鶏場である。僕は現場を見たことはないが、ネズミ1匹侵入できないような構造になっていると聞く。だが、それでもウイルス被害は発生する。

 鳥インフルエンザウイルスは、大陸からの渡り鳥から伝播すると言われている。それに鶏が感染すると、トサカにチアノーゼが起こり、歩けなくなり、1日で何十羽もが死ぬらしい。僕は養鶏43年の経験があるが、ハヤブサに襲われる以外、うちのチャボが死ぬのはすべて老衰のためだ。大規模養鶏場では、ひとたびウイルス検査で陽性が確認されると、間髪入れず、発生農場のすべての鶏が殺処分される。多い場合は何万羽。そのニュースは毎回、僕の気持ちを暗くする。人間なら、コロナに感染しているか否か、一人ずつPCR検査をしてもらえるし、感染しているとわかれば治療が施される。だが鶏の場合は容赦なしで、全員処分となる。辛いなあ。切ないなあ。昨日まで人間のために卵を産み続けてきた鳥たちがあっさり命を奪われる。仕方のないことなのではあろうが、僕はいつも胸が痛むのだ。

チャボ

 新型コロナの感染拡大によって繰り返し言われたのが「密を避けること、ソーシャルディスタンスを保つこと」だった。居酒屋、通勤電車、エレベーター、競技場、コンサート会場・・・人間世界でもなかなかそれは難しいことのようであったが、思えば、大規模養鶏場で飼われているニワトリに関しては全く不可能なことだ。方向転換さえできないケージの中で目の前の餌を食べ、卵を産み続ける。はなからソーシャルディスタンスを保つのは不可能な環境、それが効率最優先の大規模養鶏なのだ。物価の優等生と言われ続けてきた鶏卵。ケージでの大規模養鶏という手法は間違いなく消費者に安い卵を届けるという点において偉大な貢献を果たした。だが、ニワトリの身になって考えてみるとよい。生活空間が狭いだけではない。土に触れない。光に当たれない。土の中から虫を探し出す楽しみを知らない。砂浴び(人間でいうと風呂)というリラックスタイムもない。おそらく、彼女たちの免疫機能は恒常的に低下しているのではあるまいか。僕はそう思っている。

 6月1日。もう6月か・・・。朝食しながら読む朝刊の日付を見ながら時の過ぎる速さを僕は思う。本日とりあえず晴天だが、スコップ仕事をしてもさほど汗は出ない。今日はまずタマネギを収穫した後で、主に、畝間にスコップを入れて空気の通りをよくする。対象はトウモロコシ、ピーナツ、ブロッコリー、カリフラワー、エダマメなど。トウモロコシは写真のように順調に育っている。5回に分けて種をまき、第1回目は穂が出るのが今月下旬になるか。いちばんの気がかりは食害だ。現場を見たことはないが、知り合いの農家によると食い荒らすのはハクビシンだという。以前、100本ほどを一夜にしてやられたことがある。それで写真のようにネットを張ったわけだが、うまく防御できるかどうか。

トウモロコシ

 もうひとつの作業はトマトの脇芽つみと結束。毎年手遅れで、脇芽ボウボウなんてことにもなる。だから今年は1日1回必ず見回る。脇芽をつむと同時に、僕は常にズボンのポケットに紐を何本も入れて巡回し、身長が伸びたものを縛ってやる。梅雨入りまではまだ10日くらいあるか。3つある雨よけハウスには大いなる手間とカネがかかっているんだぜ。雨にも負けず、おまえたち、タップリ実を着けてくれよ。

 きれいな夕焼けを見ながら午後7時まで畑仕事。風呂から出るともう8時だ。ニュース専門チャンネルでニュースを見ながら晩酌する。ニュースが伝えるのは、新型コロナ感染者の減少でもって、韓国では観光客受け入れを再開する。そのビザをもらうため、何百人もの人が韓国大使館前に列を作っている様子だった。日本政府も入国制限を大幅に緩和する。マスクの着用も緩和する。観光地もかなりの人出で賑わっている・・・どうやら世の中はだんだんに平常の姿に近づいてきているようだ。

トマト

 コロナ禍は世の中をさまざまなところで変えた。例えば、リモートワークで在宅時間が長くなったことから人々の住宅への意識が高まった。賃貸からマイホーム購入に動き出す人。あるいは、すでに住んでいるマイホームを増改築する人も多いという。在宅での仕事が多くなったぶん、食事への意識が変化し、調理家電や冷蔵庫を買い替える人が増えたとも聞く。しかし最も大きな変化は、仕事は家にいても出来る、すなわち、通勤電車に乗らなくてもすむようになったことだろう。僕の場合はちょっと例外かもしれないが、最初の田舎暮らしでは往復4時間、次の田舎暮らしでは5時間かかっていた通勤が完全にゼロになるというのだから、これはほとんど革命だとも言ってよい。ただし、リモートワークの根幹はパソコンのようだが、僕みたいにパソコン音痴はどうするのだろうか。僕はふだん、メールのチェック、ワードでの文章作成、あと、楽天やアマゾンでの買い物以外、パソコンを操作することがない。最近も、書いた原稿の校正刷りが出版社からメール添付のファイルで送られてきたのだが、ファイルを解凍するにはこのパスワードを使ってと指示されていた。ところが、その操作がどうにもうまく出来ない。手慣れた人なら数秒でやれるはずの作業に30分も、ひたすら、あてずっぼでキーを叩きまくって、かかってしまった。僕には、キーボードで、ふだん全く触れることがない、どんな意味を持つのかさえわからないキーがいっぱいあるのだ。

 コロナ禍で在宅時間が長くなり、マイホームを買う、調理家電を買う。子どもやペットとの接触時間も増える・・・いいことばかりのようだが、ちょっとネガティブな場面もあると聞く。オンライン授業が長く続いた大学。対面授業になったからみんな喜んでいるかと思えば、そうでない人もいるらしい。孤独な授業に慣れ切った、もとから社会性をやや欠いた性格の学生は、大勢の仲間と急に接することになって戸惑う、精神的に不安定になる例もあるとのことだ。しかし、もっと深刻なことも生じている。リモートワークでもって、ひとり「家飲み」する機会が増えた。その結果、アルコール依存症となる例が少なくないというのだ。僕が見たテレビのニュースでは、なんと、近くのコンビニで缶酎ハイを10本も買って帰る男性がいた。僕は365日飲むのだが、ふだん、ワインならちょっと大きめのグラスに1杯だけ、ビールなら350ミリリットル、真夏、大量の汗をかいた日でもせいぜい500ミリリットルですんでしまうから、缶酎ハイを一度に5本だの、ワインをボトルで2本飲むだのというのは驚愕でしかない。

 毎日飲まないことはないという僕の酒は、日々の暮らしの句読点みたいなものだ。畑仕事を終える。腹筋とストレッチをすませてから風呂に飛び込む。風呂から上がって、さて飲む。ああ、今日もよく働いた、いい1日だった。夏ならビール、冬ならワイン。それぞれが日々の暮らしの句読点なのだ。酔うことが目的ではないのだ。缶酎ハイを5本、ワインをボトル2本。そんなに飲む人は何を求めているのだろうか。泥酔して忘れてしまいたいという何かの問題を抱えているのだろうか、もしかして。そんなに飲んだら、在宅でのパソコン仕事にだって支障が出るのではあるまいか・・・パソコン音痴の僕はそんなことも考えたりするのである。

ブロッコリー

 6月2日。再び強烈な光が戻って来た。直射日光を受ける場所は45度を超える。死ぬほど暑くとも、僕は暑いのが好き。雨の日に比べると100倍くらい好き。朝一番、ブロッコリーを見回る。昨日、別な仕事をしているとき、ひょいと見たら青虫の被害がかなりあったのだ。ずっと他の仕事に気を取られて・・・失敗したなあ。だから今朝は、念入りに巡回し、青虫つぶしを始めたのだ。数か所に分けて植えてある。この上の写真は窮余の策。前にアブラナ科を作った場所を避けるとなると、どうしても場所が足りない。それで、こうして、2つ並んでいるハウスの隙間、半月前までタマネギがあった場所を活用したのだ。アブラナ科といえば、書名を今は思い出せないのだが、カナダ在住の夫婦が力を合わせて長く放任されていた土地を耕し、大量の堆肥を作って投入し、見事な自給菜園を完成させる本を読んだ。妻の方は医者で、その本の筆者だったが、彼女は書いていた。野菜の中でも、とりわけアブラナ科を食べるようにしているのだと。癌などの疾病を防ぐ成分がアブラナ科には多いのだと。これとは別な本にも、ブロッコリーは癌予防の最強アイテムだとあったことを僕は思い出す。

朝食

 朝食を取りながら見ていたテレビはエアコンを話題にしてコメンテーターたちが盛り上がっていた。エアコンの入手はコロナ禍とウクライナの紛争などとも関連し、部品の関係で入手がやや難しくなっているらしい。と同時に、省エネタイプのものが注目されているらしい。買えば20何万円かするが、月額にして1万6000円相当を節電してくれるという。コメンテーターのひとり、ふだんから歯に衣着せぬ物言いをし、一部には嫌う人もいるらしいが、僕はうんと好きなTという人が、「東京の夏の夜はエアコンなしでは眠れない。ボクは天井に設置するタイプをつけて寝ています・・・」そう語っていた。そのT氏について、ガールフレンド「フネ」が僕に言ったことがある。この人(T氏のこと)は、日焼け止めクリームを塗って、日傘を差すらしいよ。おとうさんも、畑に出る前にクリームを塗りなヨ・・・。へえっ、そうか。でもなあ、上半身裸になって畑に向かう原始人が日焼け止めクリームというのはなんだか変じゃあないかい。

 朝食しながらもうひとつ思い出したことがある。僕はサンドイッチのハムを口に押し込んでいて、本場イタリアの生ハムやドイツのソーセージなどが家畜の伝染病の影響で輸入できなくなっている、日本のレストランのメニューに影響を与えている、そんなニュースがあったことを思い出したのだ。原因は欧州各国で確認されたアフリカ豚熱(ASF)。すでに日本国内で確認されている豚熱(CSF)とは別のウイルスによる感染症らしいが、ワクチンも有効な治療法もない。ゆえに水際対策として、ヨーロッパからのハムやソーセージの輸入が停止されたというわけだ。

 これまた、ニワトリの殺処分と同じ話になるのだが、豚熱が発生した農場の豚たちはみな処分されてしまう。鳥インフルエンザでも豚熱でも、災害派遣の要請を受けた自衛隊員が現場に向かい、殺処分の作業をするという話はみなさんも耳にしたことがあるだろう。そんな自衛隊員のひとりが漏らした言葉が僕の胸に迫る。逃げ回る豚を隊員は押さえつける。豚は、自分の運命を察知してかどうか、悲痛な叫び声を上げるそうだ。「それでも仕事だからやらなければならない。でも、ちょっと辛いんです・・・」。そうだと思う。僕は雄鶏が増えすぎるといくつかの点で困るゆえ、1年に数回、首をひねる。楽しそうに生きている彼らを1日でも長く生かしてやりたい。そんな気持ちでズルズル伸ばしたりもするが、もう限界だ。暗くなって、寝床にいる雄鶏の脚をつかみ、0.5秒くらいの早業で首をつかむ。何事が起きたのか、「当人」には理解されないほどのスピードで命を絶つ。これが、せめてもの優しさだと思いながらやっている。

 ニワトリは卵を、豚は肉を、我々に提供してくれている。そして、いったん事が発生するとたちまちにして命を絶たれる。卵や肉によって自らの命を保っている我ら人間は、彼らへの感謝の念を忘れるべきではないと思う。

 6月3日。人間、生きて暮らしている以上、細菌やウイルスとの遭遇は避けられない。避けられず、常にその危険性を抱えているからには、最後は、細菌、ウイルスの攻撃に負けない心身をふだんからの努力の積み重ねで作り上げていくことであろうか。すなわち免疫力の向上だ。生まれた時から備わっている異物と闘い自己を守ろうとする免疫システム。だが、ほったらかしではその機能を十分に発揮することはできない、良質の睡眠、バランスの取れた食事、ストレスを少なくする生活が大切な基本なのだと専門家は言う。

 では、この免疫力を上げるためには具体的にどうすればいいのだろうか。僕は合理的な判断や理数的な分析からかなり遠いオンチ男だと常々自己評価しているのだが、他方、直観とか本能とかでは他の人よりいくらか優っているのではないかと思っている。その、「直観と本能」と、それに基づきながら続けてきたこれまで42年の田舎暮らしから言えることがある。ガールフレンド「フネ」は僕を原始人と呼ぶが、我が免疫力の根幹はこの原始人的な暮らしの中にあるという気がする。すでに時々書いてきたことだが、暑さにも寒さにも自分の体をどんどん慣らしてやる。不潔な作業からも逃げない。夏は上半身裸で太陽の光を浴びる。エアコンはなく、寝ている間は扇風機を回す。石油ストーブもなく、築40年の家にはあちこち風が通り抜け、夜のパソコン作業中には室温が5度まで下がる。尻に電気座布団をあてがい、腰に毛布を巻く。毛糸の帽子をかぶる。それでやりすごす。

先に書いたように、免疫力は高めの体温によって機能が向上される※。風邪を引いたときなどに体温が上昇するのは外敵との戦闘能力を向上させるための人体における合理的な反応なのだ。だから、どうにもならないくらいの発熱ならば仕方ないけれど、やたら解熱薬を使って体温を下げるというは不合理なことでもあるのだ(参考までに、僕は全くクスリを飲まない生活をずっと続けている)。暑さ、寒さに積極的に心身を慣らす。そして大いに体を動かす。すなわち肉体労働を厭わない。筋肉は熱を多く発生する。筋肉の多寡が体温と関連する。専門家が指摘するように、筋肉量の少ない人は概して体温が低い、冷えに悩む。常に冷えた体では免疫力が低下する。

(※体の温度は高ければいいとは限らない、むしろ障害につながるという話を急ぎ挿入しておく。今日6月3日の朝日新聞夕刊に、愛知県の基礎生物学研究でのマウスにおける研究結果が出ている。36度以上の温度では精子がうまく作れない。精子形成は32ないし35度でなされ、37度以上になると細胞分裂が止まり、精子にまで成長できなかった細胞は死んだという。これは人間にも当てはまるのか。ヒトの睾丸は体の他の部位より温度が低く、ひんやりしているのはそういった意味があるのだな、と僕は記事を読んで思ったのだが、研究者は、ヒトもマウスも同じような精子形成の過程をたどるので高温では同様の悪影響を受けることが考えられると述べている。例えば、パソコンを膝の上に置いて座っていると陰嚢の温度が上がるという研究もあり、股間を高温にさらすのは避けたほうがよいとの研究者によるコメントがあった。)

 さて話をもとに戻して、さりとて、僕は原始的暮らしの一点張りというわけではない。文明の知恵にならい、合理的な対応もする。例えば荷造りの時、大根、人参を洗って包み、さて次はレタスとなったら、必ず石鹸で手を洗う。生食するものゆえ、自分の手から雑菌を付着させるわけにはいかないのだ。仕事をしているとけっこう切り傷を負う。傷の大きさや出血の量で、これなら大丈夫と判断したらそのまま作業を続けるが、ちょっと傷が深いなと思えば作業の手を休め、石鹸で傷口をよく洗い、バンドエイドを巻く。歯磨きのことも書いておこう。僕は毎日6回くらい歯磨きをする。3食の後、おやつを食べた後、さらに1日最後、寝る前にもベッドで歯ブラシをくわえる。近頃しきりと口腔内の衛生がさまざまな疾病と関連すると言われるようになった。この論を耳にする前から歯磨きには気を配っている。草取りをしながら歯ブラシを動かすということもよくある。やはり年齢相応に歯は老化しているのだが、抜け落ちた歯はまだなく、歯痛で困ったということもない。

新型コロナによるマスク生活が口腔内に悪影響を与えるという歯科専門医の話をごく最近聞いた。マスクをつけることによって口呼吸になる。口の中が乾きやすい。唾液の分泌も減る。それによって歯周病菌などが増えるという連関なのだそうだ。さらに歯周病の悪化は発癌にもつながるというから、たかが口とはあなどれない。

 免疫力向上のために日頃の食生活が大切であることはもはや言うまでもない。人間の腸は脳を含めた人体のほとんどに影響を与え、免疫力とも深くかかわると言われている。冷え性に加え、慢性的な便秘というのは、もしかしたら万病のもとかもしれない。ふだんの僕は肉・魚、それと野菜を半々の割合で食べる。野菜は食味の変化を求めるためでもあるが、含有する栄養成分がほどよく体内にいきわたるよう、食べる野菜の種類を毎回変える。今の時期だと、大根、人参、エンドウ、ソラマメ、チンゲンサイ、ニンニク、ジャガイモ、タマネギ、小松菜、アスパラガス。合わせて果物も。今ほぼ毎日食べているのはイチゴと桑の実で、もうじきブルーベリー、ジューンベリー、ラズベリーが加わる。ヨーグルトや乳酸飲料も毎日、口にする。ただし、これさえ飲んでいれば、食べていれば、そういう一点豪華主義からは遠い。これまた我が「本能」ゆえかという気がするのだが、多品種を組み合わせた食生活ということを僕は昔から意識していた。だから、ラーメンや牛丼といったものとは縁遠かった。牛丼はたった一回だけ食べたことがある。伊豆大島に家族連れでマラソンに行った時のこと。帰りの船が大幅に遅れた。竹芝に着いたのは午後9時くらいではなかったか。そこから電車で当時住んでいた団地に帰るには子供が3歳と5歳ということもあって無理。やむなく、ふだん仕事で関わりのある山の上ホテルに予約を入れた。ただし、財布の中にはもう宿泊代しか残っていない。ホテルのメシを食う余裕はない。午後10時を過ぎた駿河台で店を開けているのは牛丼の店だけだったのだ。

 一点豪華主義は好きじゃない。そう書いて思い出すのはコラーゲンだ。つやつやのお肌を保つためにはコラーゲン。最近新聞広告などで頻繁に目にする。後で書くつもりだが、医学雑誌の仕事との関わりでこのコラーゲンには忘れられない出来事がある。でもそれについて書く前に、先ごろ読んだ福岡伸一著『ゆく川の流れは、動的平衡』にコラーゲンにまつわるエピソードがあるので触れておこう。

 福岡氏は、食べ物はしっかり嚙んで食べましょうと言う。ただし、嚙むというのは食べ物を細かくして消化をよくするだけではなく、他に意味があると指摘する。食べ物は動物性でも植物性でも、元は他の生き物の一部。そこには元の持ち主の遺伝情報が書き込まれている。遺伝情報は蛋白質のアミノ酸配列として表現される。アミノ酸はアルファベット、蛋白質は文章。他人の文章がいきなり、ウイルスとなり身体に入って来ると情報が衝突する。それがアレルギー反応。それゆえ、元の持ち主の文章をいったんばらばらのアルファベットに分解し、意味を消すことが必要。そのうえでアルファベットを紡ぎ直して自分の身体の文章を再構築する。これがまさに生きているということ。つまり、消化の本質は情報の解体にある・・・福岡氏はこう述べる。そして最後、次のような結論を掲げて見せる。

食用のコラーゲンは魚や牛のたんぱく質。食べれば消化されてアミノ酸になる。一方、体内で必要なコラーゲンはどんな食材由来のアミノ酸からでも合成できる。だからコラーゲンを食べれば、お肌がつやつやになると思っている人は、ちょっとご注意あれ。それは、他人の毛を食べれば、髪が増えると思うに等しい。

 この最後の段落で僕は笑ったのだが、アナタはいかがかな。一点豪華主義ではなく、可能な限り多品種の食材を口に入れる、その大切さがこの笑えるエピソードにも凝縮されている。そして・・・僕がコラーゲンという言葉に最初に出会ったのは45年くらい前のことだった。担当していた月刊誌には毎月アート紙印刷のカラー4ページが挿入された。文章は少なく、主として図表やイラストでもってひとつのテーマを解説する。執筆は東京医科歯科大学のN教授。ところがこの教授はどうにも遅筆だった。電話でお伺いを立てるも、もう少し、もう少しの返答ばかり。やむなく僕は、2か月連続で後続の予定原稿に差し替えた。そして、ようやく出来上がりましたの知らせがあり、大学に出向くと、なんと、予定の分量を大幅に超えている。困ったなあ。さりとて、書き直してくださいと言えば、次に出来上がるのはいつになるかわかったものじゃない。次号予告のこともあり、僕は分量オーバーの原稿をそのまま受け取って帰ってきた。さてこれをどうするか。計算すると6ページ分はある。思案の末、オーバーした2ページ分を織り畳む形で仕上げることにした。ところが、この処理が次の編集会議で叱責された。ふだんから、とりわけ辛口の阪大教授に「勝手な判断をするんじゃない」と、キビシイ口調で叱られた。後で思った。論文が力作であったならば、僕の勝手な処理も責められることはなかったかも。専門家の目には冗長でつまらない論文だったのかもしれない・・・。こんな体験をしたゆえに、お肌つやつや、嬉しそうに顔を輝かせる女性の写真が添えられたコラーゲンの広告を見るたび、僕は遅筆だったあのN教授、それと阪大教授のおっかない顔を今でも首をすくめながら思い出す、コラーゲンが「こらあ、顕!!」とさえ聞こえる、畑仕事しながらそんな幻聴が聞こえて来るのだ。僕にとってはまことに罪作りなコラーゲンなのである。

 今日は、荷造り作業をしながら、古い新聞の書評が目に留まったので立ち読みした。ああ、この本いつか読んでみたいな・・・スティーブン・ジョンソン著『EXTRA LIFE なぜ100年間で寿命が54年も延びたのか』。17世紀半ば、平均的なイギリス人は30年ほどしか生きなかったという。それに比べて現代人は54年も長く生きるようになっている。この長寿化は何によってもたらされたのか。飢饉の抑制を実現した化学肥料、公衆衛生のかなめであるトイレと上下水道システム、そしてワクチンなのだという。なるほど納得できる。僕は汲み取り式の便所で暮らしているが、便座に座れば暖かく、下から出るお湯でお尻まで洗ってくれるという現代の暮らしは衛生という点では満点だ。化学肥料も、それで仕上がった野菜の味はともかくとして、大きいものがたくさんとれるという意味では多くの人の命を救い、長生きさせた貢献度ではナンバーワンであろう。この本には、天然痘ワクチンの開発と普及、あるいは、ワクチン反対運動と闘った文豪ディケンズなどのエピソードも含まれているという。よっし、面白そうだ、読んでみよう。

イチゴ

 ちょうど今、近隣の農家ではトウモロコシの消毒に精を出している。長いホースを引っ張り、白煙を上げる。消毒の当人はマスクを着用している。最近の農薬は改良が進み、毒性はかなり低くなっているらしいが、それでもやはりマスクは必要なのだろう。思えば、農業という分野でも化学の恩恵を大きく受けている。先ほどの化学肥料、そして除草剤、害虫防除の薬剤。僕のようなスモールサイズの農家は別として、何ヘクタールもの農地で営む農家では、こうした化学製品なしでは不可能と言ってもよいだろう。こう書いて思い出した。化学肥料の原材料の多くはロシア産らしい。目下の紛争によってその原材料が入りにくくなり、肥料が高騰、農家を困らせていると過日の新聞が伝えていた。

 新型コロナウイルスは下火になりつつあるが、少し隠れたところでサル痘というのが話題になっている。そのウイルスがヒトに感染すると発熱や発疹が全身に広がり天然痘のような症状を引き起こす。患者の大半は、最初の発生が見られたアフリカへの渡航歴がない。ゆえにWHOは危機感を強めているらしい。また同じ新型コロナウイルスでも、感染者はまだ少ないものの、オミクロン株の新しい系統「BA・4」と「BA・5」は、現在、日本国内での主流である「BA・2」より、感染力や重症化リスクは高いとの研究結果を東大の研究チームが発表した。こうして見ていくと、まさしく人類は常にウイルスとクロスしながら生きてきたことが、そしてこれからも、ウイルスと戦い、あるいはうまく折り合いをつけながら生き続けなければいけないことがわかる。

 ウイルスは人類にとって憎むべき、戦うべき相手なのか・・・必ずしもそうとは言えないという話で今回のテーマを締めくくりたい。自己を増殖し、生き残るためにウイルスはヒトの体内に侵入し、侵入した細胞の蛋白質を材料とし、人体内に広がっていく。結果としてヒトは発熱、肺の疾患、味覚障害などを引き起こすわけだが、人類は、その長い進化の過程において、ウイルスの遺伝情報の一部を取り込み、さらなる進化に役立てたのだともいう。つまり、ヒトの体は遺伝子組成においてウイルスとの複合でもあるというのだ。この点において、ウイルスとは絶対的に憎み、撲滅すべき相手ではないようにも考えられる。

音楽に満たされた世界がもうひとつある。呼気と吸気。血管の拍動。筋肉の収縮。神経のインパルス。セックスの律動。そう、我らのうちなる自然。そこにはリズムが横溢している。しかし、しばしば私たちはそのことを失念している。つまり自分が生きていることを忘れている。音楽の中には確かな起伏があり、脈動があり、循環がある。それは生命のリズムと完全にシンクロしている。バッハを聴き終えたあと聞こえてきたのはその残響だったのだ・・・。

 もう一度、これは福岡伸一氏の著書からの引用である。「音楽と生命のリズム」と題された稿の一部である。畑仕事を終えた僕は、かろうじて新聞の文字が読めるという午後7時、腹筋台に乗って夕刊を読む。体を上下動させながら文字を追うというのは訓練が必要だが、先に、晩酌のビールやワインは1日の句読点みたいなものと書いたと同じく、畑仕事の後のストレッチや腹筋も日々必須の句読点なのである。他の鳥はねぐらに行った後もホトトギスだけは鳴き続ける。テッペンカケタカの陽気で高らかな声が夕刊を読む僕の耳に伝わってくる。バッハの音楽とは大違いだが、畑で激しく体を使い、汗をかき、やがて日暮れの時刻、薄暗い中で夕刊を読む。そんな暮らしにおいて、腹筋台での体の上下動のみならず、なるほどリズムが溢れている。強弱のメリハリをつけ、自分が生きていることを、僕はどうやら忘れてはいないようだ。腹筋台から下りて、これから風呂。そして晩酌だ。ビールかワインを飲みながら、いつも思う。明日も元気に働こう、そして、田舎暮らしってやっぱりいいもんだなあ・・・と。

※今回は「野菜だより」はお休みとする。どうぞ野菜の記述は本論を参考にされたい。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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