中村顕治
今回は家庭菜園について書く。これまで折に触れて野菜や果物について書いては来た。しかし、家庭菜園というコンセプトとしては書かなかった。以前、編集長からいただいた参考テーマのリストにも含まれているのだが、今回はこれを主軸にしてまとめてみようかなと、連日のキビシイ寒さの中、赤ギレとしもやけに苦しめられている僕は、正月明けのある日、寒風に吹かれながらふと思ったのだった。
その家庭菜園に、あえて大上段にふりかぶり、「人生における幸福論」をからめて書きたい。両者には普遍的な深い因縁があるのだ。僕の場合で言えば、ただいま現在の暮らしの出発点は家庭菜園だった(厳密に言えば団地のベランダ菜園だった)。おそらく、「田舎暮らしの本」の読者にも、家庭菜園に始まり、さらにステップアップしたかたちとして田舎暮らしを目指そうと考えている方は多いはずだ。我が人生を振り返ってみると、得たもの多し、また失ったものも少なからず。だがその収支を眺めると、かろうじて黒字、得たものの方が多いのである。自分の食べるものを自分の手で作る。日々の暮らしの中に花、光、輝く緑、そして収穫の喜びがあり、それらを土台として病気やウイルスに負けない身体がいつの間にか出来上がってゆく、心の健康にも寄与する・・・。ささやかなれど「黒字決算」という、その要因は、まぎれもなく土に触れて生きることにある。泥だらけの青春に始まって、いま「泥だらけの老年」というこの百姓は、そう確信するのである。
1月3日。僕はジャガイモを植える準備にとりかかっている。地方によって違いはあろうが、通常の植え付けは2月か3月だ。僕自身も今後は順次そうする。しかし、少しでも早く収穫したいと思い、一部の種イモをハウスの中に植えるのだ。ジャガイモは切ることによって発芽が促進されるといわれる。しかし、この1月植えでは切らない。しっかりと芽の出たものを選び、丸ごと植える。この上の写真は鶏糞に米ぬかをまぜたもの。連日の冷え込みで固形になっている。それを種イモを埋め込んだ畝間に並べておく。米ぬかは気温が上がると発酵し、熱を帯びる。小さな野菜の苗にはその発酵熱は害ともなるが、ジャガイモの場合は影響しない。むしろ、畝間で地温を上げてくれるメリットがある。家庭菜園をやっているみなさんも、少し収穫を早めたいと思うなら、小さなビニールトンネルを仕立てて試してみてはいかがだろうか。
毎年、ジャガイモを植えるたび思い出すエピソードがふたつある。ナチスの爆撃で食料不足となったイギリス。首相チャーチルは国民に呼びかけた。貴重な食料を少しでも無駄にしないため、ジャガイモは皮をむかずに調理しよう・・・。もうひとつはアイルランド。海に近い畑の土は砂地で痩せている。ジャガイモを埋め込んだ上から大きな海草をかぶせる。海草は保温の役目を果たし、やがてそれが融けて肥料になるからだという。へえ、面白い。その現場をちょっと見たくて僕はアイルランドに行ってみたいと思ったほどだ。
正月明け間もない頃、ベッドの中でNHKのラジオを聴いた。若くて有名な社会学者と劇作家の対談が耳に入ってきた。対談の終盤、コロナ禍による不如意な暮らしに話が及んだ。社会学者が言った。「ああ、これこそがまさに老後の暮らしなんだろうなあ・・・」。思うように外出できない。遊ぶことも、人と会うこともできない。じっと家にこもっている。社会学者はそれを老後の暮らしと表現したのだ。その言葉を聴いて、僕はハッとした。もちろん僕は実年齢で老後なのだが、ハッとしたわけは、それって、自分には当てはまらないぞ・・・コロナが自分の自由度を縛り、コロナのヤツめ、コンチキショーと思ったことは今まで皆無だったからだ。コロナ騒ぎ以後にも僕の生活は99%変化なし。あるとすれば、せいぜいマスクかな。荷物を出しにヤマト運輸に行く、ついでに買い物するためにスーパー、ホームセンターに行く。そして時々、マスクを忘れて店の入り口まで行って、マスク姿の人を見て、あっ、忘れたと、僕はマスクを取りに軽トラまで引き返すのだ。その時だけだ、コロナによる煩わしさを感じるのは。
この上の写真は今日の朝食だ。レタスが見えるからレタスの話を少し書いておこう。レタスは普通、春の初めと秋の初めに種をまく。水さえ切らさなければ発芽率はすこぶる良く、成長過程においてもアブラナ科野菜と違い(レタスはキク科)、害虫の被害はほとんどない。注意するのは高温と過湿だろう。1月という今、僕はビニールトンネルで栽培しているのだが、連日のマイナス気温で結球のスピードは遅い。家庭菜園を実践中の方はホームセンターから苗を買ってくるという場合が多いかもしれないが、発芽後の可愛らしい姿を見るのもひとつの楽しみだ。移植は3センチくらいになっていればOK。肥料はアルカリ質を好むのでカキ殻石灰などを施すといい。
さて、もう少し、先ほどの社会学者の「老後の暮らしみたい」にまつわる話をする。そもそも僕は在宅勤務である。そして日々がリモートワークならぬ「埋猛土ワーク」である。世間の状況がどう変わろうと、起きてから寝るまで、畑とボロ家にへばりついて働き、暮らす。通勤時間は徒歩2分。つまり、偶然にも、最近よく耳にする「ワーケーション」を30数年前から実行していることになる。むろん、風光明媚な箱根や軽井沢や伊豆には遠く及ばないけれど職住同一という生活、かつ、多忙な中にも周囲の風景を楽しむ心の余裕はある。この点ではワーケーションと言ってもよいだろう。荷物発送と買い物で、家から離れる時間は、週単位にして総計10時間弱だ。これぞ「巣ごもり」の見本ではあるまいか。社会学者が口にした「老後の暮らしみたい・・・」にハッとした理由はどうやらこのあたりにある。ずっと家にいるから老後の暮らし・・・40代からずっと家にいる僕の場合は、でも違うのである。
あのウイルスのせいで、電車に乗って職場に向かい、電車に乗って自宅に帰るという普通の生活が変わり、外出規制や在宅勤務を強いられたゆえの世間におけるストレスは僕の想像よりもはるか大きかったようだ。それを想うとオレはまだシアワセと言ってもいいのかな・・・天候から来るキビシサはかなり経験してきたけれど、この冬のキビシサは一級品である。(さっき書いた赤ギレ。今はついに、その痛みゆえに右手ではドレッシングのキャップが開けられない、ライターをカチャッとやることもできない)。畑の野菜だってかなり辛そうだ。それでも、コロナがもたらす不自由さには無縁でいられる、ささやかなこのシアワセに感謝すべきなのかも・・・。通勤電車と無縁になって30数年。そんな僕のたったひとつの残念は、電車に揺られながら新聞や本を読む、あの楽しみが消えてしまったことである。ゴトゴトというあの単純な振動音は、意外にも読むという動作に益するものだということを、脱サラ以後に僕は知ったのだ。
話はいきなり、ガラっと変わる。僕は最近、新聞で「推し活」という言葉を知った。妊活、就活、婚活・・・「活」という文字をくっつけた新語がたくさんあることは知っていたが、推し活に出会うのは初めてだった。僕がカツという語音を耳にしてすぐに思い出すのはメンチカツ。トンカツでもヒレカツでもなく、メンチにわざわざカツを足す、それには貧しい時代の響きがある。ストレートに肉が食えない若い時代、若者にはメンチカツが立派なごちそうだった。
その推し活、要するに、宝塚とか韓国ドラマとかアイドルとかにぞっこん惚れ込み、追っかけをするということらしいのだが、自分自身が推し活であるというあるライターは、「恋愛と同じで、ある日突然、足を取られる」、生活は推し活中心となり、「生活にメリハリがついた」、「人と自分を比べることがなくなった」、「あまり怒らなくもなりました」、そう述べていた。なるほど。人と自分を比べない、生活にメリハリをつける、そしてやたら怒らない、それを信条としている僕だから、そうか、推し活にはそういう利点もあるのか、いいじゃないかと感心しながらその新聞の記事を読んだのだった。
ただ、ちょっと違うところもあるかなあ、そうも思った。10代の頃から映画好きの僕は、映画そのものに、あるいは映画の主演俳優には何度もしびれた。俺たちに明日はない。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、「ドクトル・ジバゴ」、日本映画ならば「飢餓海峡」。しかし、その感動は古い記憶として今も心に残ってはいるものの、どこまでも追っかけて行く、そういうものではなかった。僕は、一瞬の電撃に打たれ、先のライターが言うように、「恋愛と同じで、ある日突然、足を取られる・・・」みたいなことはなかったのだ。僕の体質は「推し活」とはちょっと異なる、ゆるやかなものらしい。
ひとつの例がマラソン。24歳でランニングを始めた。フルマラソンが走れるようになるまでに6年かかった。3時間を切れるようになるまでそこからさらに4年かかった。ランニングを始めてからこの春で51年、もはや若い頃のスピードは夢のごとくではあるけれど、たぶん・・・ご臨終となるその日まで、僕は走るだろう、走り続けたい。家庭菜園を実践中のアナタが、もしランニングには無縁であるならば、ぜひ走ることを僕は勧めたい。それも、ただ一人で、林や森の中を走るのだ。大勢で走るのも悪くはないね。テレビによく出る皇居周回の賑わい。僕も会社員時代あそこで走っていた。毎日新聞社を右手に見るあたりから上り坂になって、ちょっとキツイんだよね。確かに大勢にまじって走る楽しさというのはある。だが、今日のテーマ「人生の幸福論」に沿って言うなら、人のシアワセは孤独、孤立、孤走の中で発酵する。どう言えばいいか・・・たぶん、人間には、周囲の風景を塗りつぶして白紙にしてしまう時間が必要なんだと思う。脳内にインプットする事柄を思い切って減らすのだ。そうすることで人は初めて自分と向き合うことができる。向き合うことで、ゆっくり、ジワジワ、幸福感が湧いてくる。さらに言い足すならば、ランニングという、空間を移動する行動の後では、じっと野菜たちと向き合う家庭菜園の時間が不思議と味わいを増す。言うならば、1日の始まりになすランニングは序曲であり、その後に弦や管楽器の空に漂うような美しい調べが奏でられるのだ。
1月4日。ビニールハウスにチンゲンサイを植えた。12月初め、こことは別のハウスに種をバラまきし、間引いた苗を移植したのだ。外気温は5度、対してこのハウス内は30度。ビニール1枚を隔てて夏と冬が隣り合わせる。晴天が続くと土が乾燥するので、数日に1回の頻度で水やりしながら育てる。2月半ばには、まあまあ食べられるサイズにはなるはずだ。チンゲンサイは、味噌汁、スープ、炒め物、どんな料理でも美味、かつ栄養価も高い野菜で季節的な栽培範囲も広い。
話を、孤独、孤立、孤走に戻す。これを推奨する我が持論に対し、世間に異論はもちろんあろう。たとえば・・・。
孤独は1日15本の喫煙以上に有害である。
昨年、暮れも押し詰まった頃、天声人語で僕はこの言葉を目にした。世界に先駆け「孤独担当相」を置いた英国での話で、孤独がもたらす国家の損失は4兆8千億円に達するという試算があるらしい。たしかに、自分を取り巻く外の世界との関わりをいっさいなくしてしまった時の無力感は、人間は社会的動物であるという言葉を持ち出すまでもなく想像がつく。しかし一方に、孤独は怖くない、むしろ、孤独であることによって人間は強くなり、自由にもなれる、そう述べる作家もいる。どちらの立場を取るか、人それぞれであってよいが、僕が推奨する孤独、孤立、孤走の暮らしとは、世界からの完全な断絶でなく、その背景には、ひとつだけ欠かせないものがある。自然の風景がそこに存在し、野菜や果物があり、人間の心がそれらとの関わりに大きく預けられているという条件だ。人間との接触がたとえ遮断されたとしても、モノ言わぬ自然との触れ合いが確保されている暮らしならば有益である、恐れることはない・・・僕はそう思っている。
家庭菜園に励む暮らしは、まさにそれを具体化したものだと僕は思う。自分の手でまいた種が土の下から顔を出す。暑さで苦しそうにしている日がある。寒さで辛そうにしている時もある。植物はそれでも懸命に生きようとする。家庭菜園家のアナタは、そこに少し力を貸す。根が浮き上がっていると思えばそっと土を寄せてやり、喉が渇いていそうだなと思えば水やりをする。くっつきすぎているなと思えば間引く・・・そして、僕がたいていそうであるように、間引いた苗をそのまま捨てるのは申し訳なく、無理してでも植え替える場所を作ってやろうとする。そして、収穫・実りの時まで、アナタはさまざまな野菜たちに向かい合う。「野菜は言葉を掛けてやると成長が進む」「作物は人の足音が聞こえるのを待っている」・・・やや文学的かという気もするこの言葉、それをそのまま受け入れるわけではないけれど、たとえ野菜たちに耳がなく、人間の言葉を理解する能力がないのだとしても、熱心な家庭菜園家のアナタはすでに、心の内側で野菜たちに話しかけ、いつしか会話の時を楽しんでいる。目の前の小松菜、エンドウ、レタス、キャベツが作る小さな風景以外は視界から消え去り、もしかしたら、近くを走っている救急車や消防車のサイレン音さえ聞こえない、その静まり返った時の中に心を浮遊させ、ふと意識を戻すと、柔らかな幸福感に自分が満たされていることに気づく・・・。
もうひとつ、孤独、孤立は怖くない、むしろ有益である・・・この論を補強してくれる言葉を同じく朝日新聞の「折々のことば」から僕は借用しよう。
この青山の街にこもっているけれど、山の中にひとりでいるのと同じなんです。それが心地よいので問題はありません。 川久保玲
このファッションデザイナーは、仕事に際し、社会や業界や流行などを気にかけないという。旅など別なことをすればプラスになるとも思わないのだという。なるほど、東京の真ん中の洒落た街に暮らしていても、孤独、孤立を貫くことができるのだ。山中での暮らしと同じ心情を保って生きてゆくことができるのだ。華やかなファッションとは違うけれど、家庭菜園家だってデザイナーだ。いつ、どの野菜の種をまき、どのような配置で苗を植えてゆくか、自分の菜園のデザイナーにはなれる。その技量が上昇するにつれて、デザインに幅と味わいが増し、新たなアイデアも湧いて来る。だんだんと野菜の味も収穫量も増えていくところで、今までになかった幸福感に間違いなく、「孤独なアナタ」は包まれるのだ。
少し回り道をしてしまったが、熱狂でも追っかけでもなく、僕の体質はみごとに平板、ゆるやかな「ロングラン」型である。マラソンだけでなく、田舎暮らしと百姓生活の現場においてもそれは言える。桃栗三年柿八年、柚子のバカめは十八年と古くから言われる。これは正確には、種をまいてからの年数らしく、すでに大きく育った、とりわけ接ぎ木の苗木を植えたなら実成りはもっと早い。ただし、十分な収穫量が得られるようになるにはやはり長い時間が必要なことは確かである。その長い時間をあせらず静かに待つ。いっときの熱狂とは遠く、淡々と眺め、観察し、剪定し、樹皮の表面のコケを削ったり、毛虫を握りつぶしたりしながら豊かな実りの時を待つ。果物ほどではなくとも、野菜にもロングランはある。10月に種をまいた春キャベツは収穫までに半年、玉ネギ、長ネギでも種まきからだとやはりそのくらいの時間がかかる。その長い時間に、焦ることなく、飽くことなく、コミットできる・・・。僕に限らず、家庭菜園家から、いずれは田舎暮らしへステップアップしたい、そう願う人にもこの「待つ精神」は必須の条件である。それだけじゃなく、待つ精神というのはすこぶるメンタルにも良い。これは僕自身の経験から言うのであって普遍化できるかどうかわからぬけれど、すぐ答えを欲しがる、小さなプロセスを省略したがる、思考を単純化するため出来合いの言葉をそこに当てはめる・・・こうした生活態度はメンタルの安定化とは逆行する。足が地についていないという表現が昔からあるが、手先も地についている必要がある。芋、豆、キャベツ、イチゴという物体にくっついていることによって、またしっかりと自分の手を汚すことによって、出来合いの言葉でもって構成される「観念の世界」が脆いものであることが分かってくるのだ。その具体的な場が、5年、10年と時を重ねていく家庭菜園という「孤独な作業」なのだ。
1月6日。かなりの雪景色となった。毎年一度か二度、畑が覆い尽くされるほどの雪は降るのだが、それはたいてい2月のことだ。年末からうんと冷え込み、正月早々のこの雪。百姓には手ごわい相手だ。いま僕の手には数えきれないほどの赤ギレがあり、耳にはかさぶたを持った霜焼けがある。それでも、大雪だから休み、なのではなく、今日みたいな日は、とりあえずハウスの中に入ってやれることをやる。例えばイチゴの枯れた葉をちぎり捨て、地面に顔をつけている授粉直後の花を持ち上げてやる。寒さに強いイチゴだが、それでも終わりの見えないこの連日の冷え込みは辛いことだろう。ここはハウスの中。そして、古いビニールを利用したマルチに植えてある。この方式で作れば2月の終わりには豊かな実りが期待できる。
この日、かなり激しい雪の中で焚火をした。僕はどんな悪天候の中でもじっとはしていられない。矛盾するようだが、体を動かすことで心が鎮まるのだ。秋に剪定して大量に地面を覆っている主にキウイの枝を丹念に拾い集めた。それがよく燃え上がったところで、1年半ほど前、友人デボンと、その友人白濱さんがチェーンソーで切ってくれた杉の丸太をおならが出るくらい力んで坂道を焚火の現場まで運び上げた。体を動かすことで心が鎮まる・・・さっきそう書いたが、この赤く燃え上がる火はさらに心を鎮めてくれる。火は無言だが、自分に甘く囁きかけているような、語りかけているような、そんな気がする。
昔、仕事の上でも関わりのあった解剖学者・養老孟司先生が、C.W.ニコル氏との対談で、火を起こすには経験とテクニックが必要なのだと述べていたことを思い出す。確かにそう。最初の田舎暮らしで初めて大掛かりな焚火をしてから40何年になるのだが、僕はだいぶコツをつかんできた。火は「友」を必要とすることも発見した。友と出会って、互いが接することで勢いよく燃え上がる。次の写真をごらんいただこう。太い木に半分くらい火が回っている。それ単独でも、そこそこに燃え続けてはくれるが、もっと火勢を強くしたい、早く燃え尽きさせたいと思うならば「友」が必要となる。友は小ないし中くらいの木が良い。それを太い木のそばにやると、太い木の熱ですぐに燃え始める。そして、燃え始めた小と中が発する炎が「大」に向かってススっと走り始める。すると「大」は火の勢いを増し、今度は大きくなった「大」の炎が先ほどの小と中とに向かって走る。まさしく、Aの火がBに向かって走り、Bの火もAに向かって走り、手をつなぐのだ。火は単独よりも、友がそばにいて、炎を交換し合い、連結し合うことによってさらに大きな火となるというわけだ。だから、焚火の大事な要領は、いつ、どこに新たな薪を足すか、ただ足すのではなく、どんな位置と形で組み合わせるか、それを考えるのが大切なポイントなのである。
炎を交換し、炎を連結させ、単独で燃えるよりもさらによく燃える、そんな「焚火においての友」という存在。雪の中で赤い炎を見つめながら、実際の人間生活にもこれは言えることかもしれないなあ・・・と僕はふと思った。「人のシアワセは、孤独、孤立、孤走の中から生まれる・・・」そう書いたばかりで、ちょっと矛盾するのだが、熱い火を交換し合う人間の友、それはひとりだけいればいい。多くの言葉を交わす必要も、気遣いや忖度する必要もない。言葉は少ないが、熱い炎だけは常にジワッと交換し合う。その合間には、チョロッと粋なジョークを交わして笑い合う、そんな友がひとりだけいたならば、きっと人生には弾みがつく。たとえ、さあ行け、走れと、枯れ枝で尻にムチを入れられ痛い思いをするようなことがあろうとも・・・「背中の友」はムチを入れながら言うのだ。さあ、行け、老いたるサラブレッドよ、ワタシを背負って荒野を駆け抜けろ。そこで僕は返すのだ。オレはサラブレッドなんかじゃない。75歳の駄馬だ。そう言ってから歌うのだ、ダバダバダァ♪、駄馬駄馬だぁ♪。なお激しくムチを入れながら、背中の友も、すぐに、この老齢駄馬ダに、唱和する。最後のコーナーを曲がった直線では、騎手と駄馬のハーモニーは高く、美しく、青い空に舞う、ダバ駄馬だぁ♪・・・もし、このジョークの意味がまるでわからないという若い方は、ユーチューブでフランス映画、「男と女」のテーマ曲、そう検索してみるとよい。
1月9日。僕は75歳の誕生日を迎えた。不思議な気分である。オレはもうそんな年寄りなのかという感じと、75年生きたわりにはあんまり成長していないなあ、そんな感じとが入り混じる。腰と背中が曲がった。身長が縮み、記憶力が衰えてきた。その一方で、ランニングも畑仕事も意欲は全く衰えない。重い物、高い所、冷たい場所にも気後れしない。これならあと10年は生きられるかな・・・毎夜、仕事を終えた後に晩酌しながらポジティブに考える自分がいる。
いま寝床の中で読み進めている『庭仕事の神髄』という本の中に、人間の記憶は時間においては曖昧で、場所に関しては鮮明である、という記述があった。確かにそうで、たとえ50年前のことでも、自分がいた、関わりのあった場所ははっきりと思い出すことができる。なのに、自分が辿った時の流れを具体的に思い出すことはもう出来ない。出来事を時系列に並べようとしても、たくさんの空白が出来てしまうのだ。
そんな75歳の僕に、見事に、ありありと思い出せる場所がある。結婚と同時に東京のアパートから移り住んだ、公団住宅の、そのベランダ、さらにはそのベランダの西側の一角である。まさしくそこは、僕にとっての家庭菜園の発祥地だったのだ。その場所から始まり、以後51年、文字通りの紆余曲折を辿り、僕はこうして現在の百姓になったのだ。
住んだのは201号室。すなわち二階の端の部屋。ベランダの端のひとつはお隣さんとの境で、互いの顔が見える程度の衝立で仕切られていた。僕が家庭菜園の場所としたのはその反対側で、2方向がコンクリートという位置だった。そこにまず台をこしらえた。低いままだと日当たりが良くないからだ。こしらえた台に木枠を打ち付け、コンクリートの高さと同じにした。そこに土を詰めたのだ。土がどのくらい重いものか、今ならすぐに計算できるが、当時はそんなことを考えてもみなかった。妻は洗濯物を干すのに邪魔だわ、それに何より、危ないわよ、そんなに土を運び込んだら・・・大いに不満を漏らしたが、僕の気持ちは変わらなかった。そして、種をまいたのである。小松菜、ピーマン、ホウレンソウ。スーパーから買って来た長芋の切れ端も埋め込んでみた。そこで、我ながら苦笑いするような出来事があった。せっかくまいたピーマンの種が判別できなかったのだ。ベランダ菜園といえども雑草は生えてくる。僕は発芽したばかりのピーマンをまだ見たことがなかった。だから、そこにある小さな緑が、自分がまいたピーマンなのか、ただの草なのか、判別できなかったのだ。発芽したばかりのピーマンは、二枚羽の風車みたいに両手を広げたような形をしているよね。百姓になって、毎年ピーマンの種をまくたび、このビギナーとしての「笑い草」を思い出すのだ。
アナタの家庭菜園、その始まりはいつだったか。その場所はどんなところだったか、広さはどのくらいか。僕の庭では梅の木が何本か、この連日の寒さの中で、もうだいぶ蕾をふくらませている。毎年いちばんに咲くのは「鹿児島紅」という濃い赤の花を咲かせる品種。他の梅の品種も順次それに続き、まだ梅は盛りという頃にプラムの花が後を追って咲く。そうなるといよいよ春である。冬が厳しければ厳しいほど、春の喜びは大きい。多くの家庭菜園家の心もそこで大いに浮き立つ。3月、ホームセンターの売り場には夏野菜の苗が並ぶ。苗はまだ小さい。そして3月は寒さの戻りもある。どうしようか・・・。マルチをしてやろう。ビニールに穴を開け、そこに苗を植える。マルチを張る前に鶏糞・牛糞の堆肥とカキ殻石灰を入れておくとよい。さらに、ビニールトンネルを掛けて、夕刻になったら大きめの段ボールを載せてやるだけでも防寒になって苗の根付きを良くする。
もし、苗はこれまではホームセンターで買うばかりだったという人は、この機会に苗づくりに挑戦してみてはどうか。種をまくのは光が強くなる2月下旬からOKだ。ナス、トマト、ピーマン、さらにトウモロコシ、カボチャ、インゲン、マクワウリなども試してみるといい。まずビニールポットに種を落とす。畳1枚ほどのトンネルを作る。水やりを簡単にするため、掛けたビニールは半分ほどすぐに開けられるようにしておく。そして、先ほど書いたと同じく、夕刻から翌朝までは防寒になるものを重ねる。最も効果的なのは毛布だ。裾の部分まできっちり防寒できるよう、毛布は2枚あると万全だ。自分で作った苗、それもまだかなり寒い中で作った苗には格別の感慨が伴う。
寝床で読み進めている本『庭仕事の神髄』。著者のスー・スチュアート・スミスは英国の精神科医。彼女はガーデン・デザイナーである夫とともに30年にわたって作り上げた庭園での実体験を軸に、ガーデニングの作業が、疲弊した、あるいは病んだ、人の心身の回復にいかに好ましい影響を与えるか、多くの文献を交えながら論考する著作で、全英ベストセラーになったという。僕は今回の最後にこの本から少し引用させていただき、あらためて、光あふれる庭に出て、野菜や果樹や花と向き合うガーデニングについて考えてみようと思う。
屋外で過ごす最も基本的な利点といえば、日の光に当たることだ。光が栄養の一つだと私たちは忘れがちだ。私たちの体は皮膚の表面で太陽光線を受けてビタミンDを生成し、太陽光線の中の青色光は睡眠と覚醒のサイクルを決定し、脳内でのセロトニンの製造量を規制する。セロトニンは幸福感の背景にあって、気分を制御し、共感を促進させる(中略)。私たちは構造的にセロトニンの減少に弱い。その解決策として古代の先祖たちは、豊富な太陽光線、運動、土との接触を通じて、セロトニンのレベルを上げていたのだ。
僕は真夏、畑の上が50度になるような暑さでも、帽子をかぶったり、首にタオルを巻いたりして光を遮ろうとはしない。それのみか、上半身は裸で畑仕事をする。あえて太陽に全身をさらすのだ。先ほど登場した、さあ行け、走れの「背中の友」は、出会いから間もなく、僕をずっと原始人と呼んでいる。着る物はいつもボロ。危険、キツイ、汚いの3Kをちっとも厭わない・・・そんなところからの命名であろうとずっと思ってはいたのだが、この本の引用部分をいま目にすると、なるほどそうかと考え直すのだ。「光が栄養の一つ」だと、僕はどうやら直観的に理解していたようだ。同時に、豊富な太陽光線、運動、土との接触を通じてセロトニンのレベルを上げていた「古代の先祖」と同じ行動をこれまでずっと取って来たのだ。友による原始人という命名は、よって、当たらずとも遠からずであった。
人々が紫外線を怖がるようになったのはいつ頃からだろう。お肌の敵と言い始めたのはいつだったのだろう。島で生まれた僕は、学校の夏休み40日間は毎日海で泳いでいた。もしかしたらその幼少期の体験が基礎になっているか、太陽光線は遮るものじゃなく、進んで受けるものだとの意識が今も強くある。裸で畑仕事をする僕の顔や背中は真っ黒になるが、でも・・・世間で気にするシミは僕の顔にはほとんど出来ない。そして、骨が頑丈なことも自慢していいように思う。長くランニングを続けてきた、それに加え、太陽光線に当たることでビタミンDが生成される、骨を強くする、この相乗効果があるのではないか。テレビや新聞には肩、腰、膝の痛みに効く、痛みを感じずに歩くことが出来ます、そんなうたい文句でのサプリメントがよく目につくが、僕には全く無用のものだ。だから思う。家庭菜園で、収穫の楽しみとともに、紫外線を過度に恐れたりせず、どんどんお日様に当たろうではないか。たとえ少々のシミが出来たとしても、いいじゃないの、そんなもの・・・。人間、シミはないが骨は弱い。骨は強いがシミはある。どっちの人生を選ぶのが賢明か・・・明白じゃあないですか。原始人はそうつぶやくのである。
運動には、セロトニンと同様にエンドルフィンやドーパミンといった神経伝達物質の量を増やすことによって気分を高揚させる効果がある(中略)。受動から能動へと転換するという性質から、ガーデニングは根本的に力を与えるものになる。スタンフォード大学の神経科学教授ロバート・サポルスキーは霊長類のストレスを研究し、何らかの形の物理的な排出がなければ、ストレスの効果は有害な状態で吸収されやすいことを突き止めた。ほとんどの運動でストレスを和らげることができるが、楽しければ楽しいほど、集中してやればやるほど、効果は強く表れる。屋外での運動はさらに良い。「緑の運動」としばしば呼ばれているが、これはストレスのレベルを下げ、気分や自己評価を向上させるのにジムに行くよりも有効だということがすでにわかっている。庭は人を動かす。トレーニングマシンに乗っている時間を計る人は多いが、庭にいる時間を計る人はいない。これは運動の時間ではなく、ガーデニングタイムなのである。
もはやこの引用文に付け足すことはあるまい。ガーデニングや畑仕事に励めば、フィジカルな運動効果が得られるだけではなく、メンタルの安定も得られる。そして、自分の手で作った野菜や果物を、格別な親愛を抱きつつ口に含み、家庭菜園家のアナタも、百姓の僕も、多くの栄養成分を得ることが出来るのだ・・・健康の三本柱がガッチリそこにある。
1月14日。湿度19%、瞬間最大風速20メートル。なんともすさまじいカラカラの北風のなか、ダイズの実取りをした。冬の初めに収穫し、大きな箱や袋に詰めておいたダイズ。それを倉庫から取り出し、莢を押しつぶし、揉み、指先で仕分けていく作業は手間で時間もかかる。それでも、ダイズのモヤシの美味に魅了された僕は、その苦労がどうということもない。ひとつ前の写真が、5日間、モヤシ製造機にかけておいてものだ(興味のある方はネットで調べてみるとよい。5000円くらいで売られている)。夏、エダマメを作るという家庭菜園家は多いだろう。今年はそれにダイズ品種を足してみてはどうか。エダマメの賞味期限は短いが、ダイズは長く保存ができ、しかも様々な調理法がある。人間の健康に良いだけでなく、ダイズの根っ子は土中の窒素を固定する作用もあり、ダイズの後に葉物野菜を植えると効果的でもある。僕は強くレコメンドする。
※今回「野菜だより」は本文記述をもって代用し、お休みとさせていただく。寒さの峠はもう目の前だ。皆さんも、しっかり食べて、菜園に出て、春のシーズンに向けての天地返しに大いに励んでおくとよい。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/
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