中村顕治
今回のテーマは自給自足である。じきゅうじそく・・・ジキュウジソク・・・Jikyujisoku。どう表記しようとも、「自給自足」という元の漢字4文字は、なんと魅惑的な響き、そして甘い香りのする言葉であろうか。「どれほどグラマラスで美しい女性よりもコーフンした」、そんな男がいるかもれない。「どれほどイケメンでセクシーな男よりもしびれた」、そんな女性もいるかもしれない。自給自足とは、ある種、人生の媚薬かもしれない。時に有名人なんかがテレビのニュースをにぎわすあの大麻ごときではない。人は、男も女も、それに一度は酔う。酔った勢いで突っ走る人がいる。酔ったままで、布団にくるまって、ずっと眠ってしまう人もいる・・・。僕自身は・・・いきなり自給自足に飛びついたわけじゃなかった。子どもの頃から土いじりや生き物が好きだった。その幼なごころをたまたま、会社での居心地の悪さ、上司のパワハラ、それらが後ろからトンと押した。気づいたら百姓になっていた。最初は楽しいからやるだった田舎暮らしであったが、暮らしの中で、自給自足というものがだんだんと、我が体のすぐそばで、甘やかなフェロモンを漂わせるようになったのだ。そして僕もやはり酔ったのだった。酔ったが、酩酊というところまではいかなかった。なぜだろう。漢字4文字の「自給自足」にいきなり脳が、観念的に、出会ったのではなくて、田舎暮らしを5年、10年と続ける、その、けっこうキビシイ労働の過程で現実の壁を知り、それでもじわじわと、少しずつ夢の魅惑に向かって歩むようになったからだ。だから、我が自給自足の夢はいまだ完全ではないけれど、ゴール地点までは遠いけれど。日々の行動はかなり地に足が着いている、ステップは確かである・・・。
今回は、自給自足とは、具体的にはどのようなことをして、どんな暮らしにすることなのか、それをまず考えてみたい。そして、田舎暮らし44年の僕は何をどの程度自給しているのか、また、自給自足を大きな果実だと仮定して、その果実を手に入れるためにはどれほどの出資(僕の場合は肉体負荷)を必要とするのか。そして、完全自給というのは果たして可能なことなのか。せっかくの夢を途中であきらめずにすむにはどうすればよいのか。そういったことも順次書いてみたい。
2月3日。曇天である。気温は7度くらいである。我が朝の恒例、焚火で今日1日が始まる。今日は節分。季節は冬から春に移りゆく時・・・だというのに、光なし。なんともさえない。2月は「如月」との異称があるが、同じきさらぎという発音に当て字したものとして、他に「衣更着」、「気更来」、さらに植物の成長に目を向けた「木更生」というのもあるのだと、読売新聞の「編集手帳」が教えてくれていた。
2月の僕の仕事は本格的な春から初夏に向けての栽培、その下準備に多くの時間が費やされる。まずは畑をクリーンにすることである。2か月に及ぶ果樹の剪定。几帳面な性格の人は、切った枝をすぐさま箱に入れる。僕は切りっぱなしで地面に落とす。どこもかしこも切った枝だらけ。それを、大きな箱を引きずりながら、這い回って両手でかき集めるのである。それを2か所の焚火現場に合計で15回くらい、今日は運搬した。この焚火も我が自給自足のひとつのファクターである。僕の農法では焚火の灰は必須、欠かせない肥料のひとつ。そして、寒い朝は辛くともなるべく早く畑に行って焚火を始め、部屋での暖房を安上がりにする。そしてもうひとつ、その焚火では、イモを焼いたり、珈琲用のお湯を沸かしたり、煮物を作ったりもする。
ちょっと写真ではわかりにくいかもしれないが、抱いている杉の木は長さが2メートル、重さは推定で50キロくらい。それを30メートルの距離、どうにか、抱いたり、引きずったりして焚火の現場まで運び終えた。かくして骨と筋肉は衰えさせずにすむ。体力の自給自足というのはあまり聞いたことがないだろうが、世の中にはけっこう、ジムに行ったり、健康器具を買ったり、野球選手や女優が派手に宣伝している健康飲料を買って飲んだりして、お金を使っている人もいるかと思う。僕の日々のこうした運搬作業は意図せずとも自然に骨や筋肉の発達を促す。すなわち元手はかからないので、これもひとつの自給自足ではなかろうか。
今日の朝日の夕刊には、自給自足と移住に関わる興味深い記事がふたつあった。そのうちのひとつ「農の魅力 掘り起こせ」の主人公は、タレントの武藤千春さん(27)という方。武藤さんは紅白歌合戦にも出たことのある有名人であるらしいが、老人の僕にはおよそ遠い存在の方。その武藤さんは、もともと田舎暮らしに憧れはあったらしく、長野県小諸市に「移住したい」と言う祖母の家探しに付き添ったところから現在の暮らしが始まったらしい。最初は60平方メートルの畑を借りて野菜を作った。その畑が1000平方メートルに広がり、今では中古の軽トラックまで購入、2000平方メートルにブドウの苗木500本を植え、将来はワイン製造を考えているという。その武藤さんはこう語っている。
農業はクリエイティブで、可能性が無限にある。だから若い世代に知ってほしい。同じ作物でも、農家によって栽培方法や哲学が違う。自分で農業をデザインできるので、若い人にぴったり合う・・・。
恥ずかしながら、この記事にあった「発信 Z世代意識」のZの意味を知らなかった。この言葉、前にも見たような気がする・・・それでもって今日、ネットで調べて、ああ、そういうことかと納得した。そしてふと僕は思った。僕の若い頃は、もし会社をやめて農業を始めるなんて言ったら、頭でもおかしくなったかと笑われるのがオチだった。しかし今は、会社以外に生き方を見つけようという若い人、Z世代が昔よりも増えたような気がする。さらには、会社以外という選択肢の中で、農業、あるいは農的暮らしを選ぼうとする若者が多いようにも僕は感じる。ふと僕は思うことがある。それまでの仕事を辞めて、他に転身しようとした理由としてよく目にするのは、体調が悪化した、うつ病を発症した・・・今日の記事の武藤さんも、タレント業を辞めてファッションブランドのプロデュースに力を入れたが、寝る間も惜しんで働いて、体調を崩すほどだったという。農業には、幸いそういうことはない。夏の畑は地上温50度、1月の氷雨の日の気温は2度。そこで8時間ないし10時間仕事をし続けても体調を崩すということは僕にはなかった。両者の違いはなんだろう。一般の勤めは室内だ。百姓仕事は屋外だ。好むと好まざるとに関係なく、体は高温、低温、雨、風、雪にさらされる。それが負荷となるのではなく、訓練になる。だんだんに適応し、強くなる。そればかりか、精神の解放というおまけもついてくる。気が付けばウツの世界からはずっと遠い場所に自分は立っている。
2月4日。立春である。少し光の途切れた時間もあったが、ほぼ立春の名にふさわしい1日であった。しばらく躊躇していた人参の草取りをやることに決めた。躊躇していたのはずっと気温が低かったことに加え、掛けてあるビニールにはうんと土が盛ってあったからだ。この下の写真がビニールトンネル内の様子。どれが人参か、おわかりだろうか。種をまいたのは1月半ば。所定のビニールの上から厚手のビニールをかぶせ、さらには連日、夕刻には布団や毛布をかぶせる。種まきから発芽までは2週間ほどかかった。
やるべきことは何ともこまかい。上の写真の小さな草を指先でひとつずつつまみ取る。人参にくっついている草には一緒に抜いてしまわないように注意がいる。草を取ると同時に、やや土から浮き上がっている人参に土を寄せて足元をしっかりさせてやる。次の写真がその作業だ。発芽本数は概算で200くらい。他にも人参をまいたトンネルとハウスが3つあるので、この作業はしばらく続く。
自給自足とは、具体的には何をどれだけ自分の手で作り出すことなのか。今日はそれについて書く。『田舎暮らしの本』の読者が自給自足という言葉でもってすぐ頭に浮かべるのは野菜であろう。野菜の他にも自給自足のファクターはいくつもあるが、今日は野菜に限定した話としよう。我が畑をずっと見渡してみる。地上に姿が見えて、現在収穫されているものは、長ネギ、小松菜、キャベツ、白菜、ホウレンソウ、タアサイ、チンゲンサイ、カブ、大根、レタス、アシタバ、人参、ブロッコリー、大豆。地下に埋まっているものをその都度収穫しているのは、生姜、ヤマイモ、サトイモ、キクイモ、アピオス、ヤーコン。そして、春以降の収穫のために生育段階にあるものは、イチゴ、ジャガイモ、エンドウ、ソラマメ、ニンニク、タマネギ。最後に多年生のものは、ウド、タケノコ、ミョウガ、フキ、アスパラ。そしてもうひとつ、初夏以降に植え付けや種まきをするものは、カボチャ、ピーナツ、ナス、ピーマン、トマト、サツマイモ、トウモロコシ。ざっとこんな感じか。キャベツ、レタス、小松菜、ブロッコリー、カリフラワー、チンゲンサイ、人参、ジャガイモなどは年に複数回種をまくので、栽培回数で言うならそのトータルはもっと増える。
かなりの品数と思われるかもしれないが、高温、低温、多雨、強風でもって、すべてが順調に育つわけではない。例えば昨年夏には青虫の発生がすさまじく、ブロッコリーとカリフラワーはお客さんに送るのにも窮したくらいで、僕の口にはほとんど入らなかった。またトウモロコシはハクビシンにほとんどを食われた。だから、ここにも「自給自足の夢と現実」という問題が存在するわけだ。総括的に言うならば、野菜に関する自給自足とは、アナタが今日、食べたいと思うものが畑に必ずあることを言う。夏の間、たとえ食べきれないほどのトマトやナスが取れたとしても、冬の畑にはほとんどめぼしい野菜がないという場合は自給自足とはならない。つまり、四季を通して常に十種以上のものが途切れることなく畑にある、それが野菜に関しての「自給自足」だと僕は考えたい。
昨日、朝日新聞の夕刊の記事をひとつ引用させていただいたが、同じ夕刊にはもうひとつ興味深い記事があった。「生活を豊かにする働き方は」というタイトルで、「ナリワイ」実践者・伊藤洋志さん(43) という方が大きく紹介されていた。モンゴル武者修行の企画と実行、家の床張り、ミカンの収穫と販売、野良着の開発と販売、遊牧民の移動式住居ゲルの輸入・・・あれもこれもやる。それを「ナリワイ」と呼んでいるそうだ。その伊藤さんは京大大学院農学研究科の出身。大学を出て東京のベンチャー企業で働いた。しかし過度のストレスにさらされ体調が悪化、1年で退職したのだという。記事は言う。
まず守りを固め、支出を抑えた。衣食住のなかで、できることを自給するということ。しかし、「単なる我慢や節約とは違う」という。できるだけ面白く、そして生活を豊かにする、というのが肝だ。退職後、都心で物件を探し、渋谷からバスで10分ちょっとのところにあったボロボロで格安家賃の一軒家を借りた。仲間と土の壁を塗り、床を張って改修・・・・。
僕は近く読んでみたいと思っているが、伊藤さんは『イドコロをつくる』(東京書籍)という本を出しているそうだ。その副題が面白い。「乱世で正気を失わないための暮らし方」・・・たしかに正気を失っているかに見える人間は近頃多い。回転ずしの店で食べ物にイタズラして動画で流すとか、ふられた女にすぐ刃物を向けるとか、・・・。そんな幼稚な男たち、女にふられたごときでまるでこらえ性のない男たちは、一度うちの畑に連れて来て、真夏の50度の炎天下でスコップ仕事をさせてみたい、世の中にはもっと違った「明るい窓」があるということに彼らは気づくかもしれない・・・ふとそんなことを僕は考えたりもする。
2月5日。予想外の冷え込み。起きると、庭も畑も霜で真っ白であった。しかし空は明るい。今日の作業はまずタマネギのケアから。総数で1000本ほど。風と雨で飛ばされてきた土がかぶさり、畝間にはゴミも貯まっている。草も生えている。人差し指と中指をVの字の形とし、タマネギ苗を、浅からず、深からず、土に安定させてやる。その次はヤマイモとヤーコンの収穫。ヤマイモには去年の秋、目印として差した竹がある。それをアテとして掘るのだが、すぐ真下にあるとは限らず、数本のヤマイモに当たるまで長い時間を要する。またヤーコンは、イモをもぎ取ったらすぐに、親株は別の場所に深い穴を掘って埋めてやる。この合計で、午前中は2時間半くらいスコップを使い続けた。気温は低いままだが、豊かな光を全身に浴び、激しく体を動かすうちに久しぶりにけっこうな汗をかいた。
そして、昨夜のテレビを思い出しながら、考えた。汗っていいなあ、自分の肺で呼吸できるって、いいなあ・・・・。昨夜NHKで見たドキュメンタリー「命の砦」は広島大学病院での集中治療室の様子を40日間、密着取材したものだ。まず急いで書いておきたいことがある。前回の原稿で僕は「医者とクスリがあまり好きではない」と言った。その言葉を今すぐに取り消したい、やはり現代医学はすごい。そう思わせる医師、看護師、理学療法士の努力と患者への献身が如実に描かれていた。ふるさと祝島の言葉に近い看護師さんなんかが口にする広島弁、それもまた僕には味わい深いものだった。よって、あんなことを言って申し訳なかった・・・寝床の中でひとり胸の内で僕はつぶやいたのである。交通事故の被害者、コロナ感染者、出産後に大出血、くも膜下出血・・・一刻の猶予もない患者に10人ものスタッフが最大限の処置を施す。教授が口にした言葉ふたつが僕の胸に響いた。「我々がなすべきは、患者さんが元の生活に戻るためのスタートラインに立たせてあげること、その先は患者さん自身の体力と生きる意思です・・・」。そしてもうひとつは「LESS IS MORE」。集中治療室の患者には、さまざまな管がつながれている。薬剤もいろいろ投与されている。そのあまりに多い数は、時に、すべてが有用であるのか否か、わからなくさせる。どれが本当に有効なのか、もしかしたら不必要なものもあるかもしれない。だから、処置すべき機器や薬剤は「少ない方がよい」、これが「LESS IS MORE」という言葉の意味なのだ。
人工心肺装置エクモには、長期間装着すると細菌感染しやすくなるというデメリットもあるそうだ。でも、死の直前にある患者の命を保ち、生還につなげることも出来る偉大な装置でもある。そして、ここでも僕は思ったのだった。スコップ仕事を2時間半。それでも、ほとんど呼吸が乱れることなく、毎日こうして動き続けてくれる、そんな我が肺に吾輩は大いに感謝せねば・・・と。
2月6日。さて、一昨日は野菜の自給について書いた。今日は果物の自給について書こうと思う。このところ僕が食べている果物はキウイと夏みかんとデコポンだ。当地は本場よりはるか寒いので、デコポン本来の姿にはならない、へそみたいな出っ張りがない。しかし味は悪くない。百姓になれた幸福感、あるいはのぼせ感、それを最も象徴するのがこの果物たちである。この地に引っ越してから5年間くらい、サカタ、タキイ、大和農園、そういった会社にひたすら苗木を注文した。まだインターネットの時代ではなく、振替用紙に品名を書いて郵便局に行く。仕事が終わった夜更け、寝床でカタログをめくりながら、どの苗木にしようかと思案をめぐらすその時間は、いま振り返ると心躍る至福のときだった。しかし、反省すべきこともある。植えた果樹が多すぎたのだ。畑そのものが果樹でふさがり狭くなる。そればかりか、大きく育った果樹は周辺にも日陰を作るのだ。でも、いったん始めたら「やめられない、とまらない♪」、かっぱえびせんみたいな性格が我が良い点であり、悪い点でもある、そう思って自分を納得させている。
ざっと思いつくまま、庭と畑にある果樹を羅列してみる。柿、ポポー、梨、サクランボ、キウイ、ヤマモモ、レモン、ビワ、ナツメ、夏みかん、温州ミカン、プラム、プルーン、栗、梅、桃、リンゴ、アケビ、アンズ、カボス、ユズ、ザクロ、ユスラ梅、ブルーベリー、ラズベリー、サルナシ、デコポン、フェイジョア。これらの中で1本だけというのはほとんどなく、多いものは10本くらいあるので、果樹総数としては100本を優に超えると思う。しかし・・・毎年、間違いなく食べられるほどの収穫が得られるのは、栗、ポポー、アケビ、夏みかん、キウイ、温州ミカン、ブルーベリー、柿、梅に限られ、その他は、収穫皆無、もしくは年によって収穫量が大きく変動する。変動の理由は天候、そして害虫の発生。プラムや梨(バラ科)には毛虫が大発生し、夏の葉を食いつくす。葉がなくなると木は春が近いと勘違いし、本当は来春咲かせるはずだった花を秋に咲かせてしまい、全くの無駄花となってしまうのだ。もちろん僕は毛虫は見つけ次第に握りつぶすのだが、畑仕事に追われていたら発見が遅れ、まるで丸坊主となった木を見て毛虫だと気づくことがしばしばある。前もって農薬を散布すればこういうことは防げるが、前回の原稿に書いたように、僕は薬剤を使いたくない。
果物の自給というのは野菜よりも難しい。それは、野菜も天候に左右はされるが、果物はもっと天気の影響を受ける。それともうひとつ、いずれの果樹も、ひたすら高く伸び、枝を増し、広げようとする。このことを僕は前から不思議に思っている。枝を増え放題、伸び放題にすると、その木はいずれ自滅するのだ。人間が手を貸し、余計な枝を切り捨て、光や風がよく通るようにしてやらないと、単に花が咲きにくい、実がつきにくくなるのみならず、いずれの果樹もコケが生え、虫食いが生じ、やがて枯れてしまうのだ。そういう意味では、野に自生するものに比べ、より甘く、より大きくという改良の進んだ果物は、他力本願、独りじゃ生きられない弱虫・・・かもしれない。よって、その弱虫に人間が手を貸す必要がある。ところがその作業は、野菜の何倍もの労力を要する。ノコギリ、ハサミ、脚立を持って梅、梨、プラムと移動する。この上にある写真は、高さ5メートルまで延びた柿の木、それに巻き付いたキウイとアケビだ。そうやすやすと出来る作業ではない。だからずっと先延ばしにしていたのだが、先月、意を決して頂上登攀を目指した。半分の高さにまで切り下げた。来年の実成りはこれで無しだが、再来年には復活するだろう。
僕の果樹はほとんどがビジネスを目的としたものだが、ここで、あくまで個人としての果物自給について考えてみよう。僕の経験から、安定的な収穫が望めるものとしておすすめするのは、柿、キウイ、ブルーベリー、栗、梅、ポポー。これに、東北以北の寒冷地でなければ温州ミカンを加えてもいい。果樹ではないが、イチゴを加えることも出来るだろう。これらをきっちり管理し、確実な収穫に結び付けたなら、4月のイチゴ、6月のブルーベリーと梅、8月のポポー、9月の栗、10月の柿、11月のキウイ、ミカンと、かなりの自給態勢が整うことになる。収穫だけでなく、果樹の良いところは、その開花と果実の風景が目で楽しめる、かつ心を豊かにする、その利点も大きい。
2月7日。思ったよりも天気は良かった。ハウスの中の野菜たちに水やり、そして草取り。かなり仕事がはかどった。さて、今日の自給は電気についてである。それに付随させて、住居のメンテナンスの自給についても書く。電気代高騰はほぼ毎日のように新聞・テレビが伝えている。そして、なんと、東北や北海道の家庭での月の電気代は10万円を超えるという。オール電化という事情もあるのだろうが、それにしても10万円は腰が抜けるくらいの金額だ。そんなテレビのニュースを見て、僕の頭にこんなことが浮かんだ。野菜や果物を自給してもせいぜい月額なら3万円ほどだろう。しかし、この10万円という金額をもし、自給の電気でまかなえたら経済効果ははるかに大きいぜ・・・。
僕が太陽光発電を始めたのは5年ほど前。ソーラーパネル1枚、300ワットのインバーター。そんな低レベルからスタートしたのだが、これまた、いったん始めたら、やめられない、とまらないの性格が大きく働いた。気が付くと、5年間で購入したソーラーパネルは40枚、バッテリーは60個、インバーターとポータブル蓄電器は合計30個、総額230万円くらいを費やしていた。
今後、これ以上は買うことはないと思うが、それにしてもこの金額、生きている間に償却するのは不可能だ。でも・・・自給の電気で、冷蔵庫4つ、パソコン2台、テレビ、インターネット環境、井戸ポンプ、電気毛布、照明、水槽のウナギや金魚への酸素吸入、モヤシ製造機、さらには電子レンジ、扇風機、珈琲メーカー、トースター、あらゆるものを稼働させることが出来る。もちろん、ひとたび停電となるとどのお宅も不便に陥るが、僕にはそうした心配がない。この上の写真は、畑仕事の合間、チンゲンサイ、生姜、大根、ヤマイモ、豚肉を合わせ、圧力鍋で夕食の準備をしたところだ。僕は畑仕事に精を出している。頭の上で輝く太陽が野菜にも、僕にも豊かな光を注いでいる。その時、その光が、一方では夕食を作ってくれている。異質とも言える2つの作業が太陽光によって同時進行的になされる。仕事を終えて部屋に戻ると熱々の煮物が仕上がっている・・・これはちょっとした達成感とでも言おうか、なかなかの快感なのである。従来、煮炊きはプロパンガスに頼っていたが、電気釜(4つある)を使うことでガス代の節約にもつながるわけだ。ただし、常に順風満帆ではないところが自然エネルギーの弱点だ。この点については明日書くつもり。
話を転じて。畑の端にズラッと並んだソーラーパネル。その背後に我が陋屋(ろうおく)が見える。37年前、購入した時点では築1年半の新品同様だった家。しかし何度かの台風と地震で激しく傷めつけられた。浴室の壁面にはヒビが入り、部屋の壁にもたるみが出来た。それぞれを不器用ながら補修した。だが最も大きな被害は屋根で、ガタガタになった瓦をなんとか直したいと奮闘したが、何百枚もの瓦を元に戻すのは不可能だった。プロに頼むと100万という単位。それでやったのがこの下の写真。市販されている中で最も厚手のシートを掛ける。それを土嚢とロープで抑える。シートは5年くらいで劣化するので、これまで少なくとも6回くらい新しいシートをかぶせ直した。見るも無残な姿で、ガールフレンド「フネ」が言うには、ほんとかどうか、グーグルマップだかなんだかに、この様子がばっちり映っているのだという。すごいねえ・・・近所でもこの惨状は評判らしいけれど、まっ、それでも、着るものだって、僕は見てくれを全く気にしない。雨、風、それが凌げれば・・・もう充分さ。プロに頼めば100万、200万するものが自前の作業でやれたんだもの、これも立派な自給自足じゃないか。
2月8日。思ったよりも良い天気だった。朝いちばん、ハウスに入ってジャガイモのケアをする。いっせいに発芽が始まっている。その芽を確認しつつ、土の深さを指で調節してやる。植え付け時に土が深すぎたものは少し払いのけ、浅すぎたものには土を足してやる。露地で遅霜に当たるとせっかくの発芽が死んで、回復するまで半月くらいのロスタイムが生じるが、こうしてハウスの栽培にするとその心配もない。まだ気温が低いから成長は鈍いが、3月に入ったら一気に葉を広げるだろう。そしてたぶんGWが始まるころには小さいながらも収穫が見込めると思う。野菜の自給自足・・・適期適作という言葉があるが、単に「適期」だけの栽培では少し足りない。このジャガイモを例にすれば、植え付けの適期は2月の終わりから3月にかけて。そして収穫は6月になる。すなわち、保温設備を整えてやれば1カ月半くらい早く日々の食料にジャガイモが加わることとなる。保温設備は僕のような大きなハウスでなくともよい。幅150センチのビニールを使ったトンネルでも十分だ。ただし、小さなビニールトンネルだと冷気がじかに種イモに伝わるので、2月いっぱいくらいは夕刻、ビニールの上からシートや古い毛布なんかで防寒してやるのが望ましい。
昨日の太陽光発電の話の続きを少し書く。自然エネルギーには弱点がある。そう、天気に大きく左右されるのだ。先月、1月を例に取ろう。1月の日照時間は異例とも言えるくらい少なかった。当然ながらほとんど電気は作れず、僕は東京電力のお世話になった。電気がダメだから、1月は合わせてガス代も高くついた。具体的には、快晴が続くと毎日30キロワットが発電されるのだが、雨ばかりだと一気に5キロワットくらいまで低下する。さてここで、僕は仕事として冷蔵庫や井戸ポンプやモヤシ製造機なんかを使うので多くの電気を必要とするが、もしアナタが1個人として日常生活に必要な電気を作りたいと考えた場合、どの程度の設備を整えればよいだろうか。パソコンと、あまり大型ではない冷蔵庫と、夏の扇風機、それと居間、台所、寝室の照明。このくらいを前提として考えてみる。これに必要なのは、300ワットのソーラーパル1枚、100アンペアのバッテリー2つ、そして2000ワットのインバーターとコントローラー各1個。総額は12万円ほどである。
しかし、どこの家庭にもあるだろう電子レンジはこれでは使えない。もうワンランク上げて、電子レンジもトースターも使えるにはどうするか。電子レンジは起動時に1000ワット、あるいは1200ワットを必要とする。それに堪えるには、ソーラーパネルをもう1枚増やして600ワットとする、バッテリーを4つにする、インバーターは4000ワット、それに付随してコントローラーは60アンペアとする。この合計額は概算で25万円くらいになる。このシステムが5年間、無事に稼働するとして、月額にしたら4000円余り。ちゃんとペイする。ただし、先に書いたように、梅雨の季節をはじめとして日照の短い月は電力会社の電気に頼らざるを得ない。なお参考までに、家庭用のエアコンを太陽光発電でまかなうのは、僕はエアコンがないので確かなことは言えないが、たぶん無理であろう。ともあれ、太陽光発電、アナタにもおすすめする。専門業者に頼むと高くつく。手先不器用な僕でもやれたのだから、アナタにだってきっと出来る。
2月9日。冷たい北風が容赦なく吹く。梅は咲いたが、明日は雪との予報。心躍る春の訪れはもう少し先だな。昨日から開拓作業をやっている。もとは竹林。そこを耕し畑にする。サトイモを植える。背の高いここの雑草を根絶しておけば、同時に、背後にあるビニールの日当たりも良くなるだろう。面積は4×10メートルくらい。地中には、すでに枯れているとはいえ、孟宗竹の根っ子が無数にある。2年前に倒れた9メートルの大木もある。これに立ち向かう道具はスコップ、鍬、ノコギリ、あとは根気と体力。
自給自足達成には「投資」が必要と先に書いた。僕の言う投資とは、自分の手足を使っての肉体労働、それと作業に費やす時間である。初日の昨日は、いつもの荷造りがないせいでもあり、とことんこの開拓に没頭、9時間を奮闘した。そして今日も3時間。
地中から出てきた根っ子、切り刻んだ大木。その総量は次の写真の5倍くらい。その場に置いたままだと作業効率が悪いので、数回に分けて焚火の現場まで運ぶ。肩にも負担がかかるが、いちばん苦労をかけるのは両手。枯れていながらガッチリと根を下ろした竹は並みの力では抜けてくれない。まず幅広く厚い爪の鍬で真上から叩き割る。割れると根の張りが弱くなり、隙間も出来るので、そこにスコップを打ち込む。このプロセスで最も負荷がかかるのは手のひら、10本の指。いまこうしてパソコンのキーを叩く間も骨の痛みがあって、タイピングがぎこちない。
むろん。僕自身もここまでハードな作業を頻繁にやるわけではない。自給自足を夢見るアナタだって、将来こうした作業に関わることはそうそうはあるまい。だがしかし、野菜も果物も、電気も家のメンテナンスも自給、そう願う先には僕の言う肉体負荷という「投資」は必須となる。ラクチンしての自給自足は、まさしく夢物語である。しかし、物事はすべてポジティブにとらえよう。過剰とも思える肉体負荷には必ずリターンがある。どんなサプリメントよりも、体を動かす農作業は骨も筋肉も、肺も心臓も強くしてくれる。野菜や果物の収穫にも劣らない、健康で生き続けるための大きな収穫がそこから得られるのだ。さらに言うなら、いったん出来上がった体力、耐久力に、次回の作業で上乗せされる「利幅」は、ハードワークをしない人に比べてずっと大きい。つまり、元本が大きくなればなるほど利息がふくらむのである。
少し話題を変える。今日、荷造りしながら包み紙である新聞で「50代 退職して夢を追うか」と題された興味深い人生相談を目にした。50代の女性は看護師だという。彼女は年齢を重ねるにつれて焦りの感情にとらわれるようになった。
若い頃、「いつか〇〇したい」と夢見た希望や目標も、かなうことなく人生が終わるのかと思うと毎日がゆううつです。ちなみに私がかなえたい夢は語学留学と英語の習得です。家庭は円満で仕事も持っており、不満なく感謝すべきことです。ただ、判で押したような日々に時間がもったいないと思ってしまうのです。この年齢で夢を追うのはおろかでしょうか・・・・。
「判で押したような毎日・・・」。まさしく僕もそうである。起きたら、チャボと猫のブチの世話をし、ランニングに向かう。ランニングから帰ったら部屋に取り込んである鉢植えの花を屋上庭園に出して陽に当ててやる。それから朝食して畑仕事。ランチして、次は荷造り。荷造りを終えてもう一度畑仕事。仕事を終えたらストレッチと腹筋をやって、新聞片手に湯船に浸かり、風呂から出たら晩酌。珈琲で一息入れたらブログを書く、あるいはこの原稿を書く。11時くらいに寝床に入り、テレビを見るか、本を読むか・・・この流れと行動内容は365日、よほどのことがない限り、変化を生じない。それなのに、僕は、この生活がもったいないとは思わない、この暮らしから逃げ出したいとも思わない。なぜか・・・目の前の風景が変わってくれるからだろう。風、光、雨、温度。1日という単位においてもそうだが、季節においても常に変化がある。野菜の成長、果樹の開花、実り、そして落葉。土から這い出す虫たち。林の奥から響きわたる野鳥たちの鳴き声。走馬灯というのは普通は外から眺めて楽しむものだが、僕の百姓暮らしは、まるで走馬灯の、その円筒の中に身を置いたみたいか。じっとしていても目の前の風景が勝手に変化してくれるのだ。だから、判で押したような日々でも僕には、不足感も、倦怠感も、あせりもない。
2月10日。昨日から、テレビは大雪警報で大騒ぎしている。東京でも何センチかの積雪になるかもしれないと伝えている。今日の僕は7時起床。暗くて寒い朝だが、まだ雪も雨も降っていなかった。やや熱気の残っている昨日の焚火によく乾いた枝を足したところで、雪も雨も降っていないぞ、儲けた感じだぞ、ならば朝食は焚火のそばでどうだ。キャベツとシーチキンでスープを作り、チーズフランスをかじり、珈琲を飲む。それから、ハウスに入ってビニールトンネルを仕立てる。ビニールハウスの中にさらにトンネル。これで温度を高め、カボチャをまくのだ。
今日は卵の自給について考えてみたい。その話に入る前に・・・中国新聞のデジタル版で卵にまつわる面白い話を読んだ。小学生の頃、僕は広島に本社のある中国新聞を漫画代を稼ぐために昼休みに配達していた。65年前、まだ学校給食がなく、いったん下校して家で昼食を食べていた。その昼食をすませ、配達した足で再び学校に向かうのだ。島ゆえに、朝刊が11時の船で届く。朝刊だが「昼刊」そんな感じの新聞だった。こんな昔の思い出から、中国地方の出来事が知りたくて、僕は中国新聞のデジタル版を読んでいるわけ。そこで3日前、目にしたのが徳山動物園の飼育係のツイート。ある時、飼育係の女性は若い学生たちに質問したそうだ。鶏って、1日に何個の卵を産むと思いますか? ある学生は3個か4個くらい・・そう答えた。別の学生は10個だと答えた。正しい答えは1日1個。飼育係の女性は、「だから、10個パックの卵は10羽の鶏が産んだものなんですよ、すごいでしょ・・・」そうつぶやいていた。
毎日1個の卵を産み続ける。これは、鶏類の中ではエリートである。僕が飼っているチャボ。確かに産み始めると毎日産むのだが、その産卵は長くて半月で終了する。一定の数を産んだら抱卵態勢に入り、21日間卵を抱いて、ヒヨコが生まれたら、親鳥によって違いはあるのだが、平均2か月育児に専念する。子どもを育て終えたらしばらくの休息期間を取ったのち、再び産卵を始める。このサイクルを年に2回繰り返す。すなわち、単純計算して半年間は抱卵と育児に費やすわけで、それのみならず、晩秋から冬至過ぎまでは、その生理が日照時間に影響を受けるチャボゆえに、たとえ育児は終わっていても産卵は一時停止する。つまり、1羽のチャボが年間に産む卵の数は、多く見積もっても100個に届かないであろう。いや、まだある。当然ながら、人間と同じで、若いうちは産卵数が多く、加齢とともに減少する。どんなに齢を取っても処分せず、自然死するまで僕は飼い続けるから、庭を走り回っている我がチャボ50羽が年間に産む卵は平均1羽あたりで50個程度であろうかと思う。
ガッカリした人もいるかと思うので急ぎ安心材料を書いておく。チャボではなく、普通の鶏を飼えばよい。白い羽、赤い羽、白と黒のまだらの羽・・・雛の専門業者からヒヨコを取り寄せたら半年後には産卵を始める。チャボというのは野生の遺伝子が強く残っているので卵はあくまで次世代を残すために産むのだが、産卵率を高めるために改良された優れた品種の鶏にはチャボのような抱卵欲求はない。ただし頭に置いておくべきことがある。先ほど書いたように、加齢とともに産卵率は低下する。万の単位で飼育する養鶏専門業者は1羽の鶏から年間365個の卵を得ることを前提として飼育している。確かなことは分からないが、年間300個を割るようになったらただちに処分する、ラーメン屋でラーメンのスープになる、何かでそう読んだことがある。つまり、もしアナタが自給のために鶏を飼うとしたら、定期的に老齢のものは処分し、新たにヒヨコを導入する必要がある。しかし、そうしないですむ方法もないことはない。手に入れた鶏のヒヨコに1羽だけオスを加えよう。これでもって有精卵になる。ただし、さっき書いたように産卵優先として改良された品種の鶏はチャボみたいにすぐ卵をヒヨコにしようとはしない。もって、チャボを1羽飼うのだ。そのチャボが抱卵のために座るようになったら、別の鶏の卵を腹の下にもぐりこませてやればいい、僕はこの方法でアヒルを孵化させたことがある。
最後に飼育法の具体策を。家族構成にもよるが、毎日5個の卵を確実に手にしたい、そう考えるならば10羽を飼う必要がある。10羽を飼うための鶏舎は、その健康維持を考えたとき最低でも畳2枚分のスペースが欲しい。屋根の高さは人間の背丈くらいあるといい。本当はこれでも狭いのだが、もし日中、庭に出して自由行動させるのに支障がなければ畳2枚分でもいいと思う。鶏舎の中には地上1メートルくらいに止まり木を渡す。地面に50センチ×50センチくらいの産卵箱を2つ以上置く。そして重要なこと。イタチやヘビが侵入しないよう、硬い金網で囲うこと、さらには、地面を掘って外敵が侵入しないよう、鶏舎の四方にはブロックを埋め込むこと。そしてもうひとつ、飼育のための費用も書いておこう。今ホームセンターで売っている鶏の飼料は20キロの袋が2200円くらいする。10羽を飼育すると仮定して、この20キロ袋で賄えるのは1週間。すなわち月額にしたら1万円ほどになる。とすると、毎日得られる5個の卵の単価は60円強ということになってしまう。それじゃあ自給自足の名に値しないねえ。打開策はないか。ホームセンターから買う飼料とは別に、鶏のためと意識して、人間用以外の野菜を多めに作ろう。主体はトウモロコシ。他にはキャベツ、小松菜、大根や人参の葉を好む。これだけではタンパク質が足りない。庭の隅に1メートル四方の堆肥箱を作ろう。そこに台所から出る野菜くずや食べ残しを投入し、鶏の糞と米ぬかを混ぜる。これでもってミミズをはじめとした虫が繁殖する。それを食べさせる。これらが順調になされれば、卵価は30円くらいに押さえられる。それでもまだスーパーのものより高いが、鶏たちがくれる日々の心の穏やかさを考えたらまあまあペイする金額ではあるまいか。
卵の話の最後に悲しい出来事を。こんな写真見たくないという人もいるだろうが、これも現実だ。3日前、チャボたちが悲鳴を上げ、部屋の中に駆け込んだ。僕は悲鳴でハヤブサが来たのだとすぐわかる。畑から飛んでいき、あたりを丹念に調べたが異常はない。何かの間違いか・・・そう思っていたのだが、今日、フェイジョアの切り枝を燃やすために、ふだんあまり入らない場所に行ったら羽が散らばっていた。ハヤブサは内臓だけ食べて肉は残す。しかし、今日はその遺骸がない。事件から3日が経過して、その間にハヤブサ以外の動物が持ち去ったのだ。僕にとっては悲しい出来事である。こうした被害は年に10回くらいある。寝るとき以外チャボたちを完全に自由行動させる。悲しいが、これはその代償なのである。
2月11日。快晴、無風。気温14度。昨日から一転、喜ばしい1日であった。今日はまず人参の手入れ。1週間前に人参のことを書いた。その時は双葉だったが、今日見ると本葉が出ていた。丈も2センチくらい伸びた。まだ夜の防寒は必要だが、ここまで来るとひと安心である。体をトンネルに潜り込ませて草を取り、土寄せをしたのだが、タップリと汗が出た。トンネルの中の暑さがどれほどのものか、これでわかる。まだ午前10時。このままでは暑すぎるな。草取りを終えて、たぐり上げたビニールを元には戻さず、ブルーネットを渡して熱気が逃げるようにする。普通ならそんなことをする必要はないが、うちにはチャボがいる。野良猫もいっぱい来る。ネットで防護しないとメチャクチャに引っかき回されてしまうのだ。
暗くなってからも、畑の清掃作業で集めた剪定枝を大量に、朝からの焚火に投入して、しばし暗闇の中での炎の色と温かさを楽しんだ。そして思い出した。五右衛門風呂のこと・・・。5年か6年くらい前になる、ガス代の節約になるかもと考え、畑にドラム缶の風呂を設置した。しかし躓いた。まずドラム缶に水を満たす。母屋から引いた水道ホースは30メートル。薪を投入して燃やす。途中何度か火の強さを調節する。もし湯が熱過ぎたら母屋に戻って水道をひねる・・・さてようやく沸いた。作業着を脱いで湯に浸かる。風呂から出たら、裸で歩いて部屋に戻って洋服を着る・・・夏はそれでもよかったが、冬はちょっとまずかった。いや、それより何より、思ったよりもずっと手間と時間がかかった。燃え具合の調節、湯加減の調節。畑仕事を何度か中断する必要があった。家の中、もしくは家のすぐそばならそんなことはあるまい。しかし、我が手製の五右衛門風呂で、もし飛び火させ、家を燃やすなんてことになったらガス代ごときではすまない。だからあえて家からは遠いところに設置した。この点において、ああ、なんと簡便なものか、ガス湯沸かしというのはと、再認識したのだった。畑から戻り、スイッチを入れ、パソコンを開いてメールチェックをしてる間に湯船にはほどよい湯加減が満たされているのだから。思えば、風呂を沸かすガス代は1日、高くとも150円くらい。昨今の銭湯は確か500円くらいするんだよね、それに比べたら安いものだ。しかし、畑に設置した五右衛門風呂をチェックするため僕は何度も畑の作業を中断する。そのロスはどうやら150円じゃすまない・・・ということで、あえなくこのプロジェクトは途中挫折と相成った。
今日は最後に、昨夜NHKのテレビで見た番組のことを書く。解剖学者・養老孟子先生(85歳)。むかし仕事でも関わりのあった方だが、それとは関係なく、僕は長いファンである。昨夜の番組は、猫と虫を題材に、人生を語る、そういった趣向だった。冒頭、養老先生は自著の一節を借りるかたちでこう語る。
私にも若いときがありました。よく青春なんて言いますけど、じつは、あまり思い出したくないんです。ろくな思い出はありませんからね、個人的には。なぜだろう。たぶん辛抱してたからじゃないか。そんなふうに思います。辛抱した相手はなにか。結論を先にいえば、「世間」でしょうね。辛抱なんかしてなかった状況をいうなら、虫取りです。本当に好きでしたから。小学校四年生からで、いまでも好きです。学校が休みになったら、もう即、虫取りに出かけ、そのまま一生を過ごしたって、よかったわけです。でも「辛抱して」、勉強したり酒飲んだりして、世間にお付き合いしたわけです。そうやって、世間を学ぶ・・・。
僕も虫を含めた生き物が好きだった。以前にも書いたことだが、子供時代、うちは商店をやっていた。菓子や飴を入れるガラス瓶がたくさんあり、今風に言うならショーウィンドウみたいなものもあった。そこで、アリ、ミミズ、メジロ、フナ、ときにタツノオトシゴも飼った。もし庭があったらきっと鶏を飼い、野菜だって作ったかもしれない。残念ながらうちには庭がなく、掘ったミミズをよそで飼っている鶏にやって僕は喜んでいた。先生は、ずっと虫取りをして暮らしたかったが、そうはいかず、勉強し、東大に入り、解剖学者になった(たぶんそれが「辛抱」だったのだろう)。しかし先生は定年よりも早期にその職から離れ、今は虫三昧。番組では、はるかラオスにまで行って虫取りに励む姿が描かれていた。養老先生はこんなことも口にした。都会生活では、みんなアリ地獄みたいな所から上に這い上がろうともがいている。這い上がらず、ずっと底の方にいればいいのに・・・。僕の百姓生活も「底」かもしれない。凡人だから、僕もかつて都会ではアリ地獄から這い上がろうとする、そんな男のひとりだったはずだ。しかし、幸か不幸か、僕には這い上がるための才さえも欠けていた。這い上がれなかった。結果として、昔は蔑称としても使われていたヒャクショーになった。それが不思議なくらい、自分の体と心にフィットした。「小学校四年生から熱中した虫取りに、八十五歳となった今も楽しみながら没頭している・・・」そんな養老先生に似たところがきっとあるのだろう。
2月12日。光豊かで気温も高い。明日は冷たい雨の1日になるというから貴重な日である。今日の朝食にはキウイの簡易ジャムを添えた。中が黄色で、もともと小さいサイズの品種がある。その小さいサイズのさらに小さいものは売り物にはならないゆえ、自分で食べる。この上の写真のように、今日はそれをハチミツと一緒に、すりおろした夏みかんの皮とともに煮てみようとふと思いついたのである。なかなかの味に仕上がった。それでもって、僕の頭にはミツバチのことが浮かんだのであった。ミツバチを飼い、ハチミツの自給というのも我が夢なのである。が・・・世間からの情報では、ミツバチを確保するのはさほど難しいことではないように聞こえてくるが、僕には難しい。
うちの近くには常時ミツバチがいっぱい飛んでいる。そして昨年、杉の大木のウロにいた群れが分蜂し、庭のプラムの枝に塊を作った。それを虫網で捕まえ、飼育箱に閉じ込めた。だが、後から、慣れるまで完全密封しておくべきだったと悔やんだのだが、翌日見ると全員が小さな穴から逃亡していた。巣箱に慣れてしまえばなんでもないことらしいが、警戒心が強いから、少しでも気に入らない環境には定住してくれない。巣箱は5つ用意してある。誘引剤も6000円フンパツして買った。ミツバチの活動は来月末から。今年はなんとしても成功させたい。
2月13日。肌寒く、暗い雨模様の朝である。新装なったハウスに入って仕事に専念することとした。昨日、すっかり老朽化したビニールをはがし、20メートルの新品に取り替えたのだ。このハウスには現在イチゴとキャベツがあるが、キャベツの収穫が終わったらトウモロコシを作ろうかと考えている。この地域ではハクビシンが増殖している。去年は150センチのネットを張ってトウモロコシを守ろうとしたが、彼らにとってそんなネットなんてどうということもなかったらしい。ほぼ全てを食われた。だから、今年はこのハウスにトウモロコシを作る。高温期になったら側面をブルーネットで囲う・・・そんな計画。
さて、そろそろ今回のまとめに入ろうか。自給自足って、可能なのか、やれるのか。ここまで読んだアナタの気持ちは、盛り上がっただろうか、それとも「盛り下がった・・・」だろうか。完全自給とは、遥かなる遠い道である。だが、完璧を目指す必要はない。長い階段を1段ずつ登って行けばよい。目の前に、まだまだ登らねばならない階段は数多くあるとしても、確実にそれを自分の足で登っているのだという事実は人の心を満たす。自給自足とは一義的には物質の充足であるが、目標に向かって堅実に歩を進める人、その人の心には不思議と明るさや、さらなる意欲がわいてくる。つまり、精神の「自給自足」をも、それは伴う。自給自足を夢見る。それが途中でつまずくとしたら、理由はなんだろう。僕の考えでは、第一が体力不足、第二があせり、せっかち、こらえ性のなさ。すでに書いたように、すべてを便利にあつらえてくれる現代の文明社会に半分背を向けて暮らそうとするのが自給自足である。その基本となるのは体力、持久力である。よって、これからそれに挑戦しようと考える人は日々の暮らしにおいて体力アップを心掛けることだ。骨や筋肉を鍛える運動の他にも、暑さや寒さに自分を馴らしておくとよい。もうひとつ、せっかち、あせり。これは禁物である。スマホで調べものをするみたいに即座に答えは出ない。桃栗三年柿八年、ユズの馬鹿めが十八年・・・そんな言葉もあるように、果樹ひとつとっても道は長い。何か月かで収穫の得られる野菜だって、量、質、味、すべてに満足できるレベルに達するまでは何年もかかる。すなわち、自給自足という遠い道は年単位で進むべきものだ。
田舎暮らしや自給自足とは直接のかかわりはないが、先だって、読売新聞の書評欄で『体はゆく』(伊藤亜紗著、文芸春秋)の紹介文にこのような記述があった。
考えてもみれば、どんなにできる人も、はじめから一流ではなく、誰もがはいはい、よちよち歩きからはじめる。本書はこうして、頭でくよくよ考えるよりも、とりあえず体を動かしてみることで発見する人間の体の「奔放さ」「ユルさ」を丁寧に見つめていく・・・。
もうひとつ、『豊かに暮らすことって?』と題された朝日新聞の広告記事「Bon Marche」では、出版社勤務を経て何冊かの著作があり、昨年山梨に移住した寿木けいさんの言葉としてこのようなものが僕の目に留まった。
心は後からついてくる。まずは、身体をめいっぱい使うこと。心は実態がないもの、常に移ろうもの。身体という”入れ物”がまずあって、心は後からついてくるものだから、私は、まず身体をめいっぱい使います・・・。
まさしくその通りである。何事においても、誰でも、よちよち、ハイハイから始める。そのよちよち、ハイハイを堅実になし、前進させてくれるのは、心も大事だが、やはり身体である。まだ「完全自給自足」には半分ほどしか到達していない僕だが、富士山なら五合目・・・(昔、富士登山レースというのを走ったことがある)あたりにいるかもしれない。そして、ここまでの経歴を振り返って、良かったと思うことがひとつある。「頭でくよくよ考えるよりも、とりあえず体を動かしてみる・・」それを僕はずっと続けてきたことだ。この性格は、良悪の表裏一体であり、頭で考えず動いてしまうというのは失敗もしでかす。それでもめげずに突き進む。案外、大コケはせず、気づくと五合目あたりに自分は立っていた。そして、まだ半分あるのか、ではなく、よっし、残り半分だ・・・そう僕は考える。数々の失敗をしたけれど、思えば、人生、失敗なしには次の成功の手掛かりは得られない。失敗を糧として前に進むのが人間なのである。「自給自足」・・・楽しいよ、ぜひやるといいよ。かぐわしいそのフェロモンに向かって突き進むことを、アナタに、僕は、ここで、切に願う。
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中村顕治(なかむら・けんじ)
1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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