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田舎暮らしの本 7月号

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田舎暮らしの本 7月号

6月3日(月)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

僕があなたに就農をすすめる理由/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(29)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回は会社勤めを辞めて農業を始める。いわゆる新規就農について書こうと思う。日本の農業従事者の平均年齢は65歳だとの調査結果を何かで、いつか、読んだ気がする。親の後を継いで農業に従事する人、そして外部からの新規就農者、そうしたケースもそれなりの数あるだろうが、老齢を理由に離農する数にははるか及ばない、すなわち、農業者人口は時とともに減ってくる。これが日本の現状のようである。つい最近、僕の家から歩いても10分足らず、すぐ目の前が小学校、道ひとつ挟んでセブンイレブン、そんな場所にモダンな家が完成した。ああ、あの老夫婦は農地をとうとう手放したんだなあ・・・ちょっとした感慨を僕は抱いた。目算だが、その農地は1000坪くらい。20軒くらいの家が建つ広さ。老夫婦は毎年、大根、人参、ピーナツなどを作っていた。収穫期にはやはり高齢の男女が手伝いにやって来ていた。

 おそらく、不動産会社は絶好の場所として高額な買値を提示したのではないかと僕は推測する。なんせ、先ほど書いたように、小学校もコンビニも目の前にあるのだ。若い夫婦なら飛びつきたくなるような場所だ。これも推測だが、提示された金額は、大根、人参、ピーナツを作って得られる年間収入の40倍、いや50倍をも超えるかもしれない。長く農業に従事してきた老夫婦にとって迷いも当然あっただろうが、自分たちの年齢を考え、提示された数字に魅了され、売却する決心をしたのかもしれない。

 我が家近くの農地が宅地化される。それは初めてのことではない。小学校の目の前にある今回の畑から直線距離にして100メートルの場所にある畑が宅地化されたのは7年くらい前だ。総面積は2000坪くらいで、そこに次々と、雨漏りするボロ家に暮らす僕の目にはたいそうな「贅沢」にも見えるカッコイイ家が建った。駐車3台分という広いスペースには高そうな車が並んでいる。すごい、別世界だ。話が飛ぶが、僕の田舎暮らしを機に、先ほど書いた小学校に転校し、2年ほど通学した、今49歳になる娘がこのモダンな住宅街を見たら腰を抜かして驚くに違いない・・・。さて、話を元に戻し、もうひとつ僕の推測だが、2000坪の農地、1000坪の農地。ふたつを買った不動産会社は同一であろう。最終的にはトータル3000坪に60戸以上の住宅がつながるだろう。シアワセそうな家族の暮らしがそこで展開される・・・あえなく「宅地に敗れてしまった農地」。ニッポン農業衰退の縮図。僕の目にはそのように見えてしまうのである。

「田舎暮らしの本」。このタイトルを額面通りに受け取るなら、それは田舎暮らしのガイドブックである。しかし、僕自身の体験で言えば、32歳で始めた田舎暮らしはあくまで通過点で、ゴールではなかった。実際、「田舎暮らしの本」にも僕と同じような、すなわち農家になったという事例は少なくない。では、田舎暮らしと農家になるのとではどのような違いがあるのか。とりあえずここで、わかりやすい比喩として示しておこう。比喩は走り高跳びだ。我々は一流ジャンパーではないのであえて低い高さで言う。田舎暮らしのバーの高さは150センチ。そこからプロの農家になろうとする場合、バーは30センチ上げて180センチとなる。いきなり30センチ・・・しかし不可能な数字ではない。菜園を耕し、鶏を飼い、ときには山羊を飼い、薪ストーブで煮炊きをする・・・そうした経験を積んだ人ならバ―の高さ30センチ増しなんて不可能な数字ではない。あとは、理想の物件に出合えるか、そして、農地取得が行政手続き上すんなり行くかどうか、問題はそれだけである。

(今回も野菜だよりはお休み。本論中の記述を随時参考にされたい)。

 9月18日。起床時、空は明るかった。台風14号はまだはるか遠くにいる。しかし対策は講じておかねば。この上の写真のように、ピーマンの枝の隙間に何本もトンネルパイプを差し込む。枝を紐で縛るのもひとつの手だが、強風だと縛った場所から折れることもある。ピーマンの株全体が大きく揺れても、うまくパイプが受け止めてくれる、こっちの方が被害は少なくてすむ。ピーマンの作業を終えて、ここ数日で刈り取った草を雨が降らないうちに燃やしてしまうことにした。うまい具合に激しい雨は午後になってからだった。午後は大いに濡れながら荷造り仕事に励んだ。

 昨夜10時からTBSテレビを見た。僕が興味を抱いたのは「がんばりすぎない若者が増加」という特集テーマだった。日本の20代若者の8割が出世欲なしなのだという。日本のみならず、頑張らない働き方というは世界的な流れでもあるらしい。アメリカには「Quiet Quitting」という言葉がある。日本語にすると「静かなる退職」。ただし仕事そのものを辞めるわけではなく、定時になったらすぐ職場を離れる、必要以上に一生懸命働くことをやめる、そういう意味であるらしい。その目的は仕事のストレスから解放され、他のことにエネルギーを注げるようにすること。お金は必要なぶんだけあればいい。出世しても仕事と責任が増えるだけ、だから定時で帰る。ちょっと笑ったのは、中国には「寝そべり族」という言葉があると聴いた時だ。どれだけ頑張っても、結局は金持ちに持っていかれる。ならば、寝ていようじゃないか。ほんとに寝ている若者がテレビには映った・・・。上からの統制や監視の目が厳しいあの国のことを考えるとこれはなかなか勇気のいる行動だ。

 日本の若者には一部の者が突出するのではなく、みんなが同じように、すなわち、「やや低い位置での平等」という意識が広まっているらしい。どうしてそうなったのか・・・女性弁護士でもあるコメンテーターの指摘が面白かった。学校の運動会で一着、二着を競うと足の遅い子供に悲しい思いをさせる。だから、みんな横一列になり、手をつないでゴールする・・・それを経験した子どもがいま青年となって会社勤めをしている。みんな平等という新しい意識はそうした時代背景から生まれたものではないか・・・なるほどと思って僕は聴いた。ただし、みんなで手をつなぎ、横一列で走る、それを新聞で最初に読んだ時、ちょっとなあという思いが僕にはあった。小学生時代、体が小さく、運動会の徒競走では決まって後ろの位置を走っていた僕だが、横並びの思想は受け入れられない。足の速い生徒のプライドをそぐ。足の遅い生徒からは努力の精神を奪う。そこそこ「競争」する場面は長い人生にはあってもいいのではないか。体が大きく瞬発力のある生徒にはかなわない。悔しい。ならば長い距離ではどうだろう。僕が10代半ばから自転車の長距離走を始め、やがてマラソンに本格的に取り組んだ背景にはそんな悔しさがバネとしてあった。しかも、それによって養われた基礎体力が何十年もたった現在、この百姓仕事を大きく支えてくれているのだ。「不平等」と「悔しさ」は時には必要なことではあるまいか。

 9月19日。悪天の朝を覚悟していたが、なんと光が注いでいる。そして強烈に蒸し暑い。ランニングと朝食をすませ、畑を見回る。昨夜の雨はかなりの勢いだったのだ。まだ大きさが十分でない人参、大根、キャベツ、チンゲンサイなどはどうなっているか。見回ったらやはり雨に叩かれ横倒しになっているものがあった。ギラギラの太陽を背中に浴びながらひとつずつ直立させてやる。手間がかかる、根気が必要な作業である。しかしやらねば。台風が関東に影響を及ぼすのは今夜から明朝。再び昨夜のような強雨に叩かれたらみんな完全にダメになるから今やっておかねば。ランチ時、テレビをつけたらその台風は山口県、まさしく我がふるさと祝島あたりを進んでいるところだった。

 今日は敬老の日らしい。どうして今日が敬老の日なんだ。9月15日のはずじゃあないか・・・。現在の祝祭日に僕の頭がついて行かなくなって10年、15年くらいになるのか。5月1日はメーデー、5月5日は子どもの日、9月15日が敬老の日で、文化の日は11月3日。僕の頭にはそうこびりついている。サラリーマン時代と百姓になってからの世の中の大きな変化、それは休日、連休が増えたことか。我が会社員時代には飛石連休というのがよくあって、悔しい思いをしていたが、今は親切に休みを連続してくれるようになった。みなさん、どんどん出かけて、お金を使って、観光、レジャー、外食産業に貢献してください・・・ということなのかなと僕は畑で思ったりする。

 さて敬老の日。65歳以上は3627万人、75歳以上は1937万人で日本の総人口の15%だという。僕はその15%のひとりである。さらに統計によると、70歳以上で仕事についている人は全体の3割、75歳以上に限っても1割いるという。そうか、俺もがんばらなくちゃ。背中が曲がり、少し耳が遠くなった気がする僕なのだが、全身の力の衰えはまだ自覚しない。耐寒性、耐暑性もまだある。農作業を、ビジネスとして半分、あと半分を「娯楽」として、80歳までは現役の百姓でいたい・・・。

 昨夜、NHKスペシャル「中流危機を超えて」という番組を見た。かつて、1990年代初めころまで、会社勤めの人の多くは「自分を中流」だと思っていた。しかし今、そう思える人はだいぶ少なくなった。日本の企業はイノベーションにおいて世界から遅れを取り、競争力を失い、結果、長く日本企業の伝統であった終身雇用、年功による昇給という制度が難しくなった。それでもって自分は中流階級の一人だと思える人間が大きく減少した・・・。NHKスペシャルはそうした趣旨で描かれていた。人々がイメージする中流の暮らしとは、「正社員として働いている」「持ち家に暮らしている」「自家用車を持っている」「趣味にお金をかける余裕がある」「年に一度以上、旅行に行ける」、そういったものであるらしい。

 調査結果によると、そんな中流より自分は上だと考えている人は6%、中流だと思う人は38%、自分は中流以下だと考える人は56%なのだという。1994年時点で、年収505万円くらいが全体の中で大きな比率を占めていた。すなわち中間層(中流)であったという。しかし、それから25年を経て、最も大きな比率を占める層の年収は374万円まで低下した。その背景には、単身世帯、高齢世帯、そして非正規雇用の人が増えたという事情もあるらしいが、そればかりではない。正社員ながら会社の業績が落ち込み夫の年収が半減、夫婦共働きでこれまで700万円だった年収が500万円にまで落ち込んだ、そんな家庭の実例も紹介されていた。

 1991年を起点として、現在までの実質賃金の上昇はアメリカが47%、イギリスが44%、フランスが30%なのに対し、日本はたったの3%。なるほど、キビシサがこの数字からよく伝わって来る。20代、30代の若い人たちは会社の給料だけでは明るい未来が見えない、モチベーションが上がらない。それでもって株に投資する人が増えているのだという。投資セミナーが大流行している。NHKスペシャルはそうも伝えていた。

 番組の最後、少し涙を誘われそうな若い夫婦が顔を出した。収入が大幅に減り、マイホームを売りに出すことにした。不動産会社の担当者がテーブルに書類を広げ、言う。ご自宅は1760万円で販売することが出来ました・・・。実印を書類に押印しながら夫が言う。本音を言えば。ずっと、おじいちゃんになるまで住みたかったんだけど・・・。そばで奥さんが言う。子どもは3人欲しいと思って3部屋作って用意してあったんです・・・。家族4人は3LDKの賃貸に移り住む。その家賃は69000円。売却した自宅のローン支払いは売ってもまだ750万円残っている。不安はあるけど、やるしかない・・・。夫婦は顔を見合わせながらそう言った。見ていて僕はちょっと悲しかった。

 9月20日。覚悟していた台風は静かに通り過ぎてくれたようだ。午前6時35分に目が覚めて、窓越しに見る空は明るかった。台風がもたらした空気は生暖かい。しかし今夜から北風に変わり、明朝はセーターが欲しくなるくらい気温が下がります、朝食時のテレビはそう言っていた。ふるさと納税の品の発送は先週で終了した。今日は一般の注文と田舎暮らしの本のプレゼント当選者、荷物は2つだ。まずバケツふたつを持って落下したポポーと栗を拾い集める。次にサツマイモを掘る、サトイモを掘る。行く先々では黙って通り過ぎることなく、僕は必ず草を抜く。この下の写真は先月までマクワウリがあったハウス。収穫を終えてそのままにしていたらごらんのような草の山が出来た。この草が枯れ終わったら堆肥を入れ、畝を立て、年内収穫を目標として先週ポットまきしたキャベツを植える予定だ。

 昨日のNHKスペシャルに少しばかりフォローしておこうかと思う。まず株への投資について。僕がそういう方面に全く無知、無関心であるせいでもあろうが、あまり好みではない。株式制度が企業発展の基盤になっていることは理解できる。ただ・・・前にも書いたが、僕はリアリスト、具体的な実体のあるものが好き。イモでもカボチャでもウナギでも蛙でもいい、形があり、動くものが好き。そんなわけで、テレビがニューヨークの株式市況を伝える時、大勢の男女が壇上で鐘を鳴らし、全員が「作り笑い」をするのがどうしても好きになれない。そして日本の若者たちに浸透しているらしい株への投資熱・・・。ふーむ。怒らないでネ、頭良くないおかしなジイサンだと思わないでネ、僕はそれに対して言いたいのだ。紙っぺらなんかに投資せず、地面に、作物に、自分の体に投資してはどうだろう。すなわち百姓になってはどうだろう。こっちの方がずっといいぜ、肉体を通した手ごたえがあるぜ、人生のリアリズムだぜ・・・。

 NHKスペシャルへのフォローをもうひとつ。僕の年収は250万円ほどである。この数字だけで言うならば中流どころか明らかに下流である。アルバイトや派遣社員だって僕より多い年収を得ている人は少なくあるまい。だが、生活が苦しいと思うことはなく、将来への希望が持てない、モチベーションが上がらないということもない。中流以下だなんて思いもしない。たしかに、クレジットカードを使って10万円を超える太陽光発電用のバッテリーを買ったとか、ビニールハウスを新設するため、やはり10万円以上の出費があった月なんかだとやりくりに苦労はするが、支払いに行き詰るということはこれまでなかった。

 どうしてか。僕には家賃や住宅ローン支払いといったものがゼロというのがまず大きいだろう。大工仕事、下水工事、電気工事も自分でやるので住居維持費もかからない。次に、食べるものの半分は自給できる。今日の3食とおやつ、そこで口にした自給の品は、ゴーヤ、ピーマン、トマト、カボチャ、ヤマイモ、イチジク、ポポー、卵。店から買った品は豚肉、サバ、チーズ、缶チューハイだった。次に外出願望。畑仕事はビジネスであるととともに、僕の「娯楽」でもある。娯楽欲はすべて畑で満たされている。よって、どこかに行って何かを見たい、どこかに行って何か美味しいものを食べたいという欲求がまるでない。外で飲むというのも皆無。スマホも持たない。そして最後。畑での激しい労働は体力増強につながることも大きい。ビジネスであると同時に娯楽でもある畑仕事は僕の精神を解放する。そのストレスフリーが健康に寄与する。これまで何度も書いたと思うが、もって、僕は、医療費ゼロなのだ。もって僕は、年収250万円でも「立派に」暮らしていけるのだ。脱サラ新規就農はシーソーゲームに似たところがある。かなりの体力と持続力が要求される。下手すると地面にドスンと尻もちをつくが、体力的、経営的な苦労、それと収穫の喜びがうまくバランスを取れたなら、ちゃんと形のある成果を得て精神の充足も大きい。(もう一回憎まれ口を叩くが)、若者たちよ、株への投資にも負けず劣らず、キミの人生を豊かにしてくれるかもしれないのが百姓暮らしなのだ。やって見ないかい? ウン、そうだ。株で儲かったら、それを資金にして畑を買うのがいいかも。畑を手に入れたら野菜を早速に作るんだ。カボチャ、トマト、トウモロコシの他に、赤カブ、白カブ、聖護院カブ・・・ここでも存分に株に熱中できるぜ。ガンバレ、若者たちよ!

 9月21日。今日もやはり気温は低い。カラリと晴れてくれないかなあ。この下の写真は数日前、大工仕事でこしらえた小さな部屋だ。まず壁紙を張った。次にテーブルを作ってはめ込んだ。下の段は物置にするのだ。「百姓」という言葉は時に侮蔑のために使われる。60年余り前のことだ。ふるさと祝島から東京中野の中学に転校した。転校まもなく、クラスの番長みたいな男から校庭に呼び出された。彼は花壇の柵を派手に蹴飛ばすパフォーマンスをしながら、叫んだ。シャクショー!!僕の何が気に入らなかったのかは分からない。ただ、ヒャクショーではなく、シャクショーと訛っているのがちょっとおかしかった。東京人はヒとシの区別が出来ない。日比谷をシビヤと発音し、朝日新聞をアサシヒンブンと言う・・・ウソかほんとか知らないが、昔そんな話を聞いたことがある。シャクショーと叫んで僕を威圧した彼の名はタケウチといった。のちに彼と僕は仲良くなった。

 百姓という言葉はどこから生まれ出たか。百のことが出来る、何でもやれる、もしくは、暮らしの中で何でも自分でやらねばならない、そこから生まれたものであるらしい。その百姓という呼び名が若い頃から好きで、僕はずっと一人称としても使っている。30年以上前に出した『百姓志願』、『続・百姓志願』という本は、そんな僕のいくらかの憧れと自負が入り混じったゆえのタイトルだった。いま、電気、水道、大工仕事。かなりのことをやりながら暮らしてはいるが、さすが百のことはやれない。多く見積もっても三十くらいだろうか。

 雨は降らないが、空模様はパッとしない。火を焚くか・・・ただし今日の目的は焚火そのものではない、クリーンアップだ。春の頃、茂りすぎたビワの木を思い切って枝払いした。枝といっても長さは2メートル以上ある。しかも四方八方にさらなる枝を伸ばしている。切るには切ったが、すぐには始末する気力がなく半年ほどほったらかしだった。そしたら、その枝を踏み台してヤブガラシとカナムグラが大繁茂した。このままでは絡みつかれた梨とビワがかわいそうだ。片付けることにしたのである。ともかく広い場所まで引きずり出す。ノコギリで小さくし、積み上げる。ずっと雨が続いたので燃えにくいが、そこは焚火経験40年のベテラン。うまく燃え上がらせた。

 燃えている間、他の仕事に専念し、午後5時、現場に戻った。ビワの枝はあと1時間くらいで燃え尽きそうな状態だった。その火を見ていて、僕は不意に読書がしたくなった。昨夜からの読みかけの本。マーク・ボイル著『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』(紀伊國屋書店)。長くイングランドで暮らしていた著者は故郷のアイルランドに戻る。2013年、けっして良質な農地ではないが気に入ったというファームハウス付きの土地を「格安」で手に入れる。そこに最初、足を踏み入れたのはマーク自身と恋人ジェス、そして友人トムだった。3人とも意欲に溢れるスタートだった。しかし恋人ジェスとは別れることとなる。その頃は別な本の執筆もあり、マークは過労だった。子どもが欲しいというジェスの願いを受け入れなかった。良い友達でいよう。そう約束して別れたという。このくだりを読んで、僕は自分の過去を思い出した。会社を離れられた、農地が手に入った。その喜びで僕の頭はいっぱいだった。考えることは、明日はどんな苗木を植えようか、どんな種をまこうか、それだけの日々を送っていた。移住当初は妻も意欲に溢れていた。いま春になると庭一面を覆う水仙は彼女が植えたものだ。外の水道周りにレンガを積んできれいな流し場に仕上げたのも彼女だった。しかし、新しい生活に心が注入されればされるほど、僕が女性として彼女を見る、接するという場面が失われていった。妻はこの土地に移り住んでから7年ほどで僕のもとを去った。別れて30年。苦労をかけてすまなかったという気持ちがある。死ぬまでにもし会える機会があるならば、申し訳なかったと詫びたい、僕はそう思っている。

 マーク・ボイルは孤立を好む人間なのか。頑固一徹の男なのか。そうではない。ユーモアに溢れ、農場内には訪れた友人・知人と飲み交わすパブまで用意してある。ただしそうは言っても、彼の精神、思考、行動力にはただならぬものがある。29歳からの3年間、全くお金を使わずに暮らしたというのだからすごい。そんなマークはある日、ヤナギで作った籠を手にして野草を摘みに出る。英国やアイルランドでは、アブラナ科の冬野菜が終わり、根菜類のたくわえも尽きる、そのつらい時期を「空腹の季節」と言うらしい。野生の食材を手に入れながら、彼はこんな言葉をもらす。

とはいえ、葉っぱと花だけでは夕方まで腹もちしないため、生卵を三つ、マグカップのふちで割って丸のみする。オーツ麦を一杯かっこむと、ふたたび戸外へ飛びだす。ただでさえへとへとに疲れ、腹も空くしどろまみれのところへ、今度はずぶ濡れである。大地に根ざしたドロドロぐちゃぐちゃの現実など知りもせぬ人たちから、ときどき「あまり過去を美化するなよ」と忠告を受ける。お説ごもっとも。ただし、ぼくも言わせてもらおう。「そっちこそ、あまり未来を美化しないでよ」と。

 あまり未来を美化しないでよ・・・この言葉に彼の真骨頂が込められている。この本の冒頭にはこんな文章がある。

明日から小屋で電気のない生活・・・長いあいだ当然視してきた文明の利器、すなわち電話、コンピューター、電球、洗濯機、蛇口の水、テレビ、電動工具、ガスコンロ、ラジオも、一切ない暮らし・・・がはじまるという日の午後、一通の電子メールが届いた。差出人は出版社の編集者だった。その日の新聞に寄稿した文章を読んで、体験をもとに本を書く気はないかと連絡をくれたのだ。

 僕も電動工具やガソリンで動く耕作機械は持たない。エアコンもない。しかし、パソコン、洗濯機、電話、テレビにはお世話になっている。マーク・ボイルはそれら一切合財を捨てると言うのだ。電気を使わないで暮らすというのだ。太陽光発電のパネルにさえも関心がないと言うのだ。天と地の違い。僕は自分のやっていることのレベルを思い知る。少なからぬカネを投じて太陽光発電のシステムを作った。オレは地球温暖化の抑制にわずかなりとも貢献しているぜ、そんな自負も少しばかりあった。だが、マーク・ボイルの行動には、とうてい及ばない。ものすごい本に出合ってしまったなあ。マーク・ボイルはそうした自分の生き方を実に簡略に、人生から「プラグを抜く」暮らしだと表現している。

 9月22日。寒い朝である。毛布4枚を重ねて昨夜は寝た。チンゲンサイ、小松菜、大根などはこの低温を喜んでいるだろう。しかし人間は、一昨日までに比べるといきなり10度も下がったこの気温には戸惑う。果物も戸惑っている。僕の好きな柿なんか、生理障害を起こして未熟なままにオレンジ色となり、グシャグシャで落下するものが例年よりずっと多い。空はかすかな光がある程度。さわやかに晴れてくれないかなあ。そう願いつつ白菜のケアをする。白菜はずっと暑さに苦しんでいた。猛暑の中で虫の発生も多かった。植えた苗は5か所に分けて総数150。うち50くらいは生長点がかじられ、溶けてしまいダメであろう。それでも猛暑が去り、朝の気温が20度そこそこという今、白菜は気分を良くしている。根の周りにそっと手を入れ、雨に叩かれて傾いたものを直立させてやる。

そこに私の希望がありました。昇進の労を必要としない女の身分に満足したのです。  石垣りん

 朝日新聞「折々のことば」。鷲田清一氏の解説はこうだ。

1934(昭和9)年に14歳で就職し、55歳での定年まで銀行の事務職員として勤め上げた詩人は、使われる者として、女性として直面した圧倒的な格差を、昇進しないですむのを良しとすることで凌いだと言う。無暗な「忠義」がときに人としての判断を曲げるのを避けえたからとも。自らを「売り渡さないですむ心情」で無念を乗り切った。随想集『ユーモアの鎖国』から。

 今回のテーマで、冒頭18日に僕がテレビの番組から引用した問題に少し重なるところがあるかもしれない。頑張らない、出世の意欲なし・・・。もちろん時代が違うし、石垣りんさんは女性であるがゆえの格差という荒波をかぶった方だ。しかし、昇進を望まない、昇進しないですむことを前向きに受け入れようとする、そして自分のエネルギーを他に向けたい、そうした点においては現代の若者の新しい労働態度の流れと似ているように僕は思う。石垣りんさんの詩の中で、僕の好きな「倚(よ)りかからず」という作品を掲げてみたい。

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは椅子の背もたれだけ

 自分の耳目、自分の二本足だけで立って暮らす。百姓暮らしもまさしくこれである。「できあいの宗教によりかかる」、これは夏以降メディアをにぎわせてきた問題だ。権威、思想、学問、それ自体は否定すべき事柄ではないが、世間には、それらを、自らの精神と肉体を通過させ、咀嚼することなく、ファッショナブルな衣装として纏い、これでよしとする事例も少なくないように僕には思える。百姓仕事をなすには、イヤでも畑土の上に自分の二本足で立たねばならない。かつ、この野菜は何に困っているのか、何を欲しがっているのか。水か温度か風通しか、それとも余分な枝葉の摘み取りか。それを判断して対応するに欠かせないのは耳目である。

 白菜のケアをすませ、ランチで部屋に戻ろうとした時、通り道にあるトマトに目が行った。このトマト、7月頃芽かきをしたものを適当に差してやったものだ。何が良かったか、大いに成長し、けっこうな数を収穫した。しかし終わりではなかった。上に掲げた写真のようにまだこれからという実が少なからずある。よっしゃ、寒くないようにしてやろう。また強い雨が降っても濡れないですむようにしてやろう。ちょっと強引で不格好だが、よそからパイプを急ぎ調達、こんな形に仕上げてやった。

 9月23日。やはり肌寒い朝である。ランニングしても体がなかなか暖まらない。風を受ける手が冷たい。あれやこれやで天候異変は実感するが、あの猛暑からの急転直下は畑に向かう僕にとっては異変のひとつだ。朝食をすませ、畑を見回りに行ってピーマンに目が行く。最後に植えたいちばん若い苗。寒いだろうなあ。見回りだけでまた部屋に戻るつもりでいたが、あちこち回ってパイプ、ビニール、パッカーを調達し、急ごしらえの防寒を施してやる。

 ランニングの時より空はいくらか明るくなってきた。でも、またまた列島近くにある熱帯低気圧が台風となり、これから荒れてくるという。ピーマンの防寒を終えて、数日前にポットまきしたキャベツの様子を見に行く。発芽率は悪くないな・・・と思ったところで、一昨日書いたマーク・ボイル著『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』の一節を思い出した。

計画では八人が一年間食べていけるだけの野菜を栽培するつもり。そこで手始めに、古い木材と廃パレットで作業台をつくる。この台の上に、あらかじめ整理しておいた黒いプラスチックのセルトレイ100個を並べる。1個が12のセルに分かれているから、うまくすれば1200本の苗ができあがる。すべてのセルに培土を入れ、たっぷり水をかけてから、各区画にひと粒ずつ種をまいていく。大小の豆類から各種のケールまで、さまざまな野菜の種をまいた。小さなプラスチックの札や段ボール片に名前を書く。けっして興奮しやすいたちではないぼくだが、土から一斉に命が芽ぶく光景が早くも待ちどおしい。しかし、そこでうっかり思考をはたらかせてしまったせいで、ことの成果が突然色あせる。札もじょうろもトレイも培土の袋も、何から何までプラスチック。作業場の壁までがプラスチックでできている。もともとあったビニールハウスのうち、ひとつだけを残して使っているのだ。農耕は産業化の前兆であり、両者が結びつくのは時間の問題だった。「持続可能」という単語が何を意味するのか、最近どうもわからなくなってきた(わかる人などいるだろうか)・・・。

 この文章以前、マーク・ボイルは、野菜はビニールハウスを使わずみな露地で栽培するつもりだと書いていた。ビニールハウスなしでは自分の農業が立ち行かないことをよく承知している僕だから、それを読んで驚いた。アイルランドは日本から見れば遥かなる北国である。それでもなお、ビニールハウスには頼りたくない・・・。「プラグを抜いて生きる」という彼の信念の固さを感じるそれはエピソードだったのだ。

 9月24日。世の中はまた三連休であるらしい。今年、三連休は9回もあるのだと知って驚いた僕だが、先週に続き、どうやらこの連休もずっと天気はさえないようだ。激しい雨音と雷鳴で目が覚めたのは5時半だった。雨が多いので畑は過湿状態である。太陽と、乾燥した風でもって土をサラサラに乾かしてほしい。僕だけでなく、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリーなど、アブラナ科の野菜もそう言っている。ふたつの手入れをする。大根と秋ジャガ。大根はいつも、あえて厚まきし、間引き菜を出荷したり自分で食べたりしている。それでも今回は間引き菜が多すぎた。ならば移植をしよう。どなたの本だったか、大根も移植が出来ますと書いてあったのを目にしたのは10年くらい前か。次の写真、奥の方にショボクレた姿で見えるのが移植したものだ。移植して3日くらいは失敗かと思うくらいショボクレている。でも、やがて青い葉を増やし、ちゃんとした大根に育つ。

 大根の次は秋ジャガだ。気温が低くなったと同時に茎の勢いが増した。前回書いたが、秋ジャガは春のものほどの収穫は望めない。それでも晩秋から冬にかけて新ジャガが食べられるのは嬉しい。ジャガイモに土寄せしながら、またしてもマーク・ボイル氏の著書の一節を思い出した。

アイルランドには「素っ裸で畑に立てるようになったらジャガイモの植えどき」という古い言いつたえがある。頑健な自給農家にとって、それは三月初頭からを意味する。加護を祈って聖パトリックの祝日(3月17日)に植える人が多いが、誇り高きアイルランド人のはしくれとしては一日でも早く植えつけをはじめたい。これからジャガイモ畑になるこの場所は、すべてが思惑どおりにいけば・・・物事はつねに思惑どおりにいくとはかぎらない・・・およそ一五〇キロの収穫をあげるはずだ。古代ギリシャのストア派や日本の禅僧のごとく、労働の成果に頓着しない人間になろうと心がけているが、身を粉にして終日はたらいたあとではそれも、言うは易く、おこなうは難しである。素っ裸で畑に立てる日が近づいてきた。春を告げるむきだしの尻を、隣人たちが見たいかどうかは疑問だけれど。

 アイルランドに行ってみたいと僕が思ったのはジャガイモのせいだった。海岸近くの畑は痩せている。そこで、ジャガイモを植えた畝の上から巨大なワカメみたいな海草をかぶせる。それが保温の役目を果たすのみならず、やがて溶けて、土の中のジャガイモの栄養分となる。その現場を見たさにアイルランド行きを真剣に考えたのだった。ロンドンまで来たのだからすぐ近くじゃないかと思った。しかし1990年代の初め、英国からの独立を主張するIRAは街のゴミ箱に爆弾を仕掛けるなどして危険がいっぱいの時代だった。あきらめた。アイルランド人はジャガイモが好きだという表現がマーク・ボイルの本にも出て来る。そんなジャガイモが、ある時、いっせいに病害に侵され、アイルランドの人々は大いに困窮したというのをずっと以前何かの本で読んだ。我々は、今ではホームセンターに行くと迷うくらい多くの品種の種ジャガが売り場に並ぶのを見る。しかし当時のアイルランドでは同じ品種が全国的に作られていたらしい。ひとたび種イモにウイルス病が発生するとどうにもならないというのが理由であったらしい。

 9月25日。僕がいま暮らす家と畑を日経新聞の3行広告で見つけたのは昭和58年11月のことだ。売主にはだいぶ借金があったらしい。住んでいる家から離れたところを少しずつ切り売りし、最後に残ったのが僕の買った築2年という家、その宅地、それに直結する畑だった。僕は下見してすぐ迷うことなく100万円の手付金を打った。そして、6年住んだ最初の田舎暮らしである物件を売りに出した。それがなかなか売れなかった。僕が買った時点で築50年。ボロかげんは隠しようもなく、広告を見て訪れた人はみな手を出そうとはしなかった。もし売れなかったら100万円はパアになるし、我が夢は叶わない。売れるかどうかわからないままに買ってしまう・・・今にして思うと大胆だったなあという気がするが、同時にいかにも自分らしいとも思う。子どもの頃から熟慮型ではなく直観型なのだ。よしっと考えたらただちに実行に移す。失敗することもあるが、うまくいくことの方が多い。最初の田舎暮らしから次の田舎暮らしへ、これは成功事例のひとつだろう。

 およそ5か月、不安がなかったと言えばウソになるが、なんとかなるさという気持ちで買主を待ち続けた。そして翌年3月、ついに売れた。売値と新たな物件の買値はほぼ同額だった。そして、たぶん4月だったろう、農地売買を担当する県の部署から呼び出しを受けた。ここでの承認を受けねば畑は僕の名義に変更されない。3人の係官から矢継ぎ早の質問を受けた。ほんとに農業をしようと考えている人間なのか。土地をうまく転がしてひと儲けしようと考えている男なのではないか・・・。僕の推測だが、あの当時は今と違い、行政には農地を農地として守るという意識がとても強かった。新規就農という社会の流れはまだ薄く、外部の非農業者が農地を買うということに関しては疑念と防御姿勢がとても強かったようなのだ。

 これまでどんなものを栽培してきましたか?  この質問に対し、僕は少しばかりハッタリも混ぜて、大根、キャベツ、インゲン、サトイモ、ジャガイモなどと野菜ありったけを並べていき、果物もキウイ、柿、イチゴを作り、家畜も山羊、鶏、アヒルを飼いました、そう胸を張って答えた。それを聞いて3人の係官は微苦笑した。そして、やや皮肉のトーンで、「ずいぶんいろんなものに手を出してきたんですねえ」と言った。その意味は後になって分かった。この地域の農家では栽培するものは特化されている。人参、サトイモ、大根、ブロッコリー、トウモロコシ、それにピーナツ。これ以上の数を手掛けている農家を僕は知らない。これに対して僕はどうか。今日現在、畑にあるものを思いつくままに並べると、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、チンゲンサイ、小松菜、ピーナツ、ヤマイモ、人参、大根、ジャガイモ、ナス、ピーマン、オクラ、トマト、ゴボウ、アスパラ、イチゴ、サトイモ、サツマイモ、白菜、長ネギ、ヤーコン、キクイモ、アシタバ、ミョウガ、フキ、アズキ、大豆・・・来月にはこれらにニンニク、ソラマメ、エンドウ、タマネギが加わる。果樹も10種類以上ある。先に「百姓」という言葉の由来について書いたが、手がける作物の数で言うならまさしく僕は「百姓」に違いない。もちろん、少数精鋭の専門家には、各品目当たりの栽培面積、それぞれの立派さなどでかなわないかもしれない。でも、なんでもありますの看板は捨てがたいし、何と言ったって多くの品を次々と作り続けるという農法は当事者にとっては、苦労もあるがとても楽しいものなのだ。僕にとっての農業はビジネスであると同時に「娯楽」でもあると先に書いたが、連作を避ける、隣り合わせて作る野菜相互の相性を考える、先の野菜栽培のために投じた肥料の残りが有効に作用する次の作物はどれだろうかと考える・・・そうした一連の栽培プロセスはパソコンやスマホの画面でズドーン、ぶわぶわ、ババーンとやるゲームにも引けを取らない、頭もしっかり使うし、とても楽しい娯楽ゲームであるのだ。だから「百姓」はやめられない。

 県の係官との面接はヒヤヒヤしながらも、なんとかパスした。晴れて50アールの農地は僕の名義に変更された。時に僕は39歳。会社に辞表を出す機会をひそかに窺っていた。脱サラ後、さまざまな苦難が待ち受けることになるのだが、思いついたらすぐという僕は、亥年生まれでもある僕は、田舎暮らしから一気にステップアップ、百姓の道に突き進もうとしていた。それから37年。青年と呼んでいい年齢だった僕も、今では後期高齢者である。最初の田舎暮らしから数えると42年半。これまでの人生をふりかえって、何か計算違いだったことはないか、後悔することはないか・・・もし問われたら答える。ないです。サラリーマンはサラリーマンで良いことはいっぱいある。半期ごとに何十万かのボーナスがもらえ、福利厚生もしっかりとある。そのサラリーマン生活を100だったと仮定するなら、その後の百姓生活は180くらい。医学雑誌編集部という、いわば頭脳労働の集団に属していた僕だが、どうやら頭脳労働には向いていなかったらしい。肉体労働ならば、どれだけハードだろうが汚れようが、危険だろうが、暑かろうが寒かろうが、平気でやれる。まさしく僕は、ガールフレンド「フネ」が言うように、肉体、精神において原始人だったのだ。そのフネが最近面白いことを言った。あのバカ暑い夏をエアコンなしで乗り切ったのは・・・アフロヘア―の稲垣えみ子さん(もと朝日新聞記者)とおとうさんだけだネ、ぶははっ・・・。

 最後に、僕の場合は農地取得の下限面積は50アールだったが、県によっては30アールというところもあると聞く。また、農業事情がいかなる状況にあるかにより、新規就農を大いに歓迎するか、やや厳しい対応を取るかは都道府県によっておそらく異なることであろう。行政上の手続きをも含め、こうした事情に詳しいのは、田舎暮らしの本のライターでもある山本一典氏の何冊かの著作だ。それをアナタも参照されるとよい。

 頭が真っ白になるという表現が世間にはある。思いがけないアクシデントに見舞われた時に使うネガティブなものだ。しかし僕は逆にポジティブなシチュエーションで「頭が真っ白に」なる。例えば、じかまきした野菜苗をポットに移植する時などだ。多い場合はトレーが10、ポット数が240という移植の作業を連続して一気にやる。土に埋め込む根は深すぎず、浅すぎず。時には、途中でちょっと傾いたものを直立に手直しすることもある。全体の状況を目でとらえる。両手はほとんどオートマチックに動いてくれる。そこで僕の頭は真っ白になる。座禅を組むことなく、滝に打たれるということもない。ヨガとも無縁。しかし、苗の移植作業に関わっている時の僕の精神はそれら全てを総合したような、静謐と、深淵と、清浄とに満たされている。農家になる、百姓仕事に邁進する。すると頭が真っ白になる。新聞やテレビを通して知る世の中の雄大な川の流れ、そこに浮かぶ、少しばかり汚れた、あぶくみたいなもの、それらが自分の頭をかすることなく遠くに流れ去って行く。折にふれて僕が書く、恨まない、妬まない、嘆かない、他と比較もしない、そういったフラットでヘルシーな心を培ってくれるのが、面白いことに、不思議なことに、10個のトレーにズラリと並んだ240本の野菜苗なのだ。百姓暮らしとは・・・ちょっと世界は狭い、レベルも高くはない、が、ヘルシー、まろやか、まったりとした、まさしく「健全」なる心身を育んでくれるらしい場所でもあるのだ。

 一昨日からピーナツの出荷を始めている。かなりの面積を作った。我が畑の五分の二が大豆、そして五分の一がこのピーナツだ。株数にすると400くらいか。しかし、お客さんに塩ゆでピーナツを堪能してもらうためには一人1回あたり8株が必要になる。つまり、50人分で出荷し尽くす計算だ。ピーナツの大敵は野鼠もしくはモグラ。毎年かなりの被害が出る。

 マーク・ボイル著『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』を読み終え、引き続いて読んでいるのは高橋久美子著『その農地、私が買います』(ミシマ社)と、内澤旬子著『カヨと私』(本の雑誌社)だ。高橋さんは、ふるさと愛媛に農地を買った。そのキッカケは、2019年、実家を含む数軒が太陽光パネル業者に農地を売るという話を聞いたことだったという。みんな後継者不足で田畑を持て余している。それを何とか残せないだろうか。しかし実家の父親の言葉は厳しかった。「おまえは東京におるんじゃけん関係なかろわい」。親戚からは農機具をもう貸さないとも言われた。しかし高橋さんは意思を貫いた。非農業者である自分名義では農地がすぐには買えないので、農家をやっている妹さんの名義としたらしい。

 もう1冊、『カヨと私』は、山羊のカヨと暮らす私(文筆家、イラストレータ―)の喜びと惑いと苦しみの物語である。僕も山羊を飼った経験がある。しかし、この本を読むと、野球にたとえると大リーガーと高校野球くらいの差があることがわかる。カヨという1頭のメス山羊から始まった暮らしはどんどん増えて、いつしか7頭になる。奮闘する。なんと内澤さんはオス山羊の去勢手術までも自分でやってしまうのだ。この著者には同じく家畜を主人公とした作品がある。『飼い喰い 三匹の豚とわたし』だ。その本の存在を知った時、僕は背筋がゾクゾクした記憶がある。自分で飼った豚を殺して食べるという話なのだ。ときにデカイことを言う僕だが、小心者でもある。飼っているチャボの首を絞めることにも躊躇するのだ。今も処分すべき若いオスが4羽いる。だがなかなか決心がつかず1日延ばしにしてしまう。性欲だけ強く、無駄メシ食いのオスたちだが、毎日楽しそうに畑を飛び回っている。その命を絶つ・・・もう少し人生を楽しませてやろうか・・・しかし本当は、脚をつかみ、首をひねる、けいれんする、あの瞬間が嫌なのだ、殺生する勇気が僕にはないのだ。だから、内澤旬子さんには大きなリスペクト以外、僕にはない。

二十四歳だった私は大学卒業後に最初の勤め先で惨憺たる目に遭い、転職先でもやっぱり適応できず、生存していくすべが見つかりそうにないことに絶望。シベリア鉄道に乗って行旅不明者になることだけを目標にして働き、八十数万円を貯め、退職した・・・。

 このくだりは、サラリーマン失格、シベリア鉄道の乗車経験あり、そんな僕には親しみと共感が得られる部分だった。以後、内澤さんは多くの国々を旅する。

けれども歳を重ねていくにつれて、だんだんとその快感が薄れ、どこの国にいっても楽しいけれども以前ほど楽しくないことに気づきはじめる。若かったころ自分は単に日本の同調圧力や保守的な家族制度に馴染めないのだと思っていたけれど、どうもそれだけではない。歳をとり同調圧力を跳ね返せるようになってみても、社会に馴染めている気がしない。そんなころ、豚を三頭飼ってみて第二の覚醒を得た・・・。

『カヨと私』の舞台は小豆島である。その同じ小豆島でオリーブ農家として生きる植西英子さん(72歳)の暮らしぶりを知ったのは数日前の朝日新聞夕刊「私の選択」だった。植西さんは男女の別のない職業として臨床検査技師の道を選び、定年2年前、フリーハンドで自分の人生をどう作ろうかと考えたという。そして定年後、空き家バンクで買った一軒家に移住、オリーブ園を始めた。現在は80アールに200本のオリーブを育てている。時間を作ってイタリア語の勉強をするのは、いつかイタリアでのオリーブ品評会で賞を取ってスピーチする、そんな楽しい夢があるからだという。

 さてそろそろ今回テーマ「脱サラ新規就農」をシメなければならない。そのシメは、クサイ話で恐縮だが、トイレである。台風が去り、天候は回復に向かっている。今朝も僕は畑の中の穴トイレで用を足した。マーク・ボイルと同じである。マーク・ボイルはあえて室内にトイレを作らなかった。朝食を含め、なるべく外の光を浴びるようにしたいとの思いで。しかし理由はそれだけではなく、屋外に作ったトイレで用を足し、そこに枯葉などを入れて堆肥を作る。人糞堆肥は最良の肥料だから・・・彼はそう書いている。僕が買った第二の田舎暮らし物件のトイレは和式・汲み取り式だった。それを洋式の水洗としたのは20年余り前だ。こんなむさくるしい所を訪ねてくれるガールフレンドに、せめてトイレくらい「普通のもの」を提供したい、そう考えた。ただし、水で流すからたしかに水洗だが、外部の下水管とつながっているわけではない。定期的に大きな柄杓でもって便槽から汲み取り、運ぶ必要があった。

 いつも朝食をすませ、ざっと畑を見回る。そこでたいてい便意を催す。すぐ部屋に戻って用を足す・・・長く続いた習慣だった。だが待てよ。ある時アイデアが浮かんだ。畑に穴を掘ればわざわざ部屋に戻らなくてすむじゃないか。以後、すぐ手の届く位置にトイレットペーパーと石鹸を置く場所を幾つか作り、朝の光を浴びながら用を足すようになった。もちろん、マークと同じく穴には枯葉や枯れ枝を投入し、いっぱいになったら別な穴を掘る。ここでふと余計なことを僕は考える。マークは「テクノロジーを使わない暮らし」に入った当初の恋人ジェスとは考え方の違いで別れた。その後新しい恋人が出来た。その恋人もやはり、外の光を浴びながら用を足しているのだろうか・・・。もし彼女がためらうことなく屋外ポットン便所を受け入れ、マークと一緒に暮らそうと決めたのであるなら、それは、女が男に寄せる偉大な愛の証明である。

 つい先日の人生相談に、「何のために生きているのかわからなくなる、漠然とした不安に押しつぶされそうになる」そういう投書があった。恋愛はうまくいかず、飽き性なので何をしても長続きしないという25歳の女性。それを読み、僕は思った。地に足を着けて生きてみてはどうだろうか・・・。まだ若いからいきなり農家になるというのはハードルが高いだろう。しかし、小さな田舎暮らしから出発し、ステップアップするのは可能だ。「このまま時が進んで行くのが怖い」という彼女の惑いは、たぶん、単なる比喩としてではなく、実際の生活においても彼女の足が地に着いていないからだろうと僕は思う。人間の本質は二本足で地面に立ち、空を仰ぎ、風の匂いを嗅ぎ、花や虫に触れることで平穏が保たれるように出来ている。しかし、社会を構成する既成の大きな流れに(うまく)乗っている間はそのことに気づかない。流れで溺れそうになったり、流木に引っかかって傷ついたりして、やむなく川岸に這い上がって、そこで偶然にも「地に足の着いた暮らし」の味わい、人間の本質を知る。僕が今回引用した本や詩はそのことを教えてくれるものだ。いきなり農家。それはハードルがたしかに高い。だが、僕の時代とは違い、後継者不足と人口減少に悩む自治体は新規就農を考える若者に積極的に手を差し伸べる。補助金を出してくれる自治体もある。僕はすでに10年くらい『移住』という情報誌に原稿を書き続けているが、そこ(http://web-iju.info/)にも豊富な就農ガイドが掲載されている。昔のお役所は頭が硬かった。しかし今は優しくフレンドリーだ。

 午前11時。太陽が完全に戻って来た。こんな爽やかな風と光は何日ぶりだろう。急ぎ洗濯物と毛布を干す。倉庫にしまっておいた苗トレーを外に出す。マーク・ボイルには叱られるだろうが、今日はたっぷり電気を作ってくれるな、そう思いながら僕はソーラーパネルを眺める。アナタの胸はこの上の写真を見ていくらかときめくだろうか。前号に続いて松下幸之助氏の言葉を援用する。迷ってばかりいないで、「まっ、やってみなはれ・・・」。新しい人生の扉は案外アナタのすぐそばにあるかもしれない。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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