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田舎暮らしの本 7月号

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田舎暮らしの本 7月号

6月3日(月)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

土食う客人/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(30)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回は、しばらく休んでいた「野菜だより」をやや充実させるかたちで書く。それにオーバーラップさせるかたちで、前回のテーマ「脱サラ新規就農」についても書こうと思う。前回テーマは思ったよりも多く関心が寄せられたようだ。田舎暮らしの本WEB版でのアクセス数の詳細は僕にはわからないが、おそらく、そこから発したと思われる僕のブログへのアクセスが2日連続してふだんよりも500くらい多かったゆえにそう推測する。

 僕はいま、杉山経昌著『83歳、脱サラ農家の終農術―おいしく・はつらつ・愉快に生きる』(築地書館)と、ゲイブ・ブラウン著『土を育てる: 自然をよみがえらせる土壌革命(NHK出版)とを並行して読んでいる。『83歳・・・』の杉山氏は千葉大学理学部出身。通信機器や半導体メーカーでの勤務を経て、50歳で脱サラ、この本以前、すでに何冊もの実践書を出しているから、ここでの読者の中にも読んだという人はいるだろう。今回僕が手に取ったのは、78歳でビジネスとしての農業は終わりとし、残りの人生は趣味の家庭菜園で楽しみながら生きてゆく・・・そこに関心を抱いたためだ。理系出身ということで、本の記述は同じ農家でありながら、僕には難しい点も少なくない。また、驚くべきこと、自分とは大きく違うこともある。週休4日、年間の労働時間が3000時間、それでもって多角経営、高収益を実現したというのだから驚かずにはいられない。僕の場合は、夏なら11時間、冬でも8時間、平均して1日9時間働くとして、日曜祭日なしの無休だから、年間の労働時間は杉山氏を上回る。

 朝6時に起き、終電に乗り、相乗りタクシーで自宅に帰り、泥のように眠る。エリートサラリーマンだった杉山氏はある時、こう思ったのだという。

自分の人生の選択はどこか間違っていたのではないか?

 1990年の就農時、住んでいた千葉県から移住先の宮崎県に持参したものはIBMのパソコンだったという。そのパソコンを駆使し、将来の経営をシミュレーションしたという杉山氏の成功は果樹園にある。さまざまな果樹が育成できる宮崎県という地理的に有利な場所にあることで、観光農園も盛大にやってこられたらしいのだが、自分たちの生活費をすべて賄ったうえで500万円の純益が出ていたというのだから、ただただ頭が下がる。その杉山氏はこうも言っている。

農業は人生を天国に導く、最後のかつ永遠に不変のフロンティアだ。

 一方の『土を育てる』、その著者ゲイブ・ブラウンは現在2400万平方メートルの農地を持つ大農家だが、元は町の出身で庭の芝草くらいしか刈ったことのない、農業とはまるで無縁の若者だった。それが、偶然のなりゆきで妻の実家の農地を引き継ぎ、農家となる。彼の妻であるシェリーは「農場から離れたくて町の人と結婚したのに・・・」そう嘆いたそうだが、ゲイブ・ブラウンの情熱に押し切られる。その経緯をブラウンは本文扉に妻への謝辞としてこう記す。

農家に生まれて、
街育ちの若者と結婚すれば遠くに行けると夢見た
恥ずかしがり屋の少女へ。
それなのに農家に舞い戻る羽目になった君は、
「土を育てる道」の世界一の応援団として一生を捧げてくれた。

 義理の父、すなわちシェリーの父親はかたくなに在来農法を突き進む人だった。それに異を唱えるゲイブ・ブラウンは義父の受けがとても悪い。シェリーは自分の父と自分の夫との間で大いに困惑する。義父は徹底的に畑を耕起する。化学肥料を投入し、除草剤、抗菌薬を使う。それに疑問を抱き、失敗と苦労を重ねつつも見事に、不耕起で、化学肥料、除草剤をも使用しない「リジェネラティブ(循環再生型)農業」をブラウンは完成させたのだ。いかにして健康な土を作り出すか。その具体案がこの本を貫く軸なのである。

 10月5日。5時半に起床した。何か動物が来たらしくチャボの騒ぎで5時に目が覚め、もう一度眠るつもりで毛布をかぶり直したのだったが思い直す。今日はやるべきことがいっぱいある、起きようと。昨日書いたはがきをポケットに入れ、自転車を走らせて郵便局のポストに向かった。トップに掲げた写真はその時の日の出の風景である。6時半という異例の早い朝食をすませて畑に向かう。新しくハウスを設置する。幅3メートル、長さ9メートル。この場所にはナスとピーマンと生姜がある。昨日の天気予報は「明日から急激に冷え込みます」と言っていた。ナスもピーマンも生姜も延命させたい。師走に入るころまで収穫したい。そんな目論見でもってこのハウス部材を購入した。パイプ、ビニール、パッカー、パイプジョイント、すべて込みで33000円。ナス、ピーマンの収穫が終わったら新年早々ここには人参をまくのだが、休みなくフル回転させてもたぶん、元を取るには2年かかる。

 5時半起床だったのだが、その時刻の空気は暖かかった。しかし、ハウス設置が半分くらい進んだあたりで雨が落ちてきた。気温も下がってきた。これから荷造りが2つあるので僕自身は雨と低温が困るわけだが、でもよかったよなあ、どうだい、あったかいだろ・・・新設したハウスにうまく収まった野菜たちに僕はささやきかけるのだ。さて荷造りだ。今日はふるさと納税の品2つ。栗を拾う。サツマイモを掘る。ミョウガをつまむ。ピーナツを掘る。掘り上げたピーナツの株にはLMSの豆が着いている。そのうちLとMだけを選び取る。雨の中、ピーナツ30株の選別作業を頑張った。

 午後4時、荷造りを終えたが、このまま部屋に戻りたい気分じゃない。よく働いたから少し遊ぼう・・・僕が遊ぶといえば大工仕事しかない。『83歳、脱サラ農家の終農術』の杉山氏は楽器演奏、焼き物、ブリッジ、麻雀と多彩で、ゲストルームあり、ワインセラーありと、なんともうらやましく、我が貧弱な「余暇」がやや寂しくもあるが、でも、大工仕事ひとつでも楽しいし、仕事の苦労がそれで忘れられるのだからOKだ。今日の大工仕事で作るのは180×66センチのテーブルだ。それをビニールハウスの中に設置する。実は、今月は来客が相次ぐ。うち一人は「自給自足を目指しています。中村さんの所で研修させてください」との申し出があった若い人。これからは気温がどんどん下がる季節だ。光はあっても風が強いと肌寒い。でもビニールハウスならば客人に寒い思いをさせずにすむだろう・・・。すでに真っ暗となった庭に明かりを灯し、テーブルを完成させた。ここに太陽光発電の蓄電器と珈琲メーカーを置けばちょっとした喫茶室になる。

 10月6日。いきなり冬がやってきた。寒い寒いとテレビでは朝から大騒ぎしている。こちらは朝の気温13度。雨、そして北風やや強し。10月としてこの寒さは51年ぶりだという。野菜たちに寒い思いをさせたくない。防寒作業に奔走する。昨日、新たに設置したハウス以外に、常設のビニールハウスは7つある。高温障害を起こさないよう、夏以降ずっと裾を1メートルほど持ち上げてある。それを下まで降ろすために、トータルで200本以上にもなるパッカーを、取り外し、また留めるとなると厄介だ。特に今日みたいな雨で低温ともなるとしびれた指先に力が入らず苦労する。クソっ。なんで外れないんだ、おまえ、しつこいぞ。雨の中でパッカーに当たり散らす。

 この下の写真のハウスにはピーマンとトマトがある。ビニールを密閉する前にまず鶏糞堆肥を運び込む。次に、剪定した果樹の、なるべく数多く枝のついているもの20本くらいを準備する。それを、トマト、ピーマンをそっと持ち上げて滑り込ませ、受けにしてやる。これだといちいち縛ったりせずにすむ。最後に、さっき運んだ鶏糞堆肥を根周りに投げてスコップで攪拌する。これから外気温はどんどん下がるが、温度の上がるハウス内ゆえ2か月近くその肥効は続く。

 午後からは雨の中で荷造りに励む。野菜を洗う井戸水がぬるま湯のように感じられるのは自分の体が冷えているからだろう。荷造りを終え、外に出したままになっている苗トレーを倉庫にしまってやらねばと思う。小さな苗にとって、暑いのも辛いが、この急な冷え込みで雨に打たれ続けるというのもまたつらいことであろう。倉庫に運び込む前、じっと目を凝らす。いるいる、この寒さの中で青虫がいっぱい。いつも感心する。猛暑だろうが震える寒さだろうが、青虫というやつは活力旺盛であることに驚く。すまないが、みんな死んでもらうぜ。

 ぶちぶちと青虫をつぶしながら、『83歳、脱サラ農家の終農術』の杉山経昌氏がキャベツについて書いていることを思い出した。

苗からの歩留まりが50%くらい。我が家の菜園で虫取りを要するのはキャベツだけで、総合的にはスーパーで買った方が安くなる。自家栽培する価値はないかもしれない。

 僕の場合はもう少し良くて、歩留まりは60%くらいだと思うが、たしかに食われる。このキャベツとともに、ブロッコリー、カリフラワーも同じように食われる。すなわち、これらはすべてアブラナ科である。上の写真の左側にはレタスの苗(キク科)のトレーもあるが、青虫はこっちには全く手出しをしない。そこでふと僕は思ったのだ。以前読んだ本の外国人著者(家庭菜園家であり医師でもある)が、自分はアブラナ科の野菜をつとめて食べるようにしている。アブラナ科は疾病予防、とりわけ癌予防には効果的な食品なのだ・・・そう書いていた。なるほど、そうなのか。青虫はかなり賢いのだ・・・キク科は食べず、アブラナ科を好んで食う彼らは、健やかな成長と健康のためにそうしているのではあるまいかと。

 10月7日。寒さと雨は昨日よりも一段ステップアップした。東京の気温は12度台。88年ぶりのことだとテレビは大騒ぎしている。重ね着して畑に出る。雨の日は収穫してから水洗いするまでに時間がかかる。ふだんより早い荷造り作業なのだ。この下の写真は小松菜。適期にまいたつもりだが、残暑厳しく、初期成育は芳しくなかった。10月に入ってようやく小松菜本来の姿となった。僕はほとんどの葉物野菜は密に種をまく。成長の進んだものから収穫し、収穫しつつ、抜き取った後にできた空間、そこの土をこれから育つものに寄せてやる。

 荷造りが完了したのは午後4時。長時間(今日だと9時間)、雨に打たれ、体が冷えると手がしびれてくる。単なるしびれ感ではなく、長時間正座していたときの足のしびれと同じで、さらにそれにプラスして、ピリピリ感が伴う。風呂に入ると治る。荷造りを終えたのち、まだ家には戻りたくない。課題がある。あのキャベツのポット苗だ。今日も青虫をつまんだのだが、雨の当たらない倉庫に入れてあるせいでまだ青虫が活動している。となれば、一刻も早く畑に移すべきだろう。20メートルあるハウスの半分が空きスペースになっている。ただし雑草がすごい。そいつを引っこ抜き、堆肥とするために山にしておき、キャベツ苗の予定地にスコップを入れる。

 すべて取ったつもりだが、まだいるかもしれない。ポットひとつひとつに青虫はいないかと目を光らせてから土に埋めてやる。1時間半の作業で50本の苗を植え終わった。世に「手作り」という、たいていは誉め言葉として使われる言葉がある。ほめられるべきかどうかはわからないが、薬剤なし、機械なしとなれば確かに我が作物は手作りだ。ピリピリ感のする手で小さな草をつまみ捨てながら、思い出したのは数日前の読売新聞「あすへの考」。「担い手減、高齢化に挑む」と題された大きな記事に登場するのはエムスクエア・ラボという会社の社長を務める加藤百合子さんという方だ。加藤さんは東大卒でロボットの研究家。英国の大学ではデジタル技術で生育を管理する精密農業を学び、農地に均一に水がまけるスプリンクラーロボットを開発した。アメリカNASAでも仕事をしたことのある加藤さんは、

工業は世界の最先端で競争していて面白いですが、大量生産・大量消費がないと回らないビジネスです。子どもを2人産んだ時、母として子どもを置いてまでやる仕事かと疑問を感じました・・・

 と過去を振り返り、農業に目を向けた自分の気持ちを振り返る。そしてこうも言う。

初めて農業の現場を知り、率直に言って衝撃を受けました。「手つかず」、「閉鎖的」。ITを使えばボタンひとつで出来るのに、請求書に複写の伝票を使って月末になるとその整理が大変という農家がいまだに少なくありません。閉じられた文明・文化は滅びるというのは歴史が繰り返し証明している事実です。農業が発展しないのは閉ざしているからだということにフォーカスし、「開け!日本の農業」という基本理念を掲げて起業しました・・・。

 いささか耳の痛い指摘ではある。複写の伝票云々はまさしく僕自身のことである。たしかに、東大理系出身という秀才の目には、一部の例外を除き、日本の農業現場は古き遺物のごとく映るのも無理はあるまい。近頃は、我が村でも稲の消毒をドローンでやるようになっているが、1から10まで、2本の腕、2本の足でやる僕のような人間は「閉鎖的」であるのは間違いあるまい。ただし、僕の農業は、前にも書いたように、ビジネス半分、娯楽と健康のためが半分だ。ITとは対極の、たとえて言えば「文学的」な心を軸にした暮らしのかたちなのだ。もうひとつ、加藤百合子さんが記事の最後で語っている言葉を引く。

大都市に住んでいる人たちは土から離れてしまっています。一定の土との関わり、農業との関わりを持つことで人生が歩みやすくなるのではないかと思います。土はいいですよ。農業用ロボットの開発をしながら、私も週1回農場で働いています。日常生活で体にたまった静電気を土に流しているんです・・・。

 10月8日。6時50分に目が覚めた。昨夜の雨は止んでいた。ズシリと体が重い。日が短くなっているこの時期としてはここ1週間ずっと、労働時間が長かった、体が重いのはそのせいだろう。ゆるやかにランニングし、筋肉をほぐし、目覚めさせてやる。そして走りながら思い出す、3日前の朝日新聞「私たちはなぜ学ぶのか」。主人公は評論家・宇野常寛氏。宇野氏は業界の付き合いを絶った、酒もやめたという。そしてこう言う。

「一人で思考する」時はランニングと瞑想を実践します。移動する時って、買い物をするとか人に会うとか、何か目的にかなうものしか目に入らなくなって、偶然目に入るものに関心を払わなくなる。ランニングは走ることそのものが目的だから、たまたま触れるものや目に入るものに気持ちが向いて、意図せぬ刺激をすごくいっぱい受ける。街や土地との対話にもなります。学びというのは、どこかのレベルで一人になることを要求するものだと思います。一人で世界に向き合うのは、本来、「耐える」ことではなく快楽・・・。

 まさしくそうだと、ランニング歴53年余の僕も思う。走るという行為は思考力を高める。目の前の課題にヒントを与えてくれる。そしてもうひとつ。一人で世界に向き合うのは耐えることではなく、快楽・・・僕の立場で言うなら、それはズバリ、農業という暮らしの日々なのである。百姓仕事は苦もあるけれど快楽なのである。

 何日ぶりかで太陽の輝きを見た。嬉しい。光は少し弱々しいが、昨日までの雨と低温を思えば身も心ものびやかになる。荷造り2つ。かつ、久しぶりの晴天ゆえにやりたいこと多し。この上の写真は黒大豆。だいぶふくらんできた。収穫まであと半月ほど。そのふくらんだ豆の重さと、強い雨とで横倒しになる株は少なくない。倒れたままだと地面に触れた莢はダメになる。起こしてやろう。鍬を使って土寄せするという方法もあるが、それだとグラつきは残ったままだ。そこで僕は違う手を・・・いや足を使う。この次の写真のように、空手で言うところの足刀の要領で土を蹴り込み、株の根元にギュっと押し付け、直立させるのだ。これで地面近くの莢が傷むことを防げる、加えて全体の莢によく光が当たるようにもなる。

 黒大豆のケアを終えて、2か月前にドデカイ袋に詰めた草の仕上がり具合を覗いて見る。だいぶ腐食が進んでいる。今月末にはキャベツなんかの畝間に投げ出してやってもいいかもしれない。この腐食した草の下にはミミズ、クワガタの幼虫、ダンゴムシ、ハサミムシ、ムカデなど、多くが棲みつき、繁殖する。ゲイブ・ブラウンは『土を育てる』で、畑の表土をむき出しにしたままにしないことを強調している。アメリカの中西部では。何百キロ走っても見える作物はトウモロコシと大豆だけ。その作物が収穫された後は、裸、むき出しの土となる。それが悪いとゲイブ・ブラウンは言う。裸のままだと、表土は雨で流され、風で飛ばされる。土中の微生物は活動することができなくなり、化学肥料依存で痩せた土がさらに痩せる原因になるのだと。我が八街を有名としているものはふたつある。ピーナツと土ボコリだ。前回も書いたが、当地での栽培作物は限られている。12月から翌年3月頃まで何もないという畑が多い。春一番が吹くとその畑の表土が舞い上がり、車の運転でも恐怖するくらい視界不良となる。近所の奥さんが笑いながら教えてくれたことがある。今はまだいくらか良くなったけど、昔は、風で飛んだ土が雨戸の敷居にたまって、そこに大根の種なんかまいたくらいなんだよ、中村さん、アハハッ。

 僕は常に刈り取った草でせっせと表土を覆う。ばかりでなく、農閑期のない僕の農法では途切れることなく畑に作物がある。でもって、どれだけ風が吹こうとも土が舞い上がることは皆無なのである。

 10月9日。予想外に晴れた。ランチをすませる頃まで布団が干せる空模様だった。今日は畑ではなく、ブルーベリーやプラムなど果樹が連なる場所の通り道をクリーンアップする。毎日僕の足で踏みつけられているのに草たちは負けずに伸びる。小さな竹も混じる。スコップを横に滑らせ削り取る。そのサクサクという音と手ごたえが心地よい。そして早速にチャボたちが集まってくる。チャボは賢い。最も賢いのは、僕がスコップを手にしただけであとを追う。次に賢いのはサクサクというスコップの音でやって来る。僕が削り取る土の下から出てくるのはミミズ、クワガタの幼虫、ハサミムシ・・・あと僕の目にはほとんど見えないが、チャボたちがひたすら情熱を傾けてついばむ、小さな、何か。

 ゲイブ・ブラウンは「土をよみがえらせる土壌革命」のための5つの手法、その1つに「動物を組み込む」ことを提唱している。彼は多くの牛を飼っているが、牛でなくとも鶏でも良いと言う。自分の土地が大きな変化を遂げた、それを実感したのは、それまでいなかったミミズがうんと繁殖したのを見た時なのだともいう。

 明るい空はランチをすませる頃までで、だんだんと雲が広がってきた。いつ雨が降って来るかもしれない、荷造りを急ごう。今日出荷の品は、カボチャ、サトイモ、サツマイモ、ピーマン、ナス、小松菜、ピーナツ、生姜、栗、インゲン、ゴーヤ、カボス、そしてミョウガだ。ゲイブ・ブラウンは畑の作物に多様性をもたせることも強調しているが、耕作面積こそ天と地ほどの違いはあれど、僕の農法は彼の主張に合致している。次の写真はミョウガ。スーパーの売り場には初物として6月には出る。それが・・・うちのミョウガはもともと晩生ではあるのだが、それにしても遅い。しかしふと思い当たったことがある。6月から7月にかけて、僕は草取りを兼ねてミョウガにうんと深く土を盛ったのだ。結果、地表に顔を出すまでにかなりの日数を要した。その証拠として、親株とつながっている白い部分が20センチ近くもあるのだ。

 荷物を出し終え、クロネコ営業所から戻るころに雨が降ってきた。でも、ノルマは果たさねば。ポットで育苗しているキャベツ苗があと40本残っている。予定地は昨日のうちに荒起こししておいた。その草を高く積み上げ、整地した場所にビニールトンネルを仕立てて植え付ける。頭から全身雨に濡れる。そこに泥が着く。衣をまぶしたエビフライみたいな姿で夕暮れの作業を急ぐ。作業完了6時。読売新聞の朝刊を手にして熱い風呂に体を沈める。その一面トップ記事は「肥料 汚泥の活用促進―化学原料高、国産化へ」であった。化学肥料の原材料は小麦と同じく、ウクライナ情勢によって高騰し、農家の経営を圧迫している。政府はその改善策として下水処理で出る汚泥を肥料化しようというわけだ。はたして日本の農家を全てまかなえるほどに汚泥肥料が作れるのか、そもそも、化学肥料に慣れ切った農家がそれに切り替えようという気になるのか、少し疑問だが、計画としてはとても良いことだ。農業を始めた頃のゲイブ・ブラウンはさまざまな点おいて苦労を重ねたが、現在では化学肥料、農薬、除草剤などいっさいを使用せずに営農している。彼は言う。収穫量においては自分はトップレベルではない、しかし、収益においてはトップレベルだと。理由は、それらへの出費がゼロだから・・・僕の農法においても同じことが言える。常時ケミカルなものをカネを出して買って来たのではたぶんひどい赤字になる。それにしても、不思議というか、面白い。コロナは人間の日常生活を大きく変えたと以前から言われているが、化学肥料の原料である尿素や塩化カリウムが遠い国の戦争の影響でもって高騰し、農家を苦しめる。その打開策として汚泥を代替肥料として活用しようと考える。もしこのことをもって化学肥料依存の日本農業が大きく変化するとなれば、それは数少ないプーチン大統領の「功績」なのかもしれない。

 10月10日。午前中は期待外れでボンヤリとした空だった。今日はまず長ネギのケアからだ。種をまいたのは3月。定植したのは7月。収穫は11月に始まり来年春まで続く。種まきから収穫まで8か月以上というのは数ある野菜の中で最も長い部類であろう。

 9月半ばに鶏糞堆肥を畝間にドッサリ入れておいた。ネギの顔色で、ああ、肥料が効いてきたなということがわかる。今日やる作業はその畝間にドッサリ土を投入し、根っこから25センチくらいの高さまで埋めてしまうことだ。これでもって白い部分が長く成長する。白い部分だけ食べて、青いところは食べない・・・というのは、関東人だったかな、いや、関西人だったかな、どっちだろう、いま思い出せない。

 ケチケチ貧乏生活を特集したお笑い番組みたいなのに、このネギが出てくる。スーパーから買ってきたネギの根っこを切り落とし、プランターに埋めておくと再びネギの姿になるという話だ。たしかにそうだ、僕もふだんからやる。大きくなるには時間がかかるが、けっこううまくいく。昔の人は「ネギは自分の影をも嫌う」と言った。日当たりを好むという意味だ。ネギが最も嫌うのは長雨と浸水。度重なる長くて強い雨にあうと元気を失い、赤さび病になる。

 午前中はボンヤリしていた空が午後から一気に明るくなった。鼻歌気分で荷造りにかかる。そして午後4時、柿を3個、腹に収め、熱い珈琲を飲み、レタスの定植に取り掛かる。レタスの苗はすでにほとんどを先月植え終わっている。最後に残った50本。植える場所を作るのに苦労したが、狭苦しいけど、なんとかなるだろう。

 小さい苗であるゆえに、露地ではもうキツかろう。ビニールトンネルを仕立ててやることにする。ただし、まだ1か月くらいは晴れれば高温になるので、トンネルは密閉せず、南側を開放した形とする。トンネルを掛けてやれば強い雨が降っても叩かれることがないので両方合わせて具合がよい。どうにか暗くなる前にこの作業を終えることができた。

 レタスを植えたこの場所の土はとりわけ肥沃である。鶏糞堆肥と牡蠣殻石灰を入れ、完全腐食させた雑草とトウモロコシの茎葉も入れてある。レタスは酸性土壌を嫌うので、様子を見て焚火の灰を入れ足すこともある。前出のゲイブ・ブラウンは化学肥料を論じる項目で、クリスティー・ジョーンズ博士と土壌の生産性について対話したエピソードを紹介している。「養分が本当に欲しくて、農地として収益を出すのに不向きな土地は世界にどのくらいあるのか?」という彼の質問に対し、ジョーンズ博士は答えた。ほとんど全くない・・・と。つまり、養分はある。必要なのは、それを使えるようにする土壌生物の生態系なのだ。だから、化学肥料の使用を減らし、最終的にはなくすことも可能だと・・・。

 今日は最後に、荷造りしながら包み紙としての新聞を読んで思わず笑った話を書く。朝日新聞の土曜版。「いわせてもらお」。大阪の69歳、幸せなばあちゃんはこう書いている。

耳が遠くなって家族の会話に入っていけない。みんな何を笑っているんやろなとションボリしていると、小学3年生の孫娘が寄ってきた。「ばあちゃん、欲ばったらあかん。毎日おいしいものを食べて、きれいなものを見て、うれしいことだけ聞いて、最高やん」・・・。

 ははっはと笑ってから、僕は、まてよ、耳の遠い大阪のばあちゃんだけやなくって、これは、この百姓にも当てはまることやんか・・・そう思った。僕は畑から好きなものを好きなだけ取ってきて食べている。きれいな朝の光、その光に映える赤く色づいた柿、そして、しっとりとした夕暮れの朱色に染まった空。それを毎日見て暮らしている。ドサドサと音を立て、今日も僕の足元にやってきたガマガエル、水槽の中からじっとこっちを見ているウナギ、重さで大きくしなった、いやあ、参ったぜと嬉しい悲鳴を上げているようなピーマンの枝・・・そんなことに胸ときめかせて暮らしているこの百姓は、たたぶん幸せなじいちゃんである。

 10月11日。午後3時ころだったか、思っていたよりも早く太陽が雲に隠れてしまったのだが、それまでは快晴、無風で湿度も低く、最高の秋であった。この上の写真は10月6日に突貫工事で仕上げたハウスの中のピーマンだ。今日までわずか6日である。しかし、やはり、ビニールの中は夏野菜にとってははるかに快適らしく、露地よりも早く大きなピーマンになる。午前中は草取りに励み、その草取りの途中で出会ったヤマイモを掘り出すのに奮闘する。深さ80センチの穴を掘り、ヤマイモを逃がすまいと奮闘しつつ、ゲイブ・ブラウンの言葉を頭に想い浮かべた。彼が掲げる農的思想は「リジェネラティブ」(環境再生型)というものだ。この彼の思想に大きな影響を与えたのは福岡正信氏、その著作『自然農法 わら一本の革命』であるという。福岡氏の思想は、耕さず、草を取らず・・・としてよく知られているが、ゲイブ・ブラウンもそれを実践している。彼が掲げる大きな項目は5つあるが、その第一として強調されているのが機械的、化学的、物理的に「土をかき乱さない」ことなのだ。

 なぜ土をかき乱してはいけないのか。彼は言う。耕すと土壌の構造が壊れてしまう。肥沃な土をつくりだす土壌生物たちの「棲み処」をわざわざ引っかき回すことになるからだという。福岡正信氏の本は僕も読んだ。数多くのことを自分の農法の参考とさせていただいたが、ひとつ違う点があるとすれば、僕自身は耕すし、せっせと草を取ることであろう。経験の浅い人で、よっし、草も取らず、耕す必要もないのだな、それは楽チンでいいと、福岡農法に飛びつく例は過去に少なくなかったように思うが、彼らのその後の成果はどうだったろうか。僕の場合は、長い経験から、耕さず、草も取らずでは10中8、9の野菜はしかるべき収穫には至らなかった。たいていの野菜は草に負ける。ゆえに、スコップで深さ80センチまで掘り起こすヤマイモ収穫だけは例外なのだが、スコップを深く差し込み、土を反転し、草をきれいに退治する。そのことにおいては、ゲイブ・ブラウンの教えにも僕は反していることになる。

 しかし、ゲイブ・ブラウンの言う耕起は僕の畑におけるそれとはレベルの違うものだ。彼の言う「土のかき乱し」は、大型のトラクターによるものを意味する。それも、日本の農家で使われている耕運機よりもはるかに、アメリカでのそれは大型で、戦車みたいな機械で徹底的に深くひっかき回してしまっては、生きている土をわざわざ殺してしまうようなものだと主張するわけだ。となれば、我がふだんの耕起はせいぜい40センチ、ヤマイモを掘るときだけ例外的に80センチの深さだが、その穴の数や耕起面積はほとんど取るに足りないことと言えるだろう。

 午後からいつもの荷造りにとりかかる。まだ先になるだろうと思っていた黒大豆のエダマメ。朝の草取りの時に見たら予想外に大きくなっている。それで出荷の品に入れ足すこととした。ビニールハウスに収まっているトマトは旺盛に花を咲かせている。今後の気象条件がどうなるかにもよるが、少なくともあと1カ月はトマト収穫が続くだろう。今日の荷物には、この上の写真の品の他に、ミョウガ、サツマイモ、カボチャ、チンゲンサイ、生姜、インゲン、ピーマン、ナスを収めた。

 10月12日。予報では晴れだったが曇り空の朝である。午前中2時間ほど、あちこちの掃除、そして客人に供するお茶の準備にあわただしく過ごす。中村さんのところで農業研修をさせてください。わたしは将来の自給自足生活を目指しております・・メールでのそういう申し込みがあったのは10日ほど前だ。『83歳、・・・』の杉山氏のところには千客万来で、集会所のようなものもあるらしいが、客人を手広く受け入れるという人は、その杉山氏のみならず少なくはない。しかし僕は、気ままというか、我がままというか、来客を進んで受け入れるということはしない。ふだんの自分の生活ペースが乱されるし・・・客を迎え入れる以上、部屋も庭も散らかり放題をそのままというわけにはいかず、そのための掃除というのが億劫なためでもある。

 そんな僕が、今回の申し出を受けたのは、研修申し込みのメールの文章がきちんとしていたからだと思う。文章には人柄が表れる。熱意の度合いもそこから読み取れる。僕は依頼を受けることにした。今朝はビニールハウスの中に蓄電器やトースターを運び込み、珈琲と軽食でぼつぼつと会話しつつ、ご当人の過去と現在、未来を差しさわりのない範囲で聞き取る。そして「現場実習」に移る。ここに鍬を入れて、抜き取った草はここに山積みして・・・大根の間引き菜をきれいに整えて・・・。この人は働き者だなと僕は見た。この夏には北海道の牧場で1カ月ほど働いたという。朝は5時起き、夜は7時まで。早起きも肉体労働もいとわない。ただ苦手なのは、集団の中で他と歩調を合わせることだという。将来の自給自足の中には電気も含まれているらしく、僕に熱心に太陽光発電のことを質問していた。

 夕刻近く、もらったワインとナッツのお礼にと思い、ピーナツを持って帰っていただくことにした。僕が株を掘り上げ、ふたりで豆をもぎ取っている時、中村さん、すばらしい土ですね、真っ黒、ふかふか。なんだか美味しそう。食べてみようかしら。そう言うなり、彼女はほんとに手ですくった土を口に入れた。農業の世界では、良い土かどうかは口に含んでみればわかるという言い習わしがある。ただし、それはある意味、比喩的なもので、本当に食べるということはまずない。いつだったか、野菜の買い付けのためにある農園を訪れたバイヤーが、土を自慢する農園主から「ほら食べてみろ」と言われて口に入れたら、あっ、こいつ、ほんとに食いやがったと笑われたというエピソードもあるくらいで、どこまでもこの話は比喩である。ところが今日の研修生、ためらうことなく口に入れて、うん、やっぱり美味しいと言って微笑んだ。25歳。我が孫くらいの年齢。お世辞抜きにたくましい、将来の見込みありだ、僕はそう思いながら駅に見送った。またお邪魔させてください。彼女は手を振って階段を登って行った。

 そんな彼女が、現場実習の途中、これは何ですかと指さしたのがこの上の写真の白菜だった。農作業経験がなくとも、スーパーの売り場にある結球した白菜ならば白菜だとわかる。しかし僕の白菜は結球までにはまだ1カ月以上を要する。それだけではない。苗の定植後、虫の発生がすさまじく、派手にかじられた結果、生長点が2つ、3つに分かれた。その結果、事情のわからない人には白菜が白菜には見えなかったというわけである。いくらか負け惜しみめいたことを言うならば、生長点が3つに分かれた白菜は小ぶりな姿にしか仕上がらない。ところが、ひとつ1キロ半もあるガッチリと結球した白菜よりも美味なのだ。白い部分がほとんどなく、小さく巻いた緑の葉が柔らかいせいだろうと思う。

 10月13日。冷たい雨の朝である。降りはさほど強くないのでゆっくりとランニングに向かう。光のない今日みたいな天気、僕は不満だが、野菜たちには心地よいに違いない。朝食をすませ、畑をひとめぐりする。この上の写真はチンゲンサイ。間引いたものを200本くらい移植しておいた。3日前に鶏糞堆肥を入れた。移植当初はしょんぼりしていたが、今朝はひんやりした雨を受けて気持ちよさそうにしている。次の写真はウドの花だ。「独活の大木」という言葉がある。たしかにウドは驚くほどに大きくなる。大きくなってもちっとも役に立たない、そこから来た言葉らしいが、秋に見るこの花は上品、可憐である。汚名を返上させてもよい。

 キウイは収穫まであと40日。収穫したら箱か袋に詰めて、バナナかリンゴを入れて追熟させてやらねばならない。実の数を半分ほどに減らす摘果作業をしたのは9月初め。今こうして見ると、取らなきゃいけない小さなものが混じっていることに気づく。苗木を植えて35年。ウメ、プラム、アンズ、リンゴといった果樹には木肌が荒れ、老化現象が見られるが、キウイの木はどこまでもエネルギッシュで若々しい。

 さらに畑をめぐっていて、昨日の研修生が積み上げてくれた草の山に行き当たった。僕は途中で現場を離れたのだが、ああ、彼女はここまで頑張ってくれたのだな、鍬入れしてくれたところもきれいに仕上がっている。この草の山にはあとで上から米ぬかと鶏糞を乗せ、大きなビニールですっぽり覆っておこう。そうすれば年内には完全に腐食する。腐食したら、まもなく種をまくスナックエンドウの畝間に入れてやる。

 この草の山を眺めていて思い出したのは朝日新聞「ひと」欄、生ごみを堆肥にするバッグ型の容器を開発した平由以子さんのことだった。バッグ型で持ち運びが容易だから、宴会の場所に持ち込み、その場ですぐ残飯を入れることができる。ファスナー付きなので虫の侵入が防げる。においの発生も抑えるような工夫がしてあるという。そこで紹介されたエピソードに僕は目を向けた。28年前に父親が肝臓がんになった。余命3カ月の宣告。平さんは、当時は有機野菜の生産者が少なく入手に苦労したらしいが、有機栽培の野菜や玄米を食べさせると、父親は3カ月の余命が2年にまで延びたという。平さんが開発した容器は発売2年半で3万5千の世帯が使っているとのことだ。畑の草も、人間が食べ残したものも、うまく手を加えれば有効な栄養素となる。ちょっと雑ながら、ふだんの僕は、台所で切ったヤマイモ、サツマイモ、人参、サトイモの皮、葉物野菜の根っこ、お茶ガラ、珈琲カス、あらゆるものを台所裏に投げ捨てる。それがいつしか黒い土になる。さまざまな虫が活動するようになる。その土をポットに入れて種をまく。循環型農業の一端である。臭いも見てくれも気にせずにすむ百姓の特権であろう。

 今日はずっと冷たい雨の寒い1日となりそうだが、明日は晴れて気温も高くなるという。ならば明日は焚火に専念せねば。老化現象の見られる果樹をここ1カ月、かなり伐採した。その片付けも兼ねての焚火だ。前から書いているように、その焚火から出る灰を肥料として僕は活用している。『83歳、脱サラ農家の終農術』の杉山氏も薪ストーブの灰を肥料として活用しているとの記述を目にして、ああ、同じだと僕はちょっとうれしくなった。

 何日か前、テレビと新聞で「メンタルヘルスデー」というのがあることを僕は知った。元競泳選手・萩野公介さんが不眠、食欲不振、不安感情で苦しんでいたということも初めて知った。彼は語っていた。他の選手に勝っても、そんなに幸せじゃないですよ・・・。それを読んで僕は思った。百姓仕事にはむやみな競争がない。他からの強制もない。もちろん努力はする、収穫を増やすためにあれこれ工夫もしている。しかしどこまでも百姓仕事は自由意志で、監督やコーチの叱責はない。気合が入っとらんとビンタを食わされることもない。冷たい雨の中を走り回りながら、泥にまみれて、まるで衣をまぶしたエビフライみたいな姿となっても、心は不思議とゆるやかに羽ばたいているのだ。苦しきことも多かりき。されど楽しきことも多かりき。精神は自由。それが百姓という稼業である。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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