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田舎暮らしの本 5月号

最新号のご案内

田舎暮らしの本 5月号

3月1日(金)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

DIE WITH ZERO考/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(31)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回は、ビル・パーキンス著『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール、それをテキストとして僕の想いのあれこれを書いてみようかと思う。2020年9月発行、ダイヤモンド社。かなり話題になった本らしいのだが、編集長に教えていただくまで僕は知らなった。著者ご当人は、若い頃、辛く厳しい時もあったと述べるけれど、現在は1億2000万ドルの資産を持つ、いわば富豪である。そんな方が、カネの価値を大いに認めつつも、使い方を間違えると無価値になる、死ぬ時には全く意味をなさないものとなる。力を込めてそう語りつつ、この本においては、若い時代にチマチマとカネをためるなんてつまらんこと、カネはどんどん使え、死ぬ時には一文無しになれ・・・そう言うのだ。いわば、富豪者の論が、僕には奇を衒ったとさえ感じられる主張、しかしそれがこの本の軸であり、深い読みどころなのである。

 著者は「まえがき」でアリとキリギリスのイソップ童話を引く。アリとキリギリスの話が引用される場合、世間での多くは、アリの勤勉を称える、キリギリスはその引き立て役として、ほらな、遊び惚けるからそんなことになるのだよと、時には揶揄の対象にさえなる、これが普通だ。だが、ビル・パーキンスは違う。アリの生き方に疑問を呈する。その姿を我々人間にも重ねて、短い人生を奴隷のように働いて過ごし、そのまま死んでいくのか。いつ、楽しい時を過ごすのか、そう読者に問いかける。そして言うのだ。この本のテーマは次の如くであるのだと。

ただ生きるだけではなく、十分に生きる。経済的に豊かになるだけでなく、人生を豊かにするための方法を考える。私はあなたの人生を確実に豊かにする方法だけは知っている・・・。

 10月30日。朝は冷える。とりわけ、ここ数日、僕は5時半ないし6時ちょっと過ぎにベッドから出ているので起床時はかなり寒い。ふだんからアリのごとく働く百姓が、ここ半月はさらにハードワークを重ねている。昼間大いに働くと、湯上りの酒が美味い。夏が過ぎて以後、ビールからワインに乗り換えたが、通常は大きなグラス一杯というワインがとことん働いた日には二杯になる。すると酔いが回る。眠気が早い。10時にはもうベッドにもぐりこむ・・・ということで6時前には目が覚めるわけだ。

 毛糸の帽子、手袋、マフラー。そんな姿でランニングに向かう。そこで玄関の「美しさ」が目に留まり、ひそかに僕は感動する。昨日来客があったのだ。それでもって事前に3日もかけてあちこちを掃除した。庭や駐車場はもちろん、何時間にもなる滞在だから、来客はお手洗いを貸してくださいと言うかもしれない。となれば、お手洗いのみならず、そこに至る廊下も、玄関もきれいにせねば。ふだんこの玄関には収穫したイモや豆の袋があり、チャボの産卵場ともなっている。その糞や抜けた毛もいっぱい。突然の来訪者は誰もがゴミ屋敷だと思うだろう。そこに水を流し、デッキブラシでゴシゴシとやった。いいねえ、きれいになった。

 来客2組は、ふるさと納税でのお客さんである。もとから親しい間柄らしく、どちらかがどちらかに、中村自然農園の品物はいいわよと紹介してくれたらしい。そして、3年続けての納税リピーターとなった。僕のビジネスにとっては大事なお客さんなのだ。1年以上も前からうちの畑を見てみたいと言っていたのだが、コロナの関係でダメになっていた。そして9月、来訪決定。どうせ行くなら、畑仕事も経験させていただけますかとの要望があり、僕は快諾したのだった。ピーナツの掘り取り、エダマメの莢ちぎり。4人とも楽しそうにやってくれた。東京都心のタワーマンションに暮らしている人たち。チャボが走り回る畑のみならず、果樹や物置やソーラーパネルが連なり、迷路のごとくなった通路を腰を曲げて通り抜け、そこから見上げればおびただしい数のシートと土嚢の乗ったボロ屋根がある、屋根には草が生えている・・・不思議な世界に思えたかも、ある種、カルチャーショックを受けたかもしれない。ともあれ、昨日の来訪は僕にとってはビッグイベントだった。粗相のないよう、新しいスリッパを何足も買い、脱臭剤もいくつか買った。そして綿密な作業手順を練り、前に書いたビニールハウスの応接室(トップの写真)にランチのディッシュを3つ準備し、歓談した。ビル・パーキンスの偉大なビジネスとは比較にもならない。が、全力を傾けてクライアントを確保する、そしていささかなりとも収入に結び付ける・・・この点において、我が努力は大富豪の精神と何ら変わりはなかったことであろう。

 今日の主な仕事はタマネギの定植だった。4種合計で500本。半日以上を要した。タマネギ仕事を終えた後は、イチゴ苗の移植、トマトのビニール掛け。トマトにはすでにビニールは掛けてある。ただし、掛けたビニールが古いもので光の透過が悪い。それで南から西にかけての午後からの光が差し込むよう、大きな窓が開けてあるのだ。だが、朝晩はだいぶ冷える。迷ったが、もう1枚ビニールをかぶせて全面をふさぐことにした。新たに掛けたビニールもかなり古いから光はうんと遮られることになる。しかし・・・夜の寒さにさらしたままよりこっちの方がプラスは大きい、そう僕は判断したのだ。最後は電気をつけて、全作業終了が6時。起床時刻が早かったゆえ、今日の労働時間は10時間だった。

『DIE WITH ZERO』のビル・パーキンスは著書の中で、長年、緩和ケアの介護者として多くの患者を看取ってきたオーストラリア人、ブロニー・ウェアの調査結果を引く。彼女は、余命数週間の患者たちに人生で後悔していることについて聞いた。最も頻繁に耳にした後悔は5つあったそうだが、ビル・パーキンスは自分の本の主張に重なるものとして次の2つを挙げる。

最大の後悔は、「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」であった。他人が望む人生ではなく、自分の心の赴くままに夢を追い求めればよかった、と。

次に多かった後悔は、「働きすぎなかったらよかった」だ。「私が看取った男性はみな、仕事優先の人生を生きてきたことを後悔していた」と、ウェアはつづっている。

 この2つの後悔は、ある意味、僕には耳の痛い話である。ガールフレンド「フネ」は常々言う。畑バカ、仕事バカ、もっと遊べ、たまには昼寝もしろよ、原始人め・・・。たしかにフネの罵詈雑言は当たっている。真夏、畑土の上は50度になる。そこでスコップ仕事をした僕は、とりあえず手足の泥を落とし、ささっとランチをすませたら歯ブラシをくわえたまま、そそくさと再び畑に向かう。昼寝なんて・・・保育園のおやすみタイム以外、一度もしたことがない。全くそんな気にもならない。ビル・パーキンスが知ったら、フネ以上の罵詈雑言を浴びせてくるかもしれない。だが・・・しばしば書くが、僕のやっていることは、世間で言う、ビル・パーキンスも言う「仕事」なのかどうかに大きな疑問がある。

 幼いころから動物、植物が好きだった。会社がイヤになった、それでサラリーマンを辞めて農家を始めた・・・表向きはそうなっており、自分でもそうであるとずっと信じていたのだが、ひょっとして、僕は、子供時代の夢をずっと追い求め、その夢を実現させるため、上司のパワハラ云々は都合のいい口実に使っただけではあるまいか・・・。自分の心の深い奥底にある「真実」とは何なのか、近頃、量りかねてしまうことさえあるのだ。すなわち、オレの今やっていることは、ひょっとして仕事なんかじゃないのかもしれない。だから楽しくて、昼寝なんてしていられない。暗くて手元が見えなくなったら電気をつけてでも続行する・・・そうなのかも。とはいえ、ビル・パーキンスが言う通り、人生の三大要素は金、時間、健康である。ビンボー何するものぞと強がりめいたことを言うが、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するためにはやはりそれなりのカネがいる。「遊んで」ばかりはいられない。もって、僕は、自分で食べる野菜、果物、卵は全体の1割で、あとは商品とし、月額10万円ほどのカネを得ようと努力しているわけだ、夏は11時間、冬でも9時間働いて。たしかにこの数字から見れば働きすぎだよね。されど、いつか命尽きる時、「働きすぎなかったらよかった」と後悔することはきっとあるまい。「もっと自分に忠実に生きればよかった」、そう悔やむこともあるまい。だって僕は、「自分の心の赴くままに夢を追い求め」て、どうやら生きてきたらしいのだから。

 10月31日。6時起床。ひえびえとした空気の中で水仕事をする。ビニールの洗濯だ。まずは庭にある貯水タンクでゴシゴシと洗う。次に風呂場に持ち込み昨日の残り湯の浴槽に漬けて、足で踏む、手でもむ。幅4メートル、長さ14メートルというビニールの洗濯はジムでのトレーニングと同じくらい筋肉を使う、カロリーを消費する。そんな冷たい風の中で濡れ仕事をするというのも、これでもって少なからぬ金額の節約になるからだ。今朝洗ったビニールは、草ぼうぼうのヤブに半分埋もれていた。引っ張り出してみるとほとんど破れはない。その瞬間に僕は心変わりした。すでにアマゾンの注文ボックスに、幅5メートル40センチ、長さ21メートル、15500円のビニールが入れてあった。これを消去し、ヤブから出てきた泥だらけのビニールの洗濯に励むこととしたのだ。もちろん新品に比べたら光の透過は悪い。作物の生育も鈍くなる。それでも、新品のビニールを使用するハウスでの野菜収益が2万円だと仮定したら、光透過率の落ちる古いビニールでも損益計算ではプラスとなる・・・こう考えて、朝も早よから水仕事、そうなったのである。

 ビニールの洗濯をすませてからランニングに向かい、そして朝食の席についた。今朝も「上質の一杯」と袋に記されたドリップ珈琲を僕は飲む。飲みながら、ビル・パーキンスの例え話を思い出した。それは、時間と金を、いつ、どこに投資するかというせっかくの「自由」を十分に活用している人は少ない、そう述べるくだりでのことだった。毎朝珈琲ショップに立ち寄り、決して安くはない珈琲を買い、一日を始める人は多いと彼は言う。アメリカでの珈琲一杯が今いくらするのか僕は知らないが、ビル・パーキンスは年額にすると数千ドルになると見積もる。それだけあれば数カ月ごとに国内旅行の往復航空券が手に入る・・・単なる朝の習慣である珈琲に使うよりも、新たな体験をさせてくれる旅行にその金を回した方がよいではないか・・・。もっと人生に有効な金の使い道を真剣に考えろ、そうした主張の中にスターバックスの珈琲の話が出てきたのである。

 さて、今日は大仕事にとりかかる。小さな円形ハウスを設置しようと思うのだが、その候補地はタフである。隣地、植木屋さんの土地との境界線。そこは、植木屋さんが植えた木、僕が植えた木、それらの根っ子が地下で錯綜している。だけでなく、ツタ類も繁殖している。さてどうするか。大木の太い根からギリギリの位置に深い溝を掘ることにした。そうすれば、地下で錯綜するすさまじい数の根を一網打尽にできる。

 まずは、4本爪の、その爪幅が2センチある重たい鍬をトップパワーでふりかぶり、打ち込む。鍬ではどうしても切断できないものはノコギリを使う。この作業をおよそ2時間。次はスコップに持ち替える。鍬とノコギリから身をかわした根っ子を削り出す。最終的には、幅50センチ、深さ60センチほどの側溝めいた形のものが仕上がる。途中で、柿とケーキと珈琲で力を養い、さらに続行。それでも終わりではない。掘り上げた土の中に紛れ込んでいる根っ子を辛抱強く拾い出す。かくしてトータル6時間の仕事がギリギリ日没前に完了した。たぶん今夜も晩酌のワインがうまい、よく眠れる・・・。

 ビル・パーキンスは言っている。人生において大切なのは、金、時間、健康。なかでも大切なのは健康であると。健康を損なうと生涯の充実度は大幅に下がる。健康悪化の影響は複利的に膨らむことが多い。人生とは動くことである。動くことが苦痛になったり制限されたりすれば、できる経験の幅も減ってしまう・・・とも彼は言う。僕は月に1回か2回ほど、今日みたいにかなりハードな作業をやる。始める前にハードであることを予測するが、でも気持ちは逃げない。まあ、なんとかなるさ、たぶんやれるさ。常に楽観的である。

「金」「健康」「時間」のバランスが人生の満足度を高める

健康の改善は人生を大改善する

若い頃に健康に投資した人ほど得をする

 健康を論じる中でビル・パーキンスが掲げる項目がこの3つである。若い頃から食生活に気を付け、筋肉を鍛えておけば70代になっても人生を楽しめると彼は言う。僕はそうだよなと首を縦に振る。そして思う。人生は、偶然という小さな輪のつながり合ったものである。その偶然が今の自分をこしらえたのだと。僕の両親はどちらも小柄だった。生まれた子5人はだからどれも体が大きくないが、なかでも僕が最も貧弱、他の兄弟と比較しても、肩幅が狭く、腰回りが細く、兄や弟からもらったおさがりのズボンがたやすくズリ落ちてしまう。両親が小柄なのに加え、母が僕を妊娠したのは終戦から7カ月過ぎたころ。のちに42歳で肺結核で死ぬ母の母乳の出はおそらく悪く、その後の離乳食も貧弱で、兄弟のなかでも僕が一番ワリを食ったのではあるまいか・・・ひがみではなく、時代の影響を客観冷静に考えて、そう思うのだ。世間には、親の過干渉とか親との確執とかの話がけっこうある。僕にはそうしたものはいっさいなく、苦労しただろうなあ両親は、それでもよく育ててくれたよなあという感謝だけが今はある。ただひとつ、もう少し大きな体に生んでくれたらよかったのにという不満は子供心にあった。柔道部や野球部で活躍する同級生は体が大きく、その両親もまた大きな体をしていた。僕の父は酒を飲むとよく言っていた。ワシは、体は小さかったが相撲では負けなかったぞ・・・それが僕にはいつも悲しい負け惜しみに聞こえていた。

 体の貧弱が僕の心をずっと支配した。中学に上がって部活に入らず、放課後には野山を歩き、虫取りなんかに興じていたのは、団体活動が好きではないという性格とは別に、やはり貧弱な自分の体が理由だったに違いない。そして東京での高校生活。ちょっとしたことでクラスの番長の怒りを買い、ボコボコにやられたという話は前にも書いた。いつか仕返しをしてやるぜ。それで始めたのがボクシングの真似事だった。8歳違いの兄と一緒の六畳一間のアパートに腹筋台を置き、畳をすり減らして腹筋にも励んだ。バイトで稼いだカネで18段変速のドロップンドルを買ったのは高校3年の夏。それで僕はふるさと祝島を目指した。1日最長200キロを走ることもあった。当時、鎌倉に友人がいて、東京中野から鎌倉までを何度も走った。そこからずっと今まで自転車熱は継続している。若い皆さんにはピンとこないだろうが、民営化前の国鉄ではストライキが頻発した。当時僕は千葉県我孫子の団地で暮らしていたのだが、東京の本郷まで、国道6号線を突っ走る自転車通勤を何度もやったものだ。時間は少し前後するが、ボクシングに続き、大学に入って空手も少しかじった。すべては、あの番長に仕返しするため、そして自分の貧弱な体を克服したいがためだった。

 人生とは、偶然という小さな輪がつながり合って出来たもの・・・。貧弱な体、ボコボコにやられた経験。それらを哀しみつつも、なんとか克服したいという前向きの精神を僕は持っていた。気づいたら・・・ビル・パーキンスが言う通り、「若い頃に健康に投資した人ほど得をする」という結果を得ていた。重たい鍬とスコップでの手仕事を6時間続けても息は切れない。翌朝はたしかに骨や筋肉の痛みを感じるが、動き始めるとその痛みはすぐ消える。我が百姓生活を持続可能にしてくれているのは強い筋肉と骨なのだ。その筋肉と骨の土台を作ってくれたのは、貧弱に生まれついた自分のコンプレックスと、僕をボコボコにしてくれたあの番長の「おかげ」・・・。なるほど人生とは面白いものである。

 11月1日。はや11月である。今日の朝日新聞「素粒子」は、何ともはや、ことしも2カ月を残すのみ・・・そう前置きして次の句を引いていた。

うかうかと十一月を迎へけり  中島弘子

 ビンボー暇なし百姓の僕は、うかうかと過ごすことなく、畑を走り回る、這い回る、そんな日々なのだが、たしかに「うかうか」という修飾語句がぴったりで、気づけばもう11月だ。過ぎ行く時間のスピードはなんとも速い。何日ぶりだろうか、光のない朝である。夜型の僕だが、先に書いたように、このところ連日のハードワークで、そのハードワークゆえに、ふだんはグラス1杯のワインがうまくて2杯飲むせいで、ベッドにもぐりこむ時刻が早い。それゆえに目覚めも早い。5時半から6時にはもうベッドを抜け出す。そんな時刻にはまだ太陽の姿はなく、キリキリと体が冷える。いつものランニングと朝食をすませたら畑に向かう。かじかむ手であちこち散乱する枯れ枝を集めて火をつける。夜露で湿っているので少し手間取るが、燃え上がればたちまちにして体は熱くなる。

 今しきりと新聞・テレビでは、政府の電気・ガスにおける価格抑制策が伝えられている。向こう半年で、平均家庭で45000円くらいの補助になるそうだから悪くはない。ただ、どうして都市ガスだけなのかという疑問を持つ。田舎はたいていプロパンガスなのだ。プロパンガスもけっこう高いのだ。さて、エアコンがないことは前に書いたが、僕は石油ストーブも使っていない。5年くらい前まではあった。でも、スタンドに灯油を買いに行き、ストーブのタンクを満タンにする、その作業が面倒くさくなった。結果として月に何千円かの節約となった。石油ストーブをやめたのは面倒くさくなったという理由の他に、太陽光発電を始めたこととも関係がある。また、ボロの我が家は隙間だらけで熱効率が悪いということとも関係していただろう。結果、師走以降、室温6度となるパソコン部屋で、僕は尻に電気座布団をあてがい、毛糸の帽子をかぶり、腰に毛布を巻いて寒さをやりすごす(この原稿もそんなスタイルで書いている)。部屋の中で帽子・マフラーだなんて・・・笑われるかもしれないが、けっこう乗り切れるものなのである。

『DIE WITH ZERO』のビル・パーキンスは著書の中で繰り返し、カネはどんどん使え、どんなことにでもいい、今しかできない情熱を傾けるべきことに思い切って使え、そう述べている。自身の体験の一例として45歳の誕生日のパーティーを記す。親しい友人を招く。飛行機代、宿泊代、すべて自分で払う。カリブ海の島のホテルを貸し切りにして、歌手を呼んでプライベートコンサートまでやってしまう。・・・富豪ならではのパフォーマンスだ。彼は次のようにも言う。やるべきこともやらず、具体的な目的もなく、老後に備えて貯金するなんてと。

エイリアンの襲来に備えて貯金するバカはいない

今の生活の質を犠牲にしてまで、老後に備えすぎるのは大きな間違い

 僕は貯金がない。さしたる稼ぎではないけれど、入ったカネはすぐ使う。そのほとんどは太陽光発電のバッテリーやインバーターだ。最近も200アンペア、85000円というバッテリーを買った。やりたいことをやる。情熱を傾けられることにおしみなくカネを使うべき、それが人生だ・・・そう言うビル・パーキンスの主張にもしかしたら沿っているかもしれない。エアコンがない、石油ストーブも使わない。地球温暖化が叫ばれる今、化石燃料を使わず、どこまで耐えられるか、自分の耐暑性、耐寒性を確かめてみよう。これが僕の「やりたいこと」なのだ。正義感みたいなものがあるわけじゃない。悲壮感なんてもちろんない。けっこう面白がって、楽しんでやっている。動物、植物が好きだった。部活で全員、おおっ、おおっと声を揃えて叫ぶよりも、独り、丘の上から海を見下ろす、林の奥にぶら下がったアケビの実に胸をちょっとときめかせる・・・あの幼児性が今もって生き続けている。朝の寒さを石油ストーブではなく焚火でしのぐ、僕の心に秘められている幼児性の一例なのである。

 11月2日。暗い空、小雨まじりの天気、それは昨日1日だけだった。今日はパーフェクトだ。洗濯機を回してからランニングに向かう。洗濯物はカラッと乾く。ソーラーパネルはいっぱい電気を作ってくれる。それだけで幸福感に満たされる我が人生は安上がりである。今日のテレビが伝えていた。詐欺同然の投資話に引っかかる若者が増えているのだと。被害者を責めてはいけないと思いつつも、僕は思う。半年足らずで10%、15%の配当が付くという甘い話を信じるのは勉強不足だと。たしかに、株で儲けた、為替で儲けたという話はよくある。しかし、儲けた人がいるということは、損した人がいることをも意味する。ましてや、怪しげな人物が開く投資セミナーでの「誰でもすぐ儲かる」という甘言に安易に乗るというのは軽率、苦難を伴わないラクチン人生をチョイスしたのだと、僕なら辛口の批評をする。

 こんな話の中にいきなり農業を持ち出すのは極端かもしれない。費用対効果が悪い業種は世間にいくつもあろうが、そのひとつが農業だと僕は思うからだ。半年で配当15%。それを安易に信じる甘さを冷静に考えるためには農業がひとつのヒントになるだろう。ほんの一例を掲げる。正月半ばから3月にかけては野菜の端境期。そこに照準を当てて収穫するため、今の時期にホウレンソウやカブの種をまく。そのためには、何度も鍬を入れ、細かい草を取り、堆肥を入れてからビニールトンネルを掛ける。年が変わり、外は氷の張るような寒さになっても、トンネルの中は暖かいので草が生える。ビニールをまくり、土寄せを兼ねてその草を取る。収穫までに同じことを2回か3回やる。

 さらに、どれだけ寒い冬となるかにもよるのだが、夜間の冷え込みを避けるためにビニールの上から毎夕シートをかぶせ、翌日、陽が高くなったら外すという作業を繰り返す。そしてようやく収穫だ。1月から2月にかけての風は冷たい。ときには、洗い桶に張った氷を叩き割ってから、束ねたホウレンソウやカブを水洗いする・・・かくして得られる売り上げ、長さ8メートルのビニールトンネル1本でおよそ1万円か。わずか半年で配当15%といううまい話との隔たりがおわかりいただけよう。されど・・・である。両者にはその「舞台」の味わいに違いがある。片やパソコンのモニターのみ。片や、青い空、黒い土、冬とはいえど激しく動けば心地よく流れる汗・・・日々の労働で得られる何千円かのカネは些少かもしれないが、カネとしての価値とともに人の暮らしに健やかさをもたらしてくれる価値もそこにはある。

 この上とこの下の写真は、今日ほぼ1日を要して組み立てたビニールハウスである。もともと別な場所に設置してあったものを分解し、移動した。移動したのは、一昨日、6時間をかけて根っ子退治をしたあの場所。こういう作業をする前日の夜は、電気を消したベッドの中で明日の手順を頭の中に描く。たいていの場合、描いた通りにはならず、作業現場でのアドリブが多発するのだが、眠気が襲ってくるまでのそのシミュレーションは心地よいプレリュードみたいなものだ。『DIE WITH ZERO』のビル・パーキンスは言っている。

人生で一番大切な仕事は「思い出づくり」

 そしてこうも言っている。人生でどんな経験をしたいのか真剣に考え、それを実現するために計画を立てる。そうしなければ社会が敷いたレールの上を進むだけの人生になってしまう。残念ながらそんな人生を生きている人は多い。彼らは人生という名の井戸から毎日ポンプで水を汲んでいる。その水を小さなコップでしか受けていない。コップはすぐ一杯になり、水が溢れてしまう・・・。

 人生で一番大切な仕事は思い出づくり。じつは、今日完成のビニールハウスに使ったパイプを含め、僕の思い出は何百本とあるハウスやトンネルのパイプに重なっている。何百本は過去30年に買った総数だ。長く土に埋めて使うものゆえだんだんに腐食する。大きな台風に煽られるとその腐食部分が曲がる、折れる。でもまだ使える。当初の寸法よりも短くはなるが、短くなったもの同士を組み合わせればそこそこハウスの形をなす。強風で半壊・倒壊したことをきっかけとして今日みたいにハウスの場所を他に移転しよう。その作業をする僕の頭に「過去の思い出」がよみがえるのだ。予想を超える収穫を得た良き思い出もある。あんなに苦労したのにと、あえなく、ほぞを噛んだ記憶もある。長い年月ゆえ記憶から欠け落ちたものもあろうが、ハウス建設、そして倒壊、そして場所を変えてのさらなる建設・・・そのプロセスはまさしく百姓としての僕の一番大切な「思い出」なのだ。パイプをしっかり埋め込むためには深さ50センチに及ぶ穴を掘る必要があるが、さて、過去30年でオレはどれだけの穴を掘ってきたことか・・・。僕にとっては手ごたえある、納得のいくこれまでの穴掘り人生だった気がする。夕暮れ、仕上がったばかりの円形ハウスに明かりを灯す。大きな提灯みたいか・・・いや、僕には、こんなところに着陸するつもりではなかったのにと、ちょっとばかり船長が嘆いているUFOのようにも見える。

 11月3日。ほとんど夏日である。そしてビニールハウスをゆがめてしまうくらい強い南風が吹く。今日はふるさと納税の品の発送が2つあるので荷造り作業を早く始める。サツマイモとサトイモを掘る。ピーナツも掘る。大根、カボチャ、ピーマン、チンゲンサイ、生姜、エダマメ、シークワーサー、ミニトマト、卵を順次箱に詰めていく。強風ゆえ仕事がやりにくい。2人のお客さんとも今回が初回ゆえ、初めましての感謝の言葉に品物の説明を書き添えたメモを同封する。5時間の作業で、荷物が仕上がったのは午後4時45分だった。

 今月どれだけの発注があるか。毎月の初めにふるさと納税事務局から僕のパソコンに連絡が入る。その翌日に送り状が手元に届く。前月よりも数が減っていると落胆する。一方、たとえ1つでも増えていれば気分は高まる。増減数はさしたるものではなく、金額にすれば2万円ほどでしかないが、前月に対してプラスαとの連絡をもらうと頭上の空の青さがひときわ青くなったような気分となる。ましてや、そのプラスの中にリピーターがいたら、よっしゃ、と指を鳴らしたくもなる。

 仕事の喜び、労働のモチベーションとは、自分が他から必要とされていること、それと同時に、しかるべきカネが入って来るという喜びであろうかという気が、仕上がった荷物を前にして、僕はする。たとえ1万円でも、前月よりも増えたということが百姓の気分を明るくするのだから、カネというものが秘めているパワーというのはなかなかのものではないか。何万円かのカネも、太陽光発電のパネル1枚、バッテリー1個を買えばあっさりとなくなるのだが、実際僕は、入ったらすぐに使いたくなる性分で、それでもって貯金はゼロなのだが、前月比で何万円かの増という事実は、ひととき、ほんわかとした幸福感を与えてくれるのだからカネとはあなどれないし、ありがたいもの。だからとて・・・カネのためだけに働く、時間を使いつくすというのは、ビル・パーキンスの言う通り、むなしい、悔いを残す。すべてはバランスである。

 荷造りを終えた後、キャベツが植えてあるハウス3つに順次足を運び、ひとつずつケアをする。浮き上がって傾いているものは起こしてやり、草に囲まれているものは草を取り、水を欲しがっているらしいものには後で水を運んでやる。3つのハウスで合計百余り。両手にバケツを提げて、水場から何往復かしているうちにあたりは真っ暗になった。よく働いたなあ。むかし流行した「自分へのごほうび」という言葉。我がごほうびは、熱い風呂、湯舟の中で新聞を読むくつろぎ、風呂から上がっての晩酌。おまけとしてワイングラスを手にして水槽のウナギを眺めるゆったりタイム・・・ルイ・ヴィトンでも、オメガでもない。なんともささやかなものである。

 11月5日。曇天で肌寒い。小さな雨も落ちてくる。荷造りしながらふと思う。今日までの35年間で何個の荷物を作っただろうか。どれだけの数のガムテープを買っただろうか。最盛期は月に60個、現在は30個。35年間の荷物総数は1万5000を超えるくらいの数になるのか。燃えるような暑い日があり、男のモノが縮み上がるくらい寒い日もあった。もう少し頑張れば冷たい牛乳が飲めるぜという猛暑の日。もう少し頑張れば熱い珈琲が飲めるぜという氷雨の日。でも、体調不良でやるべき仕事が出来なかった、そんなことは皆無だった。我が人生サイコーのこと、幸運ではなかったかという気がする。

 荷造りの途中でミカンをひとつもいで口に入れる。収穫はもう少し先にするつもりだが、現段階でどんな味かを確かめようと思ったのだ。悪くない味だった。荷造りを終え、時無し大根をまく予定地に向かう。時無し大根は遅くまでまけるものだが、それでも10日以上は遅れている。よってビニールトンネルを仕立てる。おおまかな打ち起こしは昨日のうちにやっておいた。今日はそこに細かく鍬を入れ、スコップでさらい、両膝をついて小さな草とゴロ土を拾い出す。静かである。あたりの風景も、我が心も静かである。渋谷スクランブル交差点の喧騒とは対照的に静かである。週刊ポストがそれを叩いていた。

コスプレバカのから騒ぎハロウィン悪習の「生みの親」出てこい!!

 僕もこの意見を支持する。人間、誰でも楽しい時を過ごすのはいいことだ。でも、いつかどこかで見たことのあるへんてこりんな仮装をして気分高揚するというのはチョッピリ次元が低くはないか。幼すぎないか。ましてや、誰かの商魂に踊らされているのだとすれば悲しくはないか。

 仕事を終えて、部屋に戻り、テレビをつける。僕は長くTBSの「報道特集」のファン。日の長い夏場は無理だが、暗くなるのが早い今は放送開始から少し遅れた時刻に見ることができる。ただ、金平さんがいなくなったのがちょっと寂しいなあ。寂しさはもうひとつ、テレビ朝日から玉川さんがいなくなったことも。何か失言があったらしい。しかし、ミスをミスと認め、謝罪すればすんだことではないのか。ふだんから強いものに挑み、辛口批評する玉川さんゆえ、そのミスを、ここぞとばかり攻撃の材料とした人も多かったのではあるまいか。金平さんも玉川さんも僕はずっと好きだった。

 11月7日。起床時には光があった。それでもって、よっし、今朝は自転車を走らせようという気分になった。いつも走るコースにはアップダウンが3か所あり、最長500メートルの上り坂ではかなり筋肉を使う。心肺にも負担がかかる。でも、終わった後の気分はなかなかいい。朝メシもうまい。自転車歴57年。ガソリンを使って走る車には全く無知だが、僕は自転車には詳しい。

 荷造り作業の合間にサルナシを食う。今年は例年とは様子が違い、今頃ようやく熟してきた。熟したかどうかの見分けはシワ。人間は顔のシワを嫌い悲しむが、サルナシはうんとしわくちゃになったものだけが甘くてうまい。

 野菜を箱詰めしている途中、ハウスの中でミニトマトを摘んでいたら天井で音がする。空耳かとしばし思っていたが、雨だった。わあっ、作りかけの荷物の箱が濡れる。摘んだトマトを右手に持って突進したら足元のブルーネットに引っかかり、転倒した。幸い、トマトの入った袋は手から離さず無傷だったが。

人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく。 那須耕介

 朝日新聞「折々のことば」から。たしかにそうだ。長い歳月、僕もずいぶん転んだ。しかし、大けがをすることがなかったのは、転び方がうまかったということか。僕を慌てさせた雨はすぐに止んだ。でも空はまたいつ降り出してもおかしくない暗さ。面倒だが袋に詰めた野菜をすべて玄関に移動して荷造りを再開する。今日のお客さんもふるさと納税のリピーターで、年12回発送の今回が1回目。丁寧な礼状を書き、大根、カボチャ、チンゲンサイ、ピーナツ、トマト、シークワーサー、サトイモ、サツマイモ、生姜、ピーマン、ナス、長ネギ、エダマメを詰め終わったのが4時だった。それから急ぎニンニクを植え付け、今日の作業は終了とした。

『DIE WITH ZERO』。その最終章のテーマは「大胆にリスクを取る」である。章の冒頭でビル・パーキンスは「リスクを取らないリスク」について熱弁する。

大胆な行動は、将来の幸福度を高めるという意味での投資になる。つまり、あなたの人生を豊かにする。

 こう述べた後、彼は自身の「大胆な行動」を披露する。好条件のニューヨークでの仕事を捨てて、見知らぬ土地であるテキサスに移住し、新しい仕事についた。それが自分の成功に結び付いたのだと。人は移住や旅行などの場面でも大胆な行動を避けようとする。しかし、移住によってさまざまな体験ができるのだ。自分自身、もし移住を拒んでいたら、人生で最大のキャリアチャンスを逃していただろう・・・彼はそうも述べる。

 さてそろそろこの原稿をまとめよう。最後にもう一度、冒頭に引いたアリとキリギリスのイソップ童話についての、ビル・パーキンスの見解をここでも引くことにする。

キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきなのだ。

 カマキリ、バッタとともに、キリギリスにも、10月に入ったころからビニールハウスの中でよく出会う。夏が終わり、朝晩の肌寒さを避けるために彼らはビニールハウスに移動して来る、いっときの暖を取るためだ。でも、その心地よさも長くは続かない。ちょうど今頃、朝の最低気温が10度を割るようになったら、仕事をしていて、あちこちで硬直した死骸に僕は出会う。命尽きたものの哀しみがそこにはある。まるで敵を威嚇するかのように爪を高く掲げた姿勢で硬直しているカマキリには、とりわけ哀しみが募る。晩秋に命尽きてしまう昆虫は少なくはない。それなのになぜキリギリスか。アリとの対象でキリギリスが登場するのは、日々高らかに鳴き声を響かせたからだろう。夏の間、高らかに鳴くというならセミだってかまわないのに、そうでないのはヨーロッパにはセミがいないからだろうか、もしくは、西洋の人はセミの鳴き声に日本人みたいにちっとも風情を感じない(らしい)からだろうか。

 子ども時代、アリの飼育に熱中した。うちは商店をやっていたので、飴玉やお菓子を入れる大きなガラス瓶がいっぱいあった。僕はそれに土を入れ、アリの巣にしたのだ。四方がガラス。だからアリの生態はかなり詳細に観察することができた。なるほど、アリは勤勉である。かなりの力持ちでもある。他の昆虫の死骸を見つけるとたやす巣穴に運び込む。間違って僕が、彼らの巣を鍬で崩してしまった場合、散らばった卵をひとつずつくわえて移動していく俊敏さはすごいものだ。

 11月8日。寒いが、すばらしい朝だ。朝日を浴びると、よっし、今日もアグレッシブに生きるぞという気になる。朝食しながら見ているテレビが、ツイッター買収のイーロン・マスク氏が従業員の半分を解雇したと伝えていた。アメリカでは、解雇されたらただちにロッカーや机にある私物を箱に詰めてオフィスを出ていくのだと聞く。いかにもアメリカらしいと言えばそうだが、なんとも非情。僕の立場で言うと、ある日突然、畑を取り上げられるようなものだ。明日からどうやって生きればよいのか。何を心の支えとして暮らせばよいのか・・・。

 風は冷たいが、真っ青な空で、無風だ。朝食をすませ、具体的な目的があるわけではなくとも、いつも僕は畑をひとめぐりする。そこではシアワセな情感が湧く。そして・・・今朝はアリのことが思い出された。ほんとにアリは働き者なのか、勤勉なのか。生物学者の研究によると、全員が働き者という人間の認識はどうも正しくないらしい。「働きアリの法則」というのがあって、よく働くアリ、普通に働くアリ、怠けているアリ、その比率は常に2:4:2となる。もし、よく働くアリを取り除いたら、残りの個体からよく働く個体が出てきて、全体の比率は常に2:4:2に保たれるというのだからなかなか面白い。でも疑問が残る。どうして働き方に差が出るのか。全員いっせいに働くということをしないのか。そこには生き残るための戦略があるらしい。全員いっせいに働けば、一時的に仕事の効率は上がる。しかし、疲労困憊するのも全員同時ということになり、長期的に見たら効率はよくない。それでもって、よく働く、普通に働く、怠けるという分業が確立されたらしい。僕がふふっと笑うのは、ふだん怠けているアリも、一生懸命働いているアリがもし動けなくなった場合、ただちにその代役を務めて働くようになるらしいのだが、なかにはずっとサボったままというアリもいるとのこと。なるほどね、人間世界にも同じようなことはアリかな・・・なんてことを、真っ青な空を見上げながら今朝の僕は思ったのだった。

 

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中村顕治(なかむら・けんじ)

1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。

https://ameblo.jp/inakagurasi31nen/

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