中村顕治
今回は、生きる喜び、生きる悲しみ。いささか哲学的なテーマだが、抽象、曖昧ではなく、具体的、即物的に書こうと思っている。人生にはさまざまな喜びがあり、悲しみがある。「たったひと塗りしただけでシミが消え、つやつやのお肌になりました・・・」、「わずか1か月で体重が10キロも減り、ウエストがこんなにくびれました・・・」。これらは間違いなく生きる喜び。他方、すでに旧聞となりつつあるが、母の入信を契機として家庭生活が崩壊、その苦しみとうっぷんを自作の銃を使用して晴らした男の行動は明らかな、生きる悲しみであろう。
当然ながら、人生は喜びばかりでなく、悲しみばかりでもない。喜びの後に悲しみの時が不意に訪れ、悲しみに暮れていると、でもどうにか耐えていたりすると、ヒョッコリと喜びの時がやって来る。それが人生というものだ。前に音楽に関連付けて書いたが、我が精神は上下動、すなわち喜びと悲しみの振幅域が人と比べると狭いかなという気がしている。派手な音、速いテンポ。そういった音楽にちっとも気分が乗らないのだ。その一方で、悲しみに深く落ち込む、制御不能となる、そういったことも僕にはない。ネガティブな事柄が生じると、半日か1日か、たしかに心に引っかかってはいる。しかし、いつまでも引っ張らない。翌日か翌々日かには消えている。これもたぶん「振幅域」が狭いことによるもので、ビートのきいた音楽にノリノリでハイテンションとはならない、その一方で、ウツにならない、便秘にならない、胃腸薬を服用したことがない・・・という効用は「振幅域」の狭さがもたらす利便ではあるまいかという気が、今はしている。
7月29日。ずっと続いていた酷暑はいったん影をひそめ、台風の影響で昨日からやや雲が多くなっている。ただし蒸し暑さは強烈だ。そして、午後には再び強い光が戻ってきた。サツマイモのツル返しをやっている。同時に、マルチの下から手を入れて、Lサイズに育ったものをそっとそっと引き出している。暑さのせいであろうか、例年よりも肥大するのが早い。午後1時過ぎ、畑の上はついに50度を超えた。自分の体に当たる光がより強烈に感じられるのは、太陽が真上よりも西の方に傾きかける時刻だ。側面からの光のほうが体表面に多く当たるからだろう。しかし、体の動きに支障はないから水分補給をやりながら作業は続ける。田舎暮らし、百姓暮らし、それは、自ら「負荷をかけて」生きることだとの思いが僕にはある。死んでもおかしくないこの暑さの中で働くことは、もしかしたら世間からは「生きる悲しみ」と受け取られるかもしれない。しかし、その悲しみは必ず後からやってくる喜びが埋め合わせしてくれる。午後8時近く、風呂から出て夕食。ふだん缶ビールは1本だけだが、今夜は2本飲んだ。絶品である。これも、大量の汗を流した結果に得られる生きる喜びである。
7月30日。今朝は不意に、ランニングでなく自転車を走らせる気になった。ゴルフ場をぐるっと回る8キロのコースに向かった。村人はみな、初めに出来たのがゴルフ場なのでゴルフ場と呼んでいるが、現在は温泉浴場あり、犬と一緒に泊まって食事もできるホテルありの複合施設である。自転車を走らせながら、途中の工事現場でああこれかと僕は思った。先日、うちに来るクロネコのドライバーが、中村さん、今度は高級マンションだぜと教えてくれた。我が畑くらいの面積に、半分ほど出来上がった瀟洒な建物が見える。入居対象者となるのは、都会の裕福な現役引退の高齢者だという。僕はゴルフに無知なのでピンとこないが、ゴルフ場も庶民には手の出ない高額なプレー料金らしい。すなわち、35年前、僕が移り住んだ頃には大根とピーナツとナスで埋まっていた土地が、今では原宿か軽井沢かと思えるようなリゾート地に変身したのである。
サイクリングから帰宅して、久しぶりに屋上庭園に朝食をセットした。先ほど書いたゴルフ場のグリーンの尻尾の部分が、この屋上庭園から200メール足らずの距離にある。木々に隠れているのでゴルファーの姿はよく見えないが、男女の歓声は風に乗ってこちらまで届く。珈琲カップを口に運びながら、僕はふと思う。高級ホテルに泊まり、ゴルフをし、温泉に浸かってからディナーを楽しむ。そんな彼らのすぐそばに、ブルーシートと草の生えた土嚢で覆われた家に住む男がいる。50度の畑で日々働かねば食えない男がいる。なるほど格差社会だよなあ・・・。でも、ゴルフにまるで興味のないゆえでもあるか、それが豊かだとは感じられない。自分をひどく貧しいとも思わない。ゴルフクラブを振る代わりに、僕は鍬やスコップを振る。キャディーはおらず、道具のすべては自分で運ぶ。高い位置になっているプラムやアケビの実を長い棒でうまく叩き落せた時、ナイスショットと胸のうちでつぶやき、近くにもしガールフレンド「フネ」がいたらハイタッチして喜ぶ。200メートルの距離を置いて、まことにうまく、貧富の民がここには共存しているようなのである。
またまた暑さはすごい1日となりそうだが、そろそろ畑に出ようと思い、珈琲カップの底の残りを口に含みかけたところで昨夜見たテレビのことを思い出した。テレビをつけて、まず見たいと思ったのは「山一證券その後」だった。社員は悪くありません・・・大粒の涙をこぼしながら当時の社長が言ったシーンは、株や投資に無縁な僕にも強く印象に残っている。その山一證券の破綻時、新規入社したばかりの人がいた。つまり、念願かなって就職したばかりの会社が目の前で潰れてしまった。その驚きと悲しみをテレビは伝えていた。そして、思いがけずも、その後すぐ続けて映し出された「街頭ピアノ」が僕にしっとりとした感慨をもたらしたのだった。駅に設置されたピアノを自由に弾くことができる。登場した何人ものピアニストはみな4歳5歳くらいから教育を受けている。その指先の動きの速さと躍動感は、人参や大根の間引きをかなりのスピードと正確さでこなす僕よりもはるかに上だった。
多くの若い人は速いリズムのジャズやポップスを演奏したが、最後に登場した男性はいきなり違った雰囲気だった。結婚はせず、ずっと独り身。60歳を過ぎてから電子ピアノを購入。ピアノの音色が心にしみると言う。昭和の歌謡曲を弾く。駅ピアノでこの男性が弾いたのは1986年のテレサ・テン「時の流れに身をまかせ」だった。それまでの若い男女の指の動きにはかなわなかったが、僕の胸にはグっときた。男性は30年以上、物流倉庫に勤務した。定年後の今もアルバイトで通っている。週に4日、仕分け作業を間違えないように気を配る日々だという。僕は勝手に思った。生きる悲しみをベースとした暮らしの中で、この人はちゃんと生きる喜びを見つけている。たぶん、誰を羨むことも恨むこともなく、自分の自由時間には電子ピアノに向き合う。それで十分に幸せなのだろうと・・・。
補足しておく。この上の写真は完熟を通り越し、破裂してしまったマクワウリである。こんなさまゆえ売り物にはならないが、味は極上である。
7月31日。ふだんより1時間早く起床し、手早くランニングと朝食をすませる。今日は地区の清掃日なのだ。あれ、今日は女性の姿が見えないな。そう思っていると、組長さんが冷えた麦茶を配りながら、言った。この暑さだから男だけにしたの・・・。清掃作業を終えてうちに戻り、畑に出る。草取りに励む。夜のニュースで知ったのだが、関東はどこも最高温度を更新したのだという。たしかにすごい。ランチで部屋に戻ったが、外にいるよりも息苦しい。三方を開放してある居間の温度が34度なのだ。こりゃたまらん。ささやかな涼を求めて向かったのは茶室の二階。風通しは部屋の中よりいくらかマシだ。パンツ一丁でしばし休息した。
そして・・・畑に出る意欲がやや失せた。さりとて、じっとしているわけにはいかない。そうだ、あれをやろう。思いついたのは大きなパレットの分解だ。ソーラーパネルの中でも特大の400ワットというのを買った時、すごく大きく頑丈なパレットで固定されて届いた。それに脚を取り付け、以後、物置台として使っていたのだが、5月頃に腐食のためか、倒壊した。通行の邪魔にもなっていた。ハンマー、バール、ペンチを使い分解にとりかかった。抜き取る釘は200本くらい。暑さを忘れ、僕の気分はだんだん熱を帯びてきた。そして・・・ふと思いついたのだった。分解した材木でイチゴを植えるプランターを作ろうと。茶室の二階の南側にそれを取り付けたらよさそうだ。こうなると僕は時を忘れる。暑さも忘れる。モノを作る。ハンマーとノコギリを手にして工作にとりかかる・・・心が浮く。精神の解放がある。人生の喜びとは、野菜を作り、果物を作り、プランターを作り、茶室という名の小屋を作ることにある・・・僕の場合には。
午後7時。作業を終えて、まだなんとか見えるので、ストレッチしながら読売の朝刊を軽トラのフロントガラスに押し付けて読む。そこに、老年医学・精神科医、和田秀樹氏の新刊が2冊広告されている。『70歳の正解』、『80歳の壁』。『70歳の正解』には「一気に老け込む人、いつまでも若々しい人。分岐点は70歳。脳が老化しない習慣とは?」というキャッチコピーがある。そして、収録のテーマが羅列されている。そこで僕が目を留めた項目はこの3つ。「2週間引きこもると7年分筋肉量が落ちる」、「ひとつの出来事から、全体を悲観してはいけない」、「感情を老化させなければ、人は長生きする」であった。ああ、わかる気がする・・・もし僕が2週間ランニングも畑仕事もしなかったら、たぶんもう元の体には戻らないだろう。ひとつの出来事から全体を悲観してはいけない・・・これは、今回テーマの冒頭に書いた、人生は喜びと悲しみの繰り返し、ほどよいブレンドだというのにたぶん重なる。そして言えること。ひとつの悲しい出来事を拡張して悲しみを肥大させる、人生全体を悲観する、それは損得勘定だけで言っても全く得策ではない。最後の、感情を老化させなければ・・・は、今日みたいなアドリブでの工作をした後だから、僕は余計に頷く。老人でも頭の老化防止のためにゲームをやる人がいると聞く。僕は若い頃からゲームは全くやったことがない。即興でのプランター作り、テラス作り、そういったものが僕にとってのゲームであり、感情の老化防止策でもある。もって、75歳7か月の僕があと何年生きるのかは不明であるが、活動能力はあとまだ数年は今と変わらないだろうという気がしている。
8月1日。テレビのニュースが「命に関わる危険な暑さです・・・」と言っている。まさしくそうだなと、畑仕事をしながら思う。このところ、湿度計は80ないし90%を示している。人間を苦しめるのはこの高い湿度だろう。でも、なんとか僕の体は動いてくれている。草を抜くのも、スコップを使うのも、ほぼ自分の意思通りに動いてくれる。ただ、移動の時の足の運びだけがままならない。通路が狭く、傾斜もあり、凸凹でもあるせいだろうが、何かが足に絡む、よろけそうになる。
夢を見た。愛犬・喜八の夢。今から35年くらい前。会社の同僚だった女性から「中村さん、子犬いりませんか」と連絡が来た。彼女の知人宅で数匹生まれ、飼い主を探しているらしい。はるばる中央線の国分寺駅まで出向いた。それが喜八。シェパードの雄。僕の毎朝のランニングのパートナーになった。それから5年、僕は離婚した。大学生だった息子も娘も家を出た。独り暮らしが始まった。百姓として生きるという僕の願いはまだまだ不安定ではあったが、お客さんの数も少しずつ増え、脱サラ当初よりはやるべきことがかなり多くなった時期だった。洗濯、掃除、ゴミ出し、食事の支度・・・これまですべてを妻に頼っていた男が本業と同時にそれをなさねばならない。しかし、もっと大きな負荷は精神のうつろさであったろうか。目前の仕事に追われているが、心にはやはり空洞ができた。
まだ40代半ばだったから仕事はこなせる。だが、胸の内では常に灰色の空気が渦巻いていた。そんなある日、畑仕事をしている僕のそばによろける足で喜八がやって来た。どうやら偶然に、首輪から抜けたらしい。喜八は体調を悪くしていた。だいぶ痩せていた。それで首輪から頭が抜けたのだ。僕は片手でその背中をなでながら、切ない思いで仕事を続けた。
喜八が死んで28年になる。これまで思い出すことはほとんどなかった。なのに、昨夜のように夢に出てくることがここ1年か2年、何度かあった。見る夢の中で、僕は必ずすまなかったと喜八に詫びている。動物でも、たぶん家庭が大きく変化したことはわかるだろう。と同時に、畑仕事に合わせて家事いっさいをやらねばならなくなった僕は喜八との接触時間が短くなっていた。僕以上に寂しさを感じていたかもしれない。喜八、すまなかった・・・家庭を失ったこと、以前のようにたっぷりと、明るい顔しておまえの背中を撫でてやることが少なくなっていたこと。悲しかっただろうなあ・・・。長い歳月、ほとんど思い出すこともなかったのに、どうしてここ1年か2年、我が夢の中に喜八が出てくるのだろうか。ふと思った。オレは精神の終活をしているのかもしれない。身体はまだ数年ちゃんと動くはずだという自信がある。しかし一方、精神は確実に老いている。日中、汗にまみれて働いている時間には精神の老いも遠くにある。意識しない。しかし、夜の眠りについた時、脳の奥の方でしきりと過去を振り返る動き、それが夢という形になって生じるらしい。喜八には楽しい生活の中で命を終えさせてやりたかった。衰弱した体、心の寂しさと悲しさ・・・よろける足で僕のそばにやって来たあの日の喜八を思い出すと、少し涙が出る。
僕は柿の次に好きな果物はイチジクである。しかし今年のイチジクは不良である。イチジクの根は浅く、雨不足と乾きに弱いと言われる。今年の猛暑はせっかくの実を肥大させず、果皮には艶もない。早く猛暑が去ってくれ。僕は祈っている。
8月2日。今日もテレビのニュースは連呼している。命に関わる危険な暑さです。不要不急の外出は控えましょう。こまめに水分を補給しましょう。エアコンは遠慮せず使いましょう・・・・。面白いのは、そんな注意喚起のニュースのバックに流れている映像は皇居の周りをいつものように走っているランナーたちの姿だ。ゆっくりランということでもあるだろうが、ランナーが練習中に熱中症で倒れたという話を僕はほとんど聞いたことがない。会社員だった時代、昼休みは上野の池之端周回を定番としていたが、真夏でも僕は長ズボンに長袖シャツだった。短パンはレースの時だけ・・・皇居を回るランナーをテレビで見ながら思った。人間の身体は暑さに対してはかなり順応性が高いのだと。
朝のランニングを終え、さて食うぞ、さて飲むぞ(熱い珈琲を)。そして今日もガッチリ働くぞ。すでに室温は30度に近い。で、この暑さで、ウナギたちはどんな気分なのだろうか。珈琲カップを口に当てながら、少しばかり僕は水槽の温度を案ずる。ミミズはさっき与えた。暑くて雨が少ないから、ふだんだとすぐ見つかるミミズを確保するのにちょっと時間がかかる。今朝は15匹くらいのミミズを投げ込んだらすぐに飛びついてきた。食欲はあるようだ。ただ水温が気になる。ちょっと朝食の手を休め、井戸水をバケツに汲んで水槽に入れてやった。そして思った。朝の珈琲を飲みながらウナギの遊泳を眺めている男の・・・これは「生きる喜び」のひとつかも・・・そう言えば大げさに聞こえるだろうかと。でもやっぱり思うのだ。人生の喜びとは、浜の真砂みたいなものじゃないかと。「濱の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」。石川五右衛門の辞世の句として知られているが、それを借用して言うならば、我ら凡人の生きる喜びは海岸の砂粒みたいにどれも小さい。ただし、小さくとも、いっぱいあればいいんじゃないかと。朝食の席でのこのウナギとの語らいは、僕にとって、浜の真砂ほどに小粒だろう。でも必要、大切なもののような気がするのである。
朝食をすませて畑に向かう。明後日は雨との予報に期待していたが、どうやら降ってもまとまった雨とはならないようだ。ならばやるか。30メートルのホースをあれこれの障害物を苦労しながらよけて引っ張り、ナス、キュウリ、ピーマン、ゴーヤに潅水する。どうしても届かない位置にある人参にはバケツの水を運ぶ。光を遮るもののない場所では、草さえもが息絶え絶えというありさまだ。そして午後から荷造りだ。今日から8月分のふるさと納税の品の出荷。ピーマン、ナス、キュウリは収穫して大きな桶の水に浮かべておく。そして、トマトを取る、ブルーベリーを取る、カボチャを取る、サツマイモとジャガイモを掘る。どの作物も、ただ収穫するのではなく、その現場で必ず草を抜く。土寄せもしてやる。そして最後は箱詰め。手紙を書いて、ガムテープで留めて、荷造り完了は午後4時50分だった。
今朝の新聞は、最低賃金が31円上げ、これは過去最高額なのだと伝えている。現在は、東京が1041円、我が千葉は953円、最も低い高知と沖縄で820円。今後はこれにそれぞれ31円がプラスされるというわけだ。テレビを見ていたら、大学生らしい女性が、4時間のバイトで124円。まあジュース1本買えるかなと微苦笑していた。一方、従業員170名を抱えているスーパーの社長は31円でも総額としては大きいなあ・・・そう困惑の表情を見せていた。
で、僕の場合はどうなのか。野菜、卵、果物の1箱の売値が4500円。うち1500円が送料なので手取りは3000円。労働時間は、荷造りそのものに3時間、畑の管理に毎日5時間。3000円を8で割ると時給は350円となる。いくらなんでも、そりゃ悲しすぎる数字だ・・・驚く人もいるだろうな。確かにこの数字だけで考えるとそうだ。でも、自分で食べている卵、野菜、果物をスーパーでの値段で計算すると800円くらいになるだろうから、これを勘案すると時給は100円プラスで450円になる。でも、世間相場に当てはめるとまだまだ低い・・・。ふむ。低い時給はやはり「生きる悲しみ」なのであろうか。違うと思う。我が人生においてちゃんとペイしているような気がする。種をまく。苗を植える。さまざまな障害が待ち受けている。高温少雨、低温多雨。強風、虫害、鳥害。それらに対抗するため、潅水ホースを引っ張り、防鳥ネットを張り、ビニールを掛ける。逡巡せず、なすべきことにただ没頭する。必然、体力を使う。作業の途中では余計なことは考えない。どうやらこれがいい。暑さ、寒さへの耐性が出来上がる。何よりも、我が防御態勢が功を奏し、実りの時を迎えた時の「やったぜ感」が健やかな精神に役立つ。かくして僕は、世間の人がカネを出して求めるレジャーみたいなものを全く必要としない。ハードではあっても日々の農作業がレジャーの役を果たしているらしい。そして医療費。市役所から送られてくる健康保険証は毎年、一度も使うことなく更新される。これらを勘案したならば・・・僕の時給は、もしかしたら世間並、1000円くらいにはなるのではないか。十分に納得できる額なのである。
まだ冬だった頃、室内で電気カーペットを使って苗を育てていた頃、カボチャは200個くらいの収穫を目標としていると書いた。目標到達となるかどうかはもう少し先にならないとわからないが、いい線いくのではないかと思う。目下、カボチャが占めている面積は数か所でトータル200坪くらい。その周囲にあるナス、ピーマン、人参、大豆にかぶさらないよう、どんどん伸びるツルの先端を毎日、右に左にと方向を変え、方向転換がどうしても無理な場所はカボチャの葉を何枚かちぎる。それでなんとか他の野菜と共存させようと苦労する。ゲームのような面白さがそこにある。
8月3日。本日も晴天なり。溶けてしまいそうな暑さである。今日は畑仕事にかる前、しばらく別な作業をやっておこう。昨日NHKから電話があった。この、田舎暮らしの本WEB版を読んでくれているらしい。そして、近くSDGsの番組企画があって、それに協力してほしいとの電話だった。その前に現場を拝見したい。明後日はいかがでしょうか・・・電話の主は言う。何度も草刈りはやったが、またしてもソーラーパネルは草に囲まれている。バッテリーやインバーターのある場所は仕事の道具や収穫した野菜、そしてゴミなどで埋まっている。下見とはいえ、このままではいかんだろうな。そのクリーン作業に半日を費やしたのである。気温36度。汗が湧く。途切れることなく、すさまじく湧く。地面に流れ落ちる。そして思う。この汗一粒が100円玉ならばいいなあ。いや、欲を出さず10円玉でもいい。10円玉でも1日のうちには何千円分も貯まる。
次の写真は生後5か月目のチャボたちだ。僕が荷造りを終える時刻、所定の寝床に帰ってくる。みんな息が荒い。口を開いたままで、せわしなく呼吸している。全身毛で覆われている体は人間よりずっと暑さがこたえるに違いない。
仕事を終えたのは7時15分。この時刻、外よりも部屋の中の方がキツイ。三方が開けてあるのに、昼間の熱気が滞留したままだ。どうにもならん。熱い風呂が好きな僕だが、今日は湯と水の中間くらいの風呂に浸かった。そして夕食。ミニトマト、豚肉とカボチャの煮物、ナスのかき揚げ、サバの味噌煮でビールを飲む。ふだんの僕は350ミリリットル1本ですませるが、ここ数日は2本飲んでいる。日中、仕事の合間に飲む飲料もかなりだ。それでいながら、夜間から翌朝にかけての尿量は秋から冬にかけての5分の1くらいしか出ない。みんな汗になる。
毎日食べるごはんがおいしすぎるのは。体にも気持ちにも、毒だという気がします。高山なおみ
夕食しながら思い出したのが、この「折々のことば」だった。ごはんがおいしすぎるのは、毒? さてどういう意味なのだろう。鷲田清一氏の解説を読んだ。
「お腹を減らしてから食べるのが、なんでも、いちばんおいしい」と、外で働く母親から教わったと料理家は言う。ご馳走ばかり続くと、味わいからときめきが失せてくる。欠けと満ち、乾きと潤い、渇きと充足、凹みと膨らみ、不安と安堵。これらの交替が「生」だとすれば、「毒」とは、生きている感じがしないということなのであろう。レシピ集『料理=高山なおみ』から。
そうか、これは、料理そのものの話であるとともに、人が生きるということの本質にも重なることなのだな。外食いっさいせずという今の僕にはハレの日のご馳走みたいなものが全くない。土用の丑の日だからウナギを食べに行こう・・・そんなことは遠い話になった。日々、トコトン体を動かし、空腹となり、食材こそ豊富だが、見かけと味付けはイマイチの手料理でその空腹を満たしている。汗バンバンの渇きを晩酌のビールで潤わせている。そんな僕だが、生きている感じがしない=「毒」とは縁がない。生きているという実感は豊かにある。おそらく、田舎暮らし、百姓暮らしというのは、僕に限らずどんな人にも、自分は生きているという感覚を、汗や、手足の疲労感、暑さ寒さから教えてくれるものなのだろう。
欠けと満ち。渇きと充足。凹みと膨らみ。不安と安堵。天候に大きく影響される百姓仕事は、まさしくこれらが交互、連続して訪れる暮らしだ。今回のテーマに即して言うなら、「喜び」と「悲しみ」がほぼ同量混ぜ合わされた生活だ。大事なのは、自分の視線を長く向けるのはどっちかということではないかと思う。昨今ウツ症状に悩む人は多くなっていると聞く。僕の思うところ、欠け、渇き、凹み、不安、それらに向き合う時間が長すぎるからではないか。もちろん僕も時にそれと向き合い、心を曇らせる。しかし、ほどほどのところで切り上げる。良い意味でのチャランポランが僕の心の内にはあるのだ。同時に、これは長い経験から学習して得たことでもあるのだ。止まない雨はないと昔から言う。止まない風はないとも言われる。僕が田舎暮らし、百姓暮らしから学び取ったのはまさしくそれだった。凹んでしまったがまた膨らむチャンスはあるさ。ずっと欠けているはずはない、いつか必ず満ちてくるさ。そう考えるようになった。もちろん手放しでそう思うわけではない。なすべき事をなす。最善を尽くす。そのうえで次に期待する。ネガティブな事柄に向ける視線はなるべく短くすませるのだ。ウツに関してもうひとつ。その寛解に必要だと僕が思うのは、手や足、時には全身を使って何かモノを作ることだ。極端な言い方になるが、精神はほったらかし、どこかに投げ捨てる。そして、目前の取り組むべきモノに手足の動きを投入する。苦心惨憺の場面は多いほどいい。気が付くと、欠けと凹みと不安はもう姿を隠している。田舎暮らし、百姓暮らしにはこの条件が整っている。止まない雨も止まない風もない・・・そう思えるようになることがウツ(悲しみの連鎖)における最良の薬である・・・と僕は思う。
それにしても・・・この上の写真はブロッコリーとカリフラワーの憐れな姿である。収穫皆無なんて初めての経験だ。冷涼な天候を好むブロッコリーとカリフラワーには連日の35度は地獄のような苦しみであったろう。途中まではなんとか回復させたいと夕刻、水やりをしていたが、ついに僕は戦意喪失、リングに向かってタオルを投げたのだった。
8月4日。午前6時。激しい雨音とカミナリで目が覚めた。東北地方での大雨のニュースを聴いてから昨夜は眠ったのだが、それがいきなりこっちにもやって来たのか、そんな気がした。珍しく朝のランニングはなし。雨だけなら行くが、カミナリは怖い。では明日の来客のため、朝の運動を兼ねて玄関と部屋の掃除をしようか。玄関はバケツで運んだ水を壁までぶちまけ、デッキブラシと雑巾でこする。掃除は苦手だが、たまの来客はそのモチベーションとなり、やはりきれいになった後は気分もいいので頑張ってやる。そろそろランチという頃、いったん雨は上がり、カミナリも遠ざかった。では行くか。草取りである。しかし今日の草取りは畑ではない。明日の客人の目的は太陽光発電のチェックだ。しかし現状は、ソーラーパネルは草に囲まれ、バッテリーとインバーターのある場所はホコリが積もり、仕事で出るゴミに囲まれている。それなりにきれいにしておかねば。2時間ほどそれをやった頃、またもや雨とカミナリ。なんだい、また戻ってきやがった・・・でも午前中ほど強くはないので作業を続行した。
ポットまきの芽キャベツとカリフラワーを分割する作業を最後にやって、午後7時、やるべきことを全部やり終えた。体は泥水まみれだ。昨日はぬるい風呂に入ったが、今日はいつも通りの暑い風呂に浸かる。そして湯舟で読売の朝刊を開く。「一生懸命生きなくてもいい」「生きるか死ぬか以外は大したことではない」、そんなリードのついた本の広告に僕の目が行く。そして、穏やかに生きるためのヒントとして、いくつかの項目が並べられているのを読む。
生きる意味なんて見つけなくていい。
自分を大切にすることをやめる。
こじれた人間関係は、愛情や努力では変わらない。
「生きがい」や「やりがい」はつくらなくていい。
「置かれた場所」で咲けなくていい。
人脈も友だちも要らない。
苦しい嫉妬は錯覚が生んだ感情にすぎない。
昨今、出版される本にひとつの流れ、共通項があるような気が、僕はしている。それは世間への「やさしさ」である。無理はしなくていいのです、あなたはあなたのまま、そのままで生きていいのです。そんなやさしさで読者に呼びかけている。運動やスポーツ関係の記事や本にもこれは言える。1日たった5分の〇〇〇で痩せられる、ウエストがくびれる、若さが取り戻せる・・・。あまりハードルを高く設定しては本を買ってもらえない。そんな理由もあるだろうとは思うが、やさしすぎるというのはどうなのかなあという疑念が僕にはある。先ほどの「穏やかに生きるためのヒント」で言うと、生きる意味なんて見つけなくていいのか。たしかに「意味」はなくてもいいが、生まれてきたものは虫でも鳥でも懸命に暮らしている。人間もそうだと思う。意味ではなく、生きることは「定め」である。産んでくれと頼んだわけじゃない。世の中にはそんな開き直りもあるが、オケラもミミズも人間も、その土台は命の連鎖であろう。生まれたからには死ぬまで生き続けるのがいい。
自分を大切にすることをやめる・・・。やめない方がいいと僕は思う。自分を大切にして生きること、それが他人をおろそかにする行動につながるわけではない。各人が自分を大切に、最善を尽くす、そこから生まれるゆとりと納得感が他者を理解し、平穏を分かち合おうというゆるやかな精神につながる。だから、誰にも「生きがい」「やりがい」はあった方がいい。何かに没頭する、達成感を得る。そうすれば他者への妬みや恨みは生じない。そして・・・「置かれた場所」では、やはり咲いた方がいいんじゃないかと僕は考える。大輪の花でなくともよい。あでやかな色の花でなくともよい。大勢の人が来園、こぞって花に向かってカメラを構える、そんな有名庭園の花でなくていい。例えばニラの花、ドクダミの花のように、淡々と、毎年、雨に打たれ、風に揺られ、人目に触れずも、でも咲くのがいい。
生きる喜び、生きる悲しみ。昨今の出版物に「やさしさ」がいっぱい盛り込まれているのは、社会のあちこちに生きづらい事情が増えているせいなのであろう。しかし、今のままでいい、咲かなくていい、自分を大切にしなくていいという「やさしさ」で本当に人は救われるのだろうか。先ほどの本は「見栄やプライドを手放せばもっと幸せに生きられる」とも言っている。僕はそうは思わない。見栄もプライドもあった方がいい。僕にもそれはある。ただし、自分への負荷なしに口で言いっぱなしはまずい。見栄を張った自分に落とし前をつけてやる。つまり、張った見栄に自分を少しずつ近づけるよう何事かをコツコツなすのだ、もちろんプライドを持ってね。生きる悲しみとは、外部から自分の視覚、聴覚に到達する言葉や物体、その表層だけ、上っ面だけを見て聞いて心をざわつかせるゆえに生じてしまうことが多い。先ほどから書いている「やさしさ」もそれに含まれる。他方、生きる喜びとは、表層、上っ面ではなく、内部に潜り込み、苦心し、時にはもがき、時には怪我もする、そうして得たモノと時間、そして達成感である。これに必要なのは、頭は二割、残り八割は手足、腰、背中が果たすのだ(例えばチャボは、地中の虫を見つけ出すため、僕が切り捨てたトゲだらけのバラの枝をものともせず両脚で蹴っ飛ばしながら食べ物にありつく)。いささか我田引水めいた言い草になるが、田舎暮らし、百姓暮らしでは、我が持論、頭二割、身体八割の法則が案外容易に得られる。上っ面ではなく、否応なく内側深く潜り込まねばならないという日々の仕事がそうさせるのだ。
8月6日。今日も雲多く、涼しい。涼しさゆえにグッスリ眠れるということか、昨日も今日も、目覚めた時のスッキリ感、爽快感がとてもいい。そして今朝はなんと5時半に爽やかな気分で床を離れたのだった。土曜日。学校も会社も休みということであろうか、ランニングする道には車も人間も全く見えなかった。今日の最初の仕事は聖護院大根をまく準備だ。ここには7月初めまでトウモロコシがあった。毎年食害がひどいのでネットを張って育てた。だが、敵はそのネットをよじ登ったのだな。半分以上を齧られた。少しばかりのショックであった。生きる悲しみでもあった。しかしすぐに気を取り直した。仮に犯人をハクビシンだとして、彼らは残さずきれいに食べきるということはしない。雑なのだ。僕の想像だが、あるある、いくらでもある、ウヒヒッ・・・。嬉しくて、きっと目移りするのだ。ほどほど食ったらすぐ次のトウモロコシに移動するのだ。
ああ、やられてしまったか。なぎ倒され、食い散らかされたトウモロコシを見て一瞬、力が抜ける。生きる悲しみを感じる。でも僕は気を取り直す。事後処理に当たる。半分くらいしか齧られていないトウモロコシは自分で食べる。半分以上食べられているもの、それと未熟なものはチャボたちに与える。大いにチャボは喜ぶ。ハクビシンのおこぼれ、お流れを頂戴するなんて・・・ちょっと滑稽でもあるが、これでもって、栽培までの努力と収穫を無駄にせずにすむ。無念な情の中にも少しばかりの納得感と喜びが生じてくる。
午後から光が差してきた。しかし風は涼しいままだ。だから今日の荷造りはラクだった。サツマイモ、カボチャ、エダマメ、トマト、ナス、ピーマン、ジャガイモ、ゴーヤ、キュウリ、卵。仕上がった荷物を軽トラに積み、クロネコ経由でスーパーに向かう。チャボのための牛乳とパン、自分のためのチーズ、酎ハイ、肉、魚、調味料。それと、このスーパーでないと手に入らない発送用の段ボール箱を調達して帰宅は5時15分。ブルーベリーとクリームパンでエネルギー補給をし、大豆畑に向かう。畝間の草取りと土寄せをする。
この大豆は7月に入ってすぐポットまきし、定植したものだ。今月末には花を咲かせ、10月にはエダマメになる。700本の苗を植えたが、半分がエダマメ、残り半分は大豆として来年春まで倉庫に保管し、順次、ゆでたりモヤシにしたりして食べ続ける。カボチャとともに越年させることのできる貴重な長期間の食料なのだ。
いま津村節子『虹色のあじさい』という本を読んでいる。津村さんのご主人が吉村昭だったということは皆さんもご存知であろう。僕はその吉村作品にかつて熱中した。「作家同士の夫婦はけっこうシンドイもの・・・」そう書いていたのは津村さんだったと記憶するが、夫亡き後、妻はどのように夫を回想しているか、その関心でもって『紅色のあじさい』を手にしたというわけだ。吉村作品には人間の狡猾さ、一途さ、そして悲しみ、喜びが静かに流れている。例えば『漂流』は、天明年間、船の難破で伊豆諸島の鳥島に漂着、12年に及ぶ無人島生活に耐え、故郷の土佐に帰還した船乗りの物語だ。僕の記憶は曖昧だが、人間を警戒しないアホウドリを素手で捕まえ、食うというシーンがあったと思う。もうひとつ『破獄』は、強盗致死罪で無期懲役となった男が、網走刑務所から四度もの脱獄を繰り返した物語。緒形拳主演でテレビドラマにもなった。
津村節子さんの『虹色のあじさい』には、追悼「吉村昭」と題された、大河内昭爾氏との対談がある。そこで吉村昭氏がどんな人柄であったか、鮮明に語られている。芝居、オペラ、ミュージカルなどの招待状が夫婦に届いても、「お前行けばいいじゃないか」と本人は絶対行かない。取材旅行以外はひたすら書斎にこもる。一緒に寝ていてうなされることがある。それは必ず逃げる小説を書いている時。そして、ご自身の病気は外に向かって明かさなかった。手紙でも電話でもふだんと変わらないことを装った。そして津村さんはこう語る。「成功者や偉い人には関心が向かない。何の楽しみもない人だったなと思うけど、好きなことが仕事と一致しているというのは羨ましいわ・・・」。ガールフレンド「フネ」は僕のことを原始人と呼ぶ一方、畑バカとも言う。自分のトシを考えなさいよ、四捨五入すればもう80よ。働き方改革が必要だと世間では言われているでしょ。おとうさんも、早急にやるべきは働き方改革だよ。そうでないと死んじゃうよ、この暑さで・・・そうも言う。でも、大作家と並べて言うのは気恥ずかしいことだが、好きなことが仕事と一致している点において、僕は吉村昭氏に似ている、ちょっぴりシアワセなのである。
8月7日。朝のランニングの時は悪くなかった空模様が、朝食をすませた頃に一転し、大粒の雨と雷鳴になった。まったくもって落ち着きのない天気だなあ。それで雨が止むまで、今回のテーマ、この原稿に専念した。酷暑の中、畑仕事を終えた後の僕の頭はうまく働いてくれなかった。文章を続けて書く活力がなかった。だから、キーワードだけをとりあえずパソコンに打ち込んでおいた。それを仕上げることにした。
午後1時。雨が止み、光が差してきた。大量に降った雨とその光のせいだろう、何日ぶりかでまたもや息苦しさを感じるほどの蒸し暑さとなった。その蒸し暑さの中で荷造りに奮闘した。泥にまみれた。荷物は午後5時ちょっと前に出来上がった。今日も僕はそれで3000円を稼ぎ得たことになる。それから再び畑に戻り、蚊とブヨの襲撃を受けながら聖護院大根をまいた。午後6時半、いつもの腹筋と懸垂をやり、部屋に戻った。風呂上がり、トマトとシシトウのサラダ、カボチャと豚肉の煮物、冷ややっこを肴に、よく冷えた缶酎ハイを飲んだ・・・。今日も悲しみと喜びがほどよく入り混じった1日だった。すべてをなし終え、缶酎ハイのゆるやかな酔いの中で思った。田舎暮らしはいいものだ、百姓になってよかった・・・と。
野菜だよりはお休みとする。本論中の野菜・果物の部分を折々の参考とされたい。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/
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